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<東京怪談・PCゲームノベル>


――懺悔に教会――



 その白い教会の中には、沢山の、あらゆる人の記憶が保管されている。
 何処にどのようにして保管されているか、また、何故そのような物が保管されているのか、その辺りの事は、知る人しか知らないし、だいたいそんな事を言い出したら、保管されているということは、誰かがいつか利用するためなのではないか、とか、何かのためなのではないか、とか、だったらそれは何のためなのだ、とか、どんどん気になり始めたりして、話が前に進まないので、詮索しない方がいい。
 とりあえず今日、管理人は、その中にある記憶の一つを、作為的に、あるいは無作為に取り出した。
 何故なのか、であるとか、取り出してどうするのか、とか、むしろ管理人って誰なのだ、とか、そう言う事は、やっぱり今は、詮索しない方がいい。
 語られるべきは。
 管理人によって取り出された、ある一人の少女の、こんな話。



××One day of a moratorium××



 彼女は歩いている。
 深い森の中を歩いている。
 何のために、何処に向かって歩いているかは、彼女自身良く分かっていないのだけど、けれど逃げたいという気持ちだけが強くあって、でも、一体何から逃げ出したいのかと言われれば、何だかもー良く分からない。
 頭の中がぼんやりとしている。
 施設で打たれた、薬とかのせいかも知れない。
 でも、違うかもしれない。
 踏み込む度、かしゃかしゃと、枯れ葉が足の裏で音を立てる。
 真っ直ぐ前に歩いているつもりだけれど、しっかりと前に歩いているつもりだけれど、先程から何か、よたよたしている。
 と、自分の中にある妙に冷静な自分が言う。
 けれどそれは地面が悪いので、何だかぶよぶよした地面が悪いので、あたしは悪くない。
 そう考えた次の瞬間にはもう、全く違う言葉が脳裏をよぎっている。
 木々から落ちた枯れた葉が、いつの間にか腐り、土に返り、また新たな緑が芽吹き、枯れ、土に返り、そんな命の営みが幾重にも重なり、この地面を形成。
 どうでもいいのだ。
「あたしはその営みの外にいるのだし」
 彼女は呟く。眼前に垂れてきた乱れた黒髪が、息で小さく、揺れる。
 左右で色の違う、虚ろな瞳でそれをじーっと見やり、
「でも、これ、鬘だし」
 って小さく呟いたら、自分で言った言葉だけれど、何だか凄い可笑しくて、ちょっと、笑った。
 そして笑った次の瞬間には、膝に手を突き足を止め、喉の奥から異物を吐き出さんとするかのように、嗚咽く。
 体の中に、何だか酷く違和感があり、体の外にも違和感があり、何もかもを吐き出してしまいたくて、けれど出たのは、ほんの少しの汚物だけだった。
 彼女はまた、歩く。
 思考はあっちへいったりこっちへいったり、せわしないわりにぼんやりとしていて、その度に支離滅裂な言葉が口をつく。
 次第に、川が見えてきた。小じんまりとした滝もある。
 彼女は躊躇いなくその中に足を踏み込んで行く。
 着ていた服が濡れた。どうせ飛ぶ時には破れてしまうなのでどーでもいー。水を吸い込み服が重くなる。どんどん重くなる。胸の辺りまで水が来ている。どうせいつでも飛べるのでどーでもーいー。
 よれよれの、施設のユニフォームが、水を吸い込み、透ける。
 下着なのか水着なのか、良く分からない、黒い物が透けて見える。
 水が冷たいのか、生ぬるいのか、良く分からない。
 何かもうふらふらと、流れる川の勢いに抗いながら歩いて、途中にあった大きな石に、手を伸ばす。すか、と空を噛む。もう一度伸ばす、今度はしっかりとした手ごたえを感じる。体重をかけた瞬間、ずる、と滑った。
 慌ててもう一方の手を伸ばす。掴まる。さっきよりは注意深く、恐る恐る、体重をかける。
 痩身の体を、実に重たそうに石の上に持ち上げ、ゆっくりと腰掛けた。
 滝が見える。こじんまりとしていても、水が流れる勢いは、わりと凄かった。
 とか別に、どうでも良くて、彼女は手首に取り付けられたビニル製のベルトのような物に気を取られていた。ビニルに、意味不明な英数字の羅列が印字されている。
 文字に、指を這わせる。爪で、ビニルの端を引っ掻く。指を押し込み、引っ張ってみる。強く、引っ張ってみる。
 ちぎれない。
 ちぎれないのか。
 ちぎれないのだ。
 管理されているから、ちぎれないのだ。
 戦うために管理されて、管理する。
「IO2戦略創造軍情報将校」
 滝から水の流れ出る音が、煩い。
「施設から逃亡した!」「出入り口を封鎖しろ!」
 記憶の中にある人の声が、浮かんでは、消える。



 彼女は歩いている。
 水にぬれた衣服のまま、おぼつかない足取りで、林の中を進んで行く。
 突然、ぽっかりと視界が開けた。
 古ぼけた石造りの洋館が、見えた。
 彼女は足を止め、暫しそれを観察する。ぼやけてくる視界を、瞬きで何とかやり過ごし、ふらふらする頭を、懸命に定めながら、観察する。
 けれどやがて、また、歩き出した。洋館へと続く、石の階段を上る。
 なだれ込むように入口へと到達すると、汚れきった、薄い木製の扉の、元は金色だったと思しき、錆びたドアノブに手をかけた。
 ぎし、と軋むような音を立て、扉が開いた。
 古びた壁が見える。汚れた床には、塵や埃や、食べカスと思しきコーンフレークや、何だか良く分からないゴミのようなものが落ちていた。
 幾つかは踏みつけて、幾つかには躓きながら、構わず、進む。
 黄ばんだ、白いソファの置かれた部屋に出た。汚れきって、外の景色もきちんと見えない窓がある。そして、クローゼットがある。
 彼女は、それにそっと指をかけた。
 キイ、と、軋むような音と共に扉が開く。
 中には無造作に、整理整頓とは程遠い形で衣服が詰め込まれている。
 ぼんやりとそれを見つめていた彼女は、徐にその中の一つを手に取った。ばさ、と他の衣服が落ちてくるのにも構わず、引き抜いた。
 白いだらんとした布のような、今は汚れて濡れてしまったそれを脱ぎり去り、その黒いジャケットを着込む。落ちていた黒いタイトなパンツを手に取り、足に通す。
 曇った鏡に、自らの姿が映る。
 ジャケットから、黒い布に覆われた胸の膨らみが、覗いている。
 瞳から、涙があふれる。とめどなく、溢れる。


 ソファで横になっていたら、りんごん、と鐘の音のようなドアチャイムが鳴った。
 彼女は警戒する。チャイムは鳴り続ける。
 煩くて仕方がないので、とりあえず、体を起こした。鬘が、クッションに引っ掛かり、ずる、と抜ける。
 暫くの間、それを不思議そうに、見つめた。
 頭皮に触れる。辺りを見回す。長いイヤーフリップのついた帽子があったので、目深に、被った。
 入口のドアへと向かう。隙間からそっと、瞳を覗かせる。
 白いワイシャツに綿のパンツをはいた、眼鏡の男が立っている。小脇に何か、本のような物を抱えている。
 組織との関係はなさそうだ。
 思った瞬間、向こう側に居る男と、隙間から覗く彼女の目が、合った。
「こんにちは」
 すぐさま、彼が、言った。
「何か?」
 呟くように問いかける。
「近所の教会から来たものです。何か、お困りな事はありませんか。良かったら、お話だけでも聞いて頂きたいんですが」
 そして男は、小脇に抱えていた本のような物を、隙間に押しつけてきた。
 聖書の文字が見える。
 彼女はもう少しだけ扉を開いて顔を出し、辺りを見回した。
「怪しいものではありません。ただ、貴女のお話が聞きたいだけです」


 彼女はソファへと戻った。
 なだれ込むようにそこへと座り、俯く。
 聖書を抱えた男が、向かいに、座った。
「近所にある教会から来ました。勧誘をしよう、というわけではありません。ただあの教会の成り立ちの話を聞いて頂けませんか?」
「政府は私に聖戦の兵器として悪用される事を避ける為、特定宗教との関係を禁じています」
 項垂れたまま、まるで呪文を唱えるように、呟いた。
 男は、戸惑ったような表情を浮かべたものの、まるでそうした人達を導くことこそが自らの使命なのだと、だいたい、そうした人達がどういう人達なのかも良く分からないのだけれど、とにかく、そうした使命感に燃えたように居住まいを正すと、眼鏡を押し上げ、続けた。
「いえ、確かに、礼拝に来て頂ければ、嬉しいですが。別に寄付をお願いしたり、そうするように仕向けるような話をするわけではありません。ただ、僕ら人間の贖罪を」
「告解することこそ、罪なんです」
「え?」
「ですが、禁を犯して告解します。何故なら、出来るというならば、主の力で私の存在を永劫消し去って欲しいからです」
 これはいよいよ危なくなってきたのではないか、というような戸惑いが、男の顔に走った。
 けれど、彼女は元よりきちんと相手の話を聞いていなかったし、だいたいそこに男が居る、という現実すら上手く認識出来ているかどうかも危うい状況で、ただ、単語の羅列が脳に引っ掛かり、言葉が口から飛び出てしまったような状態なだけだった。
「もう疲れました。天国でも地獄でもなく無に返りたいんです」
 鐘の音が、遠く響いた。
 幾重にも重なり、響いた。
 近くに教会があるのは本当らしい、と、突然現れる妙に冷静な自分が、分析をする。
「私は産みと育ての親を殺しました。末期癌の母は私の生存を願う余り、虚無の境界と手を組んで私を兵器として産みました。養母はIO2の任務をしくじり死刑宣告を受けた後、同じく虚無に亡命をしました。二人とも私がこの手で倒しました。私自身、種族を丸ごと滅ぼしています。ある場所を護る守護天使達に移転を促す依頼で説得に失敗。結果、IO2の掃討を許す事態を招きました」
 ゆっくりゆっくり、脳に過る単語を繋ぎ、言葉を発する。
 男が、「大丈夫ですか?」と、細波のような声を辛うじて搾り出す。もちろん、彼女は聞いていない。
「報いなら受けました。私には人前で繰り返し髪と衣服を喪う羞恥を受け、生涯男性と結ばれない呪いが掛かっています。神の力を借りても死ぬまで解けない強力な因業です。私は任務で人を殺しました。これからも殺すでしょう。兵器として生きる以上、任務は任務なのです」
 男はやがて立ち上がり、「申し訳ありませんが、やがて日を改めて。これから、まだ回らなければならない場所もありますので」と、引き攣った笑みを浮かべながら言って、部屋を出て行く。
「ただ消えたいだけなのに」
 彼女はそれにすら気付かず、両手で顔を覆う。
 そしてただ、消え去りたいんです、と繰り返す。
 扉は閉まる。
 彼女は顔を膝に頭がつくほど体を折り曲げ、まるでその姿は祈っているようにも、見えた。
 本当に消え去ることが出来るのならば、今すぐにでも、この願望を叶えて欲しいと彼女は願い、けれど一方で、そうしてはならない、と強く訴えてくる声に、懊悩する。
 自分が一体どうしたいのか、自分が一体どうすべきなのか、考えれば考える程、頭がぼんやりとして働かなくなる。
 鐘の音が、響いている。
 幾重にも重なり、響いている。
 祝福されているのか、警告されているのか、罪を責められているのか。
 進むべきか戻るべきか、あるいは、終わるべきなのか。
 彼女は虚ろな瞳のまま、古ぼけたソファの上に横になる。
 壁を見つめた。次第に輪郭がぼやけていく。
 ただ今はもう少し、このモラトリアムの中に漂わせて下さい。
 そして彼女は、次第にゆっくりと、瞳を、閉じた。









    END








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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 7134/ 三島・玲奈 (みしま・れいな) / 女性 / 16歳 / メイドサーバント:戦闘純文学者】