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春塞ぐ月の愁思
最近メディアを賑わす木曽川。そこには半径百M程の穴が空いていた。
周囲に鮎釣り客が群がっている。
「どうしてこうなった?」
野次馬は騒ぎ立て、噂は噂を広げる。
しかしその問いに答えれるものはいなかった。
警察やら自衛隊やらが調査に来るが、誰一人として穴の中から出てきた人間はいなかった。
同時刻、世界各地にも似たような穴が出現した。
どうしてそのようなものが出来たのか、誰が作ったものなのか。深淵まで続く穴のように、全ては謎に包まれていた。
高松の盆地にある温泉街では地質学者と天文学者が盆地の成因を論争をしていた。
やれ噴火口だ、やれ隕石孔だ、お互いの議論を無遠慮にぶつけ非難する様は聞くに堪えない。
観光客や現地の人達は、2人の横を白い目で通り過ぎていく。
突如、地質学者の目の前に巨大な岩が振ってきた。
どぉん、という轟音を伴って衝撃が地質学者を真後ろに吹き飛ばした。
何事かとうっすら目を開けると、半径2mはあろうか、巨石の下敷きになっている天文学者の腕、らしきものだけが岩の間からはみ出ていた。
そのあまりに唐突な現実に、地質学者は目を見開いたまま手の震えが止まらなかった。
翌日。
ネットカフェのとある一室に、雫は三島・玲奈を呼び出していた。
「この事件なんだけど」
カタカタとキーボードを操作して自分のサイトを開いてみせる。
雫の趣味全開な部分はあえて無視し、玲奈はそこに表示されたものを見た。
「例のクレーター事件ね。私達の間でも話題になってるわよ」
顔をしかめ、表示される画面を見つめる。
その数、10や20ではない。玲奈は自分が思っていたより遙かに多かった。
公式には発表されていないが、死人も出ている、と雫は付け足した。
そしてどうやら一番最初に発見され、最も大きい木曽川のクレーターに何かあるようだと。
「ん〜……難しい依頼になりそうね」
「調査、お願いできる?」
「鹿児島名物のかるかん饅頭、10箱で」
抜け目なく、玲奈はにっと笑った。
先払いで5箱もらったかるかんの箱を担いだ玲奈は、木曽川のクレーター付近に来ていた。
調査を兼ねて川底に潜る。
流れはやや速いが、透き通った水なため視界ははっきりとしている。
「ぷはっ」
絞り出された二酸化炭素を放出し、肺にめいっぱい新鮮な空気を取り込む。
川からは特に隕石の痕跡は発見できなかった。
本当に隕石落下によるものなのだろうか?
隕石よるクレーターだと言われているが、それを目撃した者はいない。
しかしここまで大きな隕石ならば、この付近の山林は消滅していてもおかしくはない。
穴だけがぽっかりと口を開けているのだ。
釈然としないものを感じながら、微かな怨念がする方へと足を向けた。
場所は高松の盆地の温泉街。
気がついたらここまできていたのだが、玲奈は温泉街で聞き込みを始めた。
最初は気のいい温泉街の人達だが、特定の名前を聞くとふいに顔をしかめ、突き放すように話し始めるようだった。
それというのも、元々雫に依頼した地質学者の家についてのことだった。
地質学者の家には愛娘が一人いるらしい。
ところが、彼女はどうにも理不尽な差別をうけているようだった。
「地質学者は常に地面を気にするから、お前も俯き加減で暗い性格だ」と。
玲奈はしばらくこの温泉地で様子をみることにした。
四月の空は透き通った青で彩る。四月は別名・陰月ともいう。
花が咲き暖かくなったとはいえ、空気はまだ少し冷やっとする。
背筋を撫でられたような、漠然とではあるが、玲奈は嫌な予感を感じていた。
入学式を終え、地質学者の娘は
だが世間の評判というものは執拗に付きまとう。入学早々虐めに遭い、わけもわからないまま彼女は枕を濡らす日々を繰り返していた。
「どうして私だけが…。こんな学校無くなればいいのに、こんな世界なんて無くなればいいのに……」
学校の滅亡を祈る少女に、神の声が聞こえた。
「君は悪くない。どうして君だけが理不尽に虐められるのだろうか」
「そうよ!私は何もしてないのに!」
「そうだ、悪は彼等のほうだ。さぁその祈りを捧げよ。月に祈れ」
彼女は毎夜うなされていた。
目つきは細く鋭く、顔色も青白くなっていく少女を両親は心配するが。
「うなされてるわけないじゃない。私は神の声を聞いてるのよ」
毎日、少女は月に祈るのだった。
こんな世界なんて壊れてしまえ、と。
強く祈るたび、その翌日には世界の何処かにクレーターが姿を現すようだった。
玲奈は深夜に一人外へ出歩く少女をつけていた。
その不快なまでの怨念は、彼女の信じている神のそれではない。
おそらく王富の名が付いたクレーター、狂気を司る月の焦点。間違いなく悪魔の類だろう。
そして少女のひどく滑稽なまでに悲しい祈りは、世界を危険にさらす。
木陰に隠れていた玲奈だったが、少女に向かって話しかけた。
「そんなことしても、何の意味はないわ」
「誰?!」
玲奈の居る方へ、鋭い眼光と敵意を向ける。
「あなたにもきっと、あなたを大事に思ってくれる人がいるわ。あなたのお父さんやお母さん、すごく心配してた」
ゆっくり歩幅を進めながら、口調もゆっくりと穏やかに話す。
刺激しては何にもならない、が、彼女の両親が心を痛めていたのは本当だった。
「嘘だ!誰もが嘘の塊だ!みんな私を見て笑うんだ!」
頭を振りながら悲痛なまでに否定の声をあげる。
彼女は誰からも愛されなかったのだ。
いや、彼女自身がそれに気づけなかった。
「大丈夫、あたしはあなたの敵じゃない」
手を差し伸べようとした玲奈だが、ついぞその手が届くことはなかった。
「ありきたりな説得なんて聞き疲れたよ……」
そう言って両手で空を仰いだ少女の居た場所に、隕石が落下した。
その結末はあまりにもあっけない。
風薫る夜に、陰月が冷たく輝いていた。
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