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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


朱華の手袋


 背中にまだ日の暖かさを感じながら、ドア一枚向こうの小暗い空気へ踏み込む。
 アンティークショップ・レンへ日の光は入って来ない。
 骨董品は凶暴な紫外線を浴びると劣化を免れることはできず、また、光りの洗礼を嫌うものが集まっているので、多くは掛けられた布の下で眠っている。
「まあ、そんな所につっ立ってないで座ったらどうだい?」
 迎えた女店主は手際よく、急須、茶海、蓋碗、飲杯を用意すると茶を入れ始めた。
 茶器は透明感のある白磁に赤い蝙蝠が描かれており、中国茶器らしいが、茶葉はそうではないかもしれない。
「こいつは、骨董と呼ぶにはまだ若い品、セミアンティークってところだが、使われていくうち“そういったもの”に育つ可能性はあるな」
 蓮が指で飲杯を弾くと驚くほど澄んだ音が奏でられた。
「……日本で蝙蝠ってのは不吉だと言われ、中国では幸運を運ぶ縁起物。見方や解釈でまったく異なったものになる。だがな、“それ”は、ただ、あるだけで何一つ変わっている訳ではないんだよ」
 無言の促しで杯を傾けると、啜った茶から薔薇の甘みと松の苦味(くみ)を感じた。
「さて、本題へ入ろうじゃないか」
 蓮はスツールの上で長い足を組み替え煙管に火を点けた。いつの間にか、目の前、テーブルの端で蝋燭の灯りが揺れている。
「この通りにある古いテーラーを知っているかい? 仕立屋だよ、洋服の。その筋では何でも繕(つく)う“なんでも屋”とか皮肉られてはいるが、腕は超一流でね」
 店主が片手で広げた外套は、天鵞絨金黒を思わせる。所々銀色に光っているのは星を摸した刺繍のようだ。
「これと対(つい)になっている《朱華の手袋》(はねずのてぶくろ)をテーラーから回収してきて欲しいんだよ。ただし、仕立屋はひねくれ者の上、クチも達者だ。用心した方がいいかもな」
 メモ書き程度の地図を確認していると、再び声をかけられる。
「それから……。もし《朱華の手袋》が見つからなければ、深追いはしなくていい」
◇◇◇◇◇
 最後まで聞いていた工藤・勇太(くどう・ゆうた)は表情を曇らせた。
 同席していた城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ)は出されたお茶の余韻を楽しんでいるかの穏やかさを保っている。
「聞いていい? それは正当な行為なの?」
「回収の正当性を問うのか。では、あんた、何を物差しにして“正当”とするんだい?」
 しばし、勇太の唇が火吹男の形になっていたが、『期待はしないでください』の科白で締めた。
 少年が外套へ触れたいと申し出たので、蓮は星を纏った滑らかな肌触りを差し出し、“読み取り”を行う間、瞬かない猫の仕草で眺める。
 外界との狭間である店の客溜まりで由代が、
「蓮さん、その外套を借りていってもいいだろうか」
 そう、訊ねたら、あっさり承諾された。
「見極めは任せようじゃないか」
 艶めいた唇から零された言葉はレース編みの糸のごとく絡み合い、寸後、送り出す微風となった。
◆◆◆
「触れた外套から、分かったことはあるかい?」
 考え込んでいる風な勇太に由代が深いバリトンの響きで話しかける。
「確か“対”って言ってましたよね? 探しものは似た“波動”を持っているんじゃないかと」
「なるほど。キミは物探しが得意ってワケだ。でも、まあ。外套と対になるデザインであろうはずの手袋を、仕立て屋が渡したがらないとは、余程の事情があるのだと思うよ」
 進む先、手持ちの地図で示された場所まで辿り着き、枯れた蔦が這う煉瓦造りの細長い店舗が立っている。見上げた看板には“Tailor……”の文字。
 本来、Tailor(テーラー・仕立屋)の後、書かれているはずの主の名がかすれて読めない。
「貫禄のある店構えだ。何代にも渡って守ってきたようだね」
「どっちかと言えば、お化けが出そうな雰囲気だけど」
 冷たさを伝えてくる真鍮のドアノブを回して店内へ入る。
 一瞬、由代の頬を摩擦と似た小さな衝撃が通り過ぎる。勇太は気が付かなかったようだ。
 静まり返った空間、磨かれた床の上は埃ひとつなく、あらゆる布のにおいが充満していた。
「ようこそ。本日はお仕立てですか? 繕いですか?」
 素早く首を回せば痩身な女が立っていた。
 後頭部で三つ編みにされた黒髪が膝裏まで届いて、まるで童話の住人を連想させる。白く小さな顔、通った鼻筋、長い睫毛で縁取られた瞳は、銀縁眼鏡の下、鈍色の眼光を放っていた。藍白のシャツと漆黒のズボン、合わせた鉄紺色のネクタイへ銀のタイピンが留められている。
 首から下げられた採寸用のメジャー、手首に装着しているピンクッションから見て、彼女が店の主人らしい。

 ……随分と若い店主だな。
 通常、テーラーと言えば紳士服専門。老舗で女性テーラーは極めて珍しい。

 由代は彼女と向かい合ってから一礼した。
「僕は城ヶ崎・由代と申します。今日は、こちらに探し物があると聞きまして」
「…………」
「えっと、ですね。俺たち碧摩さんから頼まれて来ました」
 勇太が堂々と明かし、由代は片手で口元を覆いつつ苦笑をもらした。
 碧摩・蓮の名を聞いた店主の視線が、由代の持っている手提げまで落ちたので、借りてきた外套を取り出して見せた。
「とても美しいですよね。刺繍も見事なものです。余程の手でない限りここまでの仕事はできないでしょう」
「目的は朱華の手袋か。わざわざこんなカビ臭い店にまで御足労なことだ」
 由代が店主と話している間、勇太はサイコメトリーで読み覚えた波動の在処を探し始めていた。

 うわ、この店。かなり強い思念が渦巻いてるな。
 あまり力を使いすぎると悪酔いしそうだ。

「私は、やるべきことをしているだけ。職人はそういうものだと理解できないのかね。確かにアレは対として作られたもの。だが、そうではなかった」
 店主は黒鶴が警戒する声とよく似た調子で捲し立ててから息を整えた。ほつれた数本の前髪を戻し、眼球だけ動かして勇太を捕らえる。
「仕事場を奇妙な力で触るな。ここは私の領域。勝手が出来ると思うなよ」
 彼女の指が一本の待ち針を摘んで向けた直後、勇太の肺から酸素がしぼられ、水から打ち上げられた魚の苦しみが襲いかかる。
「彼を放してください。許しなく探そうとしたことは謝ります」

 やはり。彼女は魔術の心得がある。
 店の入口で感じたのは……恐らく呼び鈴代わりの結界だろう。

 遮る由代から針先が遠退き、背後の少年は咳き込みながら店主を睨んだ。
「探されたら困るってことは、やっぱりあるってことだ!」
「無いとは一言も言っていない。持って行くなとも」
「うあぁ、もうっ! まどろっこしいんだよ!」
「騒ぐな。おまえの声は少し大きすぎる。怯えて出てこなくなるぞ」
 言ってから店主は腕組みして沈黙した。両瞼を綴じ付け、二人の来訪者を視界から追い出している。
「さて、工藤くん。手分けして探そうか」
 由代が店内を散策するかの気軽さで呟き、勇太は目を見張った。
「えぇ!? いいんですか?」
「今は見ないフリをしている。いつ気が変わるか分からないからね」
 動かなくなった店主を残して目的の手袋を探したが、それらしきものは見当たらない。
 壁一面へ収められたあらゆる質感を持った布の織り目を凝視していると、試着室から勇太のため息が聞こえた。
「こうなると、残るは二階?」
 一階は仕事場、二階は生活の場があるようで、進入をためらわれたが、遠慮している時間はなさそうだ。軋む木製の階段を登ればワックスがかけられた廊下へ繋がっている。
「小さな店なのに、思ったよりずっと広いですよ」
「外からは想像できない面積だ。いや、ドアを潜った直後はここまで広くなかったな」
「さっきより部屋数増えてないですか?」
 並んだ扉は三つ、だった気がする。だが、今は六つになっていた。

 ……マジでお化け屋敷かよ。

「あれ? 城ヶ崎さん?」
 その場で一回転して見渡したが、由代の姿が忽然と消えている。
 悪寒を感じながら体勢を戻せば、奥から二番目のドアがゆっくり開いていくのが見えた。
 ……何かの気配がする。
◆◆◆
 一方、由代は勇太の姿が見えなくなっていた。彼の存在は近いようだが視覚で情報を収集することができない。
「……ずれたか。面白い作りになっているな」
 別の場所と重なっているのかもしれない。そう、考えながら廊下を進む。
 奥から二番目のドアを選び、だが、鍵は掛かっておらず、蝶番が高く鳴きながら先の空間を展開させた。
 部屋は薄暗く、猫足テーブルの上でランプが小さく光っている。目が慣れてくると、体にフィットした服を作るためのトルソーが、幾つか置かれているのが確認できた。首のないそれらへ、スーツやシャツが着せられている光景は少々不気味でもある。
「お客様ですか。ここは、ボクの作業場のようなものです。ご依頼でしたら下で承りますが」
 一脚あった空席の椅子で、金髪の青年が笑みを浮かべて座っていた。
「失礼した。知っていたならノックぐらいしただろう」
 一歩下がろうとした時、
“……たすけて……”
 彼の重ねた手から伸びる採寸用メジャーの先、石榴の花の色をした少女が消え入るような声で囁いた。
「その子は誰ですか?」
 由代の質問で、青年は片方の眉じりを上げる。
「あなた、これが見えるのですか?」
「人ではないようですね」
「……まったく。あのひとの悪あがきも、ここまでくるといっそ憐れです」
 彼が言う“あのひと”とは、一階の女店主のことだろうか。目の前の青年は同じ職人だと思える。
 少女の細首に巻き付いていたメジャーが解かれ、彼女は火の粉のような明るい光りを帯びながら素早く由代の後ろへ隠れた。
「出て行ってください。ボクは機嫌が良くありません」
 青年の表情は温順そのものであるのに、瞳の奥が冷め切っている。上着の裾を小さな手が掴む感触を確かめながらドアまで歩いた。
「うわっ! え? 城ヶ崎さん!?」
「工藤くん。来たのか」
「小さいヤツがここの部屋入って行ったから、追っかけて来たんですけど。コロされる、とか物騒なこと言ってて」
 由代の両脇、よく似た顔の子供が二人くっついている。振り返れば、青年の姿は消失していた。
「“朱華の手袋”ってソイツらですか?」
「まあ、たぶんね」
 ガーネットの瞳を持った双子は、二人の人間をじっと見てからしゃべり始めた。

“ワタシたち、ご主人様の両手を焼いてしまったの”
“でも、それはやらなきゃいけないコトだったわ”
“そうよ。ワタシたちそうするよう作られたんだもの”
“燃え尽きてしまうのが怖いことではないわ”

 『帰りたくないなら、帰らなくてもいい。そんな選択だってあるはずだ』勇太はそう言いかけたが、由代が黙って首を振ったので下唇を噛んで留まった。
「キミたちの“親”に聞いてみよう。きっと理解を示してくれるはずだ」
 彼女らは顔を見合わせ、瞬間、風の早さでドアを抜けてから、廊下の突き当たりまで走り始めていた。
「待てってば! おまえらを助けたいだけなんだ!」
 勇太はテレポートで先回りして少女たちを確保した後、廊下と階段の継ぎ目へうっかり踵を引っかけてしまった。
 腕の中の軽い感触を庇いながらも、今一度、廊下まで戻ろうとしたが、力を結ぶことができない。建物内は集中力を削ぐもので満たされている。
 駆け寄ろうとする由代が目の端に見え、しかし、落下していくのを止めることができず、覚悟してできるだけ身を縮め……そして、柔らかな影のようなものが支えた。
「騒がしくてたまらんな。頭が痛くなる」
 不機嫌そうな女の声で体を起こせば一階のフロアだった。勇太を包んでいた“宿星の外套”は、双子を連れて音もなくテーラーの所まで戻っていく。
「これは、私の一族が作った“人工精霊”。探求者が則(のり)を越えて真理を掴もうとした時、両手を警告の炎で焼く。焼かれた手のさまが石榴の花に似ているため、“朱華の手袋(はねずのてぶくろ)”と呼ばれている」
「……ひでぇコトさせてんだな。ソイツらに」
「酷いか? だが、持ち主は死を免れた。不相応な理に押し潰され、脱ぎ散らかされた服と同じ、裏返ることはなかったという結果だ」
 手から離れた外套は上から下まで黒ずくめの男の姿形を取って、似た表情をした二つの真朱(まそお)の巻き毛を撫でていた。
「彼らを、失敗作だと思っているのかい?」
 階段をおりてきた由代の声で、店主は顎を上げ三体の作品へ近づいた。
「存在意義を失ったものは処分と決まっている。だが……まだ引き合うのか。ならば、証明せよ。己の使命を果たせ。離れようとも、私の目はおまえたちを映している」
 そう、言葉がくくられ、“星宿の外套”と“朱華の手袋”は本来の衣服(魔具)となった。
「少々、人間と似せて作り過ぎたか」
 独り言はほとんど聞き取れなかったが、テーラーが彼らを制裁することはもうないだろう。
「最後に一つ。キミは魔女、もしくはそう呼ばれる類なのだろうか?」
 由代の問いかけで、女は瞳孔が見えないほど黒々燃える目を向けた。
「私は職人だ。探求することを恐れない者の援護が私の役目」
 テーラーは微笑らしきもので頬を掃いてから一礼し、拈華(ねんげ)を匂わせていた。
◆◆◆
「これで、良かったのかな? 戻るのがイヤなんだと思ってた」
 無言の見送りの後、勇太が頭の後ろで両手を組みながらつぶやく。
 由代は空を流れる茜雲を見上げ、ゆっくりとした調子で答えた。
「心配しなくても、相応しい者の元へ渡るだろう。僕はそう思うよ。少なくともあのテーラーは、処分したかった訳ではないだろうから」

 蓮から持たされた手提げの中で、帰りは外套と手袋が睦まじくおさまっていた。


=END=


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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
2839 城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ) 男性 42 魔術師
1122 工藤・勇太(くどう・ゆうた) 男性 17 超能力高校生
☆NPC
NPC5402 店主/ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 青年/サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)


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■ライター通信■
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 ライターの小鳩と申します。
 このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
 私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
 少しでも気に入っていただければ幸いです。

城ヶ崎・由代 様。

 はじめまして。
 回収ミッションはいかがでしたか?
 落ち着いた雰囲気をお持ちの城ヶ崎様の魅力を
 少しでも表現できていたでしょうか?
 無愛想なテーラー二人を相手にしましたが、回収は成功。
 手袋の正体は人工精霊の宿る魔具でした。
 ふたたびご縁が結ばれ、巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。