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<東京怪談ノベル(シングル)>


砂漠を征く者

 ――夜宵の魔女。
 それが、しがないサラリーマンだった松本・太一を、特異な者と位置づけた『能力』。
 この力を与えた――否、押しつけた諸悪の根元である女悪魔は、今は太一の精神の中に棲んでいる。
 いわば互いの存在を認識しあい、同時に覚醒している二重人格のようなものだ。

 彼女と『同居』を始めてから、太一の周辺では超常現象が散見されている。
 過去にも多くの事象に巻き込まれては、自身に与えられた”魔女”の能力によって状況を打開してきた。
 太一の武器は他ならぬ『情報』。様々な情報を読み解き、書き換え、追記する力。
 全事象に干渉できる万能力――いわば現実に対するハッキング。

 万能であるがゆえ、倫理的な問題や内包する違法性からは逃れられない。故に余程の理由がない限りは自制している。
 この時代、電子の海で検索しても分からない事の方が稀有だ。
 勿論、同じ超常現象を相手にする場合は別だが、そんな事そう頻繁には起こらない――

(そう思っていた時期が、私にもありましたよ……)

 太一は頭を抱え、ため息を吐き出した。
 『また』だ。また、女悪魔の戯れ事が始まってしまった。
 初めて来る――しかし見覚えのある景色を見つめ、己の精神に眠る悪魔へ囁く。
(勘弁して下さい。『ここ』は確かに好きですが、あくまで仮想現実として……っ)

 今、太一の目の前に広がるこの世界は、仮想現実を謳うロールプレイングゲームである。
 情報技術の発達により、いまや家庭用のゲーム機もインターネットに接続されているのが珍しくない。
 据え置きは勿論のこと、無線環境の整った場所であれば携帯機でも。
 ――太一が最近気に入っているこのゲームも、ご多分に漏れずオンライン対戦が可能になっている。
 人を相手に戦ったり連携したりするスタイルは、まさに第二の世界、仮想現実であるが……。

 だからといって、こんなところまで現実を反映させる必要があるか?

 ゲームの中の太一は、正しく男性であったはずなのだ。
 ところが今、自分の掌を見つめても。細く長い指、白魚のような手。同時に視界に入る、ふっくらとした身体と胸。
 まるであの『女悪魔』に心を支配された、その時と同じような姿だ。
 きっとすべては、今は息を潜める、あの悪魔の仕組んだこと――

 意識と肉体の情報化。
 それに加え、恐らく元のゲームのデータにも何らかの干渉があったのだろう。
 ゆえにこのような面倒な状況になっているのだろうが……からくりが知れたところで、何が解決するわけでもなく。
 現在の太一の姿は、どこからどう見ても女性。道を行き交う他人から見れば、何のことはないミステリアスな美女に過ぎない。
 けれど本人にしてみれば、そう簡単に割り切れるものではないのも事実。
 半ば強制的に女性にさせられた気恥ずかしさから、そわそわと周囲を見回してしまう。
 その落ち着かない様子こそが衆人の視線を集めていることに、彼――いや彼女が気づく事はあるのだろうか。

 握り締めた掌には、確かに感触がある。ファンタジックな街並みに漂う、土と鉄錆の匂いは妙にリアルだ。
 鍛冶屋が鉄を叩く音。息づく街の気配を全身で感じながらも、太一は本能で知っていた。
 自分はおそらく、作られた情報の海に放り込まれているだけ。
 本体は元いた世界に変わらず存在し、今ここにある思念だけが、この世界に実態として存在するのだ。
 ――つまり、どんなに痛みを感じようとも死ぬことはない。どんなに食事をしたって太ることもない。
 これは内なる悪魔の仕業なのだ。
 彼女の気が済むまでは何をしても無駄。逆に言えば、彼女が満足するまで耐えればいいだけ。
 太一はもう一度ため息を零しながら、とにかく、時間を潰すため周辺を散策することにした。



 このゲームの大目的のひとつが、モンスター退治である。
 ファンタジー世界のロールプレイングゲームでは最もメジャーな、王道と言っても過言ではない作り。
 画面の向こう側だと思えば、ありふれた中世風の世界でしかないけれど、自分の足で歩くとなると話は変わってくる。
 周囲を行き交う人々の装束はなんだか独特で――同時に、驚くほど露出度が高い。
 それもそのはず、太一が降り立ったこの世界は、大陸の半分が砂漠で形成されている灼熱の世界なのだ。
 ゆえに太一自身の姿も露出度の高い装備になっていて、それもまた、羞恥を煽る一因となっている。
 遊んでいるゲームはこれだけではないのに、あえてこの世界ということは、悪魔も分かってやっているのだろう。
 その現実が余計に、太一を困惑させる。
(私なんかが困る姿を見て、何が楽しいのか……本当に)
 酔狂な悪魔だと、思う。

 いつまでも街に留まったところで、出来ることは限られている。
 ゲーム内通貨は運悪く底をついているが、売却できそうな持ち物もない。
 女性化している今、このまま野宿するのも良くない気がするが……だからといって着ている服を売るわけにも……。
 とすれば、外に出て魔物を倒すしかない。
 腰に差した西洋風の剣を確かめて、太一はもはや何度目か分からないため息を吐いた。
(……運動は苦手なのに、なぜ、よりによって剣士なのでしょうね)
 頭が痛い。考えれば考えるほど悲しくなりそうで――すぐに諦めた。
 とにかく街を出よう。話はそれからだ。



 太一は後悔していた。
 剣や装備を売って――文字通りの裸一貫になろうとも、街を出るべきではなかったかもしれない。

 一歩進むたび服の間に入り込む砂粒の気持ち悪さも勿論だが、それ以上に、迫り来るモンスターの想像以上の恐ろしさ。
 特に、予測できない動きでうねうねと襲いかかってくる軟体と鉢合わせると最悪だ。
 まず足を、次に腕を絡め取られ、自由を奪われた状態で執拗に攻撃されれば手も足も出ない。
 誰しも一度は遭遇する、戦闘で思わず舌打ちしてしまいそうになる状況だが……実際、憂き目に遭うキャラクターはそれどころの騒ぎではない。
 羞恥、困惑、苦痛、絶望。
 様々な感情に振り回されつつも、剣を振り続ける。前に進むため。
 ……だが、ひたむきに目の前の課題に取り組む、その姿勢がアダとなり。

「――よくここまでたどり着いたわね」

 引き際を間違えた、と悟った時には遅かった。
 目の前に現れた女を太一は知っている。ゲームの説明書にも登場している、妖艶な女淫魔――中ボスだ。
 これはいわゆる強制イベント。逃げようにも退路は絶たれている。
 本来なら一度街に戻り、準備を整えてから挑むべき相手のはずだが……初見ではそのタイミングが分からず全滅することもままある。
 まさに、それだ。どう足掻いても逃げ切れそうにない。汗が吹き出す。

 死にはしないと分かっていても、痛いものは痛い。及び腰にもなろう。
 笑みを浮かべた女ボスは、気圧されてじりじりと後退する太一の背後へ。さすが非現実、瞬間移動も可能なようだ。

「たっぷり可愛がって……力の差を教えてあげるわ。覚悟はいい……?」

 お決まりの台詞を太一の耳元に囁きかけながら、淫魔は臨戦態勢に移行する。
 さあ、どれだけ虐められれば、『彼女』はこの戯れを終わらせてくれるのだろう。

 羞恥と苦痛に身悶えながら、太一はゆるやかに全ての自由を奪われていく。
 やがて思考すらも放棄し、淫魔の誘惑に身を委ね――。

 遠くで見守る『彼女』が満足するのは、もうしばらく後のこと。