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<東京怪談ノベル(シングル)>


無邪気と言う名の猛毒

 怪盗騒ぎの後、学園内は一転していた。
 正確に言えば、怪盗騒ぎが起こったから学園内の空気が一転したのではなく、恒例行事が行われるために空気が変わっただけである。
 聖祭。聖学園の名前を関する文化祭で、初夏に行われる行事である。著名人が多数来校するために、著名人とコネクションを作ってデビューへの足掛かりを作ろうとする生徒も少なくない。
 そのため学園内は騒がしく、夜神潤がすれ違う生徒すれ違う生徒も、聖祭の話で持ちきりだった。

「もう何に出るか決まった?」
「明日ホームルームで決めるよ」
「へー」

 潤はすれ違う生徒達の話を聞きながら考える。
 これだけ人がいるんだったら、今桜華は普通にダンスフロアにいるんだろうか? それもと全く気にせずに自分の練習をしているんだろうか?
 それに……。
 星野のばらの精神が、今は守宮桜華の中にある。
 どう言う事なのかは分からないが、その状態があまりよくない事だけは分かっている。潤はできるだけすれ違う生徒達の事を気にしつつも、体育館地下のダンスフロアを目指して言った。

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 少しだけ日が傾き、空の色が変わりつつある。
 まだ夕焼けには程遠いが、やがて空も茜色に染まるだろう。
 潤が階段を降りて行く間、他の部活の生徒とすれ違うかとも思ったが、幸い誰とも会わずに済んだ。
 その方がいいと潤は思う。
 もしのばらと話をするのだったら、人がいない方がいいだろう。彼女は誰かに消される事をものすごく警戒して、普段から人気のない場所にいたのだから、今桜華の中にいると分かったら消されると思って出てこないかもしれない。
 そう思いながらダンスフロアに差し掛かった時。
 リズミカルな足音に気が付いた。

 トントトトントン トントントントトン

 トウシューズが床を蹴り、高く跳ぶ。くるりくるりと回る様は華麗で、脚の動き手の動きも鮮やかなものだった。
 潤はそれをそっと見る。
 確かこれは「眠れる森の美女」のリラの精のバリエーションだったか。足音の軽やかさが、いかに彼女が練習した末にこの軽やかな踊りを得たかを物語っていた。
 最後にピタッと足音が止まる。踊りが終わったのだ。
 潤は思わず、手を叩き始めた。

「……誰ですか?」

 踊っていた彼女は、怪訝な顔で廊下を見た。

「邪魔したのならすまない。大学部の夜神潤だ。俺もバレエ専攻だから」
「そうですか……? 高等部の守宮桜華です」
「知ってる。確か今年のエトワールだったか?」
「はい、そうですけど……?」

 桜華は首を傾げながら、端に置いていたタオルとペットボトルを拾い上げて、身体を拭きながらペットボトルに口付ける。
 潤は「失礼」と言ってからダンスフロアに足を踏み入れた。

「この間の夜、光が隣のフェンシング場から飛んでいくのが見えたから」
「はい……?」

 桜華は困ったような顔で、潤の顔を眺める。眉を八の字にしている。
 潤はその桜華の困った顔を見つつも、なおも続ける。

「そしてその光を追いかけたら、君がいたから……星野さん」
「…………」

 桜華がすっと目を細める。
 そして、くすくすと言う笑い声を零し始めた。
 先程まで聴いていた桜華の落ち着いた声から一転、やけに子供じみた甲高い声だった。

「ばれましたか?」

 そういたずらっぽく笑いながらしゃべる仕草は、いつか見た噴水の縁で足をぶらぶらとさせていたのばらと重なって見えた。

「ああ。君が踊っているのが見えたから。どうして、守宮さんの身体に入った?」
「私、死んでしまったのよね。だから、もう私は踊る事ができない」
「……? 君はウィリーになってからも、ずっと踊っていたんじゃなかったのか?」
「あんなの、踊っているとは言わない。身体がないから、踊っている時に息が切れて苦しくなる事もないし、踊りを終えた時の達成感も生まれないもの。それに……」
「それに?」
「桜華は私の親友だったんですよ。バレエも上手く、ずっと努力を怠らなかった。だから」

 そう言いながら桜華の姿をしたのばらは、すっと立ち上がった。
 そしてそのままくるりと回る。
 桜華の回り方は軽やかで鮮やかだったが、のばらの回り方はまるで違う。
 どう見ても、人の雰囲気ではないのだ。それこそ、妖精やウィリーと同じような。

「私はまたこの身体で、踊る事ができる」

 その時のばらが見せた笑みは、とても無邪気なものだった。
 とても無邪気な笑みは、虫を笑いながらブチブチと踏み殺す子供の残酷さと重なる。

「……君は、これをした海棠織也君の事を嫌っていたけど?」
「嫌いよ。でも愛してあげてもいいわ。私に身体をくれたんだもの」

 のばらは嬉しそうにストレッチをする。
 ……いつか理事長の言っていた、思念を1つでも奪われたら彼女は理性を失うの意味が、ようやく分かった気がした。
 彼女は思念に当てられ、物事の善悪が見えなくなっている。
 元々彼女自身は、本人に自覚のない傲慢な性格だった。それが思念に当てられた事で加速してしまっているのだ。
 ……彼女の言葉を本当と取るなら、それこそ親友の身体を奪っても構わないと言う位に。

「星野さん」
「なあに? また踊るの?」

 彼女はこくりと首を傾げるが、潤は首を振った。

「いや、今日は遠慮しておく」
「そう?」
「……いつかまた、一緒に踊れる事を祈る」
「? うん」

 のばらには通じていないような気がした。
 ……思念をどうやって彼女から取り払えばいい? 彼女自身に既に善悪がなくなってしまっているのに。
 潤は眉間に皺を寄せながら、足早にダンスフロアを出た。

<了>