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<東京怪談ノベル(シングル)>


言い争いの軍配は…?


 頭上に広がる夜空。一面に散らばる銀色の星。
 深い緑に覆われた木々のアーチを潜るファルス・ティレイラは、大好きな飲み物を入れた水筒を首に提げ、鼻歌まじりの軽い足取りで目的地へと向かっていた。

 彼女が今日入手した情報。
 それは、郊外にぽつんと座を据える山の、雑木林に強い魔力が蓄えられている――というものだった。
 さすがのティレイラも、小耳に挟んだ程度の噂話をすぐには信用しなかった。情報を提供した当人に聞いても、やはり又聞きした情報だとしか返って来ない。ならばと意気込み、噂の発信源を確かめるべく街を歩き回ったが、めぼしい成果は得られなかった。

 真偽を確かめられなかった彼女が、なぜ今森を歩いているのかというと……魔力を手に入れるためという理由ももちろんあるのだが、何より勝っていたのは好奇心だった。
 魔力を蓄えていると言っても、方法はいくらでもある。一体どんな形で封じられているのか? どんな場所に? どんな方法で?
「きれいな宝石になってたり、お花のつぼみの中だったらいいなあ……きっと、魔法の力できらきら輝いてるの」
 頬を桃色に染めて、道の先にある魔力の溜まり場に思いを馳せる。
 もしも魔力が手に入ったら何をしようか。今まで以上の力を出せるのだから、挑戦したことのない魔法も使えるかもしれない。
 期待で胸をいっぱいに膨らませたティレイラは、枯れ枝と腐葉土の入り混じったやわらかい地面に、スキップの混じった足跡を付けていった。

 微弱な獣の気配や空間のゆがみから、目的地の場所を絞り込んでいく。雑木林の奥へ踏み入るほど、ティレイラのまなざしは真剣なものに変わって行った。
 だんだんときつくなってきた山道を登り、並の人間には耐え難い異界の波動を感じ、辿りながら進む。
(――目の前、この茂みの向こう……うん、間違いない。強い力を感じる)
 いっそう表情を強張らせて地面を踏みしめ、強大な魔力に押されつつ。草のじゅうたんを踏み分けていくつかの低木を掻き分け、巨木と茂みの間から首を伸ばす。わずかに汗ばんだ背中に塗れた服の冷たさを感じながら、木々の向こうに口を開いた鍾乳洞を見つめた。


 洞窟は深く暗く、まとわりつくような濃い闇が満ちていた。
 通路は、大人二人がすれ違えるほどの幅がある。狭い空間に闇が詰め込まれているようで、魔力も相俟って空気が雨の日よりも重く感じられた。
 ティレイラが小さく呪文を詠唱すると、かざしていた手のひらの上にまばゆい光球が現れる。ランプの火をそのまま取り出したような、あたたかい光だった。
 不規則にちらつく照明を片手に、赤い瞳が洞窟の風景を映し出す。
 遠くにぼんやりと見えるのは、シャンデリアのように伸びる鍾乳石に、東京の街をミニチュアにしたような石筍の群れ、石柱の影。
(見た目は、何の変哲もない洞窟ね。狭いこと以外は)
 僅かに警戒の色をにじませ、その裏に無限の興味を湛えながら、彼女はゆっくりと一歩を踏み出した。

 ぴたん、ぴたん。地面をひたひたに濡らした水が、靴に触れて音を立てる。明かりをつけても闇は深く、伸ばした手の先すら隠してしまう。
 さすがのティレイラも身を縮ませ、ひんやりした空気に晒された足で、転ばないよう慎重に探索を進めていた。
「ひゃうっ!」
 突然の短い悲鳴。天井から落ちてきたしずくが、ティレイラの首筋に落ちたのだ。
 すっかり縮み上がってしまった身体を片手で抱き込み、頬を膨らませて天井を見上げる。もっとも、洞窟側にはティレイラを驚かすつもりはみじんもなかったのだから、睨み付けたところで意味はないのだが。

 狭い歩幅でなんとか通路を抜けると、目の前に広がっていたのは、入り口からは想像もつかないほど広い空間だった。
 ドーム状の天井いっぱいに氷柱のような石灰石が並び、今まですれ違ってきたものとは比べ物にならない立派な石柱があちこちに立ち並んでいる。鍾乳石の先から落ちたしずくの水音があちこちで反響し、小さなプールがティレイラのともした灯を受けてダイアモンドのように光った。
 ティレイラの瞳がみるみる輝いていく。自然と背筋が伸び、感嘆のため息が漏れる。
 美しい場所だった。

 しかし、観光に来たわけではない。肺いっぱいの空気を吸い込んで、吐く。冷たい空気のにおい。神経を研ぎ澄まして、魔力の元を探る。
 と。無数に点在するプールの内のいくつかに、魔力の反応があった。目を開いてそちらへ駆け寄ってみる。
(この水、魔力を帯びてる。けど、ほんの少しじゃない)
 強い魔力が蓄えられているなんて、過大評価もいいところだ。そっと水に触れてみてもわかる、ここにある魔力はまるで水で薄められたみたいに微力だ。
(石灰石自体が魔力で、ここにあるプールに染み出してるとか?)
 天井を見上げてみるが、それはないかと首を振る。山や洞窟、この場所を覆う白い石からはなんの反応も感じない。もし石の中に封じ込められた魔力が染み出しているのだとしたら、ここにあるプールや落ちるしずく全てに力の反応があるはずだ。

 しばらく黙って考え込んでいたティレイラであったが。不意にもう一度目を閉じ、プールに指を浸したまま魔力を探り始めた。周囲のプールに波紋が広がる。依然辺りを照らしているともし火が大きく燃え上がる。つややかな黒髪が、向かい風を受けているかのようにやわらかく広がっていく。

「わかった」
 目を開き、魔力の展開を止める。鍾乳洞を音も無く揺らしていた波動が消え去った。
 少女は自分の足元を見つめた。地面の奥を見透かすように目を凝らす。
「水脈ね」
 魔力の反応があったプールは、底に出来たわずかな亀裂から、地下の水脈と繋がっているらしいのだ。この流れを辿っていった先に、染み出した力の源があるはず。
 ティレイラは前髪を大きくかき上げた。滑らかな髪に似つかわしくない、風を切る重い音。彼女の背に現れた紫の翼が羽ばたいたのだ。側頭部から頭上を貫く竜の角。スカートの中から伸びる尾は、鱗に覆われている。
 もう一度魔力の筋を確認し、奥へと続く通路へ向き直る。
 翼を広げ、地面を何度も蹴り、力を込めた跳躍の後に飛翔。鍾乳石を華麗にかわしながら奥へと進む。

 広場の水脈は細く、浅い部分にあった。進むにつれてそれは太くなり、地中深くへともぐっていった。本来なら感知できないほどの深さなのだが、
「すごい魔力……!」
 自らが探り当てるなど野暮だと言い切れるほどの力強い流れが目に見えるようだった。
 足場は悪そうだが、飛んでいけば何も問題ない。時折目の前に現れる石柱にさえ気をつければ、全速で飛行していても大丈夫だ。

 暗闇を裂いて飛び続け、数十分。ティレイラがたどり着いたのは、先ほどの広場よりも幾分か狭いホールだった。鮫の歯のように並んだ鍾乳石にぶつからないよう、羽をゆっくりはばたかせて着地する。
 確かめる必要なんてない。彼女の目の前に飛び込んできた、青色に輝く畦石池こそ、魔力を含んだ水脈の源だ。
(湧き水でもないし、自然に溜まった水たまりでもないのね。つまり……この水そのものが魔力、ってところかな)
 プールを見つめて思案にふける。ついと視線をあたりに向けると、このあたりの雰囲気が他とまったく違うことに気づいた。もちろん、魔力がみなぎっていることや、光り輝く畦石池のこともあるのだが。
 その違和感に気づいたティレイラは、魔力の明かりから手を離して思わず両腕を抱いた。
 泉を囲う鍾乳石がすべて、動物を形作っていたのだ。ヘビ、クモ、コウモリ……彼らが牙を剥いて襲い掛かってくる、そんな一瞬の姿をそのまま石化したような生々しい彫像。
 だから、ティレイラは泉へ手を伸ばすのをためらった。石は今にも彼女の手に牙を突き立てそうだった。
 しかし、首から提げていた水筒の中身を捨て、それをヘビの目の前に伸ばしてみると……なんともない。それはそうだ、彼らは石なのだ。瞳孔のない白い目がティレイラを睨みつけていたものの、彼女が水筒の底を泉にひたすのを黙って見守っていた。

 触れただけで全身に魔力が漲る感覚。ティレイラの心は弾み、羽も尻尾もぴんと伸びきった。
「こんな場所が隠されてたなんて。早く師匠に報告しなくちゃ」
 上機嫌に尻尾を振り、水筒に水を汲む。……つもりだったのだが。

「ちょっと。竜族なんかが、アタシの縄張りで何してるわけ?」
 耳に障る甲高い声。ティレイラが振り向くと、そこには――紫色の肌と額から伸びる角、そして赤い瞳を持つ魔族の少女が居た。
「その泉はアタシのものなの。軽々しく手を出さないでちょうだい」
 まだ牙の生え揃っていない口で、キンキンと吼える。
「あなた、この泉を隠してたの? もっといろんな人に分け与えればいいのに」
 こんなに魔力が溜まっているんだもんと、ティレイラ。これだけ強い魔力をもつ泉を独り占めするなんて。
「できないわ、そんなこと。この泉はアタシがおじい様から直々に受け継いだんだもの。人間にも竜族にも渡せないわよ」
「泉が欲しいなんて一言も言ってない。せめて水筒一本分くらい分けてくれたっていいじゃない」
「ダーメッ! この場所のモノはぜーんぶ、一杯も、一欠片も、何もかも渡せないわッ」
 唇を尖らせつんとあさっての方向を向き、少女は腕を組んだ。
 ティレイラはやや呆れ、少し焦りながらも頭を下げた。せっかく魔力の正体を突き止めたのだから、その証拠くらいは欲しい、という気持ちもあった。
「ねえ、お願い。せめてコップ一杯分くらい」
 そう言って水筒のフタを泉に付けようとすると、
「ちょ、ダメって言ってるでしょ!!」
 魔族の少女はいきなり飛び上がり、ティレイラの腕を引っつかんだ。
 腕を掴む手の意外な握力に驚いて、水筒のフタを取り落とす。あわや泉の縁にぶつかったフタは、幸いにも泉の外へと転がり落ちた。……が、二人の少女にとっては、フタのことなどもうどうでもよく。
「いっ……たいじゃないのよ!」
「え? ……ふーん、竜族って案外打たれ弱いのね。アタシが読んだ本だと、どんな弓矢にも怯まなかったって書いてあったのに」
 にんまりと口角を上げると、牙まじりの歯が覗く。
「それは個人差があるわよ。あなただって、魔族にしては子供よね? 自分の持ち物を渡すのに、取引の一つも挙げないんだから。魔族は取引が上手で賢いって聞いたけど」
「……っ、それはこの泉が大事だからよ!」
 お互いがお互いの種族をダシにして揚げ足を取る。腕を掴んでいた手を振り解き、ティレイラは羽を大きく広げた。
「まあ、竜族にとってはこれくらいの泉一つなくたって、何の問題もないわ」
 本当にそうなのかはさておき。
「じゃあなんでここまで来たのよ」
「それはもちろん、調査のため」
「アンタなんかを調査に雇うなんて、どんな主に仕えてるんだか」
 と、赤い瞳を輝かせ。
「ああ、そんなアンタだから、あってもしょーがない泉の調査に向かわせたってことね」
 なーるほどね。明らかな嘲笑をうかべ、両手を挙げてみせる。
 主と自分の師匠を重ね合わせ、自分と泉をばかにされ、ティレイラが黙っていられるはずもない。
「もちろんあってもしょーがないわ。泉なんてなくたって、こんなこともできるんだから……ねっ!!」
 腕を振り上げ、魔族の少女に向かって打ち下ろす。途端にはじける炎の音。天井の鍾乳石から落ちたしずくが一瞬で水蒸気となって消える。間一髪で炎を避けた少女は、顔をゆがませ舌打ちをした。それでもあくまで優勢なのはこちらだと言わんばかりに、
「ふうん、竜族の力ってこんなものなの? アタシはここまで、出来るんだからっ!」
 両手をティレイラに向け、黒い稲妻を放つ。跳躍したティレイラの足元に、次々と雷が落ちる。焼け焦げた石のにおいが鼻をくすぐる。
「あははっ、こんなことしか出来ないの?」
 実戦経験のあるティレイラは、華麗に稲妻をかわしていく。魔族の苛立ちを煽るようにくるりと宙返りを決めて見せて、その背後に着地した。
「次は私の番よ!」
 両手を頭上高く掲げ、紅蓮の炎を燃やす。右手で地面をなぎ払うと、それを追って火の帯が広がった。魔族はそれを横っ飛びに避け、稲妻を放ちつつティレイラの背後へ回り込む。感づいたティレイラは素早く身を翻し、再び泉を背後に後退。稲妻が目の前に落雷すと同時に、残っていた炎を放出した。
 落雷と火炎が鍾乳洞を揺るがす。天井に向けて駆ける雷が石柱を砕き、魔族の舌打ちは水溜りを水蒸気に変える炎のゆらめきに消えた。
 ティレイラが翼をはためかせ、泉の真上に陣取る。
 泉のある広場をぐるりと見渡し、水の滴る鍾乳石が壊れていないことに気づいたティレイラ。さすがにこの少女は、泉を破壊できないのだろうと踏む。
「魔族の力ってこんなものなの?」
 攻撃の手が緩んだと見るや、手を腰に当てて先ほどと同じ台詞を返す。
 魔族は両手を広げ、
「そんな訳ないでしょ、本番はここからよ!」
 劣勢など認めないと吼えた。牙まじりの歯の奥から聞こえる負け惜しみか愚痴か、そんな小さな声を聞いたティレイラは、「それじゃ、本番もはじめよっか」再び手のひらの上に炎の種を作り出した。
 が、あれ? と眉を上げる。出そうと思っていた炎の種よりも、わずかに小さい。
 気づくと、体が重い。全身の体重を支えて飛ぶ翼の筋肉が痙攣している。まるで、重い荷物を配達しているときのように。
 そして決定的だったのが……。
「え、なんで!?」
 両肩が真っ白に染まっていた。いや、石灰石と化していたのだ。慌てるティレイラをきょとんと見上げ、
「あら、わからなかった? 落ちるしずくに呪いを込めておいたんだけど」
 魔族が天井を指差してみせた。ティレイラも釣られて頭上を仰ぐ。無数の鍾乳石から滴る水が、彼女の肩に背中に尻尾に、しとしとと雨のように降り注いでいた。
 と、いうことは。そっと頭に触れてみる。そこにある角にも。感触は、やわらかい髪のものでも角のものでもなく、あきらかに石のものだった。
 思わず口をつく悲鳴、羽はもはや錆付いた蝶番のようにぎしぎしと羽ばたくのみで。彼女は腹から思い切り泉へと墜落した。ざぶん! 少女が落ちたとは思えないほど大きな波しぶき。
 泉の底は浅く、腹ばいになっても腕を付けば顔が出るくらいだった。なんとか上半身を起こすも、泉に染み渡った呪いの力のせいか、身動きが取れない。
「う、動いてよ」
 水面から出した顔と肩だけを無様に動かし、翼を動かそうと懸命にもがく。無常にも翼の半分は石灰石と化し、羽ばたこうとする形のまま固まってしまった。

「あら、これがアンタの本気ってワケね」
 顔を上げると、そこには魔族の少女が既に勝ち誇った顔で見下ろしていた。イタズラっぽい笑みの向こうに隠れた悪魔の本性が、無防備な姿を晒したティレイラを前にしてようやく表へ顔を出す。
「や、やめて……!」
「これからされること、わかっちゃったんだ? さっすが竜族、あったまいー」
 にいっとつり上がった口の端に覗く牙が、いっそう鋭さを増している。赤い瞳をぎらぎら輝かせ、彼女はティレイラと目を合わせるために腰をかがめた。
「じゃ、まずは……その立派な尻尾から」
 長い爪の指で尻尾を指差す。天井にあった鍾乳石から尻尾のあたりへ、大粒のしずくが垂れてくる。それは泉に溶けたかと思うと、ティレイラの先から根元までをじっくりと覆い、ゆっくりと石に変えていった。落下の衝撃でぴんと立てられた尻尾は、もう白く染まっている。
「羽は……もう大丈夫ね。それじゃあ次は、足かしら?」
 紫の指鉄砲を足に向けて打てば、答えるように泉の水としずくが降り注ぐ。力なく膝をついたままの足が、石になっていく感触。つま先からふくらはぎへ。膝が硬くなり、腿と腿がお互いの感触を失い。
「や、やめてよ。戻してよ!」
「ダーメ。だってアンタ、私の縄張りを侵した上に暴れまわってくれたじゃない? だからオシオキ」
 今度は腕、と、指を振る。ティレイラの目の前で、彼女の両腕は石灰石へと変わっていった。すでに石になっていた肩へと白い変化が押し寄せて、ついに全てが鍾乳石に変わる。
 足と腕から体の真ん中へ、泉の水がまとわりつく感触。水がぐるぐると腹や背を回り撫で、そこを石に変えていく。もう、ティレイラに残っているのは顔の感触だけだ。
「お願い、戻して。泉の水なんていらないから、やめてぇ!」
「ダメって言ってるでしょっ!」
 笑い転げる魔族に怒ることもできず、ティレイラの悲鳴に似た懇願はは虚しく洞窟の中に反響するだけだった。
「それじゃ、おやすみなさーい」
 紫色の指が魔力を帯びて光る。
「いやっ、やめ――」
 ティレイラの言葉はそこで途切れた。彼女の顔に、頭上から落ちたしずくが伝い流れた。


「ふうん……竜族も、オブジェとしては使えるかもね?」
 満足げに呟いた少女は、泉をしばらく眺めた後、軽い足取りで広場を離れた。
 泉の縁には、ヘビ、クモ、コウモリの鍾乳石が牙を剥く。その真ん中に置かれた一つの彫像は、何かにおびえて逃げようとするも一歩間に合わなかった、竜族の少女。美しい水に浸るその彫像は、白い石ばかりでできた鍾乳洞の中を不自然なほど美しく恐ろしく彩っている。
 彼女の封印が解除されるのはいつのことだろうか。魔族に良心がなくとも、飽きたころには開放してもらえるだろう。……忘れられていなければ、だが。