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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Beautiful dreamer

■opening

 鬼・凋叶棕が草間興信所を訪れたちょうどその時。
 所長の草間武彦はこれまたちょうど外へと出向こう、と言うところだった。

 殆ど玄関先で鉢合わせ、興信所所長は開口一番。
「凋叶棕か。ちょうど良かった。後は頼む」
「は? …いや構わんが…」
 お前は? とすぐさま凋叶棕は所長に問い返すが、所長の方は「依頼だ」とだけ残して振り返りもせずにそのままずんずん歩いて去って行く。凋叶棕はそれを見送り、所長と入れ替わりで室内に入りつつ――中に残されていた所長の義妹こと探偵見習いの草間零を見た。
「…来るなり俺に任せてとっとと行っちまうなんて珍しいな?」
「そうですね。…兄さんは凋叶棕さんに興信所の事をお任せしてしまうのは少し避けてるような…気がしてたんですが」
「…だよなぁ。実際これが初めてにならないか? 単なる下請け調査頼まれる事なら幾らでもあるがよ」
 今回は所長自ら御出陣、と来るか。
「…ところでどんな依頼だったんだ?」
 俺が聞いてよければ、だが。
「それは…――」



 ――…それから。
 所長に言われた通り後を任された凋叶棕は、零と共に興信所応接間で待機、と言うか留守番。
 二人で暇を持て余しつつ薄い茶などしばいていたところ、新たな依頼人がやって来た。…細身の黒いジャケットを羽織り頭には黒帽子、一見男性かと思えるような格好だったが、よくよく見ればパンツスーツの女性だった。
 後を任された以上は二人共取り敢えず興信所としてまともな対応を取ってみる。凋叶棕の顔が役に立つのはこういう時になるだろう。…実際にはそろそろ頼れるようになって来ているとは言えど、殆ど少女の見た目な零だけでは依頼する相手として頼りなさそうに見え兼ねない。対して凋叶棕は三十路半ばの年頃に見える男性で、都会の裏街道を歩いているのが似合いそうなダークスーツの洒落者。…要するに場の主らしい結構ハードボイルドな探偵っぽいハッタリは効く。…まぁ、だから所長も普段は凋叶棕に任せるのは避け気味なのかもしれないが。興信所を――自分の立場を乗っ取られるかもしれない的な、本人自覚ありの幼稚な杞憂として。
 零が新たに煎れて来たお茶を依頼人に出す。
 それで場に落ち着いて貰ってから、依頼人に話を聞く。
 簡単にだが内容を一通り聞いた時点で、零が、え、と少し驚いたような声を上げた。
「…茂枝霧絵さん、ですか」
「心当たりがあるんですか?」
「…いえ、あの」
 零はそのまま言葉を濁す。
 凋叶棕はその――依頼人に対して結構不審に思われてしまいかねないところを結構あっさりとごくごく自然に誤魔化してしまい、それから改めて一通り話を聞いて――依頼を受ける事を伝え、ひとまず今日のところは依頼人にはお帰り願う。



 それから。
 身内だけ――零と凋叶棕だけが残った興信所内で、凋叶棕は改めて零を見た。
「…さっき俺に任せて出てった所長は『茂枝霧絵の依頼で動いてる』って言ってたな」
 それも、零もその依頼時に居合わせて、実際その茂枝霧絵の姿を見てるって。
「はい…なのでびっくりして…つい」
 声を上げてしまって。


 ――――――『その』茂枝霧絵と言う女性を探して欲しい、と依頼されては。


 先程二人の元に訪れたパンツスーツ姿の依頼人――葛原祥子、曰く。
 元々、彼女は『探偵』の茂枝霧絵にとある失踪事件調査の依頼をしていたらしい。それもただの失踪人追跡調査では無く、まるでメアリー・セレスト号のような、ついさっきまでそこで普通に生活していたような痕跡だけを残し、唐突に誰一人居なくなっている、と言う――失踪と言うより消失と言った方がしっくり来そうな失踪事件の。
 その調査をしている中で、あろう事か茂枝霧絵の姿まで消えてしまい、次の伝手として――葛原祥子は彼女の直弟子に当たり今は独立していると言う話な探偵の草間武彦を頼ってみる事にしたのだとか。…曰く、茂枝霧絵から草間武彦の事は直接聞いていたらしい。それも怪奇探偵と言う現在の評判ごと。
 葛原祥子としては、茂枝霧絵を巻き込んでしまった事になるから申し訳無く思い、せめて彼女は助けたい、と言う態度だった。…そもそも祥子も祥子で探偵なのだと言う。但し今回の件はどうにも普通の事件には思えなく、自分では手に負えないと見た為に自分より上のスキルを持つと承知している霧絵を紹介した…と言う経緯だったのだとか。
 だが、結果は上記した通りで。
 失踪者が一人増えてしまっている。

「…まぁつまり、何はともあれ所長と話を擦り合わせる必要があるって事だろうよ」
 場合によってはその時点で解決するかもしれねえしな。
 …そう、話が落ち着く。

 が。

 所長は、その日の内に戻っては来なかった。
 否、その日の内、どころでは無く。
 その後当人から何の連絡も入る事は無く、凋叶棕に後を頼んだっきり、所長は――草間武彦もまた、姿を消した。
 茂枝霧絵、同様に。



「ってえ事は――話を擦り合わせるどころか、まずやらなきゃならねぇ事は、決まったな」
 どうせこの『二つ』の依頼に絡んで面倒事が起きて所長はそれに巻き込まれてるってところだろ。
 まずはその辺から辿って、草間武彦を捜さねぇと。



■アリスの端緒、の場合。

 草間武彦が姿を消した。
 色々と付き合いがある限り、その話は誰からともなく伝わってくる。…石神アリスのような者であるなら尚更。元々、電話が来た時点で電話口の零の様子がおかしかった、と言うのもアリスは感じている。探偵と言うなら長期不在の時もそれなりにあるだろう。…なのに来た、草間武彦の居所に心当たりは無いか、と言う電話。曰く、草間興信所の長い探偵業の中、調査員やら身内方面と言う意味合いで何かしら付き合いの出来た相手には取り敢えず片っ端から訊いてみているらしい。
 アリスに掛かって来たその通話の中での零の口調。滲み出ている感情。不安。気懸かり。そう言った人間らしい感情が霊鬼兵の始まり――初期型霊鬼兵と言う素性であるこの零から感じられる辺り、アリスとしては通話の内容さて置き、凄いですね、と感心する思いにもなって来る。
 実際、アリスは零が草間興信所に来るに至ったその辺りの事情を直接知りはしないが、草間興信所と付き合うに当たり草間興信所について、延いてはその所長である草間武彦や義妹にして探偵見習いである草間零の事を軽く調べてみるに当たって――なかなかに複雑な事情がある事は承知している。言ってしまえば異能絡みな裏の世界のトップシークレットに近い事、けれど同時にその筋の視点で見れば充分目立つ派手な事件だったとも言える訳で――と言うかそもそも草間家では特に声高に言いはしないが別に隠している事でもない訳で、付き合いが出来ればそれなりに関係する話は自然と耳に入って来る。…少し周囲にアンテナを張りさえすれば尚更。
 つまり、付き合いが然程深くなくても、第三者としての情報面だけで言うなら――アリスはもう結構草間家の――少なくとも現在の草間家の諸々については結構詳しいと言える。…と言うか、造形的にも性格的にももう充分に零は可愛い。だから当然のように興味を抱いてしまっている…とも言える。但し同時に、この零をコレクションに加えるのはさすがに難しいとも思っているけれど。そもそも零に手を出してただで済むとは思えないし、上手く手を出せる気がしない。…余程綿密に策を練り隙を見て弱点を突く等しなければ、逆にこちらの本性が露呈し致命傷を負わされるだろう自覚はある。
 …要するに電話で話を聞いたばかりの今の状況ではその辺の事を狙うのは到底難しい。何やら後を託されていると言う正体不明な調査員――鬼・凋叶棕と言う不確定要素の男――も零の側に居るようだし。わざわざ危ない橋を渡りたくはない。
 となると、普通に恩を売っておこうか、と言う選択肢がまず出てくる。…草間興信所、恩を売っておいて悪い相手では無い。後の布石にもなるかもしれないし、身内には甘いからアリスを見る目もより一層曇りそうなもの。零に拘らずとも可愛い子だって見付かり易くなるかもしれない。この草間武彦、なかなかに人望のある人物なのだから周囲に集まる人材もまた多い。…実際、アリス自身を顧みても――何か一つ間違えばすぐさま本性がバレてしまいかねない立場の相手にも関わらず、嫌いになれない相手でもある。単純に、このまま放ってはおけない、とさえ思えてしまう辺り、何か絆されてしまっている…とも言えるかもしれない。
 ともあれ、それで通話を切った後のアリスが試みた事は、まず自らの裏の伝手を使っての情報収集。「普通では無い失踪事件」ともなれば何かしら出てくる可能性。例えば正規ルートでなく流れて来た美術骨董の類が出た元がそこだったりとかすれば、その辺りから色々突付けるかもしれない。普通では片が付け難い事件の後始末、となれば別口で裏のルートが手を伸ばしている場合も良くあるし。もしくは失踪自体がもう表立っては言えないような事情で、と言う場合もあるかもしれない――その場合も裏のルートで情報が掴めるかもしれない。
 そんなこんなの可能性を探り、零の話の端々から垣間見えた今回草間武彦が関わる事になったのだろう――該当するだろう失踪事件の概要も探る。
 それらを済ませ、ある程度の――多少意外な――情報を得てから、アリスは草間興信所に直接向かう。訪れる事は零と凋叶棕はもう承知。改めて連絡は入れてある。…恩を売る為の大事な一手間。

 そして改めて丁寧に猫を被り直した頃、草間興信所へと到着。
 備え付けのブザー…は鳴らさない方が良いのでドアノックで来訪を中に知らせて零からの応対を受け、いつものようにごくごく普通に応接間の中へ足を踏み入れたところで――思わず一時停止。

 ………………何処かで見たような顔が中に居た、と言うか――何処かで聞いたような賑やかかつ流暢で偉そうな喋り倒しが聞こうとしなくとも先に聞こえて来た、と言うか。
 材質不明な扇子を片手に、民族系のゆったりした服を纏った細身で長身の人物。黒髪緑瞳で性別不明のまだ十代だろう年頃の。…確か、名前は。

 ラン・ファーと言った、と思う。



■ランの場合、端緒も何も。

 石神アリスが草間興信所に到着する、少し前。
 彼女が目撃して一時停止したそのラン・ファーが、何故か草間興信所に先に現れていた。…まぁ、現れた理由はと言うとアリスと同じ。このランもまた、零が電話を掛け草間武彦の居所に心当たりは無いか訊いた相手の一人になる。が、このランの場合は何やらアリスの反応とは雰囲気が随分と違った――と言うか、色々考えたり根回しするより先にまずここぞとばかりに現地に来訪、来訪するなり何やら不在の所長を羨ましがると言う少々ズレた反応を見せている。
 興信所の中、所長――草間武彦の身に何があったのかと心配したり不安だったりしている者ばかりなところでまずそれ。失踪した当の所長については――「草間だけ面白世界に行くとはけしからんな!」と一人怪気炎を上げている。興信所の中に居た零も凋叶棕も、ランのそんな様子にやや呆気に取られて反応出来ていない。
 そんな間にもランはいつもの如く何やら考え込みつつ喋り倒している。
「…草間興信所と言うこちらの足場を離れて行ってしまうとはそれ程面白い世界なのかはたまたそこの殺し屋っぽいのと零は連れていけないよーな後ろめたくも怪しい楽しみがある場所なのか。…うぅむ、どちらにしろ少なくともいつも世話になってるこの私に声を掛けて行くくらいは礼儀だろう。それも忘れるとはけしからんぞまったく。…いや、私だけがあの草間の世話をしている訳では無いな。そこの殺し屋っぽいのに零も充分過ぎる程草間の世話はしているな。そうでもなければ今ここで後を託されはすまい。そもそも世話をするような奴でなければこのラン・ファーの元に連絡を入れるような気は回らんだろう。となるとやはりそんなスタッフ連中に何も言わんで消えるのはけしからんな。…だんだん腹が立って来たかもしれんぞ。所長たる者、スタッフ等にも同等の楽しさを分けてやるべきだとは思わないか?」
 閉じた扇子で主不在な所長のデスクをびしりと指しつつ、そこまで一息。
 ランが喋り倒した後で、漸く凋叶棕の反応がランに追い付く。
「取り敢えずだ。…今所長が楽しい事になってるとは限らねぇと思うがね?」
「そうか? 面白い世界に行けば私なら楽しめると思うのだが草間はそうとは限らんと後を託された殺し屋っぽいお前は思うのか? …ふむ。そうかもしれんな。だがだったら尚更だ。楽しめる私では無く何故状況を楽しめないかもしれん己だけで行くのだ草間は。道理に合わんでは無いか」
「…。…あー、もう一つ取り敢えずな。外で呼ばれると色々と人聞きが悪いんで訂正させて貰って良いか。『殺し屋っぽいの』じゃなくて凋叶棕、もしくは凋とでも呼んでくれ」
「む? それがお前の名か。承知した。…映画などで出て来るちょいと小洒落た殺し屋っぽい雰囲気に思えたので名を知らぬ段階ではそう呼ばせて貰っていたがやはり呼ばれるならば呼ばれたい名が良かろう。…人聞きが悪い。ふむ。取り敢えず零は別に何とも思っていそうではないが…霊鬼兵は勘定に入らんのか? そして私も別に気にせんが…私も勘定に入れん方がいいかもな。ん? となると別に人聞きが悪かろうが構わんのでは無いか?」
「今この場では構わねぇが。…調査に出た先では名前を呼んで貰った方が面倒が無くて楽だ」
「そうか? イメージ重視で呼んだ方が楽な場合もあると思うが調査先では面倒になるものなのか?」
 と。
 ランがそう問い返したところで――コンコンと控え目にドアノックの音が鳴る。気付いてソファから立ち上がり応対に出る零。その零の手で開かれたドアの向こう側には――神聖都学園の女子制服を着た姫カットな長い黒髪の娘が居た。かっちりとした制服の着こなしの中、首には首飾りを着けている――小さな金の蛇を模ったらしいペンダントヘッドがきらりと光っている。
 そんな女子学生が、零に迎えられるまま応接間に足を踏み入れようとするなり――何やら反射的に止まっていた。応接間の中には零と凋叶棕と――そしてラン。新たな客人の女子学生こと石神アリスは、そのランの姿を見るなりと言うか視覚以外、聴覚の時点でランの存在を確認するなり、一時停止したように見える。
 が、ランは気にしない。
 それどころか零に迎え入れられたと見るなり、おお! と感嘆の声を上げつつそのアリスの姿を扇子でびしり。
「誰かと思えば新たな客人は以前アンティークショップ・レンで顔を合わせた石神アリスでは無いか! 久しぶりに顔を合わせたと思えばまた仏頂面なのか残念だな。…ん? それは草間のせいか。やはりな。一人で面白世界に行くなど言語道断だ。置いて行かれた方はつまらん。仏頂面にもなろうと言うものだ」
 うんうんと一人合点し一頻り頷いていたランは、よし! と大声を上げる。
「では我々も行く事にしようか。善は急げだ。草間と同じ世界にいざ赴くぞ!」
「…我々って」
「…あんたもって事だな。石神の嬢ちゃんよ」
「…勿論、凋叶棕さんと零さんもですよね」
「…そういうこったな」
「…ってあの…」
 それ以前に。
「…兄さんは何処か別の世界に行ってるって事なんですか?」
「ん、違うのか? 草間興信所に普通の依頼が来る訳は無いだろうに。となれば姿が見えないイコール何処ぞの世界に移動してしまったと考えるのが妥当では無いか? …まぁ、これから草間と同じ世界に赴くにしても何かしら当てが必要なのは確かだが。闇雲に動いても意味は無かろう。となると草間が何の依頼で動いていたのかの詳細を知る必要があるな」
 先程の電話口ではその辺ロクに聞かなかったからな。
 その辺から何か面白い事が見出せる可能性もあるだろう。…と言う訳で、さぁ、洗い浚い教えるが良い。

 …とまぁそんな流れで、やっぱり取り敢えず次の行動が済し崩しに決まる。
 まぁ、間違った方向の行動方針では無いと思うが。取り敢えず今の時点では、まだ。



■取り直して調査開始…になるのか?

 まず、所長の草間武彦が動いている――動いていた件について。
 零が知る限りでは、葛原祥子が依頼に来た前日、依頼人として訪れていた茂枝霧絵の依頼で、だと言う。…その際、零はお茶汲みがてら居合わせていた為ある程度の事は聞いていたらしいが、手を出すなとも武彦から釘を刺されていたらしい。自分だけで良いとか何とか。そんな事情で――零はあまり詳しい話は聞いていないのだと言う。
 が、それでも。
「確か、何かの事件を抱えてらっしゃる茂枝さんのお手伝いを、と言う依頼だったと思います」
「となると普通に、その後にうちに来た依頼人な葛原祥子が言ってた『元の失踪事件』ってのがタイミング的に合う」

 葛原祥子から茂枝霧絵に託された、と言う失踪事件。
 それは、水内と言う家の家族四人が、つい今し方までそこに居た――と言うような日常過ぎる痕跡だけを残して不意に消えた、と言う怪奇染みた失踪事件になる。もし、そこに何かしら異常が――常ならざる事が起きた痕跡があるのなら、それは普通に事件もしくは故意の失踪、と理由に想像が付く――普通に警察の管轄な話、それが叶わなくとも普通の探偵が調査して掴めるかもしれない程度の話になるだろう。
 けれどこの場合、そういった異常さが一切無く、ただ人だけが消えている。
 異常なのは『人が消えている』事だけ。
 調べれば調べる程、それ以外に異常な点が見出せなかったらしい。
 となると、むしろ『消えた』事自体があまりに異常と言え、葛原祥子は調査に音を上げて――同業であり自分より上のスキルを持つ知人な茂枝霧絵を頼った、と言う経緯らしい。
 が、その失踪事件は、託されたその茂枝霧絵であっても何かしら手が足りないと判じて――祥子曰く霧絵の弟子筋になる怪奇探偵・草間武彦を更に頼った、と言うところらしい。

 そしてその茂枝霧絵が姿を消した、と霧絵の捜索の為に葛原祥子が草間興信所へ依頼に訪れた「前日」に。
 …当の茂枝霧絵も草間興信所へと依頼に訪れている、と言う事実がある。

「依頼に来た時の茂枝さんは全く普通で…失踪中なんて感じは全然しなかったんですけれど」
「だからその『茂枝霧絵の依頼で草間が動いてる』って言う件がある限りは、葛原祥子の依頼もすぐ片付く可能性があるかと思ったんだよな」
「…葛原さんの早とちりや勘違い、もしくは草間さん当人が茂枝さん失踪――と装っている、とでもこの段階では言うべきでしょうか――の事情を知っている可能性がある、と見た訳ですね」
 アリスが確かめると、零も凋叶棕も頷く。
「が、だ」
「依頼…恐らく茂枝さんのお手伝いの依頼だと思うんですけれど、その為に出て行ったっきり今に至るまで兄さんは帰って来ていませんし連絡もありません」
「で、零曰く通常の調査業務なら定期連絡の数回はもう入ってるくらいの時間は経っている」
「…それも無い、と」
「だから零が慌てた訳だ」
 それで、アリスやランが零から受けた電話、に繋がる事になる。
「…ふむふむ。となるとやはり『元の失踪事件』とやらが根っこだろうな。…それが本当の始まりかどうかは知らんが少なくとも今我々が話しているこの場で知れている始まりはそこになるだろう。初めにあった失踪がその――水内家の四人とやらで、依頼人はその親戚だったな。その時依頼を受けたのは葛原祥子だったがその葛原祥子は自分では手に負えないと見て茂枝霧絵に依頼を丸投げ。その茂枝霧絵も草間の手を借りに来た、と言う流れか。そしてその流れの順番で次々失踪か。…いや、葛原祥子も葛原祥子に直接依頼した親戚とやらも別に消えてはいないのか。となるとなんだ、葛原祥子やその依頼人な親戚は消える条件に当て嵌まらない何かがあるのか? それとも消えた連中こそが何か別に特別な条件を見付けてしまったのか? …ともあれその境目は何処なのか知るのが肝要だな。それで面白世界へ行けるかどうかが決まりそうだ」
「…面白世界とやらに行けるかどうかは知らねぇが。調べるならまずそこからだな」



 水内霞。
 …それが、『元の失踪事件』の依頼人。「水内」の名の通り失踪した家族の親戚で、二十代前半と思しき女性だった。気だるげながらも何処かコケティッシュな可愛らしい印象のある――同時に頭が弱そうにも見える立ち居振る舞い。けれどその実、ある程度言葉を交わすと頭の回転は並み以上だろうと印象が逆転するような人物。ある意味水商売風と言うか、ポーズ、仮面、鎧としてそんな甘やかな態度を取っているような、むしろ本性は抜け目のなさそうな人物――のようだった。
 そんな彼女への伝手を葛原祥子に付けて貰い、草間興信所の一行は当の現場――失踪した水内家の邸宅に赴く事になる。…今現在そこを管理しているのはこの水内霞になるらしい。そして、水内霞だけでは無く葛原祥子も伝手を付けるだけでは無くそこに同席。
 二人と合流してから事情を話し、改めて草間興信所の一行は水内霞から『元の依頼』の話を聞く。へぇ、そんな大事になっちゃってるんだー、と無闇に他人事な応対をされはしたが、それでも水内霞は嫌がる事無く葛原祥子から茂枝霧絵に回る事になった依頼の件を一から丁寧に話はしてくれた。途中、葛原祥子が元々聞いていた話とも擦り合わせ、新たな情報が何かしら出てくる可能性まで探っている。…水内霞の態度は大元の依頼人だけあって非常に協力的だった。
 いや、大元の依頼人だからと言うより――こう言うのも何だが、水内霞にとってそもそも『探偵への依頼』自体が駄目元に近かったらしい、と言うのも今丁寧に話を聞けた理由かもしれない。
「誰に」と言う問題では無く「探偵」と言う職業の者に解決を頼む事自体がもう駄目元。…まず、普通に現代日本なら基本失踪などの困り事は警察組織に頼ると言う頭がある。そして――それで駄目な場合だとそれは憤ったり嘆いたりもするだろうがその先の結論としては大方諦める。勿論、縋る藁として己で調べたり私立探偵に頼ったりもする場合もあるだろうが、その場合でも――これで確実に見付かる、解決出来る、と信じ切る方が難しいのではなかろうか。
 解決出来る。そう信じたいのも確かでも、頭の何処かでは無理だと諦めているような。捜す中、信じよう信じようと己に言い聞かせ続ける事で漸く気持ちがコントロール出来ている、と言うのが正直なところではなかろうか。
 …その辺、この水内霞は欠片も取り繕っている様子には見えなかった。だからこそ依頼をした当の探偵以外の面子がずらずら話を聞きに現れると言う、依頼人にしてみれば不快にもなりかねないだろう状況ながらも――やけにまともに建設的な会話になったような気もする。むしろ、冷静過ぎて話を聞く側の方が面食らいそうなものだったかもしれない。
 実際、そんな依頼人に――アリスには何やら引っ掛かるところがあったらしい。水内霞に葛原祥子の二人と別れ、家の鍵を預かった上で現場の邸宅からも辞した後、草間興信所の面子は周辺で少し聞き込みもしてみようと二手に分かれて動いていたのだが――アリスと同行していたランはアリスのそんな様子に目敏く気付いていたらしく、何か気が付いた事でもあるのか? と思い切りストレートに訊いている。
 訊かれたアリスは、いえ、と言葉を濁し少し考え込む。が、多分相手がランではそれで済まないもっと色々面倒臭い事になる――と『過去の経験』からすぐさま悟り、結局、引っ掛かったところを素直に話す事にした。
「…どうもしっくり来ないんです」
 関係者の人物像的に。
 失踪した水内家の方々――水内健、遼、馨、繭の四人。まず有用な情報は得られそうにないだろう――とは思いながらも草間興信所に来る前にアリスが裏のルートを使って調べた結果、意外にも結構すぐに該当人物の情報は出て来ていたらしい。
 それも、カモ――もとい被害者な立場の存在としてでは無く、それを食う側――事が起きたならば大方加害者側になるだろう、裏社会の人間、と言う方向で。表向きは全く普通の家庭に見えるよう振る舞っていたらしいが、裏では異能者向けの――要するに性質の悪い黒魔術系呪術に使う生贄とかそっち用の――人身売買で結構鳴らしていたらしい。…勿論、そうなれば敵も多い。ならばそちらの関係で被害者から報復食らったりとか、同業に敵視されたりとかそういう事も充分有り得る訳だが――その辺でもし異能の力が用いられていたなら、正直、元の失踪事件に大した不思議は無い。
 が、そうと仮定するなら――まず水内霞が探偵に依頼している事自体がおかしい。
 …まぁ、葛原祥子時点ならば普通の探偵――何か都合の悪い事が出て来ても『誤魔化せる自信』があったと言う事でまだ済むかもしれない。だが、話に聞く茂枝霧絵、そして怪奇探偵の二つ名を持つ草間武彦まで出張るに至り――そしてそれを快く受け入れここまで協力的に、失踪した皆を心底から心配しているように水内霞が振る舞っていたのは、芝居やポーズでだったとはどうにも思えない――どうにも引っ掛かった為、ひっそり魔眼の催眠を使ってみたりもしたのだが、それでも特に裏は無かった。そしてその事自体が引っ掛かる。…水内霞側にしてみれば、意味が無いどころか藪蛇になり兼ねない行為。それで水内霞に何の得になるのかが全く見出せない。
 何故なら、アリスが裏のルートで調べた限りではこの水内霞も『失踪した水内家の四人と同類』だから。ならば、失踪した四人を捜すにしても――自分一人で無理だとしても、もっと与し易い相手を選ぶのが当然だと思う。…『草間興信所』の名前はこれこそ異能系の裏の世界では鳴り響いている名。誤魔化し利用する相手としてこれ程割に合わない相手もなかなか無い。…そしてそれは結構裏では知られている筈なのだ。
 そして実際に会った水内霞の印象からして、その辺が理解出来ないタイプの莫迦とは到底思えない。ならばそれ程誤魔化すのに自信があるのか――否、どうも、そういう風でもなかった、と思う。
 ならばその辺度外視で額面通り本当に四人を心配して依頼が草間興信所まで行っても文句を言わなかった、と言う理由が残る。が――アリスが得ていた情報からして、それは幾ら何でも考え難い。

 …それは、見た目にそぐわぬ聡明さは見えた。
 が、それにしても。
 アリスが得ていた情報からすると、この水内霞は『普通の人間』過ぎるのだ。聡明さが「垣間見え」てしまう時点でもう、侮れない人物だと言う事が隠し切れていない事にもなる。隠し切れていないとなれば、それはそこから裏の顔がバレる事も充分有り得る事にもなる訳で、裏の視点から見れば脇が甘過ぎると言う事になる。
 と言うかそもそも、魔眼の催眠で確かめる限りではこの水内霞、裏社会の人間らしい要素が全く見えなかった、と言うのもある。
「…それから、葛原祥子さんが調べたと言う水内家の情報についても引っ掛かっています」
 完全に、水内家の四人は失踪の直前までごくごく普通の家族の生活を送っていた…と言う事が。聞き込みやらで裏も確り取ったと言う詳細なタイムテーブルまで情報の――資料の中にあった。勿論、葛原祥子が調べた事ならば水内霞の証言も含まれているからその部分を差し引いて考えるとしても、これでまだ隠された二重生活があるとはとても考え難いくらい、詳細に調べてある。
 …アリスが裏のルートから得ていた水内家に関する情報と、葛原祥子や水内霞と言った関係者から新たに得た情報。両者がどうしても重ならない。
 そこまでを話したところで、ふむ、とランが考え込んでいる。
「…つまり別人とでも言われた方が納得が行きそうな感じと言う事か」
 アリスが調べておいた調査対象と、葛原祥子が調べた調査対象では。
「…。…まぁ、今の時点では話を聞いた相手はあの御二人だけですから」
 ですから今、こうやって手分けして聞き込みに回って、情報を再確認してみようと動いている訳ですし。
「うむ。色々面倒だが情報が別人レベルにとっちらかってる以上はそれしかあるまいな。…ところでその話は零と凋叶棕の方には伝えんで良いのか?」
「はい。…言わなくてもすぐにわかる事だと思いますから」
 わざわざわたくしが言い出さなくとも。
 …このレベルの情報なら、少しその気になって調べればすぐに出て来る。…アリスにしてみれば裏は裏でも浅い位置にあり過ぎて意外に思えるくらいな情報だったのだから。あの正体不明の凋叶棕と言う男や草間武彦が仕込んでいる探偵見習いの零にわざわざ自分の口からこの情報を教えて、自分の本性を自分から知らせるような真似はしなくて良い。…このランの場合はあくまで例外と言う事で。…と言うか、このランの場合だと話が何処に向かっていくかわからないからある程度はこちらの裏情報を小出しにしても――それを開けっ広げに喋り捲られてしまったとしても、当のランの性質上、周囲に対しては却って上手く誤魔化せる事になるのではと言う打算もある。
「それより、次の聞き込みは――わたくしに任せてくれませんか?」
「ん? 何か作戦があるのか? 面白そうなら私にもやらせろ」
「えぇと…そうじゃなくて…」
 …ランさんが質問すると質問された人が何を答えて良いのかわからなくなりそうな気がするので。
 ずいと迫られつつも、アリスは冷や汗混じりにそう返し、苦笑して見せる。
 が、その実考えているのは全く別の事。完全な嘘でもないが、今ランに言った事が理由の全てでもない。…葛原祥子が拾った証言の再確認。アリスはそこに一々、魔眼での催眠まで使って真偽を確かめるつもりでいる。
 同行者にも――ある程度ならむしろ明かしておいた方が色々周囲を誤魔化す役にも立ちそう、と思っているラン相手であっても、アリスはその事を言うつもりは無い。



■考察〜何故かやたら豪勢な食卓にて。

 …手分けして色々と聞き込みをして回った後。
 何故か、草間興信所の四人は某中国料理店の――あろう事か個室に居た。宮廷料理フルコースと言うか満漢全席と言うか、そんな料理も頼めば出して貰えるような、回転する円形テーブルが標準装備で用意されている『高級』が冠されそうな店である。そしてランとアリスの着いていたその円形テーブルには既に多種多様な――それも値の張りそうな――料理が並んでおり、ランはそれらを手許の皿に山と盛って思う様がっついていた。…ちなみにアリスはその様子に何処か呆れた顔をしながらも、料理を手許の小皿に取り分け、淑やかに舌鼓を打っている。
 凋叶棕も零も、この店で合流だ! とランからの連絡があって訪れた店であったが――まず店に入った時点で店員に丁寧に個室まで御案内された事に驚いた。そして既に並んでいる料理を見――思わず停止。
「…言っとくがコレはどう考えても調査の必要経費にはならねぇぞ」
「ど、どうするんですかこんな豪華なお食事…!」
「ん? 心配するな慌てるな。金ならある。全て私の奢りだ。拾った宝くじが当たってな。…言ってなかったか?」
「聞いてません」
「…つーかな。こんな使い方したらその当選金とやらも速攻消えるぞ」
「別に速効消えて構わんぞ? どうせ拾ったあぶく銭。美味い物でも食ってぱーっと派手に使ってやる方が健全と言うものだろう。江戸っ子は宵越しの金は持たんと言うでは無いか」
「江戸っ子なのか。…まぁ払いが草間興信所に回されなきゃどうでもいいが」
「…でも…食事の為だけにこんな…やっぱり、勿体無いです!」
「そう言うな零。貧乏性もそのくらいにしておけ。残さず全て食えば何も勿体無くはない。…この店は充分に金額に見合った料理は出されていると見るからな。二人共とっとと席に着いて食え。美味いぞ」
 ついでに言うなら個室の方が――それも高級っぽいところの方が店員の躾も行き届いているし、色々と込み入った話もし易いと言うものだろう。
 と、ランは取って付けたように言いつつ、にやり。
 まぁ、それもある意味もっともかもしれないが――だからと言ってこれ程金を掛けた大騒ぎな食卓にする必要もまた、無いのだが。



「…何だか穴だらけなんだがな」
 開口一番、凋叶棕。…聞き込みの結果。葛原祥子から見せられた資料やら聞かされていた話、水内霞の言っていた話から擦り合わせるに。
「嘘を吐く必要が見付からんのに嘘だらけとしか思えない状況でな。…まず証言が全然違う」
 色々取り直してやけに豪華な料理に手を付けつつ、凋叶棕と零の二人はこの店に来るまでに聞き込みで得た情報を披露。受けてアリスとランの方も同様に情報を披露する。
 そしてそれらの聞き込みを基に、皆の情報を突き合わせて新たに作った水内家の失踪直前までのタイムテーブル。それを前にした一同は一様に首を傾げた。こちらは充分二重生活を疑える穴がある――何処で何をしていたかが不明な時間帯がそれなりの時間固まって点在している。勿論短い間で取った情報が基だから荒削りな情報ではあるが、その時点でもう、結構基本的な部分が葛原祥子の作ったタイムテーブルと合わない。…家人が留守にする時間帯や、出掛けた先の情報などが悉く違っている。嘘にしてもお粗末なくらい。
「…まるで全然別の人たちの事を調べているような気がしてきました…」
「だが、水内健に遼に馨に繭、の失踪した四人は確実に本人らしいと確認出来てる。写真見せて聞き込みもしたからまず間違いないだろう。住所も、間違いは無い。そもそも水内霞と言う身内も居る訳だしな」
「嘘にしては露骨過ぎますし無意味と言うか…何なんでしょうね」
「ふむ。…別に嘘は吐いておらんのかもしれんぞ」
 単に調べた場所が違うのかもしれん。
「?」
 現場周辺での聞き込み。先程会った時に知らされた葛原祥子の情報入手先からしても場所は殆ど同じだった筈である。
 一同は頓狂な指摘をしたランを見た。
 ランはずずーと燕の巣のスープを啜っている。…ではなく。
「初めから言っているだろう。草間の行った面白世界だ」
 我々の居るこの世界と良く似たパラレルワールド的な世界だったら同一住所っぽい別の場所があったり同一存在っぽい別人も居ておかしくないだろう。
「…ん? となると、我々が調べた水内家の情報とは全く違う水内家の情報を当然のように共有しているあの葛原祥子と水内霞もそっちの世界の存在って事になるか?」
「って今回の件ってランさんの言う『別の世界』が前提でホントに良かったんですか!?」
「言い切れねぇが、確かにそう仮定した方がしっくり来そうな聞き込み結果だな」
 ただ。
「その場合、どうして別の世界の話が今ここで混在してるのか、が問題になるがね。それも葛原祥子に水内霞の当人らにはどうやら違和感無しだ」
 別の世界の存在だってんなら、この世界は二人にとっては異世界だ。何かしら違和感覚えて然るべきだと思うがね。
「そんな風はありませんでしたね」
 …そもそも水内霞は現場邸宅の管理をしているとまで言っていたし実際に一行を邸宅内に導いた。家の鍵も持っていて、調査の足しにと現在草間興信所の一行に貸し出してまでいる。
「確かに。だがその辺も整合性が取れる何かしらの理由があるのかもしれん。茂枝霧絵とやらとも話は通じていたとの事だしな。ん? と言うかその茂枝霧絵も面白世界の存在と言う可能性もあるか? となると師匠筋と言う事でそこと話が通じた草間武彦も面白世界の存在か? ならばこの世界に本来居る筈の草間武彦は何処だ?」
「…ちょっと待って下さいランさん、茂枝霧絵さんと話していた兄さんはちゃんと兄さんでした」
 難しい顔をなさっていたり私に手を出すなと釘を刺してはいましたが、それだけで。
「じゃあ零。お前も面白世界出身と言う事か? …いやそれならば今ここで我々と一緒に悩むような事は無かろう。違うな。現場の家の鍵の件もあるしな――となるとその鍵を預かる事が出来た我々も面白世界の存在と言う事になってしまうか? いやそうなると面白世界でも何でもなくなるか。ならば境目は何処なんだ? …時に零。茂枝霧絵と草間が話している時の様子で何か気が付いた事は無いか?」
 ふと気が付いたように続けるラン。言われ、零は思考を巡らす。依頼に来た時の茂枝霧絵と、その話を聞いていた草間武彦の二人の様子。
「…そういえば…葛原祥子さんが仰るには茂枝霧絵さんは兄さんの師匠と言う事でしたよね、と言う事は元々知り合い、それも結構近しい知り合い、と言う事になると思うんですが…そんな感じがしなかったと言うか…どう言ったら良いんでしょうか。兄さんの態度は…普通に他人行儀だったと思うんです」
 純粋にお客さんな依頼人の人にするみたいに。
 …草間興信所に集う常連の人たちと接する時の草間武彦の態度と比べて、零の見る限りそんな気がしたらしい。
「なので、葛原祥子さんに話を聞いた時に驚いたのはそれで、もありました」
「要するに元々の知り合いには見えなかったって事か」
「はい。茂枝さんの方でもそんな態度だった気がします」
 兄さんに対して、特に気安い感じは無かったと言うか。
「勿論、私の勝手な印象なんですけれど…」
「それでも一緒に住んでる義妹の印象だ。取り上げて悪いと言う事もあるまい。と言う訳で茂枝霧絵と草間はその印象通りの関係だとする。それでも葛原祥子から来ているだろう話が普通に通じていたと言う事は、お互いでそれぞれ『そういうものだ』と予め理解して話をしていた、と言うのはどうだ?」
「理解出来る素地があったって事か? …二人共個別に元々関係する『何か』を知っていた?」
「…だから零さんに手を出すなと釘を刺していたと言う事でしょうか」
 確かめるように凋叶棕とアリスが続ける。
 が、ランは、わからん、とあっさり。
「今ここで何を言っても結局すべて仮定だ。理詰めで行くのは普通の失踪事件ならば有効だろうが異能が絡むと何がどうなってその結果になるのか理屈が読めんからなぁ…だが茂枝霧絵と草間武彦は何か知ってそうな気はするんだがな。そしてその二人は面白世界の存在でも無さそうだ。ならば彼らのどちらかもしくは両方ならば面白世界への行き方はわかるかもしれんのか…! と。そもそもその二人も失踪しているんだったな」
 見るからにがっくりと肩を落とし、ランは溜息。
 ランの目的は本当に面白世界――別の世界に行ってみたい、と言う事だけのようである。



■帰還。

 現場百遍。
 結局色々手詰まりで、そんな方針に落ち着く事になる。何だかんだで山程あった料理も何とか食べ終え、中国料理店を辞した後。…ちなみに金額桁数を見るのが怖いような伝票の払いは本当にランが引き受けた。
 ともあれそれで、一行はまた水内家の邸宅に戻ってみる。調査の足しにと家の鍵は預かっている為、今のところ草間興信所の面子はここには出入り自由。調査の為にはいいのだが、管理をする者として水内霞はちょっと無頓着過ぎないかと言う気もする。…普通ならせめて水内霞自身が立ち会う事くらいは家に上がる条件に入れそうなものだが。
 解錠し、入って一階、応接間。
 失踪後にも変わらぬ日常の痕跡が残っていた場所であり、先程水内霞と葛原祥子から話を聞いた当の場所でもある。現在、簡単には片付けてあるが、基本的には家人が失踪した時のまま。そこから見て回り、台所に洗面所にトイレに風呂場、和室に洋室、二階に行って書斎や寝室――と見て回る。
 一通り見て回った後、アリスは軽く息を吐いた。
「…どうにも新たな何かが見付かる気はしないんですが」
「確かに面白そうな痕跡は何も無いな。むしろ他人の家を勝手に家探ししているようでどうにも後ろめたいかもしれん。もう少しこう、何と言うかな。いかにも次元転送装置のようなものが見付かったりすれば面白いのだが」
「…ある訳無いと思うがね」
「そうか? だったらそんな用途の大がかりな術具とかはどうだ?」
「何処のIO2だ。それとも虚無の境界か?」
「…虚無の境界と言えば。虚無の盟主の名前も『霧絵』ですよね」
「かもしれんがよくある名前でもあるな」
「ですね」
 あっさり頷き、零はその話題はそこで打ち止め、また考えを巡らせる。残っている痕跡は確かにごくごく普通の日常。簡単に片付けたとは言え、飲食物や生花等放っておくと腐ったり色々困るモノだけを片付け、後は手を付けていないと言う事らしい。
「ならば隠し扉とか忍者屋敷めいた何かでもあれば面白いんだがなぁ」
「…ランさん、それも無いと思います」
「そうか」
「後は…鍵が締まっている書斎の引き出しやら金庫やら、とまぁ普通の御家庭に普通にありそうな秘密が確認出来てないくらいか」
「葛原さんたち曰く、四人の口座の預貯金の残高については不審なところは無く、失踪してから取引もないようだ、との話でしたが…それも信用し切れませんよね」
 先程聞き込みで作ったタイムテーブルであれ程の齟齬があった以上は。
「ならば簡単だ。勝手に調べてみればいいだろう」
 家の鍵は預かっているのだ。調査の為と言えば全て通るんじゃないのか?
「…そうとも限らないが」



 と、渋っていた割に――凋叶棕はランに言われた通り、鍵が掛かっている引き出しやら金庫やらをあっさり開けて中を確認。どうやって開けたかについては企業秘密だそうだが、取り敢えず本来の鍵を使ってはいない事だけは言い切れる。
 零もアリスも止めた方が、と言いつつも、いざ開いたとなったら結構すぐに中身を覗き込んで来た。
 引き出しの中、まず見えたのはびっしり書き込まれた紙の束。
「…何ですか、これ」
「どうやら『商品』のリストだな」
 数枚捲って見て、凋叶棕はそう判断。人の名前。それだけでは無く――年齢や性別、住所や本籍等の簡単なプロフィールに、臓器名が表記されていたり、容姿の特徴、それから何の意味があるのか数値が幾つか、ABCとアルファベットに合わせてプラスやマイナスの評価?が付けられてもいるリストの束がある。
「…『商品』って」
「臓器売買で済みゃあ良い方だな。メインの取り扱いは呪術の生贄だ。恐らくな」
「これだけでそんな事がわかるものなのか?」
「知らない奴が見たら全然そうは見えないだろうが」
 だから鍵が掛けてある中にとは言え、こんなに無造作に置いてあったんだろう。
 一通り見た後、凋叶棕はそのリストを元あった場所に放り出す。
 その下には、何処かの鍵らしい束に、札束幾つか、通帳の類と護符のような紙切れが数枚。内、通帳の方を取って名義を確認、パラパラと中を捲って見てはまたその通帳を元あった場所に放り出す。
「葛原祥子と水内霞からの情報は嘘確定だな。預貯金の残高は充分不審だ。この規模の一戸建てに住んでる普通の御家庭にしては異様な金額の振り込みがあり過ぎる。これはいつどうなってもおかしくない奴の持ち物にしか見えない」
「でも、そんな持ち物をこんな簡単に見付かりそうな場所に起きっぱなしってそれこそ変じゃないですか?」
「…まぁな。石神の嬢ちゃんの言う通りそれもそうなんだよな。…これを見付けられたくなければそもそも俺たちに家の鍵は貸さねぇだろうし、貸すにしても先にこれは片付けておくだろう」
「水内霞さんの方でこんな物がある事を知らなかった…と言う可能性はあると思いますか?」
「例えばこの引き出しやら金庫やらの鍵が開けられずに…って事か? 無くも無いだろうが…それでも一通り家ん中見ればこの引き出しやら金庫の中身に何かあるかもしれない、とはまず思う。本気で調べる気なら鍵の専門家でも呼び付けて中身が何か確かめようとは思うだろう」
 と。
 凋叶棕がそこまで言ったところで。
 その場に居なかった筈の――別の声が当然のように割って入って来る。
「…確かめてはあるさ。あの二人なりにな」
 ただ、あの二人が調べた時には家の権利書やら印鑑やらと普通に大事な物があっただけだったんだ。
「…」
「…」
「おお、草間では無いかいつからそこに居た!? いつ面白世界から帰って来たのだ!?」
 草間。
 ランが言った通り、そこに割って入って来た声は――いつの間にやらそこに居たのは、草間武彦。現れて早々掛けられたランの科白に、面倒そうに顔を顰めている。
「…面白世界って何だ。まぁ察しは付く気はするが…」
 と、言い掛けたところで。
「兄さん! 何処行ってたんですか…っ!」
「お前は手を出すなと言ったつもりだったが。零?」
「本当に手を出させたくないのなら定期連絡は普通に入れて下さい! 心配して当たり前です!」
「…。…ちょっと待て。今はいつだ?」
「え?」
「日付と時間。…俺はまだ興信所を出てから定期連絡入れる程時間が経った気がしていない」
「ってもう兄さんが凋叶棕さんに任せて依頼だって興信所を出てから五日は経ってます!」
 殆ど悲鳴。
 零のそんな答えに、草間武彦はまた少し考えるような素振りを見せて黙り込む。
「…。…そうか。だったら…心配掛けたな」
「はい! 無事で良かったです…」



 草間武彦の無事は確認。
 が、だからと言って何故今ここに何事も無かったように普通に居るのかや、色々とまた別の疑問が増えもしている。零の――延いては草間興信所一行の時間認識と草間武彦の時間認識が違っていたのは何故か、そして草間武彦は互いの時間認識が違っていた事にあまり不思議そうで無いのは何故か。
 そもそも葛原祥子に水内霞の二人が調べた時は鍵の掛かった引き出しや金庫には普通に大事な物があっただけだと言い切れるのは何故か。元々どういう依頼で草間武彦は動いていたのか――とにかく色々わからない点をここぞとばかりに皆で質問攻めにする。

「…取り敢えずだ。俺の留守中に持ち込まれたって言う依頼についてだが――茂枝霧絵は捜す必要は無い」
 後で本人に葛原祥子へ連絡を入れさせる。それで話は済むだろう。
「と言う事は、やっぱり茂枝霧絵さんは狂言失踪だったんですか?」
「…いや、狂言って訳じゃないが…つまり俺とお前らが持ってた時間認識の差みたいな、そんな理由で連絡が付かなかった…って事になると思うんでな」
「そこです。…どうして時間認識の差なんて、そんな事が起きてるんですか?」
「…こういう言い方はどうも嫌なんだが。次元が重なったとか多重世界に迷ったとか…理屈は良くわからんがその手の移動をしていた事になるらしい」
 条件や理由は様々だが、どちらにしても時折ある事。…古来から言われる神隠しやらも正体はこれと同じ場合があるらしい。草間武彦以外にこの場では直接知る者はいないが、過去にあった『帰昔線』の事件――そしてこちらは草間武彦だけでは無く零も直接関わった『誰もいない街』に『白銀の姫』、それから『幻影学園』の各事件も似たようなものだったと言えるかもしれない。
 だが、草間武彦曰く今回の件は――それらの事件のようにはっきりした原因があっての現象では無さそうだとも見ているらしい。
 ともあれ、そのよくわからない現象で――自分たちに時間認識の齟齬が起きたり、この水内家の四人の存在自体が消えたりしているのではなかろうか、と。
 茂枝霧絵と共に調査を進めた結果、そんな話に纏まり掛けているらしい。
「…俺としては単にこの家を調べてただけなんだが。俺の視点では、そこにお前らの方がいきなり現れた」
「そうか。ならばやはり私の言っていた通り草間は面白世界に行っていたと言う事では無いか! で、どうやればそんな移動が出来るのだ?」
「…言っとくが向こうに行けたとしても別に面白くないと思うぞ」
「そうか? 何故だ?」
「こっちの世界と何も変わらん。…いや、お前にしてみればこちらの世界より刺激が少ないんじゃないか」
 例えば、この水内家の四人はこちらでは裏社会の人間だが、向こうでは取り立てて騒ぐ程の事も無い普通の一般市民だ。水内霞も同じ。葛原祥子が探偵と言うのも同じだ。
「む? では私はどうだった?」
「…さあ。ランがどうだったかは確かめてない。取り敢えず零は存在しなかったがな」
 桜木礼子と言う女性が過去に居たとは確かめて来たが、とさらりと続け零を見る。それを聞き、思わずびくりと止まる零。…桜木礼子。それは零の素体になった少女の名。
「草間興信所も無かったな。少し探ってみたがIO2や虚無の境界の存在も無さそうだった。…俺にとっては夢のような世界だったかもしれないな。今のように金にならない実際的な怪奇現象に振り回されないだろうと言う一点に於いてのみ、だが」
 まぁ、そうは言っても俺は零が居ないと困る。
 …それに、帰昔線で『この世界』の道筋を選んだのは俺だしな。今更投げ出すつもりもない。精々が夢。俺にとって『向こうの世界』はそのくらいのものだ。
「ふむ。…異能の率が低そうな世界と言う事か。となると『向こう』には私も居ないかもしれんか。いや、そんな世界に我々のような者が騒ぎを持ち込むのもまた面白いかもしれないぞ?」
「…止めとけ。何の為に零や凋叶棕に手を出させなかったと思ってるんだ」
「? どういう事だ?」
「強い異能を持つ奴が世界間を行き来すると歪みが大きくなりかねないんじゃないか――被害が拡大するんじゃないかって仮説を聞いてる」
「茂枝霧絵さんに、ですか」
「そうだ」
 だから俺一人で動いていたんだ。
「…茂枝霧絵さんと言う方、信用は出来るんですか」
「…」
「草間さん」
「…少なくとも能力面ではな」
 能力面では。
 わざわざそんな注釈を付けての草間武彦の言い分に、アリスは暫し考え込む。
「ところで、そもそもその茂枝霧絵さんから受けた依頼は何だったんですか」
「…『葛原祥子から引き受けた失踪事件の四人と同質と思われる、本来属する世界と異なる世界に意図せず紛れ込んでしまっている存在がどれだけ居るか調べるのを出来る限り手伝ってくれ』だ」
「…完璧に怪奇事件に聞こえますが」
「断れなかっただけだ。で、茂枝霧絵が言うにはその紛れ込んでる存在として葛原祥子当人はまず確実だそうだ。水内霞も恐らくは該当している」
 それから『水内家のもう四人』もな。
「…この世界の水内家四人と、向こう側の世界の水内家四人も、って事か?」
「ああ。向こう側の世界の四人は『ここ』でも『向こう』でも無い『また別の世界』に紛れ込んでる可能性が高い。それから他にも該当者として別の名前も幾つか聞いているが――どれも正直、状況が複雑に絡み過ぎていて元に戻せるとは思えない。どの世界に居るにしろ同一存在は同一存在のようでな…異なる世界でどんな状況にあったとしても、何故か当人には違和感が無いんだ。だから困らない。周囲の関わる者の方がその紛れ込んでいる存在の振る舞いに違和感を覚えるのは確かだが、決定的には問題が起きていないんだ」
「…失踪しているのに問題じゃないんですか?」
「…お前たちにしてみれば俺は今まで失踪していた訳だろう」
「はい。充分問題でした。心配したんですよ」
「わかった。悪かった。…だがな、つまりは――別にこの現象が解決していなくても失踪した先からは普通に無事に戻れるんだ」
 それは多少の時差が出る以上、周囲の心配等の問題は出るが。当人が無事かどうかと言う意味では、まず問題が起きていない。異なる世界に閉じ込められる訳でも無い。
「…『まだ不明』なだけで、実は無事じゃない人とか居るんじゃないですか?」
「さぁな。取り敢えず今の時点で調べが付いてる『紛れ込んでる存在』は何度も本来の世界に戻ってるのが確認出来てる。戻ってはまた異なる世界に足を踏み入れてしまってる場合もあるがな。確か十何人は居たか。少なくともその十何人の中には――この現象が起きる事それ自体での犠牲は出ていない。…こうなって来ると、下手に手を出さない方が良いんじゃないかとも思えてくる」
 そもそも、この現象は解決させた方が良いのかどうかも良くわからんしな。
「どういう事ですか?」
「俺は、解決させない方が良い気がした。…それだけだ」
 茂枝霧絵からの依頼も――調べるのを手伝えとは言われたが、解決させろとは言っていない。
 草間武彦はそう続け、部屋を出て行こうとする。
「草間さん?」
「ひとまず今調べてある分の報告を『俺の依頼人』に渡して来る。…凋叶棕。一緒に来てくれるか?」
「…俺か?」
「不測の事態があった時に一番無理が利くのはお前だろ」
 俺が一人で行動しているとまた数日消えるような事があるかもしれない。そうなった時にお前が居れば気付けるかもしれんし、力技でこちらの世界に戻れるかもしれない。…零にこれ以上の心配は掛けさせられないからな。
「…俺や零には手を出させたくないんじゃなかったのか?」
「今更だ。お前たちは既に葛原祥子に水内霞とも話している。もうとっくに手を出してる事になるさ」
 それに恐らく、茂枝霧絵の言っていたその仮説は外れてる。…そもそも、強力な異能者が触れて問題が起きるようなら茂枝霧絵本人が一番問題だしな。どれだけ抑制して別の世界の可能性を被ったって取り繕い切れるもんじゃない。その茂枝霧絵がこの現象に触れても大して変化無い以上は、復元力とでも言うか、その手の強制的なもので世界が保たれてる、って仮説の方が余程信憑性がある。
 元々、その二つの仮説を天秤にかけて、簡単に状況を変えてしまう可能性が高い方の仮説をまず気にしておいただけの話だ。
 今はもう、関係無いし意味も無い。

 後は好きにしたらいい。
 葛原祥子から草間興信所に行った依頼自体はもう済んだ事になる。
 別に、ランがそうしたいのなら向こうの世界に行ってみても良いだろう。…但し、移動はしても大した実感が持てない以上は特に面白いとも思えないが。どうしたら行けるかの手段はわからないとしか言いようが無い。気が付いたら移動している。それだけだ。



■それから。

 …昨今激減している公衆電話。今時希少なそのボックスに入り、草間武彦は電話を掛けている。通話相手は数回鳴らしてすぐに出た。相手が出たのを認めると、名乗りもせずに口頭で『調査結果』を報告している。
 一通り事務的に報告し終えると、草間武彦は暫し黙り込んだ。
 が、通話は切らない。
 相手の話し声が外にも少し漏れて来る。が、何を話しているか判別出来る程確り聞き取れはしない。
 それを受けてから、草間武彦はまた送話口に話し出す。
「――…いや、いい。これ以上は止めておく。もう懐かしい夢を見るのは終わりだ。…帰昔線の奇跡は二度生まれない。もう世界樹は切れない。この形にリセットは効かない。俺はとっくの昔にそれを選んでる」

 ――――――貴方は『茂枝霧絵では無く』、俺は『草間興信所の所長』だ。

「俺たちの立場は変わりようがない。だから今は、『葛原祥子の事だけ、茂枝霧絵に頼める』ならばそれでいい」



 むー、と唸る声が道端で聞こえる。ラン・ファーの声。今は一人。同行していた皆とは別れ、さてどうやったら面白世界への道は開かれるのか、と考えながらもうろうろしていたところ。
「うーむ。…やはり草間の言う通りなのか。面白世界は面白くないのだろうか。いや、面白くないなら面白世界では無いな。まぁどちらにしろ別の世界ではあるが。だが今現在このラン・ファーは何処の世界に居るのか判然としないな。元々歩いていた道ではあるが…何処で世界が切り替わるかわからない上に切り替わっても当人には違和感が無いのだろう? となれば判断基準が無い。もし今現在面白世界に居るのだとしてもそれを確認する手段が無い」
 うむ、と更に唸りつつランは腕組み。
「私が元の世界の存在である証拠のようなものがあれば良いのかもしれんな。果たして何かそんなものがあるか…ん? そうだ」
 と。
 ランは懐から財布を出し、開く。
 と、そこには。
 別に札束など入っていなかった。
「…。…ああ、あの中華料理屋で殆ど使ったんだったな」
 思い至り、財布を閉じる。
 いや、通常持ってる筈の無い宝くじの高額当選金とか良い判断基準になるのではとか思った訳で。だが、当のそのお金がもう乏しい以上それは特に判断基準にはなりそうに無い。
 改めてランは考え込む。

 …そろそろ諦めた方が良いかもしれんな。こんな事で悩んでいるより、別の面白そうな事を見付ける方が建設的かもしれん。ならタクシーでも呼んで帰ろうか――否、タクシーなど呼ぶ必要も無いか。と言うかタクシーに払う金が無いと先程財布を開いてみた時に判断は付いている。拾ったあぶく銭はそこまで使い果たした。今更ながらちょっとした達成感が生まれる。…調査の方が微妙に消化不良だったから尚更。…面白世界にも行けたのか行けなかったのか良くわからないし。

 そんな思考を巡らせているランの脇を、一人の青年男性がふらりと通り過ぎて行く。ごくごく普通の通行人。ランは偶然、その顔をちらりと見るが――その時点で妙な既視感。ん? なんだ? 何処かで会ったか? と思い付くままにその男性に声を掛けてみるが、当然、男性の方は怪訝な顔。貴方なんか知りませんよと結局そのまま別れ、ランの頭に疑問が一つ残る。

 今の男は誰であったか。

 …その男が、失踪事件の調査をする中写真で見た水内家の四人の中の一人、水内遼その人だった事にランが気付くのは、帰宅して結構経ってからの事。



 …ぺるるるる、と呼び出し音が鳴る。携帯電話。ワンコールも鳴り終わらない内に、はい葛原、とすぐさま受け答える声は女性のもの。受けた時点で――通話相手の声を聞いた時点で、茂枝さん、と心底安堵したような声が続く。それから暫く続く通話の中、葛原と名乗った女性の表情が、見るからに柔らかいものになっている。
 まるで、余程の心配事が――その相手から電話を受けた時点で解決したかのように。

 …ぴ、と携帯電話の通話を切る音がする。似合わぬ手許。その手は携帯電話などと言う無粋な代物を持つのは似合わない。似合わないと思えた通りに、その携帯電話はすぐさま『彼女』の手許から離れた。す、とごくごく自然に取り落とされたそれは、地面に落ちた時点で割れる――否、枯れ落ちるようにボロボロに崩れ塵になる。地に落ちたその時の音すらもしない。様々な金属やプラスチックで作られた機械端末として有り得ない壊れ方――と言うより滅び方。劣化と言うのも生易しい、不吉なものさえ思わせるその完膚無き崩壊の様。
 当のその携帯端末を取り落とした『彼女』は、残骸である塵を一瞥。殆ど同時に、その塵が風に乗って吹き飛ばされていく。後には何も残らない。携帯端末があった痕跡など、何処にも。
 己で落とした携帯端末の有様を見届けると、『彼女』はゆっくりと目を閉じた。

 ――――――これでもう、懐かしく儚い夢は終わり。

 さぁ、世界のすべてに安息を。
 そう導き示す事が、今の私の歩む道。

fin.


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■6224/ラン・ファー
 女/18歳/斡旋業

 ■7348/石神・アリス(いしがみ・-)
 女/15歳/学生(裏社会の商人)

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC

 □草間・武彦

 □草間・零
 ■鬼・凋叶棕

 ■葛原・祥子(未登録)
 ■水内・霞(未登録)

 ◇茂枝・霧絵(?)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 ラン・ファー様にはいつもお世話になっております。
 石神アリス様には再びの発注を頂けまして。

 今回は発注有難う御座いました。
 と言うか大変御無沙汰しておりました。窓口自体が結構突発に近かっただろうところ、発注頂けた事にしみじみ有難みを感じております。
 なのにやっぱり先に発注頂いたラン様の方は日数上乗せの上に納期を数時間過ぎている状態です。お手元に届くまでにはもっと掛かっているかもしれません。本当にいつもいつもお待たせしておりまして…!

 内容ですが、やっぱり全然探偵モノでも推理モノでも無い感じになりました。
 むしろ解決出来ない話に落ち着いてしまいましたし。

 それから何が「Beautiful dreamer」なのかと言う感じかもしれません。
 …夢を見ていたのは草間武彦と茂枝霧絵。葛原祥子もかもしれません。
 ラン様も拾った宝くじが当たったようである意味リアルドリーム中ですね。湯水のように使うと言うか何故か食い付くさせてしまいましたが。と言うか面白世界に行くと言う夢も見ていましたか。お言葉に甘えて相変わらず色々と暴走させて頂いておりますが。
 アリス様は話が落ち着いた後に結構現実味のある?夢を見られる事になったのかもしれません。魔眼石化、実行までは出来なくて済みませんでした、と言う感じではありますが。その代わりと言っては何ですが、草間興信所に来る前に、の事前準備の方で、意外かもしれませんが結構有用な情報が取れたようです。

 …ただ、どちらにしても、プレイング外だらけの長文なのですけれども(汗)
 そして最後の方にちょこっとだけ個別部分があります。

 如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝