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<東京怪談ノベル(シングル)>


そして少女は地獄へ至る
―壱―
 その日、とある軍事独裁国家の秘密工廠において、未曽有の大問題が発生していた。
 研究員の怒号が飛び交う中、壁を備え付けられた一際大きなモニターに漆黒の軍服に身を包む老女が映し出される。応答したのは、この部署の責任者である若い男性。冷や汗が滲む額を噴き、顔面蒼白のまま老女へと敬礼した。
『報告しろ。包み隠さず、だ』
「はっ…本日0217、我が軍のデータベースに何者かが侵入。今のところ、データの改竄などの被害は出ておりません。ただ…ログを追ったところ、例の実験記録への不正アクセスの痕跡がありまして…恐らく、狙いはそれだったかと思われます」
『取られたのか』
「…残念ですが、その様です」
 膨大な資金と時間を使い、ようやく形をなした貴重な実験結果の盗難。その事実に老女の顔が醜く歪む。未だ尻尾の掴めぬハッカーへの、そして体たらくな部下への怒りは、とても押し殺せるものではなかった。
『何としてでも侵入者を暴き出せ。貴様たちの処分は、追って伝える』
 覚悟しておけ、と付け加え、通信は切断された。
 絶望に暮れる責任者。彼の額の風通しが良くなるのは、これから3日後のことだった。


―弐―
 時は移ろい、地球脱出教団極東支部の一つ。教団の手により密かに接収・再利用されていた旧海軍のドックにて、『それ』は蠢いていた。 海水ではなく培養液に浸される『それ』は、一見するとあたかも船のようである。しかし、その体にはパイプ代わりの無数の触手が走り、形作るのは鋼鉄の板ではなく絶えず増殖を繰り返す生きた細胞。そして表面には、砲門でありレーダーである無数の眼が絶えず周囲を見渡していた。
「完成度はどうだ…」
 『それ』の製造過程をモニタリングしていた男が、現場監督である部下へと声を掛ける。両者とも、地球脱出教団の敬虔な信者であり、この計画の初期から携わる古参であった。
「船体に関してはほぼ90%といったところです。コレのおかげでかなり作業がはかどりました」
 部下がモニタに映し出したのは、数か月前某国より不正入手した、とある生物兵器の計画書。それを見るたび、男の口元には笑みが浮かぶ。危ない橋を渡った甲斐があったと、自分を誉めてやりたかった。
「あとは生体CPUの核となる人物さえ揃いましたら、この『生ける方舟』は完成となります」
 モニタが再び、『生ける方舟』と呼ばれた培養液中の『それ』へと切り替わる。
 地球脱出教団の悲願成就、そのために建造された新時代のノアの方舟。それが、彼らが目にしている新型生物兵器『生ける方舟』の正体であった。
「それで、適合者の候補ですが…」
「安心しろ。既に手は打っている」
 部下の言葉を遮った男の瞳が怪しく輝く。狂気に彩られた双眸は、『生ける方舟』を見つめ続けていた。

―参―
 人気の絶えた夜間の通学路。家路へと急ぐ制服姿の一人の女生徒を、身の丈2mはある男が暗闇より見つめていた。街頭に浮かび上がる女生徒の顔を、男は事前に目を通しておいた資料と比較して、間違いない、と頷いた。
 彼の正体は総じて『鬼』と呼称される教団の尖兵。利害関係の一致より教団と行動を共にする異形の末裔である。
 標的を定めた鬼は、女生徒へと近づいていく。足音も息遣いもなく、無音で接近するその様はまるで暗殺者のよう。気配に振り向いた女生徒だが、時既に遅く。声を上げる間もなく意識を奪われ、男の腕に抱かれ、やがて闇夜に消えていく。
 また一人、歴史の闇へと消える犠牲者が生み出されることとなった。

 時を同じくし、鬼の犯行現場から数メートル離れた住宅の屋根の上。熱など到底ないはずのそこに、不自然な陽炎が立ち上っていた。
「こちら、『ヴィルトカッツェ』。鬼を補足、トレース頼んだよ」
 凛とした声とともに陽炎が色を帯び、鋼の忍装束に身を包んだ少女へと変化する。彼女は人間の範疇を超えた脚力で屋根から屋根へと飛び移り、鬼の後を追い始める。
 狩りの時間が、始まった。

―肆―
 埋め立て予定地のまま放置されていた工事現場。その一区画にそびえる廃屋を前に、忍装束の少女―IO2エージェントの茂枝・萌は仁王立ちしていた。
 追手に気づいた鬼が女生徒とともに2階建ての廃屋へと身を隠し、萌の通信により駆け付けたIO2のエージェントがその廃屋を包囲中。それが現在の状況だった。
「人質となっていますのは、神聖都学園中等部、三島・玲奈。委員会活動で遅くなった帰宅時を狙われたようです。家族構成は…」
 萌の後ろで手帳を広げつらつらと応える部下の言葉を、彼女は手で遮った。
「いらない。そんな情報、私には無駄だからね。これだけ教えてよ。どうしろって、言ってたのかな?」
「生死不問。現場に任せる、と」
 部下の返答に年相応の笑みを零した萌が、背中の愛刀に手を掛ける。同時に、部下の携帯が鳴りだした。
「はい…え?…ええ、はい、かしこまりました。必ずお伝えします」
 電話の応対を終えた部下の顔は困惑に染まっていた。彼は微妙な顔つきのまま、突入の機を図る萌に電話の内容を耳打ちをする。
 聞いた途端渋くなる萌の表情。彼女が本気?と聞き返すと、力強く頷かれた。
「くれぐれも、お願いいたします」
 最後に念を押して、平身低頭のまま部下は下がっていった。
 その姿を見送った萌は面倒になったねと一人愚痴て、身を守りしプロテクター『NINJA』の光学迷彩を発動、夜の闇と同化した。

―伍―
 萌たちIO2エージェントが包囲する廃屋、その2階。外の様子を伺う鬼は、己の失態に爪を噛んだ。女を一人連れて帰る簡単な仕事の筈が、正義の味方を気取る厄介な連中を相手取って籠城戦。極めて危険な状況だった。
「どうやって逃げようか考えてるのかな? ハハッ、無駄な算段だね」
 室内に響く第3者の声。鬼が室内を見渡せば、いつ侵入したのか一人の少女―茂枝・萌が姿を見せていた。
 咄嗟に足元に転がる女生徒を盾のように引き寄せる鬼。しかし、萌をその行為を意に介さず、背中の高周波振動ブレードを引き抜き鬼へと歩み寄る。
「殺すの?お好きにどうぞ。私の仕事に人質救出なんて含まれてないからね。好きなだけ焼いて裂いて嬲って千切って壊してよ」
 ブラフでないことを示す為、鬼は鋭利な爪を女生徒の首元へと刺し入れる。赤い血が滲み、少女の制服の襟を染める。しかし、萌の歩みは止まらない。
 人質など眼中にない萌の言動に、鬼は一歩後ずさる。顔には焦燥の色がはっきりと浮かんでいた。
「脅しは無駄。殺すならさっさと殺せばいいよ。外道の殲滅と、小娘一人の命、どっちが大事かなんて比べる必要もないからね。あなたを逃がすぐらいなら、躊躇いなくその子は斬り捨てる。だってその子…」
 萌の体が僅かに沈む。動揺している鬼が反応するよりも早く、背部に隠したサブマシンガンを構えた。
「人質としての価値なんてゼロだものね!」
 横薙ぎに撒かれた無数の弾幕が女生徒の脚ごと鬼の下半身を穿つ。
 萌はサブマシンガンを流れるように投げ捨てると、一足飛びで鬼へと斬りかかる。鉄すら斬り裂く一太刀が、盾となっている女生徒の片腕を切り落とした。
 返し刃で二の太刀を浴びせようとする萌だが、鬼もやられるばかりではない。僅かな隙をついて背後の窓から跳躍。脚へのダメージをもろともせず、包囲が薄い場所をついて逃走する。
「…逃げた、ね」
 追うこともせず、破られた窓から逃亡劇の一部始終を見届ける萌。ブレードを収めると、サブマシンガンを回収。そして、切断した片腕を手にその場を離れた。

―陸―
 アラームの鳴り響く地球脱出教団極東支部の旧海軍ドック。その通路を、大きな荷物を担いだ男が歩いている。彼の正体は鬼、そしてその肩にあるのは、被験体としての処置で四肢を失った女生徒。処置途中で連れ出された彼女は既に虫の息となっており、意識もない。
 萌との接触後、無事に教団へと舞い戻った鬼を待っていたのは、教団側の裏切りだった。鬼から足がつくことを恐れた教団側が、契約を破棄。鬼の殺害を目論見、それに抵抗した鬼がその報復に女生徒を誘拐して脱出しようとしていた。
 邪魔しようとする信者を排除し向かった先は、密かに教団が隠し持っていた「戦艦」。『生ける方舟』のプロトタイプとなったものだ。
 鬼は邪魔になった女生徒を投げ捨てると、「戦艦」に乗り込んだ。

 悠々と出航する「戦艦」が完全に見えなくなってからしばらくして。無様に転がったまま今生を終えようとする女生徒の元に、一人の少女が忍び寄る。鬼を追ってやってきた、茂枝・萌だった。
「海老で鯛を釣るどころか、鯨が釣れた気分だよ」
 呟いて、ブレードを構える萌。廃屋で鬼を『わざと』逃がしたのは、上からの指示で誘拐目的を探るため。
 その目論見が成功して見事『生ける方舟』の情報を得た彼女は、もう一つの目的を果たすため、ブレードを振り下ろした。

―漆―
「――――――――――ッ!?」
 IO2の研究室に、少女の悲鳴が響き渡った。否、それは声ではなく音というのが正解かもしれない。
 その発生源は、鬼に連れ去られた挙句絶命したはずの女生徒、三島・玲奈。その脇には無表情に彼女を見つめる萌の姿もある。
 玲奈は涙を流し、姿見に映された自分の姿にまたも絶叫する。黒髪は全て剃られ、耳は悪魔のそれのように鋭い。背中では一対の立派な翼が羽ばたき、首にはまるで魚類の鰓を思わせるスリットが数対。顔以外の全てが自分では…人間ではなくなっていた。
「もう一回言うよ。あなたは私たちIO2の手で生き返…ううん、生まれ変わったって言うのが正しいかな」
 固い床を踵で叩きながら、萌は玲奈に近づき…
「街角に立つ売春女程の価値もなかったあなたに、生きる意味が与えられたんだ。もっと喜んだらどうかな?」
 彼女の尖った耳を引っ張り自分へ向かせた。
「ハッピーバースデー、最凶無敵の『人でなし』。この無駄に立派な耳をかっぽじってよく聞いてよ、化け物さん。あなたに残された道は二つ。家畜として飼い殺されるか犬となって野垂れ死ぬか。人に戻れるなんて驕った考え、今すぐ捨てるんだね。もちろん自殺すことも認めない」
 萌は荒々しく捲し立てると、突き飛ばすように耳を手放した。そして、玲奈を中心に円を描いて歩き出す。
「ここは地獄の一丁目、進むも地獄退くも地獄。神も仏もいないんだ。飼い主にブヒブヒ鳴いて尻を振る?飼い主の為、ワンワン吠えて牙を研ぐ?」
 萌はいつの間にか両手に一つづつ衣服を携えていた。右手には入院服のようなワンピース。左手には玲奈も見覚えのある学生服。
「さぁ選んでよっ、よちよち歩きの『人でなし』!!」
 提示される、2枚の絶望への片道切符。見下す萌を気丈に睨んだ玲奈は、涙をぬぐうとその一枚へと手を伸ばした。

 深夜、太平洋上。闇に紛れるように佇む漆黒のイージス艦上に三島・玲奈の姿があった。鬘で尖る耳を隠し制服に翼を閉じ込めたその姿は、首の鰓にさえ気づかなければ生前の姿と殆ど変わりない。
『どう?準備いい?』
 インカムから聞こえてくる萌の声に、一言了解を告げる。その短い言葉の中には、抑えきれない怒りがにじみ出ていた。
 玲奈は艦上に設置された台形の大きなプレートに手を添える。モノリスのようなそれは『烈光の天狼』と呼ばれる対物理対霊用万能兵器。生まれたばかりで力の制御のできない彼女に用意されたものだ。
『来たよ』
 緊張感のない萌の合図に、玲奈は上を見上げる。まるでSF映画のように、空飛ぶ「戦艦」が分厚い雲を割って姿を現した。
 「戦艦」の表面に光が走り、直後、可視ギリギリの速度でレーザーがイージス艦へ飛来する。同時に、『天狼』が作動。プレートより現れた銀の狼の群れがイージス艦を包み、レーザーの尽くを吸収した。
「覚悟、してよね…」
 歯ぎしりするほどまで歯を食いしばる玲奈は、第2射を放たんとする「戦艦」をありったけの怒りをこめて睨みつける。
 彼女の怒り、悔しさ、無念、怨鎖…その全てを体現するかのように『天狼』が共鳴。銀の狼の群れは光の帯と化し、空中の「戦艦」を貫いた。
『…撃墜確認。初陣にしては上出来だよ、「ひよっ子」』
 萌のアナウンスから一拍遅れ、「戦艦」は仕掛け花火のように小さな爆発を繰り返して爆散していく。
 『天狼』から手を放す玲奈。頬を撫でる潮風に自らの生を感じながら、沈みゆく「戦艦」を見つめ続けていた。