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<東京怪談ノベル(シングル)>


ハレゾラ世界にハイイロ乙女


 重く濁った低い空から雨が降り注ぎ、傘も差さずに雑踏を行く少女の全身を濡らす――そんな絵に描いたような絶望のシチュエーションが望ましいのに。
 天に広がるのは、千載一遇の好機とでも言うように果てなく澄んだ青。林立するビル群がなければ、日本一と称される山が関東平野のどこからでも望めるかもしれない。
 せめて無彩色であれば良いと願えど、カラフルで煌びやかな看板が嫌というほどに世界に色を添える。
 夜でもないのに、客引きのサンドウィッチマンの声は威勢良く。ティッシュだかチラシだかを配るフリルドレスの少女の声は、どこまでも甲高く華やかで。

 アタシ、何やってるのかな……?

 声に出さぬ問いに応えがあるはずもない。いや、例え言葉を音にして大気を振るわせたとしても、誰とも知らぬ少女の己さえ解を持たぬ疑問に答えてくれる人間などいやしないだろう。多少の善意と好意は返ってくるかもしれないけれど。
 誰とも知らぬ少女――で、あれば。
 そう、誰とも知らぬ少女であれば。
 ふらり、ふらり。
 紺色のセーラー服。きちんとアイロンを当てられたスカートのプリーツが、人と人とがすれ違って起きる風に揺れ踊る。

 人と、人?

 人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人人、人、人、人、人。
 思い浮かべた文字は、簡単にゲシュタルト崩壊し、意味を失いただの記号に成り果てる。

 ヒト。
 ひと。
 人――……?

『人の皮を被ったバケモノめ!』

 ふと、少女の足が止まった。
 別に何かが目に留まったわけではない。ましてや興味を惹かれたわけでもない。ただ、ただただ何となく。少女は雑居ビルの2階に続く階段に足を踏み入れた。電灯のない細道が、ぽっかりと現実に開いた黄泉への入り口に見えた――とか、そういう理由ではない。
 ただただ。
 ただただ、本当に単純に。何の意図一つなく。
 否。
 今の彼女には、何かを理論立てて考える思考回路は存在しない。
 ふわりふわりと水槽の中を泳ぐ金魚のように、差し込む光に存在を浮き彫りにされる中空の塵芥のように。
 やがて現れた引き戸を、少女は開く。押したり、引いたりしようとしなかったのは、ドアノブがなかったから。それくらいの社会常識は、まだ生きている。
「いらっしゃい――おや、まぁ」
 小柄な老婆が一人。
 彼女の背後には、壁掛け型のテレビが一台。映っているのは、暇な時間を賑わすワイドショー。録画された国会中継映像を流しながら、興奮気味のコメンテーターが何かをわめき散らしている。
『このような存在に国防の一端を担わせるなど、いったい何を考えているのでしょうか』
 スクリーンいっぱいに広がるのは、漆黒の髪をした繊細な容貌の少女。ズームアップされた左の瞳の紫が奇異に光る。
「これはまた、可愛いお客様ね」
 老婆が笑った。
 笑った、はずなのに。
 テレビの中に自分の姿を見た少女――三島玲奈は、哂われた気がした。


 三島玲奈はバケモノだ。
 この世に生まれ落ちた瞬間は、確かに人間であったけれど。
 病を患い、玲奈を産み落とした母は、彼女を育てることなく彼岸へ渡った。そんな母の置き土産か、それとも元々玲奈の一部であったものか。『腫瘍』と称されるモノの一部が虚無の境界へ渡り、甲殻類のバケモノめいた『戦艦』へと育ち変貌を遂げた。
 孤児として生きていた玲奈は拉致され、『戦艦』を御す為に脳髄を移植され、真っ当な『人』の外見さえ失った。
 尖った耳、天使の翼、鮫の鰓。
 果たしてソレを人は『人』と呼ぶのだろうか? 答は、分かり易く『否』だ。総称を亜人間メイドサーバント。彼女固有の呼称は『最終兵器』。
 必死の努力で女子高生を装い、IO2の下で玲奈は国防の為に尽くした。
 それが正しいことだと。良いことだと、一生懸命真面目に。
 けれど、隠しているものはいつか必ず白日の下へ晒される。それがこの世の理。そしてこの無情な理は、玲奈の身にも降り注いだ。命ある者へ等しく平等に、それが当たり前だと言うように。
 明るみになる玲奈の真実。
 国会での野党の追及はテレビで中継された。

 人殺し。
 凶器。
 怪物。
 バケモノ。

 級友はもちろん、婚約者さえ離れるのに時間はかからなかった。
 日常は、まさしく霧散。
 写真家で、コスプレ喫茶の女王で――そんな彼女の細やかな平穏は、いまさらながらに母を追うように彼岸へ渡った。


「おや、まぁ。それは大変だったわね」
 そんな場所に立たされたら、お梅さんあっと言う間に疲れて腰が痛くなっちゃうわ、と梅と名乗った老婆はころころと笑う。
 哂う、のではなく、笑う。
 他意のなさも、「大変」が生じる理由も。そして玲奈に向けられる奇異を含まぬ梅の目が、余計に玲奈の気持ちを逆立てた。
 分かったふり、達観したふり、それとも理解したふり? 甘やかすふり?
 まやかしの偽善、そんなもの絶望の坩堝に投げ捨ててヘドロになって日本海溝より深い海の底の、そのまたどこかへ沈んでしまえばイイ。
 ふざけないで。
 アタシは死にたいの。
 いいえ、生きて行く場所など、この地球上のどこにもないの!
 玲奈は叫ぼうとして――止めた。いや、自分の意志で止めたのではなく、きらきらと輝く幼子のような梅の瞳に一瞬で毒気を抜かれてしまったのだ。
 少女が次に何を語るのだろう? と期待する眼差し。どんな罵詈雑言を吐いたところで、一切動じることのないだろう瞳。
 すとん、とそれを分かってしまえたら、こんな所で叫ぶことさえバカバカしくなった。
 安物のスチール椅子。立ち上がりかけ足の筋肉に込めた力を解き放ち、ギシリと鳴る背もたれに体重を預ける。
 馬鹿馬鹿しい。
 そう、あまりに馬鹿馬鹿しい。
 誰も自分のことなど理解してはくれない。
 理解する術もない。
 何故なら自分は人とは違うバケモノなのだから。バケモノの事など、人間が分かろうはずもない。
 あぁ、そう。
 アタシは何処まで行っても一人きり。世界が灰色でなくても、雨に降られなくても、絶望の海にぽつんと漂う異端。寄る辺は既に失った。
「あら、お喋りはもうお終い?」
 口を噤み、淀んだ瞳をカラフルなタイルが張られた床に落とした玲奈の顔を、梅は残念そうに覗き込み、そして傍らに置いてあった天秤をそろりと撫でる。
「あのね、お梅さんはね。占いが得意なのよ。この天秤でね、人の運命を量るの」
 聞いていない、そんな事など。
 勝手に話し出した老婆を、玲奈は見ない――けれど。
「でも、貴女には占いは必要なさそうね。だって貴女は、これからも生きるもの」
 ――はぁ?
 柔らかい物腰ながら、はっきりと断言する梅の言葉に、玲奈は弾かれたように顔を上げた。
 何を言うの、この人は。
 生きる意味を見い出せず、全てを投げ出そうとしている自分に対して。
 いや、投げ出そうとしているのではない。
 世間が、世界が、生けとし生ける者のほうが、アタシを拒絶したと言うのに。
「あらあら、不満そうな顔」
 ぷに、と。皺くちゃの老婆の指が玲奈の頬を突く。ふざけないで、アナタにアタシの何が分かるの! いっそこの指、食い千切ってみせようか、バケモノならバケモノらしく。
「まぁ怖い顔。可愛いのにもったいないわ――ね、ここはどこ?」
 不意の、問い。
 この老人は耄碌しているのだろうか? 自分の居場所も分かっていないのだろうか? 苛立ちと嘲りを混ぜた視線で、玲奈は周囲の風景を眺めやる。
 ずらりと書架が並んだ一帯と、個別に仕切られた空間が幾つか。ドリンクサーバこそ置かれているものの、『洗練された』という言葉からは程遠い古びた漫画喫茶。
 来訪した時にはいなかった目つきの鋭い軽薄そうな青年が一人、カウンターに立って玲奈と同年代の来客を迎えている。
 それだけ。
 ありきたりの日常を、ありきたりに切り取ったような。
 それだけの場所。
「今、ありきたりの場所って思ったでしょう?」
 玲奈の思考を読んだかのように、梅はコロリと告げる。
「そうなの、ここはありきたりの場所。でもね、何の努力もなしには入れないのよ。だって、雑居ビルの2階にあるんですもの。階段を登らないといけないの」
 確かに玲奈はここに来るまでに十数段の階段を登った。それがいったい何だと言うのだろう。
「今度は不思議そうな顔、ね。ふふふ、分からない?」
 そう問われ。
 玲奈はいつの間にか、分からない、と首を横に振っていた。
「全てを無くした人はね、こんな階段、登らないのよ」
 昇るなら、果てのない階段。
 上へ上へと伸び、やがて遠くなった地上へ身を投げたくなるような、そんな魅力に溢れた階段。
 でも、ここは。
 一目で二階で終わると知れた階段。
 行き止まり。
 辿り着く先は、何の変哲もない雑多な日常しか待たない場所。
 逃げ込むには程よいかもしれないが、そこから先を何も約束してくれない場所。
「ね?」
 何が「ね?」なのか、玲奈には未だ分からない。
 分からないけれど、どうしてだか笑いたくなった。糸の切れた凧のように街を彷徨って、足が向いたのがこんなにも人間臭い場所だと言う自分自身に。
「好きにしちゃえば良いのよ」
 天秤を手に、老婆が立ち上がる。背伸びして、それでもまだ手が届かないところへそれを仕舞おうとしている仕草に、玲奈は条件反射で椅子を離れて梅の代わりに目的を果たす。
 触れた天秤は、不思議なことにぴくりとも動かなかった。
「好きにしちゃえば良いの。もしもその『好き』が本当に『悪い』ことなら、その時はきっと誰かが必ず止めてくれるし、そうでなければ自由にしてればいいの」
 例え他人に何を言われようとも。
 どう罵られようと、誹られようと、嘲られようと。
 悪戯を見つかった子供のように口の端を上げる老婆へ、玲奈は「知った風に」と言おうかと思ったが、何となく止めた。
 そう、何となく。
「貴女は自分を怪物と、バケモノと思うのかもしれないけれど。そんなの、生きているならお互い様。だって、誰だってバケモノですもの。姿形はどうであれ、心がね」
 心はバケモノの卵。孵化するのも、孵化しないのも自由自在。実体も実力も伴わなくても、バケモノはバケモノ。
 この世は、バケモノだらけなのよ、と梅はにこにこ優しい顔で言う。
「恨むなら、恨めばいいし。誹りたいなら、誹ればいいし。逃げたいなら、逃げればいいし。叫びたいなら、叫んじゃえば良いわ」
 生者の本能で、彼岸へ渡る事を拒んだ貴女なら。
 歌うように語る梅の言葉が、別に癒すわけでもなく単調に玲奈の心に響く。抗う気持ちは少なからず燻っているし、冗談じゃないと否定する魂もあるけれど。
 好きにすればいい、と。
 どうしようもなくなったら、止める何かが現れるのだと。
 そうでなければご随意に、と。
 にこにこと笑う梅に、反論する気力を奪われた。
「世の中、どうせぜ〜んぶ他人事。みんな、上の空。ホントの事なんか、聞いてやしないんだから」
 気力を奪われて――自分にまだ「奪われるモノ」が残っていたことに、玲奈は気付く。
 自分の全てを否定され。
 根源を覆され。
 もう何も残っていないと思ったのに。
 他愛ない老婆との会話。その中に、燃えカスの中に、未だ何かがあることを知らされる。
「好きにしちゃえばいいのよ」
 ね、そうしましょ。
 そうしちゃいましょ。
 くつくつと、言葉を覚えたばかりの赤子のようにそればかり繰り返す梅に、玲奈は笑いたくなった。
 なにをどう、好きにすればいいと良いのだろう。
 この無責任な老婆は。

 けれど、どうしてか。
 今なら晴れ渡った空も、カラフルな街並みも、なんとなく許せる気がした。
 そう。
 なんとなく。どことなく。気まぐれに。
 怪物であろうと、バケモノであろうと、人であろうと――関係なく、境無く。