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<東京怪談ノベル(シングル)>


フェンリルナイト10〜崩落〜
 どれくらいの時間、そうしていただろう。
 目の前に広がる、美しすぎる光景とは裏腹に、みなもの心は不安定に揺れていた。
――“あたし”は、ここから見るアルフヘイムが好きだった…。
 みなもの脳裏に蘇るのは、幼い頃、ハーフエルフだからと迫害され、一人で泣いていた時、ここに立って、世界を見ていた。傍らに、白銀の狼が寄り添いながら。
――でも…。
 それは、あくまでこのゲームの主人公としての“みなも”の記憶だ。
 少し前までは、現実の自分とゲームの世界の自分が混在し、まるで主人公の行動が、みなもの選択そのもののように感じられていた。そう、例えるなら誰かに操作されている感覚。
 だが、今は、確かに“みなも”としての記憶も持っているが、はっきりと現実世界を生きる海原・みなもとしての自分も存在している。
 それは、似て非なる存在。まるで、表と裏のよう。
――そう、例えば、あたしの前世がフェンリルナイトとして世界を救うため、自分の命も顧みずただ世界を救いたいがために戦っていた、という感覚、なのでしょうか。
 そう、客観的に考えなければ、自分を保てそうになかった。
 過去の自分は、世界の為に尽力したのかもしれない。自分の住む世界が好きで、そこに生きる人々が好きで、だから、護りたいと強く願った。
 だが、ここに存在するみなもは、ただの中学生だ。
 いきなり、訪れた街で、護人として頼られ、過度の期待を寄せられ、全能の魔女や白銀の狼には、選択を迫られる。自分が、どう動くべきなのかを。
――あたしには、わからない…。
 胸中で絞り出すように言って、みなもは、立てたひ膝に顔をうずめた。
 一介の中学生に、一体何ができる? この世界に住人でもない自分に、ただ、強い力を持っているというだけで、心の方が、それに追いつかない。
 そんなことを考えていると、
「おぬしは、ここがすきなのだな」
 不意に、頭上から声が降ってきた。と言っても、それほど身長の高くない彼女の言葉だから、それほど、遠くには聞こえなかったが。
「……」
 その言葉に、みなもは何も答えられなかった。好きか嫌いかと聞かれれば、たぶん、好き。でも、それは、昔からなじみのある光景として捉えている“みなも”の感想なのか、純粋にこの景色を美しいと思うみなも自身の感想なのか、わからない。
 それを、どう解釈したのか。全能の魔女は、構わず言葉を続けた。
「ここは、昔から変わらぬよ。どれほどの年月が過ぎようとも、街がどれほど発展しようとも、この、美しい自然は、変わらぬ」
「え…?」
 魔女の唐突な言葉に、みなもは思わず顔を上げた。すると、全能の魔女は、何かを懐かしむように、ずっと、眼下に広がる森と、その先のビフレストを見ていた。
「この世界の状態は以前話したな? ヴァルハラを頂点に、アルフヘイム、ミズガルズ、ニタヴェリールがビフレストで繋がっており、さらにその下方に、アースガルズがビスレストで繋がっておる」
「だから、ビフレストの消滅は、世界の消滅を意味する?」
「そうじゃ」
 小さく頷くと、全能の魔女は、その場に腰を下ろした。
「おかしな世界じゃろう? 何も、ビフレストで繋がずとも、それぞれ独立した世界であれば、もしくは、世界ではなく、同じ世界の中に存在する大陸でも良かったはずじゃ。しかし、この世界を作りたもうた神は、そうしなかった」
 なぜだかわかるか、そう言いたげに間を空ける魔女に、みなもは静かに首を振る。すると、彼女は、小さく息を吐き、それから、空を見上げた。
「繋がっていたかったのじゃよ。例え、それで不安定な世界になろうとも、神は、ヒトと、繋がっていたかったのじゃ」
「そんなこと…」
「勝手だ、と、思うか?」
 聞かれて、みなもは思わず口をつぐんだ。
 みなもの発言が、間違っているとか、言ってはならないことだとか、そういう話ではない。いつになく優しい口調で語る魔女の言葉を、これ以上遮りたくなかった。
「そうじゃな、今、ビフレストが消滅の危機にあるのは、神の力が弱まっているせいじゃ。原因はわからぬが、ただはっきりしているのは、神の身に何か起きたということ、そして、それを確かめるためにヴァルハラに渡ることができるのは、神族とエルフの子である、お前さんだけということじゃ」
「……」
 また、魔女からかけられる重圧。
 あたしはそんな高尚な人間じゃない、ただ普通の中学生だ、そう叫びたくなるほどに。
「みなもよ、この世界は、本当に美しい世界じゃ。わしは全ての世界を見てきたが、どの世界も、人々は生き生きとしておった。ビフレストで繋がっているからこそ、人々は神への感謝を忘れぬ。その代わり、神はヒトの子に様々な恩恵を与える。ここは、そうやって成り立ってきたのじゃ」
 まるで、昔を懐かしむ魔女の言葉に、みなもは、ただじっと聞いていた。
 だが、彼女が、世界各地を回ったということは、それだけの力があるということ。第一、ここにみなもを送り届けたのも、彼女のビフレストを渡る能力があってこそだ。
――もしかして、この方は…。
 一瞬、みなもの脳裏をある考えがよぎったが、まるでそれを遮るように、全能の魔女が言葉を続けた。
「以前、ヴァナディース、フォルセティ、マグニの三人が世界を救った時、ヴァルハラは、ある一人の神族の反乱により、混沌とした世界になっておった。その戦を収めたのち、人間で聖騎士のフォルセティは、世界の浄化の為に、己が命と引き換えに、その力の全てを使い果たした。獣人で拳闘戦士のマグニは、それ以来戦うことをやめ、各地を巡り、争いがいかに悲惨な結果を生むかを説いて回っておったな。そして、エルフで護人のヴァナディースは、そう簡単にビフレストで誰彼構わずヒトがヴァルハラに入ることを禁じ、またあのような悲惨な出来事が起こらぬよう、永遠の時間を手に入れ、ずっと、見守ることにした。それが、この世界の全てで、現状じゃ」
 最後にそう付け加えると、全能の魔女は、ようやく、みなもの方を真っ直ぐに見て笑った。
「じゃがな、みなも。先の話を聞いて通り、昔は、三人が協力し合って、世界を救った。ならば、あと二人、フォルセティとマグニの継承者が、ヴァルハラへ向かうはずじゃ。そこで、おぬしに問いたい」
「はい…」
 そこで、みなもは、ようやく声を出して頷いた。
 どうせ、魔女の言葉など決まっている。世界の為に戦え、だ。そこで、即座に頷ければ、主人公としては良いのだろうが。
――あたしは、海原・みなもで、この世界の“みなも”じゃない…!
 そこまで、言葉が出かかった時、
「今なら引き返せるが、どうする?」
「え…?」
「実際、ビフレストに行ってみないとわからぬが、昔のように、三人で力を合わせなければ乗り越えられないかどうかなど、今ここで言えるものでもない。ましてや、おぬしは、この世界の住人ではないのじゃからな」
「ッ……!?」
 魔女の言葉に、みなもは、思わず息を飲んだ。その言葉に真意をはかりかねて。
 だが、本当に、全能の魔女が、最初から知っていたのだとしたら、
「あの、あたし、は…」
 明確な答えなど、持ち合わせていない。だが、何か言わなければ。突き動かされるままに、思わず口を開いたみなもだったが、
「ッ…!」
 声にならない声を上げたのは、二人同時。
 刹那、アルフヘイムに、巨大な地響きが響き渡った。