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<東京怪談ノベル(シングル)>


 Assassin mission 3

「まだ、闘えるだろ――構えろ」
 空虚の目――とでも言うのだろうか。
 水嶋・琴美は感情も何も消え去った目で、ただ目の前の相手が言う通り、その場に立っていた。
 握り締めた拳には力が入らず、立ち上がった足は僅かに震えを帯びている。口端からは紅い血が滴り、彼女の整った顎を、そして喉を濡らしていた。
「……、…っ……」
 言葉は出てこない。
 そもそも立っている事自体が不思議なのだ。

――始まりは、何だっただろう。

 ポツリ。そう思考が動いた。
 確か、目の前の相手――鬼鮫(おにざめ)を暗殺する事。その為に目的施設に侵入し、目標を襲撃した。

――では、その後は……?

 そこまで考えた所で、声が聞こえた。
「お前は弱い。だが、強くもある」
 感情の伺えない、音としてだけの声。
 この声に、琴美の瞳に僅かだが光が宿る。朦朧とした視界に、徐々に濃くなる人の影。
 初めに暗殺対象として発見した時と何も変わらない相手。巨大な体躯は崩そうとしても崩れず、動きには微塵の無駄もない。
 服には汚れ1つつかず、ボロボロになった自分とはあまりに対照的な相手に、彼女の焦点が合わさっては離れて行く。
「闘え」
 ピクッ。
 琴美の目が上がった。
 虚無で何も映さなかった瞳が、徐々に辺りの景色を映してゆく。
 無機質な四角い空間は、無事侵入を果たした敵組織の真っ只中。そしてそこに立つ男は、全身の筋肉を隆起させ佇む男が居る。
 表情もなく、ただそこに在るだけの男。
「――……私は……」

――これ以上の被害を出さない為に来た。

 彼女の拳が揺れた。
 ここを訪れた目的が頭を過り、次の瞬間、頭の中で何かが弾けた。
「あぁぁぁぁああ!!!!」
 飛び出した足が、全力で無機質な廊下を駆け抜ける。
 2本の足で足りなければ、手を足して4本に。とにかく、鬼鮫に――敵に近付かなければ。
「死ねぇぇぇぇぇ!」
 文字通り飛び込んだ間合い。
 目に入った喉に喰らい付かんばかりの勢いで足を振り上げる。勿論、ただ足を上げるだけではない。
 両腕をバネにして最大限に力を乗せる。
 こうでもしなければ『コイツ』は倒せない。そうしなければ『コイツ』には勝てない。
 だから、今琴美が得た間合いは完璧だった。勢いも申し分なかった。威力だってある筈だった。
 だが――
「何だ、それは」
「!」
 息を呑んだ琴美の視界が一回転した。
 スローモーションで映る景色の、なんと滑稽ない事か。無表情で見下ろす冷たい目も、徐々に遠ざかる天井も、床に叩き付けられた瞬間に上がった赤い飛沫も、全てが悲しく、悔しかった。
「……――ッ、ハッ!」
 溢れる涙は無意識で、先程立ち上がった自分を恨みさえする。
 元々、琴美は自分の戦闘能力には絶対の自信を持っていた。
 その自信は決して過信ではない。彼女の今までの経験と実力が与えた『本当の意味での自信』だった。
 しかし世の中には上が居る。それも、極上の……。
「噂は所詮噂、だな」
 つまらん。
 そう鼻で笑う声がした。
「……化け、もの……」
 途切れ途切れの声。
 自分の声ではないと思う程に擦れ、余裕がない。
 琴美は思わず笑って壁を背に這いあがった。
 立ち上がる謂れなど無い筈。それでもこの悔しさはこのまま寝る事を許してくれない。
 なら、立つしかないのだ。
「………何本、いった…かな……」
 そっと豊満な胸を撫で、息を吐く。
 荒く息をする度に上下する胸。その下の骨はきっと何本も折れている。勿論、そこだけではなく、他の骨も――
「あと……1回……」
 絶望は散々味わった。
 視界に色など無く、あるとすれば赤のみ。
 多分、この景色が変わる事は無いだろう。それ以上に、この景色以外を見れる時は来ないだろう。
「来い」
 静かな声。
 これに最後の力を振り絞った、琴美の足が駆け出す。
 瞬間的に地を蹴った足は速く、何処にそんな与力を残していたのかと思う程。
 先と同じように手も足して加速した足が、トンッと敵の間合いを踏んだ。
「今度こそ、死ねっっっ!!!!」
 足技は通用しなかった。
 ならば今度は腕を屈指する。踏み込みの力を借りて突き出した拳。勿論、これは鬼鮫に避けられる。
 だがそんなのは予測の範囲内。琴美は避けられた拳をそのままに、膝を振り上げて敵の胴を蹴り上げる。
 だが、これも避けられた。
「なら、コレは――」
 舞踏の様に次々と繰り広げられる攻撃。
 鬼鮫はそれら全てを避け、琴美の姿を冷静に観察する。
 そして、彼女が何度目かの足技を繰り出した時、それは起きた。

――ゴキッ。

 何かが折れる音が響いたのだ。
 次いで地面に転がった体――それは琴美の物。
 足をオカシな方向に曲げ、物の様に転がった彼女を鬼鮫の冷めた目が見据える。
「無傷、無敗の女……もう、終わりか?」
 言葉の切れ間に叩き込まれた一撃。
 単純に腹を蹴り上げるだけの動きも避けれない。まるで人形のように転がった彼女に、ゆっくり足音が響く。
「終わりか?」
 再び声が響き、いま一度体が地を転がる。
 何度、何回も、同じ動作が繰り返され、彼女が起きない。そう判断した時、敵は次の行動に出た。
「無様だ」
 彼はあろうことか、琴美の頭を掴んだ。
 そして立てと言わんばかりに彼女を引き起こす。そうして自分の視線の高さまで彼女の顔を上げると、真っ赤に腫れ上がったその顔を見詰めた。
「………、…ぃ……」
「何?」
「……た、ぃ……死に、たぃ……」
 微かな、吐息のような声だった。
 だが鬼鮫には聞こえた。
「――闘え」
「ァ、っが!」
 腹に激痛が走り、目から涙が迸る。
 辛うじて開いた瞳が、腹を抉る鬼鮫の拳を見、それを最後の光景に、彼女の思考が切れた。
 だらりと伸ばされた腕、足、体。
 意識を手放し、半開きになった口からは、唾液と共に血が零れ落ちる。
 そうなって、鬼鮫は漸く手を放した。いや、正しくは放り投げた、だ。
「――つまらん」
 言って、足を振り上げる。
 直後、琴美の体が舞い上がると、今度は一気に振り上げた足によって叩き落とされる。
 ゴムの様に跳ね上がった体に、幾度となく拳や足が叩き込まれ、徐々に人としての原型が無くなって行く。
 それでも鬼鮫は攻撃を止めない。
 徐々に口角に滲み出す笑みは、彼がこの行為を楽しんでいる証拠。
 このままでは琴美の息が途絶えてしまう――そう思った時、彼の動きは唐突に止まった。
 何かを思い出したかのように天井を見上げ、歩き出す。その手には琴美の髪が握られ、彼が進む道には、赤い線が描かれてゆく。
 そうして彼の足が、突き当りの無機質な扉を潜り消えると、辺りは一気に静まり返った。
 後に残されたのは人が争った跡と、琴美の血痕だけ。だがこの血痕も時期に消えてしまうだろう。
 何故かって?
 何故ならこの騒動の後、琴美を目にした者はいないからだ。



――END