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<東京怪談ノベル(シングル)>


君の為に桜は咲く

1.
 1月のよく晴れた昼下り。雲ひとつない大空の下、ある山の中腹に1台の車が止まった。
「ここでいいのか? 墓に行くには」
 車の運転席から降り立った草間武彦(くさま・たけひこ)がそう聞くと、助手席から降りた黒冥月(ヘイ・ミンユェ)はコクリと頷いた。
「この山は常緑樹が多いんだな。…冷たいけど、空気もうまい」
 草間は辺りを見回した。木々の緑が眩しい。それに山の中腹ということもあって、とても眺めがいい。
「春は桜、夏は若葉、秋は紅葉、冬は雪景色…ここはとても綺麗なところよ」
 冥月はそう言うと後部座席に置いてあった花と線香と桶を取り出した。
 墓参り用の大切な荷物である。
「この奥にあるのか? なんだか獣道みたいなんだが…?」
 草むらの奥に続く道を眺める草間に、冥月は微笑んだ。
「ふふ、何度も来たことがあるから大丈夫。…彼ね、日本の自然が好きでお墓を生前に用意していたのよ」
 冥月はそう言った後に、少し下を向いた。
 ここに来ることは初めてではなかった。だが、冥月はドキドキしていた。
 今日ここにきたのは重大な理由があった。
 あの人の墓参り…それだけではない。草間とあの人の墓に2人で報告に行くことが目的だった。
 『冥月を貰いに行く』といった武彦が、本当にここまで来てくれた。
 どうしよう…なんだか私、隅から隅まで武彦に染まってしまっているみたい。心も体も武彦のものみたいだ。
 流されたなんて思ってないし嬉しいけど……2人きりだと顔が何だか見づらい。
「じゃあ、気合入れて登るか!」
 草間はそういうと、荷物を冥月から受け取り道を歩き始めた。
「……うん」
 冥月もひとつ深呼吸をすると草間のあとを歩き出した。


2.
 草間興信所は、新年を迎えると同時に多忙を極めていた。冥月も仕事を任され、所長たる草間はそれはてんてこ舞いだった。
 久しぶりの休日に、草間からここに来ようという提案を受けたのは昨夜のことだった。
「2人きりになるの…久しぶりね…」
 冥月が呟くと、前を歩いていた草間が止まった。
「…そうだったか?」
 久しぶりの逢瀬だというのに、そっけない草間に冥月はため息をついた。
「もう、女心がわかってない」
「冗談だ、冗談。そんなに怒るなよ」
 草間は手を差し出した。冥月は少し躊躇って、その手を握った。
 優しく微笑んだ草間の顔を見ていると、ほっとする。
「さ、行こう」
 緩やかに伸びる道を再び歩き出す。
 獣道に見えていた道は、意外と踏み固められて歩きやすい。
 時間はかかるが、冥月がここを訪ねる時いつもこの道をゆっくりと登っていくのが墓参りの儀式の様なものだった。
 小鳥の声が聞こえる。ムクドリだろうか?冬は小鳥のさえずりも少ない。
 ゆっくりと歩みを進める2人だったが、次第に会話は少なくなった。
 冥月は少しずつ、彼の墓が近づくにつれて緊張してきた。
 負い目や後悔…負の感情ではない。
 武彦は今の私を受け入れてくれたんだし、あの人も祝福してくれる…あの人はそういう人だ。
 ただ単に私が緊張してるだけ。きっと初仕事より緊張してる…。
「どうした? 押し黙って」
 立ち止まってしまった冥月に草間も立ち止まった。草間は荷物を置いて冥月を覗き込んだ。
 冥月の顔を見つめた草間は、優しい目をしていた。
「顔、強張ってない? 私…」
 冥月の顔を頬を手のひらで包み込むように上げさせ、草間は冥月の顔を真正面から見つめた。
「緊張するな…とは言わないが、変な心配はするなよ? 俺がついてるんだから」
 こつんと額をくっつけて、草間は冥月の返事を待った。
「…ん、わかった」
 冥月がそう言うと、草間は「よし」と笑って軽く冥月に口付けをした。
「ご褒美。ちゃんと笑顔で会える様にしとけよ?」
 再び手を握ると、草間と冥月は歩き出した。


3.
 そこは、山の中に突然現れた広い霊園だった。
 その広い霊園の中でポツリと、白い石を引きつめた中に黒曜石の小さな石がひとつ置かれた区画があった。
 戒名もなく、生没年月日も彫られていない。まるでただの石のように、それは佇んでいた。
「…これ、なのか?」
 確認する草間に、冥月は小さく頷いた。
「そう。彼ね、自然の中に帰る場所があるんだって。だから戒名も何もいらないって」
 綺麗に磨かれたその石は、いつも冥月が綺麗にしていた。他に来るものは誰もいなかった。
 誰のものかもわからない、そんな寂しいお墓だった。けれど、これが彼の望んだ最後だった。
「ひとまず水汲んでくるか」
 桶を手に、草間は霊園の水汲み所へと足を向けた。
 その間に冥月は軽く手を合わせて彼の墓に語りかけた。
「また来たわ…寒くなかった? 淋しくなかった?」
 枯れた花を取り除き、前回供えた線香を綺麗にする。
「汲んできたぞ」
 草間から手桶を受け取り、冥月は手が冷たくなるのもかかわらず石を丁寧に磨いた。
「手伝うよ」
 冥月の隣に座り、草間も石を磨き始めた。2人は墓石を綺麗にした。
 それから線香に火をつけて、手を合わせた。無言だった。
 だが、その静寂を破ったのは他ならぬ冥月だった。
「あのね、私、好きな人が…恋人ができたの。貴方以外なんて少し前は考えられなかったけど……今日はその話をしに来たの。草間武彦さんよ」
 冥月はそういうと、草間へと目をやった。草間は別段驚いた風でもなく、ただ黙って墓石を見つめていた。
 言葉をひとつ紡ぐたび、冥月の心は透明になっていくような気がした。
 やっと貴方に言う事が出来る。
 私、もっと早く貴方と武彦を会わせたかった。
 遅くなってごめんなさい。

「私、この人と生きていきます」

 冥月は目を瞑った。
 それは、確かな決心だった。


4.
 草間が冥月の肩を優しく叩いた。
「俺の口からもきちんと言わないとな」
 すると、草間はしっかりと墓石と向かい合った。そして一礼し、手を合わせた。
「まぁ、俺はおまえとは会ったこともねぇんだけど、縁あってこうしておまえの墓前に手を合わせることになった。…まぁ、言いたいことはひとつだけだ」
 一呼吸つくと、草間はしっかりとした声で言った。
「冥月は、おまえの分まで俺が幸せにする。誓うよ」

 一陣の風が吹く。冥月は目を閉じて祈った。
 貴方は…どう思う?
 彼を見て、あなたは何を思うの?
 私に…教えて欲しい…。
 冥月の髪を揺らし、また風が吹いた。今度は勢いよく小さな花びらを巻き上げた。
 花…びら??
「冥月、見ろ…」
「あ…っ!?」
 風が吹いてきた方向を振り向いて、冥月と草間は息を呑んだ。

 そこには、見事に咲き誇る満開の桜の花がヒラヒラと舞っている。
 小さな小鳥たちがそこだけに集まり、さえずっている。
 まるで、そこだけ春が来たかのように…。

「ねぇ、武彦…これ、夢なのかしら?」
「…いや、奇跡ってヤツさ。冥月と俺の思いが、あいつに届いたんだ」
 草間は墓石を指差した。
 黒曜石の墓石は、ただ静かにそこにあるだけだった。
 しっかりと冥月は草間の腕を絡ませた。
「武彦…ごめん、今日で…最後にするから」
「?」
 腕から胸の中へと冥月はするりと身を寄せた。
「今だけ…泣かせてくれる?」
 草間の胸に顔をうずめて泣き出した冥月を、草間は無言で抱きしめた。
『幸せに…』
 鳥たちのさえずりは祝福するように山に響く。
 ハラハラと散る桜が、2人を包み込むように舞い落ちていく。
 涙のように…そして2人を祝うように…いつまでもいつまでも。