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名前の読めないテーラー
ポケットに手を入れた時、指先へ当たったのは一通の封筒。分室の研究員からはずみで貰った気もする。が、興味のないものに記憶力は働かない。顔も忘れてしまっている。
小さく書かれた住所は裏町通りで、一風変わった“テーラー(仕立屋)”が存在しているらしい。
通常、テーラーとは紳士服専門。だが、ここでは下着と靴以外ならば、どんな服でもオーダーできるという。
「なぜ、いまさら! すでに店主は私だと決まったことではないか」
「そうですね。でも、仮の店主と呼ばれてはベルベットも気分が悪いでしょう?」
「……なん、だと?」
「競い合いも一興ではないですか。ボクはいつ始めていただいても結構ですよ」
男女の剣呑な声がドア越しで聞こえてくる。
どうやら、表に上がっている“名前の読めない看板”のことで悶着が起こっているようだ。
「入っていいものかね。ま、遠慮することはないだろうが」
奈義・紘一郎(なぎ・こういちろう)は、磨かれたドアノブを回して店内へ滑り込んだ。
今日は完全な自由の身である。これも無理やり取らされた休暇のようなもので、自分がどれだけ長期に渡り籠もっていたかを知らされる。
滅多にない機会、遠方まで足を運んでみようと町まで移動した。オフの時間を有意義に使う方法などほぼ夢想で、探り当てた『紹介状』を手に店まで辿り着いていた。
店内は外気の温度より低く感じる。一瞬だけ切るような寒気が通り過ぎ、今は適温だ。
「ようこそ。今日はお仕立てですか? 繕いですか?」
先刻、言い争っていた空気など微塵もなく、清潔感のあるシャツとズボンを着た銀縁眼鏡の女が出迎えた。
まず、目を引いたのはその髪の長さ。後頭部からきちんと編まれた三つ編みが膝裏まで届いている。解けば床を這うほどの丈に違いない。
「何やら緊張感が高まっているようだな。邪魔してよかったのか」
「……こちらの事情だ。気にしないでくれ」
黒髪の女は二回瞬きしてから唇の端を歪めた。胸の真ん中を通過する青み帯びたネクタイで銀色の蝶が留まっている。
「いえ、むしろ良い機会です」
遮り入ってきた金髪の青年のネクタイでは、金の葡萄を象ったタイピンが光っていた。
「お客様。ボクたち二人はテーラー、この店の職人です。望まれる服を仕立てるのが鋏みと針を持つ者の使命。ですが、看板へ名前が刻まれておりません」
「看板ね。何処にも名前がなかったな。ここを知っている者は少ないんじゃないか」
青年は良くできた愛想笑いを絶やさず、硬質な翠の両目で紘一郎を凝視した。
「このたび、店の看板を賭けて姉のベルベットと競う運びとなりました。よろしければご協力いただけないでしょうか?」
彼の言葉の直後、忿怒(ふんぬ)した“姉”が革靴で床を激しく踏み鳴らした。
「サテンシルク! 余計なことをしゃべるな!」
「ですが姉上様。埒(らち)が明かぬとは、正にこのこと。いいかげん覚悟を決められては?」
ベルベットが待ち針へ手を伸ばしかけた時、紘一郎はつかみ所のない口調で話し始めた。
「なるほど。そういうことなら……『白衣』をオーダーしたい。魔術や錬金術にも触れる機会が多い立場なんだ。ちょっとした防護魔術がかかっていても、すぐ『よれよれ』になってしまうのでね。耐久性のある白衣が欲しいと思っていたところさ」
三つ編みの女は深呼吸ひとつで怒りを鎮め、黒水晶の眼差しを持って来客と向かい合う。その間、協力を求めたはずの弟は素知らぬ顔だ。
「ならば、二人の職人どちらかを選んでもらうことになるが。私はベルベット。こちらは弟のサテンシルクだ」
「……では、ベルベット。おまえに頼むとしよう」
依頼を受けたテーラーは右足を引いて一礼する。女性がするカーテシーではなく男性の作法だった。
「魔術や錬金術への耐久性が必要とか。他に希望があれば聞こう」
「どれだけ高等な魔術が織り込まれていても、やはり、日々の手入れや扱いが簡単なのが理想だ。俺自身、知識があるだけで魔術を使える訳ではないからな」
「なかなか面白いことをしている。“業(ごう)”も深そうだが」
ベルベットが先を促し軽く首を傾ける。そうしていると鳥の化身であるかの雰囲気だ。
「ある種の力を持った素材を扱う場合、色々と注意が必要でね。そこのところを考慮してもらえるとありがたい」
恐らく、この“姉弟”は職人になるため徹底的な教育を施されている。佳麗で所作も優雅な上、よく訓練された軍人のごとく隙がない。
「採寸の権利は私が得た」
「分かっていますとも」
企みの無い表情でサテンシルクは胸に手を当て頷いた。
振り返った彼女は猛禽類の微笑を浮かべ、肩から下がるメジャーを白い指で引いた。シャツの上を滑り落ちる目盛りが湿った音を立て、左手で受け止められる。
「さて、今からおまえの過去と現在をなぞろうか。まずは名前を頂戴する」
「奈義・紘一郎だ」
魔術において、相手から名乗らせる事は重要なはずだ。
目の前を横一文字で紫電が閃いた気がした。それだけだ。何か起こった訳ではない。
「それから、既製品の上着を脱いでもらおう。採寸の邪魔になる」
空いた方の手のひらと先、刺さりそうなほど整った親指以外の四指が、行儀良くそろえられ招く仕草をした。
「シャツはこのままでいいのか?」
「アンダーに近い方が理想だが、まあ、そこは考慮しよう。幾つかボタンを外すのみで結構」
「ひんむかれずに済みそうだな」
紘一郎が上着を渡すと、ベルベットはハンガーを使って壁のフックへ吊した。
「始めるぞ」
ひゅる、と、自らの意志を持つかのごとくメジャーが首へ巻き付いた。隙間なく沿っているが苦しくはない。
首回を測り終えると対象者の背後までまわり、『失礼する』の声かけの後、片肘下から撫でるように斜めの形で伸ばし、軽く手首を支えて体から腕を離す。
「これが四十五度。しばらく、このまま保ってもらおう」
後はダンス講師のような軽やかさで、裄丈、袖丈、胸囲、大腕囲、腹囲、尻囲の採寸が終了した。腕を戻した紘一郎は動きの制限から解放される。
「仮縫いをする。それまで茶でも飲んでいてくれ」
車輪の音と共に、サテンシルクが象嵌細工(ぞうがんざいく)のティーワゴンで紅茶と珈琲、日本茶を運んできた。
黒い天鵞絨張りのウィングチェアをすすめられて腰かければ、水鳥の背中の感触である。
置かれたカップを適当にワゴンから取ると、中身は珈琲だったのでそのまま口にした。
「えらくもてなしてくれるんだな」
「あなたは父の“紹介状”をお持ちですから」
この封筒が姉弟の父であり“師”の書いたものであったのは、偶然、だと思うのだが。
「職人の紹介状は数が少のうございます。なにせ、ボクたちのような存在は人数が定めれていますので」
「確かに。ある種の武器職人のようなものだ。命を狙われることもあるだろう」
「……あなたは“天蓋の棺(テンガイノヒツギ)”を、ご存じなのでしょうか?」
単なる反射と同じ受け答えだったが、どうやら彼らの“秘密”をかすめたようだ。
「囀(さえず)るな! 気が散る」
会話を裂きながらベルベットの声が轟く。
彼女が待ち針で壁一面に収納された布を指し示すと、あらゆる白い布が波となって空(くう)を泳ぐ。しばし、中心でいた職人の姿が見えなくなり、織物は繊維を裁たれて、身を揉みながら壁へ戻っていった。
白は採寸の軌跡で次々切断され、人体の型紙と仮縫い糸の拘束が立体化を進める。最後の留めを終え、トルソーへ着せられた『白衣』はすでに完成しているとしか思えない。
「袖を通してみてくれ。手直ししよう」
羽織った軽さは羽毛のようだ。脇や腕回の窮屈さ、布の余りなどまったく感じない。自分の皮膚で作ったかの装着感である。腕の曲げ伸ばしで出来た皺は、光沢を帯びてすぐ元の形へ戻った。
襟の開きと角度が紘一郎のがっしりとした体格をさりげなく際立たせ、どこか威厳さえにおわせている。
「着心地はいいが、補正して欲しい箇所がある」
「なんなりと」
「両ポケットの位置を2o下げてくれ。それで手の出し入れがしやすくなる」
長身な客人を見上げながら、ベルベットは承諾の返事をした。
◇◇◇
彼女が本縫いのため用意したのは手回しのアンティークミシンで、艶黒の本体へ花と群れ飛ぶ蝶のデカール(絵柄)が金で描かれている。
「全部手縫いかと思っていたが、ミシンも使っているのか」
「私の針で仕上げると、作品が生き物(サーヴィター)になる可能性が高い。自分勝手にはしゃぐ服を着てみたいのならば、そうしようか?」
「いや、遠慮しておこう。研究室では静かに集中したい」
「実に良い選択だ」
ピンクッションから選ばれた一本の針で“舞踏”が命じられる。ミシンは心地良いリズムを刻みながら独りで動き始め、ベルベットが紅茶を飲み終える頃、すっかり仕上げていた。
白い箱へ詰められた『白衣』を紘一郎が受け取ると、黒髪のテーラーは初めて表情を明るくした。勝利の喜びで、雀躍(じゃくやく)しそうなところを押さえながら隣の弟を一瞥する。
「手入れは簡単だ。普通に洗濯できる。皺もつかない」
「助かる。水洗いで効果が薄れてしまっては困るからな」
「これは、おまえが“深淵”を覗くための白衣。たとえ周りすべての命尽きようとも、おまえだけを守る。他人への譲渡はタブーだ」
「ほう。他へ渡すとどうなるんだ」
「その時、周りではなくおまえが消えるだけ」
茨を巻いた出口のない塔へまんまと男を閉じこめたかの、透明な声が鼓膜と脳髄を揺るがした。
入ってきたドアの前、職人姉弟は並んで紘一郎を送り出す。
「またのお越しをお待ちしております」
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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
◆PC
8409 奈義・紘一郎(なぎ・こういちろう) 42 研究員
☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)
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■ライター通信■
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お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。
奈義・紘一郎 様。
はじめまして。
会話中心で進めましたが、少しでも知的な奈義様の魅力を表現できていたでしょうか?
ベルベットを応援。とのことで、『白衣』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、まずは奈義様からの指名で、姉ベルベットが一勝しました。
生意気なテーラーたちですが、紳士淑女の来店はいつでも歓迎です。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。
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