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放課後の音楽室。
校舎には文化系の部が、グラウンドでは体育系の部活が賑わっている。
活発な彼等の声は3階にあるこの部屋にも届いてきた。
それらはごく普通の、いつもの光景だった。
なのだが、この光景は非日常だった。
うっとりと宙を見つめ、音楽教師の響・カスミがピアノを演奏していた。
「ちょwwカスミ先生が壊れた!」
ドン引きする生徒。
部活にやってきた生徒達だが、その異様な空間に戸惑っていた。
響・カスミといえば、怪奇現象には弱いが人当たりが良く、生徒達に助力を惜しまないので男女を問わず親しまれている。
平凡な教師だが、今目の前にいる響は別人物としか思えなかった。
花びらを重ね合わせたような、淡い桃色のグラデーションのドレス。
背中には透明な羽根が見えるような…。
静粛な雰囲気の音楽室だったが、丸いものやらピンク色のものやらが飾られている。
リボンをつけ、ほお紅で染まった油絵。
「モーツァルトが可愛くなってる…」
まるで異空間の扉を開けたようだった。
「せ、先生、今日はちょっと、いつもと、その……違うね」
ようやく言葉を絞り出した生徒。
いつもお世話になっているだけに、直球で『変』だとは言えなかった。
「そう?」
不思議そうに小首を傾げる響。
「こないだ妖精さんの国に招かれたからかしら」
にっこり笑って再び鍵を弾く。
「苔の生すまで〜♪」
国家、には間違いないのだが、妙に音程が高い気がした。
響が妖精趣味を患った原因は数日前に遡る。
ここ最近の響は遅くまで残っていることが多かった。
「ん〜〜っ、あらこんな時間!そろそろ帰なきゃ」
伸びをして時計を見ると、夜の11時を回っていた。
職員室を出ると、何やら軽やかな音が聞こえてくる。
「これって……ショパンの黒鍵?」
こんな時間まで生徒が残っていたのだろうか。急いで音楽室へ向かっていった。
「もう下校時間は過ぎてるわよ!……あれ?」
音楽室に入ると明かりもなく、誰もいなかった。
聞こえていた音色もなくなっていた。
そんなことが2,3日続き、音楽室の怪現象に耐えかねた響が玲奈達に調査依頼を出した。
「お願い!もう恐くて音楽室いけないわ」
響に懇願され、三島・玲奈は早速音楽室の調査に入る。
問題のグランドピアノ、扉に壁の隅々まで。
日中は特に変わった様子はなかった。
放課後になり、響に報告をしようと探すがどこにも見当たらない。
その日は恐くなって帰ったのだろうと思っていたのだが、翌日になり、響が失踪したと発覚する。
数百年後の未来の妖精王国。
隣国の奇襲で陥落寸前まで追いやられていた。
眼前で父王を討たれた姫君だったが、今は毅然と即位して家臣に徹底抗戦の檄を飛ばしている。
「国を守るため、今こそ立ち向かうのです!」
正直なところ情勢は危うい。
度重なる防衛に自身も兵士達も疲弊していた。
だがどんな状況であっても、国を守らなければならないのだ。
正午を回った頃に、姫は王立アカデミーに呼び出された。
「姫様、在りましたぞ!岩戸を開く鍵が!」
ひときわ貫禄のある老人が古びた書物を手にしている。
古代の知識を膨大に記した貴重なものだとか。
「それで?」
「三島玲奈。姫様に受け継がれた偉大なる名前が重要となります」
「名前?」
頷き、老人は力強く続ける。
「姓の三島は不老不死のイワナガヒメを祀る三島大社より、名は清純で可愛らしい姫林檎というところから名付けられております」
不意にかわいいと言われ照れるが、悟られないよう話を促す。
「つ、続けなさい」
「かつて醜女とされ岩戸に封じられた彼女の汚名を玲奈の名で濯ぎ、君が代で讃えれば神の庇護が得られる。そう古文書には記されております。その『君が代』という歌はイワナガヒメの賛歌であり、岩戸を開く鍵となります」
岩戸はこの国の聖域となっている場所だ。
そこは不思議な力で守られた岩で入り口を塞がれている。
過去に幾度と岩戸をこじ開けようとしたことがあったが、どんな怪力でも能力でも、びくともしなかったのだ。
岩戸にはこの国を救うものが眠るとされている。
それが怪物の類なのか、神の武器なのかは分かっていない。
「古文書によれば、この国の古い歌のようです。吟遊詩人に歌わせると、その歌に呼応するとか」
そういって紹介された歌い手の青年は、この国でも名声のある詩人だった。
「時間がないわ。早速歌って頂けるかしら?」
「喜んで……」
姫君と吟遊詩人、そしてアカデミーの長老の三人は岩戸の前に立つ。
吟遊詩人は頭を垂れ、ピン、と厳かに竪琴を爪弾く。
「君が代は〜」
聞いたことのない歌だったが、不思議と懐かしい記憶を抱かせる。
ゆったりとした旋律、それでいて力強さを感じる。
「……苔の生すまで〜」
歌が終わり、しんと静まりかえる広間。
「アカン!戸が開かん」
長老はダジャレでぼやく。
半眼で二人に睨まれる長老。
はぁ、と溜息をつき姫は全身に意識を集中させる。
古の記憶を辿り、自分と同じ血と名前を持った『三島・玲奈』を見つける。
「ならば出でよ!古の歌姫ー!!」
轟音が辺りを振るわせ、砂煙が舞う。
「げほげほ、……どう、なった………の?」
砂煙が収まると、魔法陣の中心に一人の人間が座っていた。
キョトンとする響。
「私学校にいたはずじゃ……あら、妖精さん!」
とたんに響の顔がぱぁっと明るくなる。
姫の両手を握り、響はずいっと顔を寄せてきた。
「え、ええ?」
「私、響・カスミです!妖精さんを見るのって初めて!」
何かとんでもないものを召喚してしまった気がするが、今はそんなことにかまってる場合ではない。
気持ちを切り替え、深刻な事態であることを響に告げた。
「そんな……この国の危機だなんて」
「だからお願いです、私たちに力を貸してください!」
自分は歌う事しかできない。
だが今はその歌が人助けとなるのだ。
「どれだけ力になれるかわからないけれど…任せて!」
響は目一杯優しく微笑んだ。
岩戸の前に立つ響。
その巨体たるや、ゆうに身長の5倍はある。
古の聖なる歌だと聞いて、妖精国の正装をしていた。
花びらを重ねたような服に、薄い羽までついている。
色は淡いピンクのグラデーションで服の縁には凝った刺繍がなされている。
深く胸の奥に息を吸い、響は歌に力を込めた。
「君が代は〜……」
空気が張りつめる。
岩戸付近一帯が振動し、激しくなっていく。
「苔の生すまで」
歌が終わると揺れは収っていった。
岩戸に光芒が渦巻いている。
光の線が螺旋状に収縮し、膨張し、緩やかに円を描くように踊っていた。
ぱたり、と響はその場に倒れる。
「ふふ…こういうことだったのね」
背中の羽根が大きくなびくとふわっと身体が浮き、岩戸のてっぺんに降り立った。
遠くから進軍してくるあの忌まわしき敵国が見えた。
おそらく総力戦だろう。
姫の目が鋭く光る。
血が呼応する。先祖の力のせいだろうか。
人差し指を敵主力の方角へ向け、全力で叫んだ。
「必 殺! 最・大・出・力、天照大神ーーーー!!!!」
姫野号令の元、岩戸の光芒が激しく収縮し、膨大な音と光量が放たれた。
「ん…」
目を明けると、いつもと普段と同じ音楽室にいた。
「夢だったのかしら、さっきの妖精さん。それにしても三島さんに似てたわねぇ」
夢であった妖精を思い出す。
ふわふわとした空気、まるで重量のない服に、かわいらしい羽。
「花びらを重ねたような、そう、まるでこんな服……って、えぇ?!」
鏡に映った自分を見、驚きと興奮で響は全身が熱くなるのを感じていた。
それはもう、高すぎる温度までに。
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