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フェンリルナイト〜解纜〜
「その腕輪はな、初代護人(ヴァナディース)がつけていたものじゃよ」
アースガルズからアルフヘイムへ渡ったのと同じ道を辿っていた道中、不意に、全能の魔女がそんなことを呟いた。
「初代…?」
思わず聞き返したみなもに、魔女は、ただ、小さく頷いた。
確か、今みなもが手にしている槍も、防具も、全能の魔女が見繕ってくれたものだ。そして、槍は、自分にしか扱えないものだと。
――この人が、何をどこまで知っているのか、ずっと、気にはなっていました。今なら…。
「どうして、あなたはそこまで詳しいのですか?」
もしかしたら、答えてくれるかもしれない。
そう思い、口にしたみなもだったが、先を走る魔女は、振り返ることもせず、告げた。
「それは、帰ってきてから聞くのではなかったのか?」
「ッ…!」
先刻、自分が言った台詞だ。まるで、揚げ足取りのように言われ、思わず、みなもは口ごもる。
それを、振り返らずして、全能の魔女は感じとったのかもしれない。
「まぁ、先の戦乱の関係者だ、とだけは言っておこう。それに、お前さんに必要な知識は、今、そんなことではないはずじゃ」
「わかって、います…」
頷いてみせるが、みなもの心中は複雑だった。
実際、ゲームをプレイしていた時のように、長い時間と物語を経て、ここにいるわけではない。いわば、誰かのセーブデータを借り、レベルが高い状態で始めた為に、一足飛びに、ストーリーを進めているような感覚。ましてや、この世界は本来自分が住んでいる世界ではないのだから、時々よぎる記憶に、さも自分がここの住人であったかのように錯覚させられることもあったが、あくまで、それは疑似体験だと、今は認識できている。
――だからこそ、逆に問いたい。この方は、どこまで“あたし”を理解しているのか。
ただ、記憶がない、という認識なのか、それとも、もっと根本の、別世界から来た人間だと知っているのか。
だが、それを聞いてみたところで、恐らく、返答は先程と同じ。そう予測できたから、みなもは、黙ってビフレストに向かう全能の魔女についていっていたが、
「止まれ、みなも!」
不意に魔女が叫び、刹那、地響きが轟く。
「これは…ッ!」
歩を止めたみなもと、全能の魔女の前方には、巨大な鳥がいた。
「フレスヴェルグ…! こやつが、ここまでこようとは…」
「フレスヴェルグ?」
「ヴァルハラに住まう怪鳥じゃ」
その言葉に呼応するように、フレスヴェルグは高らかに鳴き、羽を広げ、まるで二人を威嚇しているかのような動きを見せる。
――いえ、実際、そうなのかもしれません。
この怪鳥がしてみせた動きと言えば、鳴いたことと、羽を広げたこと。こちらに危害を加えるそぶりを見せてなどいないのに、十分すぎるほどに威圧感を感じる。それは、今までの経験的に、魔力の差から生じる圧力なのだと実感した。もちろん、相手が上、という意味で。
「こやつがここにおるということは、ヴァルハラの戦局は、ますます危ういのかもしれん」
杖を持ち直す魔女の表情は、少し固くなっていた。それが、これから起こるであろう出来事を予兆させているかのようで。
「水流溢れ、其射抜く矢となれ!」
杖の先から迸った水属性の魔法は、またたく間にフレスヴェルグを捕え、水の龍の如く、その体を締め付ける。その圧倒的な強さを目の当たりにし、みなもは、思わず息を飲んだ。
――わかっていたことじゃないですか。この先に待っているのは、今まで以上に強力な敵。だからこそ、護人にクラスチェンジする必要があった。今までのことには、ちゃんと意味があったんです。
それは、恐らく、このキャラクター“みなも”としての記憶を呼び覚ますだけでなく、身体的に、強くあらねばならなかった、ということだ。
――だったら…!
きっと、装備品として渡された、この腕輪にもきっと意味はあるはず。
思わず、腕輪に触れて、自らの意思を固めてから、みなもは、自身の魔力を槍へと集中させた。
「暴風吹き荒れ、空切り裂く刃となれ!」
呪文が完成した刹那、それは、術として放たれることなく、みなもの持つ槍に、うっすらと風をまとわせる。
「響け、百華絢爛舞・嵐(ラン)!」
跳躍し、振り下ろされた一閃。
それは、ビルの高さほどある巨大な鳥に深手を負わせ、その場に平伏させる。そのまま、怪鳥は起き上がらず、まるで何事もなかったかのように、すぅっと姿を消した。
「倒したのですか…?」
「いや、おそらく、ヴァルハラに送還されたのじゃろう。何にせよ、ここはもう平和じゃ」
「そう、ですか…」
それだけ答えて、みなもは、改めて、自分の腕にはめた腕輪を見た。
一見したところで、それはシルバーで装飾の細かい、ただのアクセサリーのように見えた。もちろん、そうでないことは実感済みなのだが。
「まさか、これに、あれだけの魔力が込められていたなんて」
「初代護人の力の片鱗じゃよ。ヴァルハラは、神々の住まう土地。その力はあまりに強大じゃ。故に、その腕輪を後世に残した。ヴァルハラの地で、力を暴走させんように。そして、神々に対抗できる力を得られるように」
「神とも、戦うのですか?」
「まぁ、場合によってはな」
思いもよらぬ言葉に、みなもは思わず息を飲んだ。
――神々と戦う? 私達は、一体何をすればいいというの?
例えそれを聞いても、恐らく、魔女は、着いてから追々な、などとはぐらかすだろう。ならば、自分の目で確かめるしかない。
――あたしは、これ以上後悔したくない。
それだけが、今のみなもを突き動かしている。
「さぁ、着いたぞ、みなも」
声をかけられ、みなもは、真っ直ぐと、虹の橋を眺めた。
ここ、アルフヘイムに来る時にも通った道。だが、それよりは太く、まっすぐ上を目指していた。
「いけるか?」
みなもが槍の柄を握り直したのを、魔女は見逃さなかったのだろう。問われ、みなもはすぐに答えられなかった。
大丈夫か、と問われれば、正直、大丈夫ではない。
戦えるか、と問われれば、正直、誰かを傷付けるのは恐い。
それでも、
「行きましょう、ヴァルハラへ」
その気持ちだけは揺るがなかった。
守りたいと言えるほど、自分は立派な存在ではない。
それでも、唯一決めた、後悔しないように進むこと。それだけは、貫き通したい。
その想いが、全能の魔女に届いたかどうかはわからない。
「ならば、ゆくぞ」
「はい」
魔女の言葉に、みなもが静かに頷いて。
二人は、真相を確かめるべくヴァルハラへと向かった。
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