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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜フェンリルナイト〜
「ん…」
 自分の声で、不意に、意識が覚醒へと導かれる。
 ありきたりな状況。目が覚めて、そこには部屋の天井が広がっていて、いつもと変わらない日常が始まる。
 そう、そのはずだった。
「え…?」
 ゆっくりと、目を開いた少女の目に飛び込んできたのは、一面の青い空。周囲を見渡せば、そこは、どこかの山の麓のようであった。
――ここは、一体…。それに、あたしは…。
 心の中で自問し、ゆっくりと状況を把握しようと努める。
 まず思い出したのは、自分の名前が【海原・みなも】だということ。そして、普通の中学生だった、と記憶しているのだが。
「……」
 自分の服装、そして、周囲の状況を見、改めて、その記憶が正しいものだったのか、困惑してしまう。
 胸元を糸で編みあげた装飾のあるチュニックワンピースに、シルクのマント、そして、太陽をかたどったような、大きめの杖と、何か雑貨らしきものが入った麻のバッグ。
 それが今の所持品の全てであり、そして、それには見覚えがあった。
 目が覚める直前までプレイしていた≪フェンリルナイト≫というテレビゲーム。その中で、自分が使っていたPCキャラクターにそっくりの衣装だった。
――いつものようにゲームをしていて、そうしたら、急に眠くなって、おかしいとはおもっていたけれど…。
 自分の行動を反芻しながら、みなもは小さくため息をついた。
 最近発売されたばかりだが、主人公は自分でエディットでき、物語の中に入り込みやすい、という点で、今、同級生の間だけでなく、各所で話題を呼んでいるRPGだ。
 友人に勧められるままにゲームを始め、みなもが選んだのは、魔術師でハーフエルフの少女。
――つまり、ここはゲームの中、ということでしょうか?
 自問して、だが、あまりにも馬鹿げた推測に、思わず笑いそうになったみなもだったが、先程から通り過ぎる人や、場所の雰囲気から、ここが、自分の生きている世界でないことはわかる。
「ここでこうしていても、埒があきませんね」
 独りごち、みなもは、気持ちを切り替えるために、軽く流れた髪を払うと、道をたどって歩き出す。
 もし、本当にここがゲームの世界なのだとしたら、この先に街があるはずだ。ひとまず、そこへ行ってみるしかない。
 なぜ、自分がこうなってしまったのか、そもそも、帰る方法はあるのか、疑問は尽きないが、行動しなければ何も始まらない。
 だが、
「ッ……!」
 突然響き渡る雄たけびに、反射的に身構える。
 そこには、鳥の姿をしたモンスターが2体、道を塞いでいた。
 ゲームなら、単純にボタンを押せば魔術を使えた。けれど、この場合、どうしたものか。
 だが、
「雷鳴轟かせ、天穿つ槍となれ!」
 自然と溢れた言葉は、明らかにこの世界の呪文で。
 実際、魔術となって放たれたそれは、モンスターを撃ち、焼き払っていた。
――いつのまにか、世界に順応している、ということでしょうか?
 モンスターが消えた後に出現したアイテムを拾うのにも、どこか慣れた動作のような気がした。
――急がないと…っ!
 自然と、胸の前でぎゅっと手の握り、みなもは平坦な道のりを走り始めた。


 ゲームの展開通りならば、主人公が山の麓で空を見上げるシーンから物語が始まる。
 その後は、選んだ職業によって多少違うようだが、基本的には、自分の名前と、職業以外は何も思い出せず、ただ漠然と、人助けをしたい、という思いから、街に向かう。
 そこで、出会う仲間と共に、主人公は自分の行く道を探していく、というところまでは進めていたのだが。
「まるで、主人公と同じ立場ですね…」
 独りごち、みなもは、軽く額に浮かんだ汗を拭った。
 人助けをしたい、という目的と、元の世界に戻りたい、という目的は違えど、今のところ、何も情報が得られないから、とりあえずはシナリオ通りに街に向かうしかない。
「それにしても、街まで、こんなに遠かったのでしょうか…」
 歩き始めてどれほど経ったか、まだ、街の影は見えてこない。
 途中モンスターに襲われ、それを撃退するのに、徐々に慣れてきてはいたが、疲労感はやけにリアルで、まるで、自分がこの世界の住人になってしまったかのようだ。
 そう思うと、少しぞっとする。
――ゲームは嫌いじゃない、けれど、さすがに、このままこの世界に留まり続けるのだけは避けたいですね。
 そのためには、急いで街に向かわないと。
「ッ…!」
 立ち止まってしまっていては、モンスターの標的になりやすいことは、この道中に学んだことだ。
 またも、少し遠くから聞こえた雄たけびのような声に、みなもは、反射的に走り出していた。
 まるで、何かに突き動かされるように。


 日が少し西に傾き始めた頃、みなもは、ようやく目的地であるアレスの街に辿り着いていた。
 始まりの街、アレス。
 そう書かれた看板を目にし、ほっと一息つく。
――それにしても……。
 象形文字とも何とも言い難いもので描かれた看板を、普通に読むことができた。
 それはそれで、この世界で調べていくのに便利ではあるが、なぜそれができたのか、少し不思議ではあった。
 だが、今は、そんなことを気にしている場合ではない。
 以前プレイしていた記憶を頼りに、みなもは、この時間帯なら一番賑わっていそうなギルドへ向かった。
 ギルドは、この街でも大きな施設だ。たくさんのベテランから初心者まで、たくさんの冒険者が集い、自分に見合った仕事を見つけて、こなしていく。
 みなもも、始めはそうやって、ゲームを進めていった。
「いらっしゃい!」
 ギルドに着き、中に入れば、人当たりの良さそうな店主が出迎えてくれる。それは、プレイしていた時より、ずっと臨場感を持っていた。
「お嬢ちゃん、もしかして、駆け出しの冒険者かい?」
「え、えぇ」
 店主の言葉に、みなもは曖昧に頷く。
 その表現自体は、間違ってはいない。実際、この世界に来て一日と経っていない今、初心者に近い状態だ。
 ただ、プレイヤーとしては、この先の展開はある程度知っているのだが。
「だったら、お嬢ちゃん向きの仕事があるぜ」
 そう言って、店主が手渡してきたものは、おそらく、初心者用の簡単な仕事。ゲームの世界ならそれでいいのだろうが、今はそうも言っていられない。
「あの、あたしは…っ!」
 言いかけて、だが、みなもは、仕事の依頼票を見、途中で言葉を飲んだ。そこに書かれていたものは、ゲームの内容とは違う≪全能の魔女への荷物の配達≫というもので。
「お嬢ちゃんのように、初心者にしては高価な衣装を身にまとった冒険者が来たら渡すように言われてたのさ。向こうさんからの御指名の依頼だ。しっかりやんな」
 そう言って、店主はその依頼票と前払いのお金をしっかりと握らせてくれる。
――全能の魔女…。ゲームと違う展開で、そのような名の魔女があたしを指名しているということは、何か、帰れる方法を知っているのかもしれません。
 確証はない。だが、今はこれに賭けるしかない。
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げ、礼を言うと、みなもは、地図に示された場所へ向かった。