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<東京怪談ノベル(シングル)>


フェンリルナイト〜浸食〜
 みなもの言葉に、全能の魔女は、小さく頷いた。
「なるほど、記憶を取り戻してもなお、この世界の為に尽くすというのか。ハーフエルフの娘よ」
――違う、あたしはハーフエルフじゃない。ただの“海原・みなも”です!
「はい!」
 心の中で叫ぶ言葉とは裏腹に、声が出る。
 今までとは、まるで違う感覚。それは、もはや、どちらが現実か、わからなくなっているかのようで。
「…そうじゃな、護人(ヴァナディース)の力を手に入れたお前さんになら、できるのやもしれん。お前さんは、クラスチェンジをするために、このアースガルズに降り立ったはずじゃからな」
 神妙な面持ちでそういうと、全能の魔女は、杖である方角を指した。
「己が信念、貫き通すが良い、みなもよ。この先に、アルフヘイムへ繋がる橋(ビフレスト)がある」
 その言葉を聞くが早いか、みなもは、槍を携え、礼を言って走り出した。
 ゲームの説明書で、ざっと読んでいた知識が、ここで役に立つとは思わなかった。
 初期設定で選べる所属には、それぞれ、関連した世界があるらしい。
 人間の住む世界ミズガルズ、獣人の住む世界ニダヴェリール、エルフの住む世界、アルフヘイム、そして、そのどれにも属さない世界、ここ、アースガルズ。その全ては、ビフレストと呼ばれる、光の橋で繋がっている。
 友達の話では、その意味合いは北欧神話がモチーフになっていて、神様との全面戦争があるかも、とか、実は、記憶を失っている主人公自身が神様で、世界を救う話なのではないか、など、いろいろ話を聞いてはいたが。
――あの時は、そこまでゲームの中に出てくるキーワードや地名まで調べようとしませんでしたし、ただゲームを楽しめればいいと思っていましたが…。
 そこまで、考えて、みなもは、走りながら実感する、鎧の感触を感じていた。
 重みは、ほとんどない。だが、クラスチェンジする前に来ていた服装と比べると、肌に触れる感覚が違うのがわかる。
 そして、それは、この世界に滞在している期間が長くなるにつれて、より現実感を増しているような気がした。
――ここは、本当に、あたしの知っている『フェンリルナイト』の世界なんでしょうか?
 ふと湧いた疑問に、自分でも、背筋が冷たくなる思いがした。
 今、こうして、胸中で考えていることは、確かに“海原・みなも”の意思だ。主人公“みなも”ではない、本来の自分。
 そのはずなのに、思い出そうとする記憶は“海原・みなも”が生きていたはずの現実世界のものではなく、ハーフエルフ“みなも”が生きてきた記憶ばかりだ。
 そして、
『それでも、あたしが、ずっと生きてきた故郷です』
 自分で言ったはずの台詞に、違和感を覚えることも、徐々に薄れていっているような気さえしてきた。
――あたしは……、あたしは…ッ!
 とりとめのない葛藤。それらが、みなもの心を惑わせる。
 自分が本当は“どちらの世界の住人なのか”と。
 刹那、
「ッ……!」
 大地を揺るがすような咆哮が響き渡り、突如、山のように巨大なモンスターが姿を現した。グリフィンとは比べ物にならない。恐らく、ゲームをプレイしていた段階では、まだ倒すには早いであろう敵。
 だが、
「邪魔を、しないでください!」
 叫ぶが早いか、一瞬ひるんだ自分の心とは裏腹に、みなもは、まるで亀のような巨大モンスターに向かって駆けだしていた。
「はぁぁぁぁっ!」
 槍が、自分の手足のような感覚で動き、みなもの手の中で回転したそれは、確実に、敵に当たっていた。
「暴風吹き荒れ、空切り裂く刃となれ!」
 たて続けに、溢れ出る呪文。確実に、先刻よりは強くなっている。そう、実感できるのだが、
――何だか、自分の体ではないみたい。
 例えばそう、誰かが、この“みなも”のキャラクターを使って、ゲームをプレイしているような。
「これで、とどめっ!」
 言霊が、槍の刃先に炎をともす。
「百華絢爛舞!!」
 地を蹴り、突き出された槍が、確実にモンスターの急所をとらえる。
 そのまま、モンスターの体力が尽きたのか、地鳴りのような音を響かせ、その場に崩れ落ちると、そのまま砂のように消えていった。
「は、はぁ、はぁ…」
 クラスチェンジをして、初めての戦闘。確かに、レベルが5しか上がっていない割に、確実に強くなっているのは実感できる。
 だが、
――やっぱり、行動と意思が、うまく合わない…。
 改めて知ったその事実に、絶望した。
 モンスターと遭遇したからには、戦わなければならない。もしゲームで、余程敵が強すぎなければ、それが普通の流れだ。
 だが、実際、戦っているのはリアルに感じとれる自分であり、技や魔法を使えば、魔力を消費するような感覚で、体に疲れが現れる。
 そして、思い出すことができない“海原・みなも”としての記憶。
――ゲームの中に、取り込まれたのだとばかり、思っていました。もちろん、それ自体、信じられないことではありますが…。
 もしかすると、もっと、みなもが思っているよりずっと、深い世界に取り込まれてしまったのではないだろうか。
 例えば、それこそ漫画や小説でよくあるような、パラレルワールド、のような。
「ッ…!」
 そこまで考えて、思わず、ぞっとする。
 ただでさえ、現状把握しようにもうまく頭が働かないというのに、体まで自由にならないとなれば、もはや、この世界の住人として取り込まれ始めているような気さえして。
「光芒まばゆく、汝の活力となれ」
 不意に聞こえた詠唱。
 刹那、あたたかい光に包まれて、体が軽くなる感覚があった。
 そして、声のした方を振り返ってみれば、
「全能の魔女!?」
「おぬし一人では頼りなさそうじゃし、まぁ、暇じゃからな」
 そう言ってのける幼い少女の姿の魔女は、からからと笑いながら、平然と歩きだした。
「それに、わしも、少々アルフヘイムに用向きがあるのじゃ」
「え…?」
 ぼそり、と、呟かれた意味深な言葉に、思わず聞き返すが、彼女からの返事はない。
――ともかく、今は、レベルを上げながら、先に進むしかない、のでしょうね。
 まだ、現状を完全に理解したわけではない。
 それでも、今はこうするしかないのだとしたら、立ち止まってなどいられない。
 自分が、自分ではないものに成り変わっていくような感覚。それは、怖いことではあるが、道が一つなら、進もう。
 改めて決心し、みなもは、全能の魔女の後を追った。