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<東京怪談ノベル(シングル)>


わんこないちにち
 深い深い森の中。
 ラベンダーの咲く小さな庭園。
 海原・みなも(うなばら・みなも)の膝の上にはまだまだ小さなころころした子犬達が乗っている。そんな彼女の前には真っ黒な、どこまでも真っ黒な毛並みをした、1匹の成犬。
 彼女は目前の成犬へと手を伸ばす。軽く頭を撫でてやると、犬は嬉しそうに紅の目を細めてみせた。
「……あのね」
 不意にみなもが語り出す。
「あなたの力を使いこなせるように練習したいんだけれど、迷惑かな」
「わん?」
 なにがー? とでも言いたげな一声。
『みなもが大変じゃなければ、こっちは平気』
 まだまだ幼い子供のような思考。それでも以前よりは大分大人に近くなってきた気がする。
 そして一生懸命振られる尻尾。犬――ブラックドッグはみなもが力を使う事に特に抵抗はないらしい。
 というより、寧ろ頑張って、と応援しているかのようだ。
「ありがとう。頑張るね」
 みなもはそう言いブラックドッグを撫でると、子犬たちを地面に降ろし森を立ち去った。
 そんな彼女を成犬&チビ犬達は尻尾を振って見送るのであった。

 ――なんていう出来事があったのが先週の話。
「仁科さん! 手伝ってくださいっ!」
 突如かけられた娘の声にのんびりお茶をすすっていた古書店店主仁科・雪久は驚いたように目を見開いた。
「ええと、何の話かな……」
「実は、先週ブラックドッグ達の森に遊びに行ってきたんです。それで……」
 みなもは力を込めて語る。ブラックドッグに力を使う約束をした事を。そして、彼らもまたそれを喜んでくれたことを。
「成る程。相変わらず熱心だねぇ」
 にこにこと微笑み雪久は湯飲みをテーブルの上に置き立ち上がった。
「それで、私は何をすればいいのかな?」
「いいんですか?」
 あまりにあっさりと承諾され、半ば肩すかしのように思ったのかみなもが問いかける。
「若人の努力を手助けするのも大人の仕事だよ」
 雪久はあっさりとそう答えた。
「ええと、じゃあ……今日一日あたしが暴走しないか、見ていてくれませんか?」
 暴走したら止めて欲しいと言い残し、みなもは自身の深層へと意識を向ける。ブラックドッグ化の手順を取って彼女は少女の姿から1匹の黒い犬へと変わっていく。
 ――ここまでは大分慣れた。だが、消耗が激しく長時間変化をし続ける事は難しかった。
 それは主に、みなも自身の「ヒトである」という自意識によるものだ、と彼女は判断していた。
 つまり、極力「ブラックドッグである」と意識すれば長期の変化も可能。恐らく、ブラックドッグ本人からの許諾も得た事で、変身も多少しやすくなっているだろう、と彼女は踏んだようだ。
 同時に、彼女自身としては戦いには向いていないと自覚している。故に本来のブラックドッグほどは戦う事は出来ないだろう。そして、以前の練習時の様子から察するに、影に潜むのも難しい。
 それでも、少しでも変身が楽になれば。
 そして長時間変化したままで居る事ができれば、人の姿のままでは入り込みづらい場所に入ったり、嗅覚を活かしてモノを見つけたりなど様々な可能性が増える事だろう。
 だからこそ、彼女はブラックドッグの力を使いこなせるようになりたい、と思ったのだ。
(「今日1日、この姿のままで過ごしてみようかな」)
 能力を慣らす意味でもそう考え、ブラックドッグ化したみなもは店内をうろうろ。
 しかしながら、逆にどうしたものかと考える。何せずっと店内に居たらそれはそれで営業妨害になってしまいそうな気もする。
「きゅーん……」
 困ったように雪久を見上げ、黒犬が鳴いた。尻尾はへたりと伏せられ、耳もぺたりとした状態だ。
「大丈夫だよ、好きにするといい。私もなるべくついていくから」
 対して雪久は笑顔でそう答える。
 とはいえあまり遠くに出かけても消耗も激しくなるだろう。そう考えたみなもは店内で一日を過ごすことにした。

 みなもは店内をあっちをトコトコ、こっちをトコトコ。
 視点の高さが違うだけでも色んなモノが珍しく思える。
 その為書棚の下の埃にうっかり鼻先をつっこんでしまったり、普段はあまり見ない場所にある本の匂いを嗅いでみたり。
 楽しそうに尻尾をぶんぶん振る様子を雪久も微笑ましげに眺めている。
 偶にやってくるお客さんにも興味津々で尻尾をぶんぶん。
 驚く人もいるものの、それに関しては雪久がフォローをしていた。犬好きさんはみなもの頭を嬉しそうに撫でていくし、人に喜ばれるのも悪くは無い。
 ――のだが。
 彼女は普段以上に好奇心旺盛だった。興味のあるモノは匂いを嗅いで確かめるし、たまにじゃれついたりもしている。
 雪久も最初のうちはそんな彼女を穏やかに見つめていたのだが……日々の疲れもあったのか。そして、みなもがわりと安定している事に安堵してしまったのか、椅子に座り、テーブルに肘をついたまま彼はうとうとと眠りに落ちていく。
 みなもも暫くはあちこち遊んでいたものの、彼の傍に寄りそうようにして眠りはじめた。
 そんな時。
「……店主は寝ているみたいだな……」
 小さなささやき声とともに一人の青年が店へと入ってくる。足音を忍ばせ、彼はレジへと近寄り、鍵を開け中身を掴み――。
「ぐるるる……」
「な、なんだ……犬!?」
 うなり声に驚いた青年ははじめて黒犬の姿に気づく。
 足を踏みしめ、身を低くし、青年を威嚇しているのだ。
「昨日までは居なかったはずだぞ!?」
 レジから中身を取り出す前に、青年は慌てて駆け出した。だが走るモノをみかけたら追いかけたくなるのは犬のサガ。
 黒犬のみなもはしなやかな筋肉をバネに店内を駆け抜ける。
「……っ!?」
 ようやく目を醒ました雪久が顔を上げた時にはみなもは地を蹴り跳躍。青年の背へと躍りかかり、一瞬の後に彼を地べたに押さえつけていた。

「やあ、お手柄だったね」
 雪久はそう口火を切った。
 彼の目前に今居るのは、何か申し訳なさそうに肩を竦め縮こまるセーラー服姿の少女の姿。
 あの後、青年は然るべき場所へと突き出される事となった。
 全てはみなもが取り押さえたからなんとかできた事なのだが――。
「あの、あたしじゃないんです」
「……何がだい?」
 私が見ていた限りでは、あのブラックドッグはみなもさんだったと思うけど? と雪久が首を傾げる。視線を投げられたみなもは頬を赤く染めた。
「その。あの時はなんだか、あたしっていうよりは……」
 どう説明したものかとみなもは言葉につまる。
 彼女はあの瞬間、1匹の犬だった。
 というよりは、自分自身を犬だと認識していたのだ。
 つい獣としての、犬の特性に導かれるまま行動していて、偶然にもああいった結果となった、という話なのだ。
 寧ろ自分で落ち着いて思いだしていくと、変身した直後――好奇心に突き動かされあちこち匂いを嗅いだりしていた頃から自身を獣だと認識していたような気がする。
 それを思うと、なんとなく恥ずかしい。
 そう言った趣旨の事を雪久にうまくまとまらないままに語ると、それでも彼は理解したのだろう。
「それでも頑張ったのはみなもさんだよ。だって途中で消耗で倒れてしまう可能性だってあったんだからね」
 よく一日保ちました、と彼はみなもの頭を優しく撫でる。
 雪久は雪久でみなもの努力を認めてくれていたのだろう。なんとなく照れくさいものを感じつつもみなもは小さく礼を告げ、そして改めて言った。
「次こそはもっと上手く力を使いこなしてみせます!」
 両手をぎゅっと握りしめ、やる気十分なポーズ。
「ああ、私も極力サポートするからやりたいようにやるといい」
 でも、今日はここまでだね、と雪久は笑ってみせた。

 古書店を出た帰り道、ふとみなもは考える。
(「そういえば、あたし……あの時間違い無く『獣』だったけれど……」)
 犬は、群れの中で強い個体をリーダーとし従う、という特性を持っているのだが。
(「仁科さんの言う事は、ちゃんと聞いてたよね……?」)
 獣と化した彼女はきちんと雪久をリーダーだと判断していた。普通の犬だと場合によっては自身をリーダーだと判断し、飼い主の言う事をきかなくなる事もあるという。
 雪久はみなもの飼い主というわけではないが、それでもきちんと言う事をきけていたのは彼を自分より強いモノだと認識していたからだろう。
 とはいえ彼の普段の様子を見ると、そんなに強そうには思えないのだが。
(「仁科さんを強い犬だと思ってたのかしら……?」)
 みなもの脳内に雪久のみなれた笑顔が浮かぶ。
 しかしその雪久の姿は普段とはちょっぴり違い、犬耳を付けたモノ。
 ぶんぶん、と頭を振り彼女はそんな想像図を振り払う。
 なんだか変な事考えちゃったな、と思いつつ、みなもは帰路へとつくのであった。