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<東京怪談ノベル(シングル)>


Night Walker〜揺籃〜

 ゆらり、ふわり
 揺蕩うゆりかごの中
 目覚めの刻告げる鐘を、待っている‥‥ー

 
 昼間は人間達で溢れ帰っている街も、こんな時間になると人影はめっきり少なくなる。
 全く途絶えてしまう事はないし、今も騒がしいくらいだが、それでも、ぎゅうぎゅう詰めにされていた街が、しばしの解放にほっと息をついているかのように穏やかな雰囲気を纏う。
 ネオンで明るく照らされた通りから1本逸れると、その雰囲気はさらに増した。
 営業時間が過ぎて、ほの明るい門灯だけが灯された瀟洒な造りの建物の中から漂ってきた優しい花の香りに千影は、くんと鼻を鳴らした。
 軽く足を曲げ、地面を蹴る。
 ちょっとだけ高い壁の上にふわりと跳び上がって、大きく腕を伸ばすと、少し冬の名残を残した風が心地良い。
「たしか、こっちの方から‥‥わぁ!」
 香りを追いかければ、壁の中、綺麗に手入れされた春の花々が蕾を綻ばせていた。
「可愛い‥‥」
 只人であれば花の形も判別はつかない闇夜。
 けれど、千影の目にはその可憐な姿がはっきりと映っている。
「花屋」と呼ばれる人間の店で、一年中、咲き誇っている花はどんなに華やかに見えても今にも消えそうに儚い。
 この小さな花々には、風を遮る覆いも可愛いリボンもついていないけれど、待ち望んだ春の訪れ、そして花開く喜びを歌い、生命力に満ち溢れている。 
「お花さん達、嬉しいの?」
 風に揺れる花が、うんと頷いたように見えた。
「そっかぁ、よかったね。新しい世界を見るのはワクワクするね! チカもね、いろんな所に行って、いろんな物を見るの、だいだい、だーい好き!」
「おい、コラ。そこの浮かれ子猫」
「うにゃん?」
 突如聞こえた声に、千影はきょろきょろと周囲を見渡す。
 どこかで聞いた事がある声だ。
「あれあれ? お花さん、何か言った? お花さん達‥‥には似合わない声だったけど」
「さりげなくディスりやがったな‥‥。ここだ、ここ!」
 声を辿って下を覗き込めば、見知った顔が1つ。
「あ、武彦ちゃん! 何してるの!?」
 片手にビニールの袋を提げた草間武彦は、煙草を咥えたまま口元を曲げた。
「それはこっちの台詞だ。そんな所で何をしてる」
「チカはねぇ〜、お散歩だよ〜」
 彼の元へ飛び降りると、ひょいっと煙草を引き抜く。
「あッ! コラ!」
 煙草が主食という噂が流れる程にヘビースモーカーな彼から煙草を取り上げる事、それは猛獣から餌を取り上げるにも等しい、命がけの行為であるとも言われる。
 だが、千影は臆した様子もなく、取り上げた煙草を草間に突きつけて目を三角にした。
「煙草は体に悪いってテレビで言ってたよ〜?」
 対する草間は、ちっと舌打ちをしてポケットを探るのみだ。さすがに、少女相手に怒鳴りつけるのは憚られたのだろう。
「‥‥俺は吸わない方が体に悪いんだよ」
 ポケットから取り出した新しい煙草に火をつけたと同時に、無邪気な笑みを浮かべた千影の手が、常人の目にも止まらぬ速さで動いた。
 草間が咥えた煙草が何処かへと弾き飛ばされる。
「おっ、お前‥‥」
 小さな白い指の先に鋭い爪が見えた気がして、草間の背中に冷たいものが走った。
 恐らく、それは気のせいでも幻でもない。
「だ〜め。煙が危ないんだよ! ‥‥チカにはよく分からないけど。でも、れいちゃんの体に悪いんだから!」
「それは、俺にほたる族になれ、と‥‥いや、それ以前に零って、お前‥‥」
 草間がぽろりと漏らした死語の域に入りつつある単語に、千影は首を傾げる。
「ほたる族? それって、どんな妖?」
「妖じゃねぇし」
「お花さん達にも悪いし」
「だから、だな」
 草間からしてみれば、このうえなく不毛な会話だ。
 前髪を掻き回して、イライラとした仕草で再びポケットを探る。掴んだ煙草の箱の中は空っぽで、草間はもう一度舌を打った。
「あの‥‥、たばこって、からだにわるいのですか」
「体の中が真っ黒になるんだって〜‥‥‥‥‥?」
「悪いか悪くないかで言えば悪いかもしれないが‥‥‥‥?」
 問われて答えて、はたと我に返る。
 今、自分達は誰と話していたのだろう?
 視線を隣に移せば、艶やかな着物を着た少女が1人、ちょこんと彼らの間に立っていた。年の頃は5つか6つ辺りだろうか。幼げな顔立ちに似合わぬ憂いを秘めた眼差しと雰囲気を纏っている。
「あのかたも、たばこがおすきのようでした。もしや、あのかたがこられないのはたばこのせいで‥‥」
「や、待て。お嬢ちゃん、まず自己紹介から始めような?」
 こんな真夜中に幼女が1人、とか。
 常識的に出て来る疑問よりも名を聞いてしまうのは、怪奇探偵と称される草間が異常事態の遭遇に慣れてしまったからか。だがしかし。
「武彦ちゃん、なんぱ? ろりこん?」
「んなわけあるかっ! というか、チカ! お前、どこでそんな言葉覚えて来た!」
 今日は異常事態の遭遇だけではない。
 隣には混乱と騒動を引き起こす、まるで春の嵐のようなトラブルメーカー‥‥もとい、暴風猫がいるのだ。
 まずい、と草間は口元を引き攣らせながら対応方法に頭を搾った。なのに。
「ねーねー、あのかたってだぁれ?」
 そんな草間の苦労など知りもせず、千影は少女を覗き込む。
「まいにち、わたしにはなしかけてくださったかたです。わたしは、あのかたのこえを、ずっときいていました」
「ふぅん。でも、来なくなっちゃったんだ?」
 途端に項垂れた少女の様子に、草間は額を押さえた。少女が何者か分からないが、下手に刺激して余計な面倒を起こされても困る。人気が無いとはいえ、ここは誰の目にも付きやすい往来なのだ。
「‥‥チカ」
「にゃ?」
「遊んでろ」
 手の中で軽く丸めたコンビニの袋を、千影の目の前で緩く一振りして、ぽいと高く放り投げる。
 反射的にそれを追いかけた千影に息を1つ吐いて、草間は少女に向き直った。
「あいつは放っておいていい。お前はそいつを探して欲しいのか?」
「‥‥?」
「武彦ちゃん、ひどいー!」
 背後から非難の声があがる。が、ビニール袋の音が断続的に聞こえて来るから、手遊びは気に入っているのだろう。
「で、どうしたい?」
 問いかけに少女は首を傾げるばかりだ。
 あまりに希薄な反応に、問うた草間の方が困ってしまう。
「大丈夫だよ! 綺麗に咲いたら、きっと会えるから」
 小さな穴がいくつも空いたビニール袋を手に引っ掛けたまま、確信したように言い切る千影に、少女は目を円くし、やがて、はにかんだように微笑むと小さく頭を下げた。
 ゆっくり、ゆっくりと少女の体が輪郭を無くしていく。
 後に残されたのは、微かな花の香り。
「チカ。お前、今の‥‥。‥‥いや、いい」
 箱に掛かったビニールを外し、草間は中から1本、煙草を取り出して火をつけた。深く煙りを吸い込み、静かに吐き出す。
「女の子の気持ちが分からないと、モテないよ? 武彦ちゃん」
「るせぇ」
 予想通りの反応を返す草間の肩をとん、と押すと千影は宙に身を躍らせた。

 
 くすくす。
 くすくす。 
 闇の中、小さな笑い声が溶けていく。

 ゆらり、ふわり
 揺蕩うゆりかごの中
 目覚めの刻は、あとすこし‥‥ー