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<東京怪談ノベル(シングル)>


フェンリルナイト〜決意〜
 地震、と、反射的に思ったが、ここは、みなもの住んでいる現実とは違う。ましてや、ビフレストで繋がった世界に、活断層など存在しないだろう。
 だとすれば、考えうる答えは一つ。
「ッ…!」
 何気なく見た目線の先で、それは起こった。
 おそらく、アルフヘイムの大陸の端に位置する場所。そこが崩れ、下へと落ちていった。
 以前、全能の魔女に見せてもらった世界図では、ヴァルハラを起点に、アルムヘイム、ミズガルズ、ニタヴェリールが同じ高さに存在し、その下、末端にアースガルズと、ちょうど、ダイヤを描くような形で世界は繋がっている。つまり、あの岩石が、どこかの世界に落ち、被害を与えることはない。
――ですが、そういう問題ではない…。
 ほんの僅かとはいえ、大陸が崩れた。それは、ビフレストの消滅が近付きつつあり、同時に、世界の崩壊も、始まっている、ということだ。
「みなも!」
 思わず走り出した彼女に、全能の魔女が声をかけるが、それを無視して、目的地を目指した。
――正直、あたしに何ができるかなんて、わからない。だって『フェンリルナイト』はゲームで、あたしはその登場人物でも何でもなくて、ただ、ゲームを楽しみたかっただけ。
 その気持ちは、今でも変わっていない、とは思う。
 突き付けられていく言葉は、余りにも重く、そして、中学生には大きすぎる現実ばかり。それを、自分のことではない、と、否定するのは簡単だ。逃げ出すこともできた。そして、みなもがゲームの主人公でない以上、例えそうしたとしても、このゲームが終わらない、ということには通じないはずだ。
 それでも、
「みなも…」
 彼女の名前を呼んだのは、白銀の狼だった。
「答えは、出たのですね?」
 問われ、彼女は、すぐに答えることは出来なかった。
 今、みなもの中にあるもの。それが、狼の、彼女の求める答えかどうかはわからない。
「あなたは、言いましたよね。あたしを、戦士として選んだことは、間違いではなかった、と」
「えぇ」
 みなもの言葉に、白銀の狼は、静かに頷いた。それを、ようやく追いついてきた全能の魔女も、見守っている。
 全ての選択は、今、自分に委ねられている。
 底知れぬ重圧の中、みなもは、ゆっくりと口を開いた。
「あたしは、あなた方が思っている程、強い存在ではありません。ましてや、己の全てを投げ打って、こうして世界を見守る存在になったあなた方に比べれば、何物も小さな存在かもしれませんが」
「ッ…!?」
 驚いて息を飲む声が、前方と背後から聞こえた。
 みなもも、確証を得て発言している訳ではない。ただ、全能の魔女の、ずっと世界を見てきた、という言葉が、そうではないかと連想させただけだ。
――いかにも、ファンタジックな設定だと、自分でも思います。けれど…。
 そう思うことで、ほんの少し、気持ちが楽になれた気がした。
 自分とは違う主人公“みなも”の境遇に、負の感情を抱いてしまう気持ちを、いまだ、止められないでいる。自分がこの世界で成さなければならないことを考えると、眩暈を起こしそうだ。
 それでも、少しでも気持ちを楽にしたい。そして、この現状をどうにかしたい。それが、今の本心だった。
「一つだけ、約束して下さい」
「……何ですか?」
 長い沈黙を置いて、狼が聞き返してきた言葉に、みなもは、ゆっくりと答えた。
「全てが終わって、帰ってきたら、あなたが、ずっと側にいてくれた理由も、全能の魔女があたしを導いてくれた理由も、聞かせてください」
 ぎゅっと、自分の武器として渡された槍を握る。
 恐い、逃げ出したい、帰りたい。
 羨ましい、ズルイ、一人は怖い。
 そんな感情が渦巻き、自分を支配しようとしている中で、何とか絞り出した言葉。それは、ある種、決意表明にも似ていた。
――あたしの中で、全ての問題が解決したわけではありません。というより、問題しかない気がします。
 自分の心の中をちゃんと覗けば、逃げ出したくなるほどの感情を必死に抑え込んで。
 それでも、目の当たりにした世界崩壊の現状を、どうしても、見捨てておくことなどできない。
――自分の目の前で、何かを失うなんて、その方が、よっぽど怖いに決まってます。
「あたしは、ヴァルハラに行きます。ビフレスト消滅を、何とか、防ぎたい…!」
 絞り出すように言ったみなもの言葉を、白銀の狼と、全能の魔女は、一体どう受け取ったのだろう。
 ましてや、魔女には、先程、引き返してもいいと言われたばかり。呆れられてはいないだろうか。
 だが、先に口を開いた全能の魔女の言葉は、予想外のものだった。
「ならば、わしが全力でサポートするとしよう」
「え…?」
「おぬしの心は、まだまだ未熟じゃ。どうにも、ついていってやらんことには、心配でならんからの」
「あなた、何を…ッ!」
 魔女の言葉に驚いた様子で声を荒らげる白銀の狼だったが、魔力の重圧で、それは遮られた。
「こやつを甘やかして言うておるのではない。護人(ヴァナディース)とは、己が力のみで未来を切り開いていける力を持った存在。本来なら、わしらは、ここで、みなもの帰りを待つべきなのじゃろう。だがな、この子の精一杯の強がりを見せられては、放っておけんのじゃよ」
「……」
 それは、みなもが今まで魔女と行動を共にしてきた中で初めて見た表情だった。
 笑顔。ただそれだけなのに、何とも言い難い気持ちに包まれているのは、その、何か意味深な表情故なのか、それとも、もしかしたら自分が“みなも”ではないと理解してくれているのでは、という想いがあるからなのか。
 いずれにせよ、魔女のその言葉は、白銀の狼にとって意外なもので、阻むべきものであったことは間違いないらしい。その場の空気が、一気に重たくなった。
「私が、この命に変えてもあなたを止める、と言っても、聞き入れる気はないのですか?」
「当たり前じゃ。おまえさんの力量を見誤ったりなどせん。その程度の気持ちなら、始めから言うておらぬわ」
 強い魔力同士のぶつかり合い。
 無言の圧力に、みなもは、思わず息を飲んだ。その重圧に押しつぶされなかったのは、みなもに対して向けられた魔力でないからか、それとも、護人の力故なのか。
 どちらにせよ、暫く続いた攻防を見守っていたみなもは、静かに口を開いた。
「あたしが、ようやく、自分で進むと決めた道です。行かせて、ください」
「みなも…」
 その言葉は、どうやら、全能の魔女の魔力よりも、強く白銀の狼に届いたようだ。
 暫く、みなもの言葉を噛み締めるようにして沈黙していた狼は、小さくため息をつき、頷いた。
「わかりました。みなも、これを」
「これは…?」
 歩み寄ってきた白銀の狼は、みなもの前に、あるアイテムを突きだした。
「腕輪、ですか?」
「使い方は、道中、そこなるものに聞くと良いでしょう。みなも、どうか、気をつけて」
 そう言う彼女の表情ははっきりとは読み取れなかったが、みなもを心配して言ってくれていることだけは、その口調からわかった。
「はい、行ってきます!」
 自分を奮い立たせるため、不安を少しでも払拭するために、わざと大きめの声を出し。
「……」
 全能の魔女を振り返り、頷き合うと、みなもは、ヴァルハラに通じるビフレストに向かって走り始めた。