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Spring of the Love
その日、月代慎は子供服の撮影が入っていた。
春真っ盛りだと言うのに、真夏の格好をして街頭に立つ。周囲は人払いがされてあったが、制止線の向こうには人だかりが出来ていた。
カメラマンの指示に従い、元気なポーズをとったり、ニッコリ微笑んだりする。少し寒くて気を抜くと鳥肌が立ちそうになるけれど、そこはプロ根性で何とか耐える。人間、心頭滅却すれば多少の寒さなら十分に我慢ができる。
数十枚のポラを撮り終わり、腕時計に目を落とす。もうこんな時間なんだと思うと同時に、これからの予定を立てる。今日は特別、この後になにか入っているわけではない。友達の家に遊びに行くというのも考えたけれど、草間興信所が近いことを思い出し、そちらに顔を出すことに決めた。
草間興信所では、毎日のように所長である草間武彦の意に反する依頼が次々と飛び込んでくる。ゆえに人からは怪奇探偵なるあだ名をつけられているが、本人は大変不服らしい。そうは言っても、草間興信所を訪れる人物のほとんどはソチラの方面の人間だ。かく言う慎も、退魔師の家系に生まれ、自身も退魔師を仕事としている。普通の人とは違う、ソチラの方面の人間だ。
そんなソチラ関係の人間の集まる場所には、必然的に彼らの得意な事件が舞い込んでくる。結果、草間興信所では通常の依頼よりもソチラの依頼が多くなり、怪奇探偵として名高くなっている。
いくら武彦が否定しようとも、周りが彼を怪奇探偵だと称するのだから、怪奇探偵に間違いはないのだろう。しかし、往生際の悪い武彦は未だに“ハードボイルドな探偵”を諦めていない。
「武彦さん、こんにちは」
興信所の扉を開け、スルリと中に入る。かけていたサングラスは胸ポケットにしまい、相変わらず汚い興信所内に苦笑した後で、デスクに突っ伏す武彦を見つけた。
慎が入ってきているのにも気づかないのか、武彦は唇を噛み締めて宙を見つめたまま動かない。
「武彦さん?」
「……あぁ、月代か」
はっと我を取り戻したように顔を上げた武彦は、苦虫を噛み潰したような渋い顔で口を開いた。
「夜神がいなくなった……」
慎の脳裏に、あの寒い冬の季節に二度だけ会った少女の顔が浮かんだ。
漆黒の長いポニーテールに、整った顔立ち、勝気な表情。夜神魔月は、慎の周りにいるような“お姉さん”とは違っていた。
普通のお姉さんなら、慎を見れば優しくしたり、甘やかしたりしてくれる。どこからどう見ても子供な慎は、お姉さんにチヤホヤされるような可愛い顔をしていた。自身が他者からどう見えるのかよく分かっている慎は、子供と言うポジションと自身の容姿を武器に、対人関係においてはかなり上手くやっていた。
年齢不相応なほどたくさんの対人スキルを持っていた慎だったが、魔月はそんなスキルをものともしない、自分の道を突き進むタイプだった。
初対面で魔月は、慎のことを“興信所のペット”と形容し“ポチ”と呼んだ。そしてさらに、月代慎だと名乗っているにもかかわらず勝手に“ジョン”と呼び始めた。“大人”な慎は、そんな魔月の言動にいちいち怒ることはしなかったが、変わった人だという印象は持っていた。
でも、人間としては変わっていたとしても、魔狩人討伐人の当主候補として変わっているわけではなかった。当主候補と名乗るだけの洞察力と思考力は十分あった。だからこそ、慎の考えは武彦と同じだった。
魔月は自ら失踪したわけではない。
そして同時に、こうも思う。死体がない以上、魔月はまだ生きている可能性がある。そして、もし生きていなかったとしても、死体が見つかっていないということは、死体を隠す理由がある。
いくら魔狩人討伐人当主候補としての能力を封じられている時間でも、アノ魔月が簡単に殺されるとは思えない。後者の推測を完全に捨てるまではいかなくとも、思考の半分以上、90%以上は前者の推測について考えたほうが良さそうだ。
問題は、魔月を攫ったのが魔か人か、あるいはどちらもなのかと言う点だ。
「武彦さんは、お姉さんを攫ったのはどんな存在だと思う?」
どんな“人”ではなく、どんな“存在”と言う言葉をあえて使うことによって、武彦の能力を試す。これで武彦が魔のみ、ないし人のみの立場から人物像を描き出すのなら、もうこれ以上は彼と対話形式で推理をしても時間の無駄だと言うことになる。
「人だとすれば、少なからず夜神に好意を抱いているか、殺したいほど恨んでいるかだな。魔だとすれば、夜神が見つかっていない以上は魔もしくは魔狩人が攫った可能性は低いと考えて良い。ぐずぐずしていれば、夜神の力が戻る時間になる」
「殺したいほど恨んでいる人間が犯人なら、この時点でお姉さんが見つかっていないのはおかしいと思うんだ」
「そうだろうな。夜神が攫われてから既に一時間以上経ってる。夜神家に何の連絡も入っていない以上、身代金目的の誘拐ってセンもないだろうな」
「昼神にも?」
「入っていないはずだ」
「お姉さんじゃなくても良かったってこともあるよね。たまたま目に付けたのがお姉さんだった」
「通り魔的な誘拐か……。可能性は低いが、ゼロではない以上、完全に否定は出来ないな」
でも、もし通り魔的な誘拐だった場合、夜神に連絡が入っていないのはやはりおかしい。それに、急に襲われたと仮定しても、魔月があっさりとやられてしまうというのは、腑に落ちない。
「現段階では、可能性は無限にあるよね。でも、その可能性をいちいち話し合ってたら時間ばかりすぎてっちゃうし……考えながら動くっていうのが一番良い手だよね」
武彦が同意するように、紫煙を思い切り吐き出す。
「夜神家には、魔の観点から捜してもらってるんだよね?」
「昼神にもな」
「それなら安心だね。それじゃあ、俺たちは人の線から調べよう」
“人間が誘拐した”と仮定した場合、武彦の守備範囲内だろう。いくらオカルト探偵として名高く、ソチラ系の依頼が多いと言っても、本来はここは興信所、探偵事務所だ。人探しから猫探しまで、探し物のプロだ。
「まず、ここ最近、このあたりで誘拐とか失踪とか、なにか関連する事件が無いか調べて……」
「私にお任せください」
今まで興信所の隅で黙って成り行きを見守っていた零が、ドンと自身の胸を叩く。
「それじゃあ、そっちは零さんに任せて、俺たちはお姉さんを恨んでいる人とか、逆にストーカーみたいな人がいなかったかを捜そう」
「そうだな。この時間ならまだ、学校に人が残ってるだろう」
「そういえば、お姉さんが通ってる学校って? お嬢様学校だとは聞いてるけど……」
「聖城和泉白羽学園だ」
その名前を聞いて、慎は目を大きく見開くと「知ってる……」と呟いた。
聖城和泉白羽学園―――せいじょういずみしらはがくえん―――は、幼稚舎からしか入学を受け付けていないという、特殊な学校だ。定員はきっちり100名、それなりの資産と家柄、そして容姿端麗で頭脳明晰でなければ入れないと言う、やたらと入学条件が厳しい学校だ。
全寮制ではないものの、ほとんどの生徒は学園が管理するマンションに住んでいる。マンションは学園の敷地内にあり、プライバシーが確保された広めの寮と考えて良い。日本の中でも、泥棒に入るのが難しい場所の上位に名を連ねているほど警備が厳重だ。
「聖城和泉白羽学園って言うと、聞き込みが難しそうだね。ほとんどの生徒は、学園内から出てこないだろうし」
広大な学園の敷地にはレストランやコンビになども充実しており、生徒は学園の外に出なくとも日常生活に支障はない。噂ではカラオケやゲームセンターもあるらしいが……あくまで噂の域を出ない。
「学校には、俺が一人で聞き込みに行くよ」
武彦が一緒では、生徒が身構えてしまう可能性が高い。昔のように閉鎖的ではないにしろ、聖城和泉白羽の生徒ともなれば、普段あまり接しない分、男性に対して警戒心が強くなるだろう。けれど、見た目が子供な慎ならば、警戒心も薄まるだろう。
「攫われたってことは、言わないほうが良いよね」
「そうだな。言ったら即警察沙汰になりそうだしな」
純粋なお嬢様方は、おそらく“魔月が攫われた”と聞いた瞬間に先生の所に走り、早急に警察に通報することを求めるだろう。魔月は未成年であるため、警察は必死になって行方を捜すだろう。夜神の力があれば警察を押さえ込むことは無理では無いだろうが、面倒くさいことにはなる。
「それじゃあ、行って来る。何か分かったら教えて」
携帯の番号は既に伝えてある。慎はここから聖城和泉白羽学園に行くまでの最短ルートを頭の中で弾き出すと、興信所を後にした。扉を閉める寸前に武彦が「気をつけろよ」そう言ったのが聞こえた。
魔月の着ているセーラー服と全く同じ服を着た生徒達に囲まれながら、慎は武彦の言う“気をつけろよ”の意味をやっと理解した。
女子とは、可愛いものが好きである。純粋に可愛いものが好きなのか、それとも可愛いものが好きな自分が好きなのかは分からないが、それでも女子はほとんどの場合、可愛いものを好む。
可愛いの範疇に入っている慎は、女性に警戒心を抱かせにくく、それどころか第一印象から好感をもたれる事が多い。だからこそ、女性から話を聞くのは得意中の得意―――だったはずなのだが……。
キャイキャイと言いながら集まってくる女子の集団に囲まれ、慎はたじたじになっていた。
一人なら、可愛い男の子→警戒心が薄れる→何でも聞いて→情報ゲット。となるはずなのだが、集団だとこれほどスムーズにことは進まない。
まず、こちらの話を聞いてくれない。口々に可愛いと言い、次々に質問を投げつける。“何処から来たの?”“いくつ?”“お母さんは?”“誰かの弟さん?”“お名前は?”―――聖徳太子じゃないんだから、そんないっぺんに聞かれても誰が何を言っているのか分からないし、口は一つしか無いんだから回答が追いつかない。
大体、勝手に写メを撮るってどうなのだろう。……動物園のパンダも、こんな気持ちなのだろうか。
可愛いがゲシュタルト崩壊しかけた時、セーラー服の中に違う制服が混じった。
「あれ? 慎君?」
他の生徒よりも一際美人なその人を見て、慎は思わず顔を輝かせた。
「千里お姉さん!」
「どうしたの? 一人?」
もう、抱きつきたい気持ちでいっぱいだった。まさに天の助けとは、このことだろう。
「あのね、お姉さ……魔月お姉さんのことで、ちょっと聞きたい事があってきたんだけど……」
「魔月さんって、もしかして、夜神魔月さん?」
「知ってるの?」
「うん、正也君がね、命の恩人だって言ってて……」
大貫正也は結局、魔憑き人だった時の記憶が残ってしまったと武彦から聞いている。
“普通の世界”の範疇にいた正也が、急に普通の世界から逸脱した存在を認識してしまったら、どうなってしまうのだろう。そう心配していたけれど、どうやら正也はそれなりに前向きに生きているらしい。
「それで、聞きたいことって?」
「あのね、最近魔月お姉さん、知らない人につけられてるみたいだって言ってたの」
「え……それって、ストーカー?」
「でもね、ただの勘違いかもとも言ってたんだ。で、もしかしたら同じ学校の人で、魔月お姉さんの周りに変な人がいたのを見た人がいないかなって……。本当はね、魔月お姉さんから相談されたのは俺じゃないんだけど、その人、ちょっと強面だから、俺が聞き込みに来たんだ」
“聞き込み”と言うときだけ、少し自慢げに言う。あくまで子供っぽさを追及した結果だ。
「夜神さんって、授業が終わるとすぐに帰ってしまいますから……」
「なんでも、お家が厳しいらしいんですって」
「でも、分かりますわ。夜神さんって、お嬢様の中のお嬢様って感じですし。元華族様でしょう? 代々由緒正しいお家柄ですから、厳しいんでしょうね」
「にわかお嬢様とは違うお育ちの良さが全身からにじみ出ていますものね」
……夜の魔月にしか会ったことの無い慎にとっては、あまりにも別人過ぎる評価だった。武彦が言うには昼の魔月は完璧なお嬢様を演じ切っているらしいが、想像ができない。
「そういえば……三日ほど前でしょうか、夜神さんのことを尋ねてきた男性がいらっしゃいましたが……」
「どんなことを聞かれたの?」
「何年生のなんて名前の人なのだと……もちろん、お教えしませんでしたわ」
「その人、どんな人だった?」
「そうですね……年齢は同じ歳くらい、茶色の髪に、ピアスを沢山つけてらっしゃいました。いわゆる不良という方でしょうか」
「背は?」
「高かったですよ。175cm〜180cmほどでしょうか」
高校生で茶髪でピアスをつけていて、そこそこ高い身長の男性―――これだけの情報では、対象を絞り込むことは出来ない。
一度興信所に戻って、武彦にこのことを伝えようか。そう考えていた時、千里が「あっ」と小さな声を上げ、携帯を取り出すと短く操作をし、画面を聖城和泉白羽の女生徒に向けて見せた。
「もしかして、この人?」
「…えぇ、そう…たしかにこの人ですわ」
「見せてっ!」
千里の手から携帯を受け取り、画面の中で不敵に微笑む男性を見つめる。
「この人、誰?」
「市谷仁。私と同じクラスの子なの。……最近、好きな子が出来たって言ってたけど……」
「この人と連絡取れる?」
「正也君なら番号を知ってると思う。聞いてみるから、ちょっと待って」
千里が正也に連絡を取っている間、慎は武彦に“もしかしたら魔月を攫った相手が見つかったかもしれない”と連絡を入れた。万が一彼でなかった場合のためにも、武彦と零には作業を続けてもらうように伝えておくのも忘れない。
「どうやら市谷君は携帯を切ってるみたいなんだけど、姿を見たって人がいるの。うちの学校の近くにファミレスがあって、そこの角を駅とは反対の方向に曲がって真っ直ぐ行くと、今は使われなくなった工場があるの」
「あの廃工場なら知ってるよ。……俺、行ってみる」
「一人じゃ危ないよ。私も一緒に行こうか?」
「一人じゃないから大丈夫だよ」
慎は曖昧に笑いながら千里の提案を拒否すると、その場を後にした。
ポケットにねじ込んであった携帯を取り出し、再び草間興信所に掛けると武彦にある人物の電話番号を聞き、緊張しながらかけた。
「初めまして、俺……月代慎って言います。昼神聖陽さんですか……?」
もし慎が魔月の立場なら、魔と接触しながらどうにも出来ずにみすみす事件を起こさせてしまったというのは、最悪の事だ。慎以上にプライドの高い彼女なら、尚更こちらが考えもつかないような暴挙に出ないとも限らない、
魔月が抵抗すればするほど、魔は躍起になってその力を押し込めるだろう。魔月の力も、魔の力もよく分からない。ただ、もし……万が一魔月の力が暴走したら……最悪の事態は避けられない。
とは言え、最優先は魔月を助け、守ることだ。彼女が生きている限り、救わなくてはならない。だからこそ、慎は最も安全で確実な方法で魔月を助けることにした。
現れた昼神聖陽は、魔月と正反対の色をしていた。魔月の黒髪に対し、聖陽の銀髪、聖陽の金の瞳に対し、魔月の銀の瞳。勝気で不敵な笑顔の魔月と、穏やかで優しい笑顔の聖陽。太陽と月のような、光と影のような、そんな正反対の雰囲気に、慎は“だから対なのだ”と納得した。
片方が失われれば、もう片方も自然と消滅してしまう。そんな脆さが二人にはあった。……とは言え、もし片方が失われれば崩れてしまうというだけであり、揃っている限り敵はいないだろう。
廃工場での戦闘は、本当にあっと言う間に終わった。
聖陽が胸元に提げたペンダントの中から魔道書を展開し、氷の属性を帯びていると思われる光のシャボン玉で敵を包み込むと火の矢で射た。
慎は事務イスに縛り付けられていた魔月を解放すると、心配そうに眉を顰めて首を傾げた。
「大丈夫?」
「……えぇ、何とか。ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ありません」
“お嬢様”な魔月に、思わず目を丸くする。夜の魔月からは想像もできないほど穏やかで上品な笑顔に、慎の頭が目の前の女性を“魔月”だと認識する事を拒否した。
「聖陽様にもご迷惑をおかけして―――おっせーぞ来るのが!」
お嬢様から不良少女へ、一瞬のうちに華麗なる変身を遂げた魔月は、深い溜息をつくと前髪をかき上げ、床で伸びていた仁を爪先で蹴ると憎憎しげに睨んだ。
「……回収はうちの者に行わせようか?」
「いや、うちのヤツラ呼ぶから、聖陽はもう帰って良い。手間かけさせて悪かったな」
「……共存のためだ、妙な遠慮は要らない」
無表情で低く呟き、聖陽が一度も慎を見ることなく廃工場を後にした。
「変なヤツだろ? 昼と夜であんなに雰囲気違うんだぜ?」
「……きっと、お姉さんには言われたくないって言うと思うよ」
「あたしの昼は演技!」
魔月は怒ったように唇を尖らせながらどこかへ電話をかけ、短い応答の後で携帯を閉じると慎に向き直った。
「とにかく、手間掛けさせて悪かったな。まだ夜食べてないなら、お姉様が何か奢ってやろう。ポチはお子様ランチか?」
「ジョンじゃなかったの?」
「なんだ、ジョンがお気に入りだったのか。ならジョンにしてやろう」
物凄くデジャブなセリフに、慎は肩を落とした。
“あんたの名前は覚えてやっても良い”そう言っていたはずなのに、魔月はすっかり忘れているらしかった。
(まぁ、もうジョンでも良いんだけどね……)
内心でそう呟き、深い深い溜息をついたのだった―――。
END
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6408 / 月代・慎 / 男性 / 11歳 / 退魔師・タレント
NPC / 夜神・魔月
NPC / 昼神・聖陽
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