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<東京怪談ノベル(シングル)>


巣立ちの前に
 海原・みなも (うなばら・みなも)は机の上に置きっぱなしだった本の存在に気づく。
 それは先日父が帰国した際にもってきた本――竜に囚われた姫の写本だった。
 写本とはいえ自身を変化させる力をもったモノだけに、みなもは触れるのに躊躇った。とりあえず雪久のもとにもっていこうと注意深く持ち上げ……途端、はらりと頁の間から何かがこぼれ落ちた。
「……なんだろ、これ……」
 みなもはしゃがんでその場に舞い落ちたソレをつまむ。
 よくよくみればそれは一通の手紙、だった。

「仁科さん! おはようございますっ!!」
 からりと晴れた空の下、みなもは、開店したての古書肆淡雪へとぱたぱたと駆けこんだ。
「おはよう。随分朝からだけれど、珍しいね」
 いつも通り穏やかに答えるは店主、仁科・雪久。
「ええと、実はお父さんから……」
 ごそごそと持ってきたバッグを探り、中から取りだしたのは一通の手紙。
「……竜に囚われた姫の写本に、置き手紙があったんです!」
 ずい、と両手で差し出すみなも。
「あの『竜に囚われた姫』には『竜』と称されるほどの『力』が封印されているそうです」
 雪久に手紙を読むよう促しつつも、みなもは内容をかいつまんで説明する。
「彼女とは知り合いのようだし、無差別に暴走するのも人間に悪用されるのも望んでいないだろうから、『力』を引き継いでくれないか、と」
「彼女」とは、竜に囚われた姫の作中に登場するドラゴンを指している。以前みなもはこの物語の中に入り込んだ事がある。
 その時みなもは「彼女」に会い、そして命を救われた。
 しかしまるでその代償であるかのように「彼女」は物語作中の人々に狙われる事となる。
 それは決してみなものせいではなく、元々そのように定められていた――作者によって書かれていた――ものなのだ。
 それでも、みなもにとっては彼女との別れは辛いものであったし、彼女にこれから待ち受ける運命は耐え難いものでもあった。
「開封の方法や『力』の概念なんかは、仁科さんなら読み解けるだろうから、ってお父さんの手紙には書いてありました!」
「……また随分と買いかぶられたような気がするけれど……」
 一応一通り目を通した雪久は手紙を丁寧にたたむとみなもへと返す。
 とりあえずは原本は出してきた。一度は完全にばらけたものの、雪久が修復した事もあり、本は大凡元通りの姿を取り戻している。
 ……そこにかけられた鎖と鍵も。
 さてどうしたものかと腕を組みみなもから視線を逸らすようにし雪久は考え込む。
 鍵を開けるのは造作もない。何せここまで再現したのは自分自身だ。
 問題はそこから、どう読み解き、どうみなもへと概要を取り込ませるか、だ。
(「そもそもが強大な力であるわけだし、彼女の認識や常識と上手く噛み合わせないと無差別な暴走の引き金となりかねない……」)
 ちらりと横のみなもに視線を向けると彼女はやる気満々といった様子で拳を握っている所だ。
「……ともあれ、頼まれた以上は頑張らなければならないね」
 軽く笑む雪久の様子に、依頼は受けられたらしいと知ったみなもの表情が少しだけ明るいものになった。
 だが、困難なのはここから。それも彼女自身きちんと理解している。すぐに表情を引き締めた。
 鍵と鎖にはある意味で呪術的なモノが仕込まれていた。みなもが鍵を開けた後もそこに術式は滞呪しているらしく、恐らく今もみなもが触れたら鍵は自動的に外れ、鎖がほどけ落ちる。雪久が行ったのはただ物理的に鍵をかけ直しただけ。
 つまり、ただこの本を読むだけならば鍵を開けるだけで済む。
 しかしその本に秘められた力を扱うには、本と適性のある人間――今この場に居るなかではみなもの力が必要だ。
 とはいえ迂闊にみなも自身に触れさせれば、過去に写本、原本どちらに触れた時もそうであったように、彼女は即座に竜と化すだろう。
 どうであれ雪久1人では解決出来ない問題だ。
 悩みながらも雪久は鍵をあけ、鎖を解く。じゃらりと音を立てテーブルの上に鎖が投げ出され、鍵も落ちた。
 だがその瞬間、雪久も、そしてみなもも予想しえなかった出来事が起こった。
 パン、と音を立て、2冊の竜に囚われた姫がはじけたのだ。
「……馬鹿な、触れてもいないのに何故……!」
 雪久の叫びも虚しく無数の紙片となったそれは宙を舞い、以前もそうであったようにみなもへと貼り付いていく。少しでも剥がそうと雪久が手を伸ばすも、分厚い本から溢れた紙は剥がせど剥がせど間に合わずみなもへと貼り付いていく。
 みなも本人も懸命に抗おうとしているものの、膨大な紙の前には無力と言ってもいい状況だ。
「にしな……さん……」
 大量の紙の合間からみなもが手を伸ばす。その手を掴もうと雪久も手を差し伸べる。
 しかし彼女の細く白い手は次第に大きなものへと変わっていく。女性ならではの柔らかな曲線こそ残してはいるものの、その手にはかぎ爪が現れ、人では無い存在へと変わっていっている。
 気づけば少女は一匹のドラゴンへと姿を変えていた。
 それでも以前と違い、よくイメージされるドラゴン――深緑の鱗を持つ幻獣のイメージ――ではなく、白龍であるあたりみなもの特性を色濃く継いだのかも知れない。
 しかしこの力は通常の、人の状態のみなもからしたら、想像以上のモノに違い無い。
 もし仮に今その力を確かめるような事が発生したならば、自身が「人である」という常識からあまりに乖離したその力に混乱が――いや、暴走が発生する可能性が高い。
 例えば、たったひとつ十円玉を渡すだけでいい。
 普段のみなもではそれを素手でねじ曲げる事は叶わないだろう。
 しかし今の、白龍とした彼女にはそれはあまりに容易に出来てしまうのだ。
 そうなった場合、本来あるべき彼女とあまりに異なる力を、みなもは受け入れる事は出来ず暴走してしまう。それを防ぐ為に、彼女の父はあんな手紙を置いていった、というわけだ。
(「いつもの方法だけでは恐らく厳しいな……」)
 雪久の眉根に険しい皺が寄る。
 普段行っているのは、みなも自身がどのような姿をしていたかを思い起こさせる、というだけの簡単な方法だ。
 だが今回は纏っている力があまりに大きすぎる。
「……みなもさん、今の姿は解るかな?」
 雪久の問いかけに白龍が頷く。
 白い皮膚、白い背びれ。ほぼ真っ白な中に、ただ瞳だけが青い。
 幸いにして形状の変化には対応できているらしい。
「今、君の背中には翼があるよね。動かせるかな」
 ゆっくりと、白龍が翼を動かす。羽ばたくたびに空気が揺れ、そして風の流れが発生する。
「このまま動けば、君は宙に浮くことが出来るだろうね」
 ありえない、とでも言いたげに動いた白龍へと雪久はさらに続ける。
「元々の君は確かに飛べない。だが、今の君は白龍だ。思い切ってやってごらん」
 ばさり、と羽ばたき彼女の身が僅かに浮く。しかしすぐに白龍は再び地へ。ぺったりと貼り付く様子は少し怯えているようにも見える。
(「ありえない、と思っているせいか怖がっているのかも知れないな……」)
 暫し考え雪久はこう告げる。
「今のその君の姿は『彼女』と少し似ているよね」
 白龍は興味を持ったように顔をあげる。まだ少し怯えが見えるものの、それでも彼女には力をモノにしようという意志がある。
 みなもが以前変身したような深緑の鱗を持つドラゴンではなく、白龍となったのは、変身への慣れもあるだろう。ここの所ブラックドッグに変身する事も多かった為、ある程度は彼女自身変身に対する抵抗は薄れているのだろう。そしてもう一つ、みなもが力をつかう事を――身につける事を『彼女』が望んでいるからだと。
「彼女はあの本の中では力を持つ存在だった。それは同時に力を制御する者でもある――彼女はそれを託す為に君を選んだ。あの2冊の竜に囚われた姫が、手をつけるまでもなくはじけ飛んだのがその証拠だ」
 雪久の言葉に白龍の目が大きく見開かれる。
 そんな事が、とでも言いたげに。
「君なら安心して預けられる。君なら必ず制御出来ると彼女は信じてくれたんだよ。そして、恐らく――」
 一旦雪久が言葉を句切り、しっかりとした口調で告げた。
「――恐らく、彼女は君と共に在る」
 今、力と共に意志も残っているはずだ、と。
「君がブラックドッグと約束を交わしたように、彼女もまた君を頼っているんだ。だから、多分、君が問いかければ彼女は答えてくれるはずだよ。友人である君の為に」
 白龍は目を閉じる。自身の内部を探ろうとするかのように。
「彼女」は物語中で竜と称される程の力だ。そこに伴っていた人格は作者により仮に定義されたものだったかもしれない。
 それでも「彼女」はみなもを信じていた。
 自分の力を正しくつかってくれるだろう、と。
「……みなもさん、君の姿を思いだして」
 青の髪を、同色の目を。そして細身な自分の姿を。
 差し出された雪久の手の上へと、白龍はかぎ爪のはえた腕を乗せる。
 だがそれは次第に細く、そして血の通った色合いへと変化していく。
 再び彼女が目を開いた時には、彼女の身体は見慣れた少女のものへと戻っていた――。

「あの時彼女は答えてくれたんです。あたしの事を信じるから力を預かって欲しい、って。そしてあたしと一緒に居ると言ってくれました」
 人の姿に戻ったみなもは開口一番そう告げた。
 流石に消耗してはいるものの、変化する事自体に慣れてきた事もあり、倒れる程では無かったのだ。
 それもあってか、どうしても語りたかったのだろう。
「まだ少し変身するのは怖いけれど、でも、彼女が一緒ならなんとかなる気がして……」
 雪久はそんなみなもの話を聞きつついつものようにお茶を出す。温かな湯飲みで両手を温める彼女。
 確かに力を操る事は出来た。だが、僅かみなもには心配もあった。以前ブラックドッグがそうであったように、彼女が自分の深層に住むことになるとしたなら、貪欲な深層部分は彼女の意志を消化してしまうのではないか、と。
 そして2人の間にほんの少しの間沈黙が満ちる。ふと、雪久が顔をあげみなもを見つめる。眼鏡の奥の瞳はそんな彼女の悩みを見抜いたかのようだ。
「……みなもさん、ひとつ聞きたい事があるんだけれど、良いかな」
 沈黙をきり雪久が問う。
「彼女に語りかけた時、一体どんな感じがした?」
 みなもは少し躊躇いつつ言葉を選んで答える。
「友達なんだけれど……なんとなく、お母さんみたいな感じがしました。傍に居て、守ってくれてる感じ」
 答えに雪久は頷くと更にこう告げた。
「彼女は君が力を上手く使えるようになるまでは、きっと一緒に居てくれる」
「……どういう事ですか?」
「君が感じた通りの理由だよ」
 雪久の答えにみなもはかくん、と首を傾げた。今ひとつ理解し難い部分もあるし、彼女の中の疑問は解けていない。
「……まあ、この答えは次に会うときまでの宿題にしておこうか」
 ようやく雪久が笑みを見せ、みなもは眉根に皺を寄せ真剣に考えはじめる。
 そんな彼女を微笑ましく思いつつも雪久は思う。
(「……『彼女』もみなもさんも強いな……」)
「彼女」はこれからみなもを影ながら支え、時には導いていく気なのだろう。
 そしてみなもが1人で力を制御できるようになれば、世の母親が子離れをするように、彼女の中から消えていく。
「彼女」はみなもが巣立つのを楽しみにしているのだろう。それはある意味で雪久も一緒だ。
(「しかし、反面寂しいと思ってしまう部分もあるのは、ある意味父の心境というヤツなのかな……」)
 一瞬、以前会ったみなもの父の存在が脳裏を過ぎる。
 が、自分はまだ配偶者さえいないのに、と雪久は小さく苦笑するのであった。