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フェンリルナイト〜覚醒〜
全能の魔女の言葉は、ただただ、みなもに衝撃を与えるものだった。
確かに、クラスチェンジというシステムは存在する。
だが、その意図をはっきりとは知らず、しかも、今は、ただゲームをプレイしているだけではない、ということもあって、彼女の言葉は、みなもに混乱を与えた。
「なんじゃ? クラスチェンジを知らんわけでは…」
「あたしが聞きたいのは、そういうことではないんです!」
魔女の言葉を遮って、みなもは、思わず声を荒らげる。
「あなたは言いました。レベルを上げるか仲間を連れてくれば、元の世界に戻れると! それが、どうして…」
そこまで言いかけて、みなもは言葉を飲み込んだ。
眼前に突き付けられた、魔女の杖。ただそれだけなのに、すっと目を細めてみなもを見やる魔女の目は、まさしく“全能の魔女”にふさわしい威圧感だった。
「おぬし、何か思い違いをしておらんか?」
「え…?」
魔女の唐突な言葉に、思わず聞き返す。すると、彼女は、そっと杖を下ろし、だが、みなもを見据えたまま、続けた。
「この世界、アースガルズでは、お前さんは虐げられてきた存在。故に、アルフヘイムに、エルフ達の住まう世界に帰りたい、違うか?」
「ッ…!」
問われ、みなもは、ようやく、魔女の言葉の矛盾を悟った。
彼女は、確かに言った。元の世界に帰りたいのか、と。そして、抜け出したい、と答えたみなもに、訝しげな表情を向けていたことを。
――つまり、この人は、現実世界に戻る方法ではなく、キャラクターとしての“みなも”が本来いるべき世界に帰ろうとしている、と言いたいの…?
自分の中でその事実を再確認し、愕然とする。
大きな思い違いをしていたのかもしれない。ここはゲームの世界で、自分が生きる現実世界とは違う。そう思っていたのは、始めから、みなもただ一人だったのでは、と。
――では、この、本来のゲームと違う内容は、一体…?
混乱した頭で何を考えても答えがまとまらない。どうしよう、や、どうなっているの、という、疑問ばかりが頭をよぎる。
「…お前さん、元の世界に戻りたいと言い出したから、記憶が戻ったのかと思ったが、まだ記憶が曖昧なままなのか?」
不意に、全能の魔女に問われ、みなもは思わずこのゲームのストーリーを思い出した。
そうだ、自分がプレイしていた段階で、おぼろげながら、主人公の記憶に関わるシーンがいくつかあった。だが、それは、あくまで断片的で、完全に戻った、とは言い難いもの。
「わかりません、あたしが、どうしてここにいるのか」
そう、答えるしかなかった。
実際、プレイヤーであるみなもに、未プレイの段階のストーリーなどわかるはずもない。
それに、第一、自分は現実世界の人間。ある意味、昔の記憶は持っていると言えるが、それはあくまで現実世界においての“みなも”の話で…。
――あれ…?
思い出そうとして、不意によぎった光景に、みなもは胸中で声を上げた。
思い出されるべきはずなのは、自分が昨日までいたはずの現実世界の記憶。そして、もっとさかのぼれば、小学生だった頃。
そのはずなのに。
――今思い浮かんだのは、このキャラの、記憶…?
自問してみるが、それは明白だった。
耳のとがった、ローブを身にまとった人々が歩く中を、誰かに連れられて歩いている自分。そして、向けられる、冷たい目線。それは、まるで、みなもを蔑んでいるかのようで。
――どう、なっているのですか…? あたしは…。
「みなも!」
予想外に名前を呼ばれて、我に還り、顔を上げる。目線を向ければ、全能の魔女が険しい表情で立っていた。
「よもや、おぬしが何故回復呪文も使わずに戦っておったのかとは思っていたが、自分が、既に一クラス上に上がっていることすら忘れておったとは…」
「え…?」
矢継ぎ早に出てくる言葉の数々に、みなもは、慌てて、もう一度ステータス画面であるギルドの登録証を見た。
そこには、最初に開いた時にはなかった術技が、ずらりと並んでいる。そして、魔術師であったはずのみなもの現在の称号は、賢者。
――そうだ、ここは、ゲームの世界であっても、自分がプレイしていたように、術技が増えても、知らせてくれるアイコンコマンドがない。だから、なのですか…?
レベルが上がったことは、システム上、体力、魔力とも回復する、というものにのっとってか、不意に、先程まで疲れがたまっていた体が軽くなるのを感じ、それで、レベルが上がったことを知ったのだが。
「ッ…!」
また、何かが、フラッシュバックするようにみなもの脳裏をよぎる。
ハーフエルフであること。それ故に、他のエルフ達からは、疎まれてきた存在。そして、自分の中に、強大な魔力を持ち合わせていること。
――だから、あたしは…。
一つ一つの事実を確認する度に、頭の中で、何かが割れるような音が響く。
本当の自分を取り戻せ、誰かに、そう言われているような気さえして。
「今のおぬしに、クラスチェンジは無理じゃ。体への負担が大きすぎる。そのせいで、一気に記憶が戻るかもしれんのじゃぞ?」
「それでも…っ!」
魔女の言葉を否定するように、思わず声を荒らげて言う。
「あたしは、元の世界に戻りたいんです! そのためなら…っ!」
自分で言っているはずの言葉なのに、それが、現実世界を意味するのか、魔女の言うエルフの世界のことを意味するのか、自分でもわからなくなっていた。
だが、クラスチェンジしなければ、どちらにしても、現状、先には進めないのだ。
「……わかった」
長い沈黙の後、魔女は、手にしてた杖を、みなもの頭上に掲げた。
刹那、
「ッ…!!」
頭の中に、何度も、割れるような音が響く。思わず耳を塞ぐが、それが、自分の中から発せられる音のため、防ぐことなどできない。
その中で、よぎるのは、数え切れないほどの“記憶”だ。プレイヤーキャラ、みなもとしての記憶。
そのはずなのに、なぜか、無性に懐かしさと、とてつもない痛みをみなもに与える。
そして、
「ッ、あぁ…!!」
一際大きな音が鳴り響いたと思った瞬間、みなもは、その場に崩れ落ちた。
ぱらぱらと、自分の長い髪が肩を滑り落ちる。
『その髪は異端の証だ! お前は、仲間なんかじゃない!』
響く声に、だが、もう、痛みは伴わなかった。
代わりに、全ての記憶が、みなもの中に蘇っていた。
「気分はどうじゃ? 護人(ヴァナディース)よ」
問われ、だが、すぐに答えることは出来なかった。魔女の言葉をすんなり受け入れている自分に、多少違和感を覚える。
「えぇ、悪くはありません…」
何とかそれだけ言うと、みなもは、杖を支えに立ちあがる。否、みなもの手にしっかりと握られていたのは、槍の柄だった。服装も、いつの間にか、青を基調とした羽のように軽い鎧に身を包んでいる。
「これで、あたしは、アルフヘイムに戻れるのですね? 仲間を、助けられるのですね?」
――あたし、一体、何を言っているの…?
自分の口から出た言葉なのに、心の中では、否定している自分がいる。帰りたいのは現実世界。そう、何度も言い聞かせているのに。
「お前さんを忌み嫌い、蔑んできた者の住まう世界じゃぞ?」
「それでも、あたしが、ずっと生きてきた故郷です」
全能の魔女の問いかけに、断言する自分の言葉に、どこか、ようやく、自分の道を見つけたような安堵感に包まれていた。
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