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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


天狗の気まぐれ、鬼神の余興

 折角だしよ。
 面白ェ事は山分けに。

 …そう思って、俺ァあいつを呼んでみたンだけどな。
 予想外ってのもなかなか悪くねェ。



 巨大な温泉宿。
 簡単に言うなら今天波慎霰が居る『その施設』はそう言える場所、になる。が、温泉宿は温泉宿でも今時の――とは到底言えない場所。時代錯誤と言うか、古臭いと言うか。昔ながらのと言うか、懐古と郷愁を誘うと言うか。『人間』だったらそんな言い方をするだろう。そんな、人間の世界の現在日本からはかなり遅れた価値観の宿。…まぁ、慎霰のような天狗の身ならそんな価値観は残っていて――と言うより『あって』当然、無くなってしまう方が居心地が悪いとも言うのだが。
 だから、宿の施設も――そして宿を取り巻く環境も慎霰にしてみれば心地好い。自然が豊かだと言えばその通りだが、勿論それだけでも無い。…そこかしこに雪の積もる薄暗い森の中、繁茂する緑の量に比例するように濃密でしっとりした空気が辺りを包んでいる。靄も混じり、何処か不思議な雰囲気を醸すそれ。…まるで妖魅の纏う瘴気と同じ――とは言っても、この場合は然程悪影響を与えて来そうなものではなく。現世と異界の狭間の森、だからこそ何処からともなく湧き、漂っているような――何とも言えないまろやかな空間を演出しているような、そんな場所になる。
 そもそも、ここでの慎霰が翼を出して――本性を隠さないままで平気で寛いでいる通り、その温泉宿に訪れる者も人間とは限らない。慎霰は現世の人間に混じって活動する事もそれなりに多い立場の天狗だが、この場所はその逆――むしろ人間が来る方が、やや特別、のような場所でもある。
 …何故ならこの巨大な温泉宿は――場所が特殊である事に加え、経営陣が妖怪、だったりする。
 まぁ、妖怪でもなければこんな条件の場所で宿を切り盛りするのは難しいだろうと言う当たり前の話もあるが。
 …だが。
 先程から『人間』の視点を引き合いに出していた通り、ここは人間が訪れない訳でも無かったりする。…ここは人間も妖怪も、普通に正体を隠さず両方が訪れ日頃の疲れを癒して行く場所。そんな温泉宿であるが故か、妖怪の経営とは言え然程閉鎖的ではない。…少なくとも、天狗の隠れ里よりは、ゆるい。
 …まぁ、人間の方もある程度『ゆるい』奴らしかそもそもここに訪れられはしないのだが。
 即ち、妖怪の存在を知っている上に、ある程度好意的な――許容しているような立場の奴らでなければ、そもそもここの存在すら知る事も無いだろう。そして存在を知っている者は――何と言うか、ここは。

 ――――――思い切り羽を伸ばせる場所。

 そんな暗黙の了解もある。
 勿論、その了解の通りにゆったりたっぷりのんびりと寛いで行って貰えるのは温泉宿側でも別に構わないと言うより大歓迎なのだが――それは店や他のお客に迷惑を掛けない限りは、と(これまた当たり前の)注釈が付く。…折角の温泉宿逗留、ある程度なら羽目を外して貰って構わないし充分に想定内。けれどこんな温泉宿を知っており、折々に好んで訪れるような者ならば…現世では結構おカタい立場にあったりする場合も結構多い訳で――そんな方々が一旦羽目を外すとなると普段の反動かそれこそ行き過ぎてしまい、イロイロ歯止めが掛からなくなるような場合も結構ある。

 昨晩、天狗である天波慎霰が偶然力を貸したのも、そんな行き過ぎてしまった陰陽師御一行様の御乱行を見兼ねて、の事になる。…元々、慎霰は基本的に人間を信用していない。だからこそ――この手の場所に来る機会には人間どもが妖怪に悪さを企もうとした時の布石としての弱みになりそうな情報収集や工作活動に余念が無かったりもする。…「××山の偉い坊さんが、若い頃に懇意にしていたのは狐芸者の××ちゃん」だとか、クソ生意気な××神宮の陰陽師衆が来てるのを見付けたから酔った勢いで醜態を演じて貰って、様子をこっそり動画で撮って保管しておくとか。…まぁ、場所柄色々と何かしらネタは出て来る。
 御乱行をなさっていた陰陽師御一行様を懲らしめたのはそんな中の一幕。まぁ元々人妖間のトラブル調停には慣れている訳で、慎霰にしてみれば然程特別な事をしたつもりは無い。今回の件ではむしろ自分の方が(阿呆な人間をからかって)楽しませて貰ったようなところもある。
 が、慎霰の方ではそんなつもりでも、温泉宿側では当然慎霰に大感謝。
 慎霰は本来今日辺りここを発とうかと考えていたところだったのだが、お礼に是非、と引き留められ――じゃあ、ともう暫く滞在する事に決めている。
 そして。
 お礼、と言われて思い付いた事があったので、ついでとばかりにそれも店側に言ってみる。

 それが。
 最近、少々気になっている「とある友人」のここへの招待。
「そいつ」は元々暗い奴で、こういう場面で遊んでやればちったァ変わるんじゃねぇか、と思った訳で。

 これも、店側からは当然のように快諾された。



 手酌、などと野暮な事は言わない。
 と言うか、宿の方でさせない、と言った方が正しいか。…慎霰はむしろ手酌で独りで呑む事もあるし。ただ、今日狐の芸者たちがチャンチキやってくれている賑やかなこの空気の中で手酌と言うのは…まぁ、野暮だろう。
 慎霰の傍らに付いた婀娜っぽい一人は艶やかに笑い、慎霰が持つその手の酒杯にお銚子を傾けている。
「ささ、旦那、一献」
「おう…っととッ、零れちまうッてッ」
「零す前にちゃーんと呑んどくれよ。ねぇ? …フフ。ホント、昨晩はよくやってくれたよ〜」
「あン? 俺ァ何もしてねェよ? 奴らは勝手に酒に呑まれただけだぜ?」
「やだよォ、しらばっくれちゃってェ〜」
 ばん、と嬉しそうに慎霰の腕を叩き、傍らの芸者はカラカラと笑う。
 慎霰は顔を赤らめつつも――表情の方は澄ました顔でそれに応えつつ、なみなみと注がれた酒杯を傾ける。…顔が赤いのは酒のせいか、はたまた芸者と言う女の匂いをぷんぷん振り撒いている女性に酌をして貰っていると言う状況のせいか。
 …と、そんな遣り取りを重ねていたタイミング。何やら慎霰たちの居るその部屋に、ずんずんと豪快な足音が少しずつ近付いて来る気がした。…部屋の外、廊下の方。近くにご機嫌な酔客でもいるのか。またタチの悪い人間だったら――例えば昨日チェックしておいた××山の偉い坊さんだとかクソ生意気なXX神宮の陰陽師衆だとかだったら――ちょいとからかってやっても良いが。思いながらもはて何事かと慎霰はそちらを見るが、見ているそこで、ばん、と当のこの部屋の襖が開かれた。

 そして。
 襖が開かれたそこに立っていたのは。

 ………………二本の鬼の角を額に生やし、粋な着物姿で不敵に笑っている――慎霰の待ち人の姿。

 その姿を見て慎霰が俄かに止まっている間に、その待ち人――和田京太郎は、よぉ、と軽く声まで掛けて来た。
 意外過ぎて慎霰は俄かに途惑う。
 青い目に強い光を宿らせてそこに立つ、揚々とした京太郎のその態度が。
 …あんまりこれまでと違うので、人違いッつか誰かの幻術とかじャねェよな、とまで俄かに考えもする。が、今現れたコイツは間違いなく和田京太郎だ。慎霰が呼んだ当の相手。自身の持つ鬼神の性にくよくよ悩んで暗くなっちまってる事が多い奴。
 その筈なのだが。
 目の前に現れたこの『鬼』には、そんな様子は微塵も無い。
 むしろ逆。
 ほろ酔い加減でもあるかのように陽気で、悩むどころか自信たっぷり――に見える。
 俄かに呆けたようになっている慎霰を見て、当の京太郎の方は面白くて堪らなさそうにニヤニヤ。堂々と部屋に足を踏み入れ、慎霰の近くにまでずんずんと歩み寄る。
 それから、酒杯を片手に座している慎霰に、ずいと屈むようにして顔を近付けた。
「おいおいどうしたよ。俺の顔に何か付いてるか?」
「…。…どうしたはこっちの科白だッつうの。京太郎、おまえ…」
 角が。
「? ああ、こーゆー場所じゃこの方が向きだろ?」
 現世と異界の狭間にある温泉旅館、なんて言えばな。
「いやまァ…そりャそうだろゥが」
 でも。
 おまえは。
 …長い間その角を、嫌がってはいなかったか。
 わざわざ人間である事に拘って。くよくよ悩んで。
 角を持つその本性を、極力隠して――無視したがっていた。
 と、そう慎霰が指摘する前に、当の京太郎が――顔を近付けたその位置のまま、茶目っ気たっぷりに唇に人差し指を当てて見せている。
「慎霰。野暮な事ァ言いっこなしだ。それよりお誘いありがとよ。…折角だからな。こー来たなら思いっきり遊んでってやろうと気合い入れて来てみたんだぜ?」
 軽やかな舌滑りでそこまで言うと、京太郎はにやり。
 その笑い顔は―-そして態度も、話し振りも。確りとその粋な格好に似合う。
 意外なくらいに。
 …そして同時に。
 慎霰にしてみれば、京太郎のそんな姿は――驚くと同時に、喜ばしくもある。
「ま、確かに気合いの入った格好ッつえばそうかもな」
 その着物。
「ああ、この着物はなー…。似合うだろ?」
 にかり。
「ああ、似合うな。何処の太鼓持ちかと思ったぜ?」
「っと。天狗の妖術は無しだぜ? 折角の着物が台無しになってもつまんねーからな」
「ちぇッ。先回りされちゃーその予想通りの事なんざ出来やしねェじゃねェか」
 天狗の妖術でその着物をいじッて本当におどけた太鼓持ちの衣装にするとか。
「やっぱりする気だったんじゃねーか」
「そりャな。もしおまえが昨日到着してたなら一緒に『遊んで』やろうと思ってたしなァ」
 昨日の陰陽師連中と。
「ん? 昨日何かあったのか? …どういうこったい姐さん?」
「え? ああ、昨日慎霰の旦那がね」
 ちょいと乱暴が過ぎた陰陽師御一行様を『丁重に』もてなしてくれたのさ。
「ふぅん。…『丁重に』、ね。慎霰の『丁重に』っつーと、やっぱ裸踊りとかそんなところか」
「なんだ、やっぱり一緒に踊りたかッたのかよ?」
「そーだなー。踊るのは別に悪かないが、踊らすにしても粋な踊りで頼むぜ? …折角こんな綺麗な姐さんたちの前なんだからよ?」
 と、京太郎は芸者衆に一通り流し目を送ってから慎霰に視線を戻し、そこでまた、にかり。
 …慎霰のからかいに、すぐさま軽口で返して来る京太郎。芸者衆にも軽やかに声を掛け、むしろ慎霰より場慣れた様子にさえ見える。
 それだけでも、慎霰としては内心驚いている。先程の呆けた姿以上は、もうおくびにも出す気はないが。こういう時、慎霰の知る今までの京太郎なら口籠って赤くなり慎霰の軽口を必死に否定して来るようなところ。つまりはからかい甲斐のある素直な反応をして来る奴だったって事だが――今の京太郎なら、逆に、一緒に『からかう』側にもなれそうに思える。
 …随分な変わりようでもある。
 悪い変わり方では無い以上はいいのだが、何か、きっかけでもあったのか。そんな疑問も浮かぶ。…京太郎の様子。先程流し目を送っていたかと思うと、気が付けば今度はナンパでもしているような軽やかな舌滑りで狐芸者を口説き始めている――風呂に来いって? おいおい。そりゃねェだろ。
「…コラ、京太郎」
「ん? 綺麗どころに背中流して貰いたいって思うなァ男としちゃトーゼンじゃねぇの?」
「あのなあ。ンな真似したら昨晩の連中と変わんねェッつの。俺ァそんな妙な弱みになりそうな事ァやる気ァ無ェぞ?」
「とか何とか言っちゃって、恥ずかしいだけだろ慎霰」
 にかり。
 またも笑って指摘した途端に、うるせェよッ! と慎霰は一喝。けれど今の京太郎には効いた様子が無い。ニヤニヤしたまま、とにかく折角来たんだから風呂には入りてーよなー、と平気で続けて来る。
 と、芸者衆の方から――自分たちが行くかどうかについてはさて置いて、現在景色の良い露天風呂が慎霰たちの貸切にしてある事が伝えられた。それを聞き、じゃあ行こーぜと促す京太郎。…狐の芸者衆も心得ているようで、お礼をしたい当の慎霰が本気で困ってる様子だと見たらさりげなく京太郎の口説きを辞退もしている様子。それで慎霰も気を取り直し、京太郎の言うようにそろそろ風呂に行こうかと言う気にもなる。

 そしてひとまず、貸切にして貰った露天風呂で――雪見酒とでも洒落込もうか、と思い付く。



 ちゃぷり、と湯が撥ねる音。飲み干した後の空のお猪口を持ったまま、慎霰に見せ付けるように挙げられた京太郎の手首。そこには――珠が五つ嵌ったブレスレットを着けたまま。風呂の中だと言うのに外していない。
 それは、着けたままでいる必要があるから。
 ブレスレットに嵌った珠は、封魔の珠。
「…へぇ、その腕輪で封印してンのか」
 おまえン中の鬼の力を。
「まぁな。これで鬼の力が上手い事制御出来るようになったんだ」
 この腕輪のおかげで、鬼化しても俺のままで居られる。
「なんだ、その格好で来たのは芸者ども引っ掛けようッてハラじゃねェの?」
「んー、まぁ。それもあるかもしんねーな。折角慎霰に温泉宿に呼ばれたんだもんよ」
 芸者遊びなんてこーいう場ならではの醍醐味じゃん。
 それより、慎霰こそ相変わらずだよなー。
「何がだよ」
「女の子に近寄られると耳まで真っ赤になっちまうってのがさ」
「ッ…何言ッてんだ、おまえの態度がナンパなだけだッつゥの!」
「くくく。自覚あるんだろ。図星じゃなきゃ今ので怒んねーよ」
「ッ、京太郎の癖に生意気だぞ!」
「言ってくれるじゃん。ま、今後はこれまでみたいに俺がイロイロされっぱなしなだけだと思うなよ?」
 そうにやりと返したところで、慎霰の手にあったお猪口が京太郎に飛んでくる――が、すこんっと当たる事は無く、京太郎は軽く躱してそのお猪口をキャッチ。怖い怖いとおどけたように言いつつ、京太郎は湯に浮く盆の上にお猪口を戻した。…慎霰の分だけではなく自分のも。そして――ざばりと湯から上がる。湯に浮く盆ごと上に置かれているお銚子が引っ繰り返りそうになるが、慎霰がそちらを慌てて押さえる。
「ッとと…京太郎はもう上がンのか?」
「やー、そうだなぁ、そろそろ酒が回って来ちまった」
「…あァ? 何処がだ?」
 気のせいか、京太郎の科白が空々しい。…そして湯を出てふらふらとよろめき歩く姿も何処かわざとらしい。『仕事』でタチの悪い人間を騙してからかう事が多い慎霰だからこそ、すぐに気付いた違和感。
 と、思ったところで。

 がらごろと俄かに空がかき曇る。
 その雲の中、ところどころに見える白い光――と、言う事は。

 ………………鬼神格の京太郎は、天候を操る事が出来る。

 例えば雷雲を呼んで雷を落とすくらい朝飯前だろう。
 例えばそれを無防備な露天風呂に落としたら?
 …お手軽な電気風呂の出来上がりだ(※よい鬼神は絶対に真似をしないで下さい)

「ッと待てェッ!?」
 気付いた途端、ざばりと慎霰も湯から立ち上がる。湯から上がって、もう結構離れた位置にまで移動している京太郎。それまでわざとらしい千鳥足のまま知らん顔で背を向けていたが――慎霰の様子に、バレたか、とばかりに振り返る。…やはり悪戯に関しては天狗の慎霰に一日の長がある。京太郎の方が甘い。
 が、それでも京太郎は別にうろたえない。
「このくらいさせろよ」
 たまにはさ?
 今までのお返しって事で。

 京太郎の口がしゃあしゃあとそう動く間にもゴロゴロと雷雲の鳴動は強く不穏になる。今にも稲妻が落ちて来そうなところ。慎霰が露天風呂の湯船にしてある岩から急いで洗い場に上がる。京太郎てめッ、と、京太郎を追い、駆け出そうとする。京太郎もそれまでの千鳥足は何処へやら、へへっ、と悪戯っぽく笑いながら全く普通に駆ける形で慎霰から逃げている。

 そして。
 がらぴしゃーんと雷が落ちた。
 が。

「――やりやがッたな京太郎ッ!」
「――っははっ! 慎霰はこのくらいいつもやってたじゃねーか!」

 すぐさまこんな遣り取りが聞こえたかと思うと遠ざかる。どうやらあのまま――勿論簡単に浴衣を引っ掛けたりと身支度は整えてだが――露天風呂の外へと追走劇に入ったらしい。…宿への迷惑度を考えると、ひょっとすると慎霰が昨晩『丁重に』おもてなしした連中と大差無い感じになってしまったと言えるのかもしれないが、二人とも実際のところ、その辺の事情はあまり気にしていない。追走劇――追いかけっこも本気は本気だが、別に慎霰も本気で京太郎に怒ってはいないし京太郎も本気で慎霰にこれまでの復讐、と恨みつらみを持ってはいない。
 むしろそれらの要素をこうやってバカをやれる種にしているだけ。これまでは京太郎の方がここまで乗れなかった。けれど今は。
 バカをやったその通りに、楽しめる。
 慎霰はその事が単純に、嬉しい。

 …ともあれこの後。
 派手に追走劇を演じる二人を見、その、昨晩『丁重に』おもてなしされて色々懲りた筈の陰陽師御一行様が本気で復讐を考え慎霰にセカンドマッチを挑んできたりするかもしれないが…それはまた別の話である。

【了】