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<東京怪談ノベル(シングル)>


Night Walker 東京が眠る夜



 ふわり。甘いにおいが通り過ぎ、千影は足を止めた。
 チェシャ猫がニンマリ笑っているような細い三日月に、パラパラとコンペイトウを撒き散らしたように輝く満天の星、明かりが消えた家々の窓。
 今日の夜は、とても静かだった。皆が眠ってしまっているかのような夜はどこまでも深く、濃い。
(誰かとすれ違った気がしたけど……気のせいかなあ?)
 周りを見ても、誰の気配も感じない。今日はニンゲンはおろか、猫までも眠ってしまう夜らしい。
 東京なのに―――誰かしらが光の番をしている大都会東京なのに―――今日は、みんな仕事をサボってしまっているらしい。
(今日の夜は、不思議……)
 誰の気配もしないのに、闇の向こうからじっとこちらを見ているような感じがする。
 廃墟のような住宅街を歩き、道が開けたところで千影の目に明るい光が見えた。煌々と輝くネオンは眩しいほどで、目を細めながら近づく。こんな不思議な夜に、起きているニンゲンがいるんだと感心しながら。
 ボロボロの壁は元の色が何色だったのか分からないほど汚れており、ネオンもショートしている文字があった。バチバチと耳障りな音を立てるネオンの下を抜け、中へと入る。
 そこはライブハウスだった。極彩色の光の粒が乱舞し、重低音がビートを刻む。お酒と煙草の臭いが充満した部屋は重苦しい熱気で満たされていて、千影は少し眉を寄せた。
 このまま回れ右をして出て行こうか。そうも考えたけれど、好奇心の方が勝った。
 サイドに置かれた丸テーブルの上で、派手な格好をした人たちが眠っている。怖そうなお兄さんも、キレイなお姉さんも、みんな幸せそうに目を瞑っている。正面のステージでは、金髪のお兄さんとギターを持った茶髪のお兄さんが折り重なるようにして倒れている。
(重くないのかな……)
 そう思って近づいて顔を見てみたけれど、どちらも幸せそうな顔をしていた。
(……やっぱり、今夜はヘン……)
 ステージの横にあった扉を開ければ、薄暗い廊下が奥へと続いていた。少しホコリっぽいけれど、ここまで煙草の臭いは充満していなかったため、先ほどよりも楽に呼吸ができた。
 足元に乱雑に積み重なったポスターの束を踏まないように、蹴らないように注意しながら進む。左右の扉には目もくれずに、突き当りの扉へ向かうと慎重に開けた。
 そこは今までとは違う、モノトーンでまとめられた普通の綺麗な部屋だった。煙草の臭いもホコリの臭いも、お酒の臭いもしない。
 ふわり。先ほどと同じ、甘いにおいが千影の鼻をくすぐる。
 お菓子とは違う甘いにおいは、金木犀や沈丁花のようなお花のにおいに似ていた。どこから香っているのか目を凝らした時、純白のベッドに横たわる男の子を見つけて思わず「あっ!」と声を上げた。
 一人が寝るには大きすぎるキングサイズのベッドの上で、まるで童話の中のお姫様みたいに眠っている少年に近づく。
「聖陽ちゃんだ!」
 昼神聖陽。千影が先日、夜のお散歩のついでに頼まれた依頼で出会った、迷子ちゃんだ。
 キラキラの銀色の髪に、白磁のような肌。ピカピカの金色の瞳は瞑っていて見えないけれど、千影はオトモダチを間違えない。
「……聖陽ちゃん、起きて」
 そっと銀の髪に触れる。かすかに睫毛が動き、低く「んー」と唸りながら目を開ける。今日も相変わらず、眩しいほど輝く瞳がそこにはあった。
「……時計塔」
「 ? 聖陽ちゃん、大丈夫?」
 トロンとした目のまま、聖陽はベッドの脇にしゃがむ千影を見つめた。
「千影?」
「うん、そうだよ。聖陽ちゃん、こんばんわ♪」
「あぁ、こんばんわ……って、何でこんなところに?」
 急速に自我を取り戻していった聖陽は、ガバリと勢いよく起き上がると頭を押さえてうめいた。どうやら、頭が痛いらしい。
「チカは、お散歩だよ☆ 聖陽ちゃんは、どうしてこんなところにいるの?」
 大丈夫? と、聖陽の背中を支えながら首を傾げる。
「夜は大抵ここにいるんだ。ここなら、人が大勢いるから、魔に襲われる確率が低くなる」
「みんなね、眠っちゃってるのよ。町中、みんなよ」
「……知ってる。時がおかしくなってるってアイツが言ってた」
「アイツ?」
「腐れ縁の知り合いだ。ああ、頭が……悪いが千影、鏡台の引き出しから薬を持ってきてくれないか」
「うん、いいよー。聖陽ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」
 部屋の隅にチョコンと置かれた鏡台の一番上の引き出しを開ける。キレイに整理整頓された引き出しの中に、白い錠剤が入ったリンゴの小物入れが見えた。薄いピンク色に色づけされたリンゴはガラス製で、千影はそっと小瓶を持ち上げると聖陽の元へ急いだ。
「はい、これで良い?」
「あぁ、ありがとう」
 ベッドの脇に置いてあった白鳥の形の水入れからコップに水を注ぐ。ガラスのリンゴを開けて白い錠剤を三粒手のひらに乗せると、一気に飲み込んだ。
「あたま、大丈夫?」
「……違う意味に聞こえるから、言い方を変えろ」
 ガクリと肩を落としながらそんな要求をする聖陽だったが、千影は笑うだけだった。
「それで聖陽ちゃん、何でみんな眠っちゃってるの?」
「千影は、神聖都学園の近くに新しく時計塔が建てられたのは知ってるか?」
「うん、しってるよー」
「あそこに良くない魔が巣食っていて、時間を滅茶苦茶に弄っているらしい。しかも最悪なことに、その魔は細かく時間を操れる。だから今は、それぞれが寝ている時間にセットされてるってことだ」
 ニンゲンの活動時間は個体によって違う。太陽と同じように、朝に起きて夜に眠る人もいれば、月と同じように夜に起きて朝に眠る人もいる。大体のニンゲンは太陽と同じ速度で生きているけれど、東京には月と同じ速度で生きている人がたくさんいる。だから東京は二十四時間ずっと起きている。
「そうなんだー。だから東京も眠っちゃってるんだね」
 千影はニンゲンではないから、睡眠を必要としない。だからどんな時間にセットされても、千影が眠ってしまうことはないのだが―――じっと、聖陽の顔を見上げる。
「もし、ニンゲンが眠っている時間にセットされてるんだとしたら、起こしても起きないってことだよね?」
「そうだろうな」
「じゃあ、なんで聖陽ちゃんは起きたの?」
「俺は……僕は、基本的に睡眠時間が少ないんですよ。このような体質のせいで、夜に眠ってしまうと魔に襲われる危険が高くなりますし、昼はやるべきことがたくさんありますから。ですから、長時間眠ってしまうと頭が痛くなるんです」
 にっこり。写真で見たのと同じ笑顔に、千影は目をパチクリさせた。先ほどまでの冷たい表情から一転、慈悲深い穏やかな笑顔に一歩後退る。
「……聖陽ちゃん?」
「そうですよ」
 声も見た目も聖陽には違いないのだが、中身は別人だった。どうして急にこんなことになったんだろう。そう考えている千影の前で、再び聖陽の顔が不機嫌そうに歪む。
「ちっ……また勝手に人の時間をいじりやがって。千影、とっとと不愉快な魔を倒すぞ」
「 ? う、うん……」
「……とは言っても、俺の管轄外の魔だ。俺は何も出来ないけどな」
「チカ、ちょっと強いから大丈夫だよ」
 わけが分からないながらも、コートを羽織って外へと出て行く聖陽の後を追う。大またで歩く聖陽は早く、千影は小走りになった。トテトテと走り―――ツンと、足元にあった何かに引っかかった。
「大丈夫ですか?」
 爽やかな笑顔と共に抱きとめられる。どうやらまた聖陽の時間が弄られてしまったらしい。
「聖陽ちゃん、ヘン」
「千影に言われたくないんだが……」
 再び千影のよく知っている聖陽に戻る。
 最初はなんだか不気味だったけれど、慣れてくると意外と楽しい。穏やかな聖陽から千影の知る聖陽に戻った時の、不機嫌な顔が面白い。
「くすくすっ」
 思わず声を出して笑えば、こわーい顔をした聖陽が千影をにらみつけた。瞬間的にぷいと顔をそらし、足元に寝転がっていた男性を壁際まで引っ張ると、上半身を壁にもたれかけさせた。
 聖陽がむっすりした顔のまま、外へと出る。
 今日は、風もない。だから余計に東京は静まり返っていた。
「……どうしてなのか、きかないのか?」
「なにを?」
 ふいにそう尋ねられ、千影は首を傾げた。
「どうして性格が違うのかとか……」
「んー、ちょっと面白いなーとは思うけど、でもどっちも聖陽ちゃんだから、チカ気にしないよ♪」
「……そうか」
 微笑む。その笑顔はあまりにも穏やかで、今はどちらの聖陽なのか分からなかった。
「それじゃあ、早いとこ異分子を排除して時間を元に戻すか」
「うん!」
 千影は元気良く頷くと、膝上のスカートをフワリと揺らしながら走り出した。


 神聖都学園に程近い場所に出来た大きな時計塔は、天辺に巨大な鐘があるのが特徴的だった。
「ぜぇ、はぁ……」
「聖陽ちゃん、フレーフレー!」
「お……俺は……知能派だから……こ、こういうのは……」
 息も絶え絶えな様子で螺旋階段を上る聖陽を励ます。元々武道派ではない聖陽は、持久力の要求される運動があまり得意ではなかった。
「後もうちょっとで最上階だよ!」
「ぜ、絶対……異分子を排除してやる……俺にこんな重労働を課すなんて……絶対、徹底的に排除してやる……」
 そうは言っても、聖陽には倒せない魔なのだからどうすることも出来ない。挙句、口だけは勇ましいことを言っているけれど、足は生まれたての子馬のようにガクガクだった。とは言え、未来へ向かっての第一歩を懸命に踏み出そうとしている子馬の頑張りと比べるのは失礼だと思うほど、無様な姿だった。
 瀕死の聖陽をそのままに、千影はタンタンと軽やかに階段を駆け上がると、爪を長く伸ばして鋼鉄の扉を切り裂いた。真四角に切り取られた扉はゆっくりと部屋の中に倒れこみ、ズシンと重たい音を立てながら床に伏した。時計塔自体が比較的新しいため、ホコリが舞い上がることはなかった。
 小さな窓から入る月明かりは頼りなく、周囲はほとんど見えない。けれど、千影にとってはあまり関係がなかった。
 魔を見るのは、目ではなく感覚。だから、視覚情報としてとらえられなくても大丈夫だった。
「みぃつけた♪」
 一番ザワザワしている場所を発見し、タンと高く跳躍すると、地べたに置かれていた機械を飛び越えて着地する。
 ソレは、何の形にもなっていない、ただの闇だった。モヤモヤとした黒いモノがパソコンを取り囲み、渦を巻きながら漂っている。
(んー、攻撃しても、あたらなさそう……)
 試しに爪の先をモヤの中に入れてみるけれど、黒い闇は千影の爪を避けるように分かれてしまう。
(むう、どうしよう……)
「おい」
「にゃん!」
 突然後ろから声をかけられ、千影はビクリと飛び上がると振り返った。
「……ビックリさせんな!」
「それはチカのせりふ!」
 どうやら千影の反応に聖陽のほうも驚いたようで、心臓を押さえながら目を見開いている。
「これ……死霊の類だな。って言っても、形になってないですから、倒すのは骨が折れますね」
 途中から穏やかなほうの聖陽になったらしく、不機嫌な顔から一転して困ったような顔になる。
「んー、でも死霊ならチカ、たおせるよ」
「形がなくてもですか?」
「うん、食べる♪」
「いやいやいやいや、待て! 画的に待て!」
 いただきまあす♪と、手を合わせる千影の肩を掴む。今度は千影のよく知っているほうの聖陽になったようだ。
「大丈夫、お腹は壊さないよ?」
「そうじゃなくて! ……拾い喰いはダメって習わなかったのか!」
「んー」
 人差し指をあごにつけ、上を向く。記憶のアルバムを引っ張り出し、捲っていく。
「言われたような、言われていないような……」
「言われたんだ! ちょっと、俺が別の解決策見つけてやるから待ってろ」
「うん、いーよ♪」
 聖陽の目が右へ左へと動く。真剣に考えている横で、千影は黒いモヤに指を入れて遊んでいた。
 千影がすっと指を入れれば、モヤが素早く左右に分かれる。ゆっくりと入れれば、ジワリと左右に分かれる。それが面白くて、速度を変えて何度もやっていると、聖陽が千影の頭をコツンと叩いた。
「遊ぶな。あと、一応の解決策を考えた」
「なあに?」
「そのモヤは、パソコンから離れない。千影がいくら弄り倒しても、パソコンから離れることはしなかった。だからつまり……」
 聖陽が結論を言う前に、千影は鋭い爪でパソコンを真っ二つに切り裂いた。
 言うなればそれは、探偵役が推理によって導き出した犯人を名指ししようとした瞬間に、警察が手錠をかけてしまったようなものだった。
 パソコンが火花を散らしながら半分に割れ、黒いモヤが急速にひいていく。部屋に充満していた重苦しい空気が一掃され―――時計塔の鐘が東京の夜に鳴り響いた。


 東京が起きはじめる。
 眠っていた人々は皆、不思議そうな顔をしていたが、真夜中の今を起きる人たちの大半は、そんな些細なことをいつまでも考え込むような人じゃない。
 東京は一日中光を灯しているけれど、僅かに残る闇には潜んでいる存在がいる。夜を生きる人たちは度々不思議な存在に出くわし、時に巻き込まれてしまう。
「しかし、何でパソコンに死霊なんかついてたんだ……」
 不思議だと考え込む聖陽の隣で、千影はざわつき始めた空気を吸い込んで、満足げに微笑んだ。
 静かな東京の夜も良いけれど、やっぱり東京の夜はこうでなくては居心地が悪い。
「おい、俺はライブハウスに戻るけど、千影はどうするんだ?」
「チカはおうちに帰るよ。もう十分お散歩したから」
「そうか……。それじゃあ、気を……」
 そこまで言いかけて、金色の目を細めると、千影の頭をクシャリと撫ぜた。
「そう言えば、夜はオトモダチなんだったな」
「うん♪ 聖陽ちゃんもオトモダチだよ」
「……それじゃあ、迷わずに帰れよ」
「聖陽ちゃんこそ、もう迷子になっちゃダメだよ」
 微妙に噛み合わないやり取りの後で、別々の方向に歩き出す。
 とっても不思議なことに巻き込まれたけれど、聖陽の新たな一面も見れたし、千影にとっては今日もとても良い夜だった―――


 後日、警察が水面下で捜査をしていた大規模な自殺サイトが、突然消えてしまったというニュースが新聞の一面に載った。
 でもそれは、千影にとっても、そして聖陽にとってもどうでも良い日常の一コマでしかなかった―――



END