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◆紫陽花祭◇第四話
〜阿倍野・サソウ（あべの・さそう）〜
明るさの残る空を見上げれば、薄紙で張られたような月が昇っていた。
宵待商店街の突き当たり、脇道は細く、知っていなければ通り過ぎてしまうであろう奥に古びた鳥居が見える。
「紫陽花祭へ来られるのは初めてですか？」
店番をしていた八神・心矢は、訪れた客へ提灯を配っていた。
「ここは特に観光する場所もありませんが、組合の協力で、いくつかの祭りを復活させているのです。紫陽花祭もその一つで……」
引換券を受け取った心矢は、ダンボール箱から紫陽花の絵が描かれた提灯を出し、たたまれた蛇腹の中心、小さな電球を点灯させてから、持ち手をこちらへ向けた。
「八伏神社に咲いている紫陽花は、年間を通して枯れることがありません。以前、調べに来ていた植物学者の一説で、閉鎖された土地で長い時間を経て突然変異を起こした株のみ残ったという話です。でも、本当のところは誰にも分からない」
ちりり……と。引き戸の稲穂鈴（いなほりん）が鳴り、振り返れば磨り硝子の向こうに人影がある。
「ごめんなさい。お客さん来てたんだね」
戸口に立っているのは少女で、店内をさっと見渡してから一礼した。
どことなく、心矢と似た面立ちをしている彼女は、視線が合うと微笑んだ。
「もう、そんな時間？」
「組合の人たちが、大提灯の位置はあれでいいのか見て欲しいって」
隔たりの解かれた汀（みぎわ）の一夜が始まろうとしてる。
◇◇◇◇◇
境内で柏葉紫陽花の香りがしている。
阿倍野・サソウ（あべの・さそう）は、手の先で揺れる提灯から一度目を離し、心矢とアコの後ろ姿を目送する。
まだ、灯の入っていない大提灯の前、二人はずっとそうやって過ごしてきたかのように。まるで兄妹のように見えた。
きっと、彼は思い出さないだろうし、彼女も聞かないのだろう。
｢今は、汀（みぎわ）なのでございますよ｣
提灯行列から外れた紫陽花の茂み、覚えのある姿勢と波打つ黒髪が、観世水の着物を縁取っている。
その顔は、広げた扇で隠されていた。
｢お変わりございませんか。サソウ様。人の感じる時の流れでは、久しくお顔を拝見していませんでしたが｣
｢……狢菊、さん……｣
｢再びお目にかかれましたね。心矢様もアコ様も、心の奥ではあなたを覚えておられます｣
狢菊は足を止めたサソウに近づこうとしない。せせらぎの柔和さで、話しかけていた。
｢どうして顔を見せてくれないのですか？｣
｢わたくしは、生きても死んでもいない卑しい身でございます。ゆえに、流れ行く人々を見守るのが役目と心得ております｣
最初、狢菊と会った時、触れた手を強く振り払われた。あれは気高さからだと思っていたが。
｢生きている存在は、実に眩しく。わたくしが近くあって良いことではないのです｣
｢なぜ、そんな寂しいことを言うのでしょう。あなたがそんな言葉を連ねると、僕は苦しいですし、悲しく思いますよ｣
扇のひと折りだけが、乾いた音を立てたたまれた。だが、残りの葛折りで表情は伺い知れない。
｢わたくしの所為で、ご気分を？｣
サソウは彼女が逃げ出してしまわないよう、一歩だけ近づいた。
｢こうして再会できたのです。しばらくの間、お付き合いいただけないですか｣
｢あの、わたくし。人の多い場へ出ることはあまり……｣
｢僕がいますので安心してください｣
蔵の守人はおずおずと扇を下げてから、やっとこちらへ目を向け、『わかりました』の小声で返事をする。
伏せた瞼の隙間から緊張を含んだ金の瞳が覗いて、前より融和を感じた。
◇◇◇
露店が並ぶ一角は、賑わいと熱気でごった返している。
参拝すれば普段以上の御利益がある“縁日”とあって、外からも人が来ているようだ。
綿飴の甘さ、もろこしの焼けるにおい。色とりどりの水風船が浮かんだ水槽、踏みしめる足音。多くのざわめき、笑い声……。
風で踊る頭上の提灯と、集う者が放つ活気が渦を作り、すべてを輝くものへ変換していく。
人が作り出す夜の明るさよ。
狢菊は立ち止まろうとしたが、叶わず押しやられ、思わず目の前の腕へしがみついた。
｢大丈夫ですか？｣
｢慣れていないもので、勝手が分かりません｣
サソウのシャツを掴む指が見て分かるほど震えている。全身も強ばって心底困ったようすなので、これ以上の見物は断念せざるえないだろう。
やや離れた場所だが、三人ほど座れる青竹の椅子が置いてある。
サソウは狢菊を人の川から救出し、ミネラルウォーター入りのボトルを手渡した。
｢ただの水です。飲んで落ち着きましょう｣
狢菊が合成樹脂の容器を不可解そうに見ているだけなので、キャップを開けてから再度持たせる。ようやく理解したのか、口をつけてボトルを傾けるが要領を得ず、唇から零れた水が顎を伝って喉まで濡らした。
慌ててハンカチを取り出したが、彼女はごしごしと自分の着物の袖で拭いてしまう。
差し出した手の持って行き場がない。首を傾げているのが小動物のようで、思わず笑いが込み上げてくる。
｢わたくし、何か……？｣
｢いいえ。何でもありません。ちょっと意外な面を見せていただいたので｣
一息ついたサソウは守人の隣へ腰掛けた。祭りのありさまを注目しつつ、互いの横顔が灯りで照らされて知らない者同士のような。
穏やかな沈黙の前を、薄紫の瑠璃小灰蝶（ルリシジミ）が一匹、過ぎ去っていく。
｢世界は少しだけ形を変えました｣
｢そのようですね｣
｢心矢様とアコ様は親戚が集まる時、いつもご一緒で……。心矢様は一族の年長者へ意見するアコ様を守っておられました。わたくしは、そんなお二人をずっと｣
｢守護して、きたのでしょう？｣
狢菊は一度頷いたが、すぐ、首を横へ振った。
｢実は羨ましく思っていましたの｣
正直な気持ちを吐露する彼女に、二度目の驚きを覚える。
｢“八神”は知識に貪欲な者たちが多くいました。わたくしは長く諫めてまいりましたが、とうとう大きな過ちを……。彼らは一人の血族を濾紙（ろし）に見立て、神の濾過（ろか）を試みました｣
“八伏”という現象は、八神一族が創りだしたセーフティ（安全装置）だったと。あの学者の言葉を思い出す。
｢生まれし神の苦痛たるや。叫喚が暗き水を揺るがし、眠るわたくしの所まで届いていました｣
狢菊は自分の肩を抱いて身震いする。今でも忘れられないのか、両耳を塞ぐような仕草をした。
｢わたくしは、痛みを和らげようと八神へ協力しました。顛末（てんまつ）で、魂の半分を失うことに。この身は別の門を閉じる鎖。完全に死ぬことはありませんでしたが、身動き出来なくなり……。八神は、飼い慣らした獣の魂を補填したのです｣
彼女が自分を“卑しい”と言うのは、そういった理由があったのか。
だが、その自己犠牲さえ“八神”は実験に使っていた。
｢どうして。今、僕に？｣
｢わたくしが人間であったことを、あなたに知っていて欲しかった｣
寄る辺のないやるせなさを持つ者が、果たして獣だと言えるのか。
命の自由もなく存在し続けるのが、どういうことなのか想像さえできない。
だとしても、
｢僕はあなたを大切にしたいと思っている。けれど、それと同じぐらい傷つけてしまいそうです｣
｢大切に、しなくてもいいですよ｣
かき分けるようにして、拍手と歓声がわき上がる。
心矢とアコが用意していた大提灯が、離れていても明るく点っていた。
しかし、もう、相手の声しか聞こえていない。
＝了＝
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■登場人物■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
◆PC
8473 阿倍野・サソウ（あべの・さそう） 男性 29 調香師（パフューマー）
☆NPC
NPC5267 狢菊（むじなぎく） 女性 647 妖人
NPC5253 八神・心也（やがみ・しんや） 男性 20 大学生
NPC5362 アコ（あこ） 女性 12 中学生
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■ライター通信■
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阿倍野・サソウ様
お待たせいたしました。ライターの小鳩です。
まずは、NPC狢菊をパートナーとしての完結、心より御礼申し上げます！
◆紫陽花祭◇第四話へご参加いただき誠にありがとうございます。
今回は、『おまかせ』とのことで、狢菊とのセッション中心となりました。
狢菊も本編で行動を共にしたサソウ様になら自分の過去を告白できるだろう
と思い、物語を織り上げてみました。
また、深読みすれば色々な解釈ができると思います。
少しでも気に入っていただければ嬉しいです。
では、ふたたびご縁が結ばれ、お会いできことを願いつつ。
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