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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


春宮城ノ宴


 時刻はまだ朝の十時を僅かに過ぎたばかり。それなのに草間武彦は、深い疲労感に包まれていた。
 疲労の原因物質は、現在目の前に座ってキャッキャとはしゃいでいる小学生―――に見える高校生の少女にあった。
「コーヒーを淹れたのに、緑茶になっちゃったよ!」
 茶色と言うよりはピンクに近いツインテールをブンと振りながら、緑色のドロドロとした液体の入ったカップを武彦の目の前に出す。
 インスタントコーヒーを持ち、それをカップにいれ、ポットからお湯を注いだのを見ていた。その間不審な行動は取っていないし、先に言ったこと以外はなにもしていない。
 それなのになぜ、緑色の液体が完成するのか。……理解に苦しむ。
「……で、今日はどうしたんだ?」
 緑色の液体の入ったカップを脇にどかし、武彦は少女の後ろにいる男性に声をかけた。
 赤茶色の髪の毛にブラウンの瞳をした男性は、神様は不公平だと言われる最たる理由を持ち合わせていた。とにかく美形なのである。神様がどれだけ愛して創ったのか知りたくなるほど、人間離れした美しさだった。
「さあな、俺に聞くな。俺だってわけも分からないまま連れてこられたんだ」
 声も甘い低音で美しい。……だが、やっぱり神様は公平だった。
「連れてきたんじゃなく、勝手についてきたんじゃない! 冬弥ちゃんのストーカー!」
「それはお前が余計なことをしないか見張りに……って、なんだその緑色の液体は! もな、お前何の毒を入れたんだ!」
「なにもいれてないよっ!」
 ギャーギャーと騒ぐ顔は、不細工に歪んでいる。神様が愛したのは彼の“黙っている時の”顔であり、それ以外の部分については丸投げしていたらしい。
 人間関係における不幸さと、それに付随する苦労性のスキルによって、彼の顔はたびたび歪む。
「片桐、今日はどうしたんだ?」
「春宮城の宴をやるってお知らせを貰ったから、武彦ちゃんもどうかなって思って」
「“はるのみやしろ”の宴?」
「“しゅんぐうじょう”の宴とも呼ばれてるよ」
 竜宮城みたいな呼び名だ。
「もうそんな時期か」
「梶原も知っているのか?」
「行ったことはないが、話くらいなら聞いている。ようは花見だよ」
 その場所は桜が満開に咲き誇っており、地面には桜の絨毯が敷かれ、空は淡いピンク色に染まっているのだと言う。
 お酒も食べ物も、望めばなんでも出てくる場所で、希望すれば春の花の妖精が舞い踊ってくれるらしい。
「竜宮城の春版ってところかなあ。竜宮城とは違って、時間の流れは一緒だよ。食べ物も飲み物もぜーんぶ美味しいから、武彦ちゃんもおいでよ」
「……いや、おいでよって言われても」
「もなが毎年招待されてるんだよ。春宮城姫と友達なんだってさ」
 ―――交友関係が広いのは知っていたが、それにしたって広すぎじゃないだろうか。
「あたしのお友達って言えば、ハルちゃんもきっと歓迎してくれるよ。武彦ちゃんは、ただ飯食らってただ酒たーんと飲めば良いだけだよ」
 言い方が引っかかるが、最近の武彦の食事は質素極まっている。それに、舌の肥えたもなが美味しいと言うのだから、きっと美味しいのだろう。
 ゴクリと喉を鳴らし、気持ちが行くに傾きかける。
「ただし、一つだけお土産を持っていかなきゃいけないの。それは食べ物でも飲み物でも、食べられないものでも良いし、モノでなくても良いんだ」
 含みのある言い方をすると、もなは悪戯っぽく微笑んだ。
「宴に呼んでくれた御礼だよ。心のこもったものをあげれば、素敵なコトがおこるかもね」


 食べ物が美味しいと聞いたからには、参加しなければならない。美味しい食べ物あるところにラン・ファーあり、ラン・ファーいるところに食べ物あり。
 そんなわけで喜んで呼ばれてやったランは、相変わらずチンチクリンのもなのツインテールをピコピコと触覚のごとく動かして遊び、いつ見ても美形と言うコト以外に取り柄のない冬弥に少々絡んだ後で春宮城へと続く扉をくぐった。
 草間興信所に突如として現れた桜色の扉は、もなが斜めにかけている小振りのポシェットから出現したものだが、大げさに驚いたのは武彦だけだった。
 冬弥は途方に暮れたような顔で、四次元ポシェットをボンヤリと見つめており、武彦は部屋を分割するように置かれた扉に目を白黒させている。
「何でそんなところから扉がっ……!」
「だってポシェットだもん、色々入ってるに決まってるじゃん」
 普通なら小さなポシェットから巨大な扉が出るなんて常識では考えられないことであり、ツッコミを入れるところだが、残念ながらランの常識は広かった。それこそ、ユーラシア大陸並みに広かった。だからこそ、もなは彼女の常識の範囲内にいた。
 つまり何を言いたいのかと言うと、ポシェットから扉が出てくるのは普通だということだ。
 言い争う三人をそのままに、ランは見渡す限り桜色の世界に踏み入れると、春のボンヤリとした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 春独特の甘い空気の匂いに、遠くから聞こえてくる琴の音色。ランは桜の絨毯の上に腰掛けると、後からやってきたもなに問うた。
「それで、食べ物と飲み物はどうすれば良いんだ?」
「普通に頼めば良いんだよ。ビール一本と、オレンジジュース三本。それから、焼き鳥と散らし寿司」
 まるで独り言のように言い、ランの隣に腰掛ける。
「だから、どうしてちゃんと教育をしないのかと……」
「ウルセー! うちは放任主義なんだよっ!」
 武彦と冬弥が騒がしく言い争いをしながら入ってくる。―――まったく、こんなに良い桜景色だというのに、無粋なヤツラだ。
「ランちゃんは何か食べたいものある? ここ、なんでもあるよ。お団子とか、桜餅とか、普通のお寿司なんかもあるし、ブッシュドノエルなんかも出来るし……」
「うむ、色々とあるようだな。結構結構、それなら私は……ピザが食べたいな。あと、ポテトチップとメロンソーダも欠かせないな。勿論アイスはトリプルだ」
「ところで片桐、飲み物は頼んでくれたのか? ビールとビールとビールと、あと焼酎とワインと日本酒と……」
「どんだけ呑む気なんだよ! 言っとくけど、もなには一滴も呑ませないからな。お前明日仕事が入ってるだろ」
 最初から呑む気がなかったらしいもなが「分かってるよー」と唇を尖らせながら言う。そもそも、彼女の見た目でお酒なんて飲んでいたらどう考えても犯罪だ。
「お祭り騒ぎのときに酒を呑まないなんて、興ざめじゃないか! 呑め、歌え、騒げ、踊れ、叫べっ! 祭りとは戦争だ!」
「……そう言やランってお酒強いのか?」
 冬弥の問いに、ランはあっさりと「いや、私は呑まないが」と首を振った。
 彼の端正な顔が歪み、ガクリとその場で膝をつく。哀愁漂うその姿に思わず武彦が肩を叩く。
 ふわりと温かな風と共に、ビール瓶の乗った巨大な桜の花びらがもなも前に落ちてくる。もなは乗っていたビールとコップを取ると、花弁を持ち上げてふっと息を吹きかけた。花弁はまるで意思を持っているかのようにクルクルと回りながら上空に浮かび上がり、右に旋回すると見えなくなった。
「まぁ、呑め」
 武彦がコップにビールを注ぎ、冬弥に渡す。自身も手酌で注ぐと、二人で勝手に乾杯をして飲み始めてしまった。
 やや遅れてオレンジジュースが届き、焼き鳥と散らし寿司が運ばれてくる。先に始めてしまった武彦と冬弥に遅れを取ったことを少々悔しく思いながら、ランが一気にオレンジジュースを飲み干し、焼き鳥を頬張る。
「……美味い!」
 思わず深い緑色の目を見開く。食に関しては五月蝿いランは、日々美味しいお店を探して食べ歩きの旅をしている。現在ランの中で最も美味しい焼き鳥屋は、少々値段が張るものの、高級な鶏肉を使い、先祖代々継ぎ足して使っている秘伝のタレが絶品のお店だった。お気に入りのお店で何度も足を運んでいるが、この焼き鳥はそのお店と同じかそれ以上に美味しかった。
 噛めば噛むほど出てくる旨みに、ついつい二本目三本目と手が伸びる。どうやら武彦も焼き鳥の味に夢中になっているらしく、早くも追加のお皿を頼んでいたようだった。
「こっちの散らし寿司も美味しいよ」
「ほう、それは食べねば!」
 もながよそった散らし寿司を、勢い良く食べる。―――うん、こちらも物凄く美味しい。具沢山で見た目も華やかだが、何より一つ一つによく味がつけられており、互いが自分の旨みを主張しながらも他者を疎外することなく、絶妙な調和を保っている。
「うむ、どんどん頼め! 飲み物も追加だ!」
 ランの言葉に、もなが次々と注文を出し、ランも思いついた食べ物を言っていく。武彦もビールをダースで頼み、カクテルなんかも頼んでいるようだ。
 食が細いらしいもなが早い段階で「お腹いっぱい」とギブアップし、それでもデザートは別腹と言い張ってデザートを注文していく。
「おい、ホールのケーキなんて誰が食べるんだっ!」
「あたしとランちゃんで食べるの」
「お前……さっきお腹いっぱいとか言ってただろうが! どう考えてもこのデザートの量、普通の食事以上にあるだろ」
「甘い物は別腹!」
「そんな都合よく腹がいくつも分かれてたまるかっ!」
「ふむ、アレだな……乙女の身体には秘密がいっぱいと言うことだな」
 ランの言葉に、冬弥が絶句する。もうこれ以上何も言うまいと日本酒をがぶ飲みするが、残念ながら彼はなかなか酔わない体質だ。顔を真っ赤にしてベロベロになっている探偵とは違う。
「もっとさけらー! さけもってこーいっ! うへへ」
 完全に呂律が回っていない武彦が冬弥に絡み、ギューっと押し返される。続いてもなに絡もうとするが、そこは冬弥が完全に武彦を背後から押さえ込んでいたし、ランももなを安全な場所に避難すべく腕を引っ張っていた。酔っ払いに絡まれた小学生の画はあまり見たいとは思えない。
 武彦のはしゃぎっぷりは、まさに日ごろの鬱憤を放出するかのごとく派手であり、冬弥ともなは完全に引いていたが、ランは流れに乗り遅れまいと武彦以上に騒ぎ出した。騒ぐ阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら騒がなければ勿体無い!
「茶だ! 茶をもってこーい! うむ、サイダーも持ってくるのだ!」
「……すげぇ」
 この短い感嘆の言葉は冬弥が呟いた。その言葉の矛先はランだ。
 何が凄いって、泥酔状態に近い武彦と同じテンションで騒げているのだ。素面で。
「あ……あたしも騒ぐううううっ!!」
 グイっと呑めもしないビールをあおり、もながタガが外れたようにはしゃぎだす。……使うところが無いだろうからと、ロケランを置いてきた事が唯一の救いだった。
「あーもー、そんなところで寝るな草間! もなも、スカートなのにはしゃぐな! パンツ見るだろっ! ファー! 食べ物があるんだから飛び跳ねるなっ!」
 そしていつも通り、冬弥はこんな役回りである。
 吐きそうな武彦を介抱し、最大テンションではしゃぐもなを落ち着かせ、こちらは半分ほど故意になりつつあるランの暴走にストップを掛ける。
「うむ、今日は気分が良いぞ! 一つ歌でも歌ってやろう」
「待ってました〜♪」
 もなの手拍子に合わせて即興の歌を歌う。ランの歌声により、桜がより一層美しく華やかに咲く。次々に食べ物を運んでくる花弁に、止むことのない桜吹雪。全てが淡い桜色に染まった空間で、ランは大いに飲み食いし、大いにはしゃいで楽しんだのだった。


 食後のお茶を飲みながら桜の花を見上げていた時、ふともなが思い出したように自身のポケットから小さな指輪を取り出すと二度手を叩いた。上空から桜の花びらが飛んできて、指輪を乗せると空へ返す。
「今のは何だ?」
「ハルちゃんへのお土産」
「あぁ、そう言えば土産を持ってくるように言っていたな」
「冬弥ちゃんはなに持ってきたの?」
「俺は美麗に頼んで、夢見玉を作ってもらったんだ」
 冬弥の手の中で、虹色の玉が輝く。もなの簡単な説明によると、これを握って眠ると好きな夢が見れるらしい。
「おい草間、土産は?」
「……ん、んぅー。……最近の、面白そうな……事件をまとめた……コピー……ぐぅ」
 桜の根元に放り投げられていたバッグの中からコピーの束を取り出すと、再び武彦は夢の世界に旅立った。冬弥が溜息をつきながら、事件簿と夢見玉を花弁に乗せて送り出す。
「ランちゃんは?」
「うむ、私はコレクションの中から一つ持ってきたんだ。これは凄いぞ! 持ち主の感情が模様となる、画期的な扇子だ!」
 “ひかえおろう”とでも言いたげに出された扇子に、冬弥ともなの視線が集中する。武彦は相変わらず眠っており、ぐぅぐぅといびきをかいている。
「持ち主の感性によって浮かび上がる絵柄の細かさも変わってくる……まさに宴会に持ってこいの一品だな!」
 ランがザっと音を立てて扇子を開けば、うねうねと模様が出来上がっていく。細かく繊細に紡がれていく模様は、どんな絵柄が出来上がるのかと言うワクワク感を見ているものに与えたが、最終的に出来上がった絵はただの落書きのような変な絵だった。
「……うん、ランちゃんって本当に天才となんとかは紙一重って言葉が似合うよね」
「ファーの感性はどうなってんだこりゃ」
「うむ、素晴らしい絵だ!」
 ランは自身の感性を元に出来上がった絵に満足している様子だったが、他の二人はそれが何の絵だか分からない分困惑の表情を浮かべるしかなかった。―――まぁ、ラン自身も何が描かれているのかは分かっていなかったりもするのだが。
 試しにもなに持たせてみたところ、可愛らしいうさぎや小鳥の絵柄が浮かんだ。冬弥が何か言いたそうにじっとそれを見ていたが、結局その場は我慢したのか言葉を飲み込んだ。
 続いて冬弥に持たせたところ、絵は殺伐とした鬼に変わった。この時になって初めて冬弥は「詐欺だ!」と声を上げたが、無理矢理武彦に持たせたところ、グルグル渦巻きが次々に現れては消えていった。……おそらく、現在武彦は酔いによって目が回っている状態なのだろう。
「ほら、詐欺じゃないじゃん」
 もなが唇を尖らせて「あたしは可愛いのっ!」と主張する。意固地に否定しても自分の意見は通らないと悟った冬弥が、本日何度目か分からない溜息をついて肩を落とす。
「今日は大いに満足した。ぜひこの扇子で楽しんでくれたまえ!」
 ランは扇子を花弁の上に乗せると、伝えといてくれよと小さく言って花弁を送り出した。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか。今年も呼んでくれてありがとう! また来年も来るからね!」
 もなが空に向かって手を振り―――ふわりと、甘い春の香りと共に桜色の十二単を来た美しい女性が現れると、微笑んだ。
「沢山の楽しいお土産をありがとうございます。またぜひ来年、春宮城へお越しください」
 春宮城姫は大切そうにラン達が贈ったお土産を胸に抱くと、来た時と同様唐突にふわりと消えてしまった。
「……ハルちゃん、お土産がよっぽど嬉しかったんだろうね」
「うむ、私も大いに満足し、主催者も大いに満足した。今日は良い花見の宴会だった」
 ランはお腹をポンと叩くと、最後にもう一度満開の桜の花を目に焼き付けた―――。



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 6224 / ラン・ファー / 女性 / 18歳 / 斡旋業


 NPC / 片桐・もな
 NPC / 梶原・冬弥