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〜世の理を壊す者 そしてそれに抗う者〜
隣りで眠る弟を見下ろしながら、来生一義(きすぎ・かずよし)は、小さなため息をついた。
退院してから、弟の様子はずっとおかしかった。
そう、どこかよそよそしいのだ。
ぶっきらぼうで無遠慮な物言い自体は変わらないのだが、一線を引いたような色が露骨に感じられるようになった。
隠し事や秘密を持つことに慣れていない弟だ。
本人はさり気なさを装っているのだろうが、見事に失敗している。
それに、と一義は思った。
自分は彼の兄なのだ。
死んでからもその身を案じて、11年も迷子になりながら行方を捜し続けたくらい、弟のことを大事に思っている。
その兄の目は、そう簡単にごまかせなどしない。
ここ数日、一義は、弟の態度が変わった原因が何か考え続けていた。
本当はすぐに答えは出ていたのだが、あまり認めたくなくてその周りをぐるぐる回っていた。
しかし結局それしか思いつかず、とうとう根負けしたのだった。
今、一義の手には一冊の手帳がある。
以前来生億人(きすぎ・おくと)が「弟が自分の出生を疑い、調べている」と言ったのを思い出し、悪いとは思いつつも、弟が寝入った隙に机や鞄を漁った。
その結果、この手帳が見つかったのだった。
そこには戸籍謄本等の書類が挟まっていて、そうか、と一義は覚悟を決めた。
手帳を開くと、少々乱れた字で、一義が持っていた日記に書かれていた内容の抜粋や、幼少時に誘拐された当時の記憶、その際、億人らしい人物に言われた言葉、以前大学構内で見た幻覚等から、自分自身への疑惑と不安、父や兄への不信感等が滔々と綴られていた。
(あれを読んだのか…)
心の中がどんよりと曇り始めるのを一義は感じていた。
重く、つらい罪悪感が、じわじわと全身を覆い始める。
いつも肌身離さず持っていたはずのあの赤い日記を、いつ弟が手にしたのかはわからない。
だが、実際にこの手帳に書かれている内容はまさしく、あの赤い日記の内容と同じものだった。
弟は知ってしまったのだ――自分が人間ではないかもしれない、ということを。
あれだけは、弟に見せたくなかった。
見た時のショックは、自分なんかの比ではなかっただろうから。
「どれだけ謝っても、許されることじゃない…それはわかってる。わかってるけどな…」
一義は、子供のように布団を蹴飛ばして熟睡している弟の布団を直してやりながら、悔しそうにつぶやいた。
真実を追うのは自分だけでいいのだ。
もう既にいろいろなことを知ってしまった自分は、それでも目の前の彼を「弟」としか見ていない。
とうの昔に、そう決めたのだから。
「俺にとっては大事な弟なんだ、お前はな…」
翌日、弟がどこかへ出かけて行ったのを見計らって――相変わらず行き先は不明だった――、一義は居候である億人を押し入れから引っ張り出し、真剣な表情で単刀直入に億人に尋ねた。
「お前はなぜ俺たちに関わり続けるんだ? お前の狙いはいったい何だ」
すると億人はあっけらかんと笑うと、けばだった畳の上であぐらをかいてあっさりと白状した。
「まだあれを人間や、弟や思いたいんか。あれは兄さんの父親と俺が共同開発した、対天界用生物兵器の試作品や」
「対天界用…生物兵器、だと?!」
得意満面になって、億人は恐ろしい話を一義に話し出した。
「古い話や。もう30年も前になるんかな、俺が完成したばっかりの生物兵器の試作品を、人間界に放って行動を監視してたんや。けど、簡単に天界に見つかってしもて、あれ、けっこう手間もかかっとったのに、その場で壊されてなぁ…かけらは回収したんやけど、同じ手は使えへんし、どないするかぁって考えとってな。せや、兵器を兵器として使うから天界に見つかるんや、人間に擬態させたらどうやって考えたんや」
「人間に擬態…?」
「せや。けどな、もう、一回失敗してるし、今回は中途半端やのうて、擬態させた上で人間に育てさせてなぁ、思考も行動も人間に限りなく近い生物にしたらええんやないかって考え付いたんや。俺って天才やな」
一義の背に、嫌な汗が伝う。
今までだって何度かこういう思いはしてきたが、今度はそのレベルがちがった。
真実が、すぐそこに姿を現し始めていた。
しかも、おぞましいことこの上ない姿で。
「けどなぁ、その後が大変やったんやで? 俺の考えを実行に移してくれそうな人間が、なかなかおらんかったんや。『生命倫理』やったか? 人間はそういうモンに縛られてるやろ? 結局2年くらい探し回ったわ。で、そこで見つかったんが、兄さんの父親や」
億人の飄々とした、楽しそうな口調が、やけに場違いに部屋の中に響いていく。
青ざめていく一義の顔を一瞥し、唇に浮かべた笑いをさらに嫌なものにして、億人はとうとうすべての始まりを口にした。
「兄さんの父親は、異端児やった。何しろ、『生命倫理』なんちゅうモンは一切眼中になかったんや。人間を、全生物の頂点…ちゃうな、神の領域にまで押し上げたいっちゅう欲望が強すぎてなぁ…何やったか、えーっと、せや、『生物としての人間のハイブリット化』や、その研究に没頭してたんや。けど、そんなけったいな研究に、協力する人間はあんましおらんかった。そこに、俺は手を差しのべた。俺を助手にするって約束でな、回収した生物兵器のかけらを研究素材として貸し出したんや」
億人の声は、身体の中から響いているかのように、一義の鼓膜の内側でぐわんぐわんと反響した。
聞こえているのに、言葉がひとつも意味をなさない。
億人が一言、何かをつぶやき、立ち上がった。
ドアが開き、その足音が外に出て行く。
―― 一義が、自分が泣いていたことに気がついたのは、億人が部屋を出て行ってから半刻もたった頃だった。
〜END〜
〜ライターより〜
いつもご依頼、誠にありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
以前ご依頼いただいた「最後の欠片」の内容が思い出され、
これからどうなるのかと、
固唾を飲んで見守っているところです…。
この件の結末が、ご兄弟をどう変えてしまうのか、
はらはらしながらお待ちしています。
それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
とても光栄です!
この度はご依頼、
本当にありがとうございました!
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