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<東京怪談ノベル(シングル)>


Gratitude



 薄暗い室内には、カーテンの隙間から月がささやかな光を送り込んでいる。
 ベッドの中ですでに寝る時間となっているのにも関わらず、アリア・ジェラーティはもぞもぞと、寝付けない様子で何度か寝返りをうっていた。
 思い出すのは、あの少女のこと。柚葉のことだ。
 彼女を氷像に仕立てた時のことを思い出すと、溜息が口から零れてしまう。正直、勢いでやり過ぎたと後になってからかなり悔やんでしまったのだ。
「…………」
 つぅ、と空中に指を滑らせる。アリアの意志に従って、冷気や空気中の水分が凍結して収束し、形を成す。
 そこには、フィギュアサイズにした、あの時の柚葉の姿の小さな氷像があった。
 作りたてのそれを大事に手にとり、少し頭を撫でてみる。見事な女王姿に変身してくれた柚葉。アリアの願いを聞いてくれた彼女の言葉が、脳裏によみがえってはアリアを苛む。
 今まで気軽に生き物を氷像にしたりしてしまったが、柚葉にとってみれば恐ろしいことだったに違いない。
 気軽に引き受けられる内容ではない。もしも途中で壊れたらとか、考えてもみなかった。
(明日、あやまろう)
 でも。
 胸に過ぎるのは、嫌がっていた柚葉の姿。それを思い出すだけで、悲しい気持ちになって、気分がふさいでしまう。
 普通に謝っても、許してくれるかわからない。アリアは氷像をゆっくりと撫でて、それから決意して頷く。
 なにかお礼を一緒に持っていこう。柚葉の喜ぶような、そんな素敵な贈り物を――!

***

 まずはリサーチだ!
 そう決心し、「よし!」と気合いを入れてアリアはあやかし荘へと足を向ける。
 歩いていて、ふと気づいた。
 本人がいたらどうしよう!
(それは……困ります……どうしましょう……)
 おろおろとその場で立ち止まり、視線を宙にさまよわせた。
 リサーチとは、柚葉の喜びそうなものを贈ろう! という趣旨でやるのだから、本人がいては困るのだ。

 あやかし荘の近くへとなぜかしのび足で近づき、そっと道の角からうかがう。怪しいことこのうえないが、仕方ない。
(柚葉ちゃんがいるかどうかが、わかりません……)
 これは困った。
 誰かに尋ねたいところだが、うっかりそこに柚葉がいては自分が来たとばれてしまう。
 はっ、そうだ!
(いいこと思いつきました!)
 両の拳に力を入れて、アリアはしっかりとその場で頷く。とりあえず、目の前を猫がすたすたと通り過ぎていった。

 アリアの考えた作戦とはこうだ。
 あやかし荘の住人に、柚葉の好みなどを聞き出す。これは当初とは変わってはいないが、直接ではなく、住人たちがあやかし荘から出てきたところを狙うことにした。
(そうすれば柚葉ちゃんと遭遇しない……)
 我ながら名案である。ただし……明らかに不審者ちっくになっているのは……我慢だ。
 そわそわと落ち着きなく待つこと……一時間。
(お掃除に誰かが出てきたけど、それだけ……)
 これは忍耐のいる作戦のようだ。……ちょっと、後悔。



「ん? んん?」
 柚葉は目を凝らす。玄関先から見える、怪しげな影。
「んん〜?」
 首をかしげてしまう。あの、明らかに道の角からこちらの様子をうかがっているのは先日会った、少女・アリアではないのか?
 なにをしているのだろう。不審だ。かなりあやしい。
(あ!)
 柚葉は先日のことを思い出し、眉間に皺を寄せた。まさかまた……氷像になってくれとかそういう類の頼みごとをしに来たのだろうか?
 あの時のことを思い出すと、やはりあまりいい気持ちはしなかった。
 嬉しいこと、楽しいことが大好きな柚葉としても、確かに自分以外が氷像になるならば喜んで賛同し、むしろそれをすすめる。しかしそれが己となった場合、違ってくるのだ。
(やっぱり当事者にならないとわからないことって多いもんね……)
 自分としても色々と反省したのだ、あの一件は。
 けれども柚葉は忘れていない。自分を氷像にしたアリアが、しばらく元に戻さなかったことを。
 半眼になる柚葉は、その後の彼女の言い訳を思い出す。
 綺麗だったから、つい。
(つい、であのままにされたらどうなってたか……)
 恐ろしさに顔をしかめていると、あやかし荘の住民が玄関を通って出て行く。柚葉は目でそれを追っていたが、住民はいきなり角から飛び出たアリアに行く手を阻まれた。
(ええっ!?)
 なにあの素早さ!
 衝撃を受けつつ、柚葉は様子を隠れて見守る。
 アリアはなにやら必死になって話している。あまりにも必死すぎて、見ているこっちがハラハラしてしまった。
(なにやってんの、アリアちゃんは)
 頭の上に疑問符を浮かべて、柚葉はとりあえず見守ることとした。



「ありがとうございます!」
 ぺこりと盛大に頭をさげたアリアの横を住人が通り過ぎていく。
 もう何人かに色々と聞いたが、これなら充分かもしれない。……でも。
(せっかくなら、もっともっと!)
 どうしても欲張りがちになってしまうが、ここまできたら引き返せない。それに、充分だと思っていても、いざ買いに行ってそこで迷い始める可能性がないとは言い切れなかった。
(も、もうあと三人くらい)
 そうだ。三人くらいならいいだろう。そうこうして待ち伏せをしていると、朝一番に出て行った住人が戻ってきてしまった。
 アリアに軽く挨拶をして帰っていくその人物に軽く頭をさげる。一応柚葉のことを調べていることを伏せてもらうように言っているが……。
 アリアは視線を落として自分の拳を見た。もう、いいのではないだろうか?
 このままここにいては、あまりにも不審者すぎる。警察に通報されてもおかしくない。
 空を見上げ、太陽が中天をとっくに通り過ぎていることにお腹が空腹を知らせる。
(おなかがすきました……)
 よし!
 気合いを再び入れて、アリアはそこから歩き出す。
 遅い昼食を兼ねて、買い物に行こう! 買い物で迷う時間に費やそう。よりいいものが見つかるかもしれない。
 ふと気になったのは、柚葉がそれを気に入ってくれるかどうかだ。



「これです! これにします!」
 選んだものに満足して、綺麗に包装してリボンもつけてもらった。柚葉は喜んでくれるだろうか?
 謝罪を受け入れてくれなくてもいい。喜んでもらえればそれでいいという気分に変わりつつあった。
 紙袋に丁寧に入れてくれた店員に「ありがとうございます」と言ってから、アリアは再びあやかし荘を目指した。

 あやかし荘がもうすぐ、というところで、ぎくりとアリアは硬直する。
 そこに柚葉が待ち構えていたからだ。どうしようかと目をさ迷わせていると、向こうがこちらに気づいて駆け寄ってきた。
 思わず反射的に買ってきたプレゼントを背後に隠してしまう。
「柚葉ちゃん……」
 言葉が震える。柚葉に決定的な何かを言われる前に謝ってしまおうと、アリアは頭をさげた。
「ごめんなさい! これ、この間のお礼です! 受け取って、くださいっ」
 ずいっと紙袋を前にすると、柚葉はかなり驚いたようで目を丸くしている。のろのろと受け取りながら、尋ねてきた。
「ねえ、朝からあやかし荘の前に隠れてたのって、これが関係してる?」
 ぎくっ。
 動きだけで察知したのか、柚葉はぷっと吹き出してけらけら笑った。
「なあんだ。へぇー。そっかぁ!」
「な、なんで笑うんですか、柚葉ちゃん」
「べつにー」
 笑顔の柚葉は、紙袋を片手にしたままにっこり笑った。
「この間のこと、これで許す。うん」
「ほんとに?」
「本当。だって友達でしょ?」
 ともだち。その言葉にアリアは感極まり、思わず胸の前で両手を組んで震えた。周囲の温度がぐっと下がり、冷気が集まり始める。
「嬉しいです、柚葉ちゃん!」
「わー! ストップストップ! なんか寒いんだけどー!」