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不思議な魔力の溜まり場で。
かつん、かつん、と足音の一つ一つが結構高鳴り、洞内に響く。自分たちの立てているその音自体におっかなびっくりしながらも、ファルス・ティレイラは足を止めない。ぽたぽた水が垂れているところや鍾乳石で先が見えない場所では一旦立ち止まるが、そこから行く先をそーっと覗き込み、大丈夫そうだと思うとまた足を進めている――足を進める前に、やや遅れている同行者をくるりと振り返る。
「お姉さまー、早く早くー♪」
心持ち潜めた声で、ティレイラは振り返った先に居る同行者――『お姉さま』を元気に呼ぶ。…お姉さま。そう呼んではいるがティレイラと『彼女』に血の繋がりは無い。けれど同郷にして同族になる竜族の女性で、この異郷の地に於いて色々自分の面倒を見てくれてもいるそのひとを、ティレイラは親愛を込めてお姉さまと呼んで慕っている。そして、姉として慕うのとは別にと言うか同時に、そのひと――シリューナ・リュクテイアはティレイラにとって魔法の師匠でもあったりする。
今日二人でここに連れ立って来たのは、どちらかと言うとその後者の側面が強かったかもしれない。
何故なら、今日シリューナはある筋から仕入れた「不思議な魔力の溜まり場になっている鍾乳洞」の情報を基にここまで訪れた訳だから。この鍾乳洞はその筋では結構な名所になるとかで、今回、折角の機会だからと魔法の弟子でもあるティレイラを連れて来てみたところ。
そして鍾乳洞の入口で中の気配をそれとなく探ると――否、探るまでも無く、そこの奥からは興味深い魔力の気配が漂ってくるのを感じ。
シリューナは洞内に魔法の光を灯して、中を探検してみる事にする。
勿論、一緒に来たティレイラと共に。
で、中に進むに当たり、このシリューナの方がティレイラの後方にやや遅れているのは――単に鍾乳洞の中と言うこんな場所であっても普段通りにゆったりと歩いているから、になる。むしろ、ティレイラの方が色々落ち着かない様子で先走っているだけ、とも言える。本当は闇の中。未開の場所。地上では見られない不思議な形の鍾乳石や小さな生物。こういう場所は、来るだけで結構冒険心がくすぐられるのかもしれない。
そんな場所に素直に興味を示しているティレイラの姿もまた、可愛らしい。
「…ふふ。楽しそうね、ティレ」
「はい。こういうところって、なんだかわくわくしませんか?」
「かもしれないわね」
でも、浮かれて足を滑らせたりしないように気を付けなさいね。
言われ、はーい、といい返事で答えるティレイラ。ただ、答えはしたが、本当に気を付けているのか不安になるような答え方でもある。
まぁ、足場は思っていたよりも悪くないから大丈夫だろうけれど。
思いながらシリューナはティレイラの後から進んで行く。…普段通り。本当にそう言えるくらい、この洞内を進むのは楽である。鍾乳洞と言う事でもっと障害物になる鍾乳石やら水場やらが多いだろうと思っていたのだが…大した段差も無く、難無く進んで行ける。
…まるで、招かれてでもいるよう。そう思った頃に、やや開けた場所に出る。まず耳に入るのは微かな水音。続いて目に入るのは鍾乳石の合間を伝い下方に溜まる澄んだ水。滾滾と湧き出す湧き水らしいそれが、ちょっとした湖のようになっていた。
その景色を見、わああ、とティレイラは素直に感嘆の声を上げる。シリューナはそんなティレイラの様子を微笑ましげに見ながらも、その湖――その湧き水こそが鍾乳洞の入り口で感じた不思議な魔力の源である事に気付き、水際に屈んでその水に触れてみる。
暫くして、ティレイラもシリューナの後ろから覗き込むようにして水際に来た。
「すごーく綺麗な水ですねー」
「ええ。本当に。綺麗なだけじゃなくて、入口で感じた通り、本当に興味深い魔力を帯びてるわ」
名所と言うのも伊達じゃないんでしょうね。
…でも、そうなると。
この鍾乳洞が、こんなに無防備である事がどうも腑に落ちない。
思い、シリューナは改めてそれとなく周囲を注意深く観察。この水の魔力以外、特に気になるような気配は――無い。ティレイラもティレイラで周囲を見渡している――けれど、彼女の方は先程まで同様、表の景色とは随分と違った洞内の不思議で美しい様子に目を奪われている、と言う方が正しい様子で。
ともあれ、二人それぞれで暫くの観察の後。まぁ良いかと思い、シリューナは持参していた水筒を取り出して蓋を開ける。元々目的地のここは不思議な魔力の溜まり場だと言う場所。魔法薬屋の身なれば何か興味深い素材が持ち帰れる事もあるかと思い持参したのだが――その目的の通りその水筒で、魔力を帯びたその水を汲もうとした――その時。
ばしゃーんと派手に水音が響いた。慌てて注意を引こうとするような音――慌てて水面を叩いたような音。何事かと思えば――そこに、精霊…と思しき半具現の存在が、シリューナとティレイラの二人を見、頬を膨らませてふわふわ浮いている。
「ちょっとちょっとちょっと待ちなさいよぉ! 何勝手にその水持ってこーとしてるの!?」
ダメでしょそんな事したら!
「…あら、ひょっとしてあなたはこの湧き水の精霊?」
「…。…違うけど。でもここにずーっと前から住んでる先住者なんだからねッ!」
「あら、そうなの。…なら、この水なんだけど、少し分けて貰えないかしらね?」
別に勝手に持って行こうなどと言う気は無いわ。断るべき相手が居るのなら、ちゃんと断ってから貰うつもりだったのよ。
でも、誰も居なかったから。
「…ふーん。まぁ、どっちにしてもダメだけど」
「この水筒に入るくらいの、ほんの少しで良いのよ。別にこの湖を――この場所を譲れなんて言う気は無いわ」
それでも?
「ダメ」
「…。どうしても?」
「ダメ」
精霊の態度は取り付く島も無い。
仕方無いわね、とばかりにシリューナはゆるく小首を傾げたかと思うと、ティレ、と呼ぶ。
と、はい! とティレイラは大声で答え、きっ、と睨むように精霊を見た。
いや、睨むようにと言うか…こちらもまた精霊同様頬を膨らませている。…初めの内はシリューナが対応しているのを見、色々我慢していたらしいが――呼ばれた途端爆発したらしい。
「ちゃんと断っても駄目なら勝手にとかそーゆー問題じゃないじゃないですかっ! ただイヤとかダメとかじゃわかりませんっ! どーしたら分けてくれるのか教えてくれたってっ!」
「分けてあげる気なんかないもんっ」
「だからなんで!」
「ダメだからっ!」
「だから! なんでダメなのかくらい教えてくれたっていいでしょうっ!」
「ダメだからダメなんだもんッ!」
この水はここに住んでるわたしのだからっ!
「つまり一人占めしたいだけって事なんですかっ!」
「だってここに住んでるのはわたしだもんッ!」
そう叫ぶと、精霊はええいっ!と気合いを入れる――入れるなり、洞内にざぁっと雨が降って来た。その雨の滴はどうやら湧き水と同じもの。但し――何やら練られた魔法が込めてある。
…ティレイラはそれに気付かない。ただ、今の気合いの衝撃?で洞内の水滴が落ちて来た、その程度の事だと思い、すぐさま精霊に食ってかかっている。
「何のこけおどしですかっ!」
「こけおどしかどーかはその身を以って味わえッ!」
精霊の方でもすぐさま怒鳴り返す。…何やら遣り取りが子供の喧嘩。それでも――精霊の力は子供どころでは無く本物だったらしい。…魔力を帯びた湧き水の力を借りていた、と言うのもあったからかもしれない。
とにかく、一時的に水滴が降ってきただけにしては、やけに普通に洞内に雨が降り続いている。
そして――あれ、おかしいよ? とティレイラが気付いた時には――何やら、全身から力が抜け始めており。いや、力が抜けるどころか――自分の身体が周囲にあった鍾乳石と同じような質感に変わり始めている事にもやや遅れて気が付いた。
――――――これ、封印魔法っ!?
ティレイラがそう察してあたふたと慌て始めた時には、精霊の方は勝ち誇ったように、フン、と鼻を鳴らしてティレイラを見ていて。
何やら色々ともう遅かった。
そしてティレイラに出来たのは、お姉さま〜! と情けない声を上げる事くらい。
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他方、ティレイラに精霊の相手を任せている間に、ちゃっかりと魔力を帯びた湧き水を水筒に少々頂いていたシリューナだったが――不意に洞内に雨が降り始めた事には抜け目無く気付いていた。ただ元々、ティレイラと精霊の――子供の喧嘩染みたやり取りは初めから賑やかだったので、シリューナは精霊が発した気合いも発されたその時点では特に気に留めていなかった。だが――それが切っ掛けで降り出したと思しき雨の方は、明らかに魔法が込められたものでもあり。
ティレイラに任せていた事で反応がやや遅れ、不覚、とばかりにシリューナはその時点で即座に精霊の現在位置を確認。慌てるティレイラを前に勝ち誇ったように腕組みしていた精霊の半具現のその身に、タメ無しで剥き出しの魔力を撃ち放つ。かと思うと勝ち誇っていたその精霊は――横合いからのその魔力による圧と衝撃に、殆どコマ落としの勢いで洞外へと吹き飛ばされている――何も出来ず情けない声を上げていたティレイラは、瞬間的に強烈な風圧がすぐ側を通り過ぎたと思しき名残と、つい今まで目の前に居た筈の精霊がいきなり消えた事に思わず目を瞬かせた。
封印魔法に蝕まれ思うように動かない身体ながら、ティレイラは驚いてシリューナを見る。
「…えと…お姉さま…?」
「あの聞き分けのない精霊は一時的に外に飛ばしたわ。…これでこの封印魔法の雨が止めば良いんだけど」
「…こ、この雨、や、やっぱり封印魔法なんですねっ…!」
「ええ。…まさかこんな魔法を繰り出して来るとはね」
実際目の前にしてたなら、ティレももっと早く気付かないと。
「ううっ、精進しますっ…」
と。
こんな場合ながらも師弟らしい遣り取りを重ねた後、シリューナとティレイラは暫し黙して雨が止むのを待つ。この手の魔法の場合、何らかの事情で術者が術を維持出来なくなれば――そもそも術者自身が居なくなってしまえば効果も消える事が多いのだが…。
封印の雨は、止まない。
「…えっと、お姉さま…?」
雨、止みません…。
「そうみたいね」
使われた媒体が媒体、そして場所が場所だからか。…使われたのは魔力を帯びたここの湧き水。そしてその湧き水は――少しも分けさせないと言う精霊の言い分が狭量極まりないと思える程この場には豊富にある上、更に滾滾と湧き続けている。
…この雄渾な魔力が、精霊の封印魔法を維持し続けている原因なのかしら?
と、原因を考えつつも、取り敢えずシリューナは己が身に防御魔法を展開している。封印魔法の中和の為。シリューナもシリューナで自身に封印魔法の効果が少しずつ出始めてしまっているのに気付いている。だから、完全に封印される前に、少しでも早く元に戻れるようにと考えて。ここでティレイラと共に二人で完全に封印されてしまっては目も当てられない。そして今はティレイラにまで手が回らない――と。
思いつつ、ティレイラを見ると。
…ちょうど、その瞬間に。
諦めてしまったような泣き顔のままで、ティレイラは固化。…きっと、シリューナが視線を向けた今のその瞬間までは封印魔法に負けまいと粘っていたのだろうけれど。先程までは、うわあああん、と嘆くようなティレイラの声も聞こえていた。シリューナの対応を聞き、この封印魔法を解いて貰える、解決して貰えると希望も持ったのかもしれない――けれどそれでも、雨が止まない事をシリューナが肯定し。
結局。
ティレイラは気が抜けてしまったのか封印魔法に負けて、洞内の鍾乳石に封印され――鍾乳石のオブジェと化してしまう事になる。
「…あらあら」
それを見て、思わず上がるのはシリューナの感嘆の声。普段通り、冷静に抑えられた声ではあるが、それでも籠ったその熱は隠し切れていない。
シリューナは元々その手の造形物に目が無い。…それも、可愛いティレイラを題材にしたものならば尚の事。
そして今、目の前にあるのはちょうどそんな趣味にばっちり合致した感じの――ティレイラの姿。
なんて素晴らしいのかしら、と、こんな場合であるのに思わずその姿に歩み寄ってしまう。頭の天辺から足の先まで舐めるように眺めてから、髪や頬に触れてその質感も確かめてみる。硬質でありながら、滑らかな。そして何とも言えない不思議な色合い。微妙な光の屈折で出来る陰影。その形が良く映えるのは、洞内と言う場所柄もあるのかもしれない。雨の滴に濡れているのもまた、美しく見せる要因か。
…当初の予定からすれば、こうなったのはまるで予定外だけれど。
でも、素敵なものは、どんな場合でも変わらない。
結果的にはこんなに良い物が見れたのだから、まぁ良しとする。…あの精霊も、許してあげよう。
と、そうは思っても今は。
シリューナもまた、封印魔法を中和し切れずにいる状態。完全に中和して、完全に元の通りに動けるまで戻るにはまだ暫く時間が掛かる。そもそも封印魔法の雨もまだ降り続いている事だし。
だからそれまでは、お楽しみはおあずけ。
思いながら、シリューナは改めてティレイラを眺める。
ああ、こんなティレイラを前にしている今のこの状況で、普段通りに動けない自分が、もどかしい。
【了】
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