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<東京怪談ノベル(シングル)>


未来に繋げる物語
「彼女の過去、がんばって調べてきます!」
 海原・みなも (うなばら・みなも)は仁科・雪久へとそう告げ、雪久から教えられた古書店へと向かう。
 その店は――。

 ――古書肆淡雪とはかなり雰囲気が異なる書店だった。
 書棚に本がぎっしりと詰められてはいるものの、古書肆淡雪に比べるとごく普通の古本屋、という感じだ。魔術書のようなものは一切無く、マンガや小説が所狭しと納められている。唯一同じ点があるとしたら、古書ならではの臭いが立ちこめている事だろうか。
 店内に入りどうしたものかと周囲を伺っているとしわがれた声がした。
「お嬢ちゃん、何かお探しかい?」
 そう言い乍らカウンターの奥より顔を出したのは、腰も曲がった老女だった。髪も真っ白、節くれ立った手。顔もしわしわで、顔にはしみのようなモノも浮き出ている。
「あ、あの。あたし、古書肆淡雪の……」
「ああ、仁科の所のバイトの子かい。今日は何の用だいね?」
 あの鼻タレ坊主の事だからまた足元見るような取引かいね? と老人はにこにこ。
 みなもにしてみれば雪久は年上。にも関わらずそんな彼を鼻タレ坊主呼ばわりするあたり、老人と雪久はかなり付き合いが長いのだろう。
 それに、口は悪そうだが、それなりに雪久を信頼しているであろう事はその表情からも解る。
「あの、こちらに『竜に囚われた姫』の習作と呼ばれる原稿があると伺ったのですが……」
「…………ああ、あの原稿の事かい」
 少し困ったように老女は頷く。
「確かにあるよ。最近見知らぬ男が売りに来た」
「売って貰えませんか!」
 みなもがカウンターに身を乗り出すようにして声を挙げる。
「……お嬢ちゃん、欲しいのは解るけれど、あまりにわかりやすすぎるのもどうかと思うよ」
 彼女の言葉の意味を掴みかねたかみなもはちょっぴり首を傾げた。
「多少は交渉を有利にする為ブラフをかますのも大事、って事さね」
 言われてみなもはあっ、と声をあげ、慌てて口を押さえた。そんな彼女の様子を微笑ましそうに眺めて老女はよっこらせ、と言い乍らカウンターの奥を探る。
 そしてみなもの前に投げ出すように置かれたのは、古い紙の束。
 古紙ならではの臭いが染みつき、更に所どころ虫食いの跡すらある原稿用紙。
「……これが『竜に囚われた姫』の習作……」
 ぽつり、とみなもの口から言葉が漏れる。
「確実、とは言い難いがね。恐らくそうだろう。しかし……」
「しかし?」
 老女が口ごもった事にみなもは原稿から顔をあげ彼女の目を見つめる。
「……おかしいと思わないかの」
「何がですか?」
 みなもは老女の言葉の真意を捉えかね首を傾げる。
「数日前、仁科の坊主とわしがメールを交わした時は、あくまで噂の段階だったんさね。それにも関わらず、この数日の間にわしの前へとこの原稿は持ち込まれた。そしてそれを買い取りたいとお嬢ちゃんがやってきた」
 老女はそこで言葉を句切る。みなもにも彼女の言いたい事は解る。
 タイミングが、あまりにも良すぎるのだ。
「……誰かが何かを仕組んでいるのではないかと思わずに居られんね。それに、仁科の坊主が扱っているのは魔術書や呪書などばかりだ。あの坊主がこの原稿を欲しがる、という事は『これ』もそういった種類のものなんじゃろ?」
 老女のぎょろりとした目がみなもの目をじっと見つめる。みなもが何を考えているのか探るように。
 みなもが見た所では、原稿はごく普通の「紙の束」でしかなさそうではある。
 だがそれでもここに書かれているものは『彼女』の記録。何が潜んで居るか解ったものではない。
「ともかく、この原稿を読むのは仁科の坊主と一緒の時にするんさね。決して一人で読むんじゃあないよ」
 老婆はそう言うと原稿を袋へと詰める。
「あ、あの、お金は……」
 みなもが慌てて老女に問いかけると彼女はにやりと笑ってみせる。
「仁科の坊主からふんだくってやるさ」
 そう言い、老女は呵々と笑った。
 缶の緑茶やちょっとしたお茶菓子まで渡されたみなもは原稿の入った袋も抱えて老女へとぺこり、と頭を下げる。
 そして古書肆淡雪へと一刻を争う勢いでぱたぱたと駆けて帰って行く。そんなみなもを老女は心配そうに見送る。
「……随分と真面目そうな子じゃけれど、大丈夫かいね……」
 ぽそりと呟いた言葉は、誰の耳にも入らなかった。

「ただいま帰りましたっ!」
 ぱたぱたと足音をさせてみなもは古書肆淡雪へと駆け込んだ。
「お帰り、随分早かったね。それで原稿の件はどうだった?」
「原稿、売って貰えました。ただ、仁科さんからふんだくるって言ってましたけど……」
 一瞬ほんの僅かだが雪久の表情が固まった。
「あ、あの婆様……相変わらずだなぁ」
 固まった表情を解した彼は微笑む。
「ともあれ婆様の元にあったなら重畳だね。こないだのメールの様子だと噂は掴んでいるけれど手元には無いみたいだったから」
「でも……ちょっと気になる事があるんです」
 原稿の入った封筒をぎゅっと抱きしめたままみなもは視線を床へと落とした。
「気になる事……?」
「あの古書店のおばあさんも言っていたんですが、いくら何でもタイミングが良すぎる気がするんです。この本がおばあさんの元にやってきたのも、あたしが受け取りにいったのも……」
 みなもは老婆に聞いた話を雪久に語る。次第に雪久の表情も厳しいものへと移り変わる。
「……成る程、確かに注意は必要かも知れないね。とはいえ、手に入れた以上は読まないなんて選択肢は無いんだろう?」
 雪久の問いにみなもはしっかりと頷いて見せる。
「さて、ならば一緒に読み解いていこうか……さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
 習作の内容は、彼女に関する「前史」のようなものだった。
「竜に囚われた姫」に連なる、それまでの物語。
『彼女』が人々にどのように思われていたのか。
 最初は彼女は人々に慕われていた。
 神の使いであるかのように思われ、人々と仲良く暮らしていたのだ。
 だが……その生活はある時を転機に一変する。
 その地をとある強大な他国が併呑した事により『彼女』の存在は次第に疎まれはじめたのだ。
 新たにその地を治める事になった者達は、自分達が統治者である事を示す為にも、力ある存在を疎ましく思ったのだろう。
 住人達の心の支えとなる事が無いように『彼女』を迫害し始めたのだ。
 元々の住人達も『彼女』を支持し続ける事により新たな統治者に目を付けられるよりはと少しでも忘れていこうとしたわけだ。
 しかし、どれだけ忘れていこうとしても『彼女』の存在が消える事は無い。
 次第に『彼女』を擁するというだけで人々も虐げられはじめる。
 そして人々は『彼女』を敵視しはじめる――。
 ――そこまで読んだ所で雪久が顔を上げた。
「……みなもさん、顔色悪いけれど、大丈夫かな」
 みなもの顔色は蒼白。今にも倒れかねないような感じだ。
「少し休もうか」
 雪久が彼女を気遣うも、みなもは原稿をじっと注視したままだ。
「…………これって……いじめと同じじゃないですか……」
 ようやく紡いだ言葉は苦しげなものだ。
「……そうだね」
 雪久も躊躇いつつも意外な程あっさりと答える。嘘を言っても仕方が無い、と踏んだのかも知れない。
「あんなに……あんなに優しいのに、なんで、なんでいじめなんて……!」
 みなもの青の瞳にみるみる涙が溜まる。ぽろぽろとこぼれ落ちた粒が原稿の上へと降り注ぐ。
「みなもさん、落ち着いて」
「それも……そんな勝手な理由で……」
 保身の為に、それまで慕っていたり、仲の良かった相手を切り捨てる。それは彼女自身が受けたいじめの光景と何も変わらない。
 視界が歪み、目からは熱い水滴が落ち続ける。
 何がきっかけで周囲から攻撃をされるか解らない。それも、ちょっと他者と異なっていたり、といった些細な理由だったりするのだ。それに、信じた相手がいつ裏切るとも解らない。
 幼い頃受けたそういった行為は、未だに彼女の心に深い傷を残していた。
「仁科さんも……あたしの事何かおかしいって思いますか? あたしが人間じゃない事、怖いと思いますか?」
 流れ続ける涙を拭いもせず、みなもは雪久を睨む。
 目前の彼はただの人間。ただの中年男性でしかない。
 同時に、彼もみなもをいじめ、そして『彼女』を迫害した者達と同じ「人」でしか無い。
「……思わないよ」
 雪久はきっぱりと、険しい表情で答えた。
 それはみなもが望んでいた答えでもあり、同時に期待していない答えでもあった。
 雪久ならそう告げるだろう、とみなもは解ってもいた。だが、それは本当に心からの答えだろうか?
「それ……本当なんですか?」
 涙を拭い、小さく問いかける。雪久は未だ答えない。
「仁科さんも、あたしや彼女を迫害したりするんじゃないですか?」
 つい口から零れ出てしまった言葉。みなも自身解ってはいる。雪久はそんな事をするわけがないと。自分の言う事は八つ当たりだと解っていても、どうしても押さえ込む事は出来なかった。
 暫く雪久とみなもの間にはどんよりと重い空気が立ちこめる。
(「あたし……こんな事が言いたいんじゃないのに……」)
 後悔も後押しし、涙はどんどん溢れてくる。必至に拭うもそれでも涙はとめどなく流れ続ける。
 しゃくりあげるみなもの背中に、何か温かいモノが触れた。
 雪久の手の感触。
「……君が信じられなくても、それは仕方のない話だよね。人は、自分と異なるモノにはどうしても拒否反応を示してしまう。それは事実だよ」
 雪久が言葉を紡ぐ度にみなもは身を竦める。まるで彼の言葉が鋭い針で、彼女の身を刺しているかのように。
「……でも、君に信じて貰えなくても、私はこれからも君を手伝っていこうと思うよ。人と異なるモノだからわかりあえない、なんて事は決して無い、と証明する為にもね」
 雪久はみなもを落ち着かせようと背中を撫でる。
「それ以上に、私は君を手伝いたい。今まで君はめざましい成長を遂げてきた。だから、これからも君の成長を見守りたいんだ。駄目かな?」
 みなもが顔を上げると、目前にはいつも通りの笑みを浮かべた雪久の顔があった。
 彼の笑顔は、あまりにいつも通りだった。優しくみなもを支えようとする時の、心からの笑顔。
「仁科、さん……」
 声を詰まらせながらみなもは何かを伝えようとする。だがその合間にも涙は零れてきて、嗚咽を漏らすことしか出来なかった。

 溢れる涙が止まるまで、雪久はじっとみなもの背をなで続けた。
「少しは落ち着いたかな?」
 彼の声にみなもがこくりと頷く。目を赤く腫らせた彼女はあまりに痛々しい。
「ごめん、なさい……」
 まだしゃくり上げ気味のみなもに雪久は「気にしなくていいさ」と笑う。
「でも、少しはスッキリしたよね」
 胸のうちのわだかまりは、気づけばどこかに消えていた。
「感情移入してしまうのは、仕方の無い事だよ。君のうちには『彼女』が居るわけだし……さっきからこれを読む為に『彼女』も手伝ってくれてるんだろう?」
 雪久の言葉にみなもはこくりと頷く。
「限りなく『彼女』の追体験に近い事をする事になるわけだし、どうしても深い部分に触れないわけにも行かないからね……でも、これで彼女の事はかなり知れたんじゃないかな」
『彼女』への共感は、みなもに新たな力を呼び起こした。
 白竜へ変化する上での、更なる適化。
 改めてみなもは白竜への変化を願う。全身がふわふわの毛並みに覆われ、かぎ爪も現れる。先日と姿こそ変わらないものの、何かが違う。どこか先日よりもしっくりと、身に馴染むような感覚がある。
(「そうか、これって……」)
 みなもは少しだけ思う。
 辛い思いも共感したからこそ、深く『彼女』を知る事が出来た。
『彼女』の力だけではなく、辛さも、幸せな思い出も、全てを受け継げた、という事なのだろう。
 そして、これからも『彼女』と同じく様々な出来事と相対していかねばならない可能性もある。恐らく、ただ人として生きるよりも多くの苦難が待っているのだろう。
 だが、雪久もみなもを支えてくれると言ってくれた。
 全てを無条件に信じるのはまだどこか怖い、と思う部分もある。
 それでも――。
(「あたしも、それを乗り越えてみせる」)
 心の中、自身を鼓舞する。
 きっと『彼女』はみなもが様々な困難を乗り越える事を願っているはず。
 そしてみなもが幸せに、人々の間で生きる事を望むはずだから。