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怨念は美食のスパイス!?
コック服を着た大柄な男がゴミ袋を運んでいる。片手にひとつずつ。かなり重そうだ。ゴミ置き場には既にいくつもの大きなビニール袋が山となっている。男はその山に向かい、手に持っていたビニール袋を放り投げた。
「もったいないよなあ・・・」
男はため息をついた。
男は美食家のお抱え料理人だ。その美食家、少しでも口に合わないと料理人を罵倒し、食卓を転覆させた。食事の度に、ほとんど手つかずの料理たちがゴミ箱行きとなり、ゴミ置き場は毎日ゴミ袋が山積みとなっている。
「転職しようかな・・・」
料理人はゴミ置き場に背を向けると、肩を落としてとぼとぼと屋敷へと歩き出した。
料理人は気付かなかったが、ゴミ置き場に山積みにされた袋からは怨念が漂っていた。
―人間共に味わってもらえず、何の為に生まれた。
―ろくに箸もつけられず、これでは無駄死にではないか。
家畜や魚から漂う個々の怨念がゴミ袋から立ち上りやがてそれらはひとつの大きな塊となった。
―憎い。あいつが憎い。
どす黒い怨念は屋敷へと一直線に飛んで行く。
自室でブランデーグラスを片手に悠々と過ごしていた美食家。突然部屋の窓が割れ、大きな黒い塊が飛び込んできた。
「ひぃ…だ、誰か…」
ブランデーグラスが床に落ち、褐色の液体が高級そうな絨毯に染み込んでいく。屋敷内に、美食家の悲鳴が響いた。
レストラン内には、ゆったりとした音楽が流れていた。
中年の夫婦と若い男女が、4人でひとつのテーブルを囲み、和やかに食事をしていた。
「本当にどれも美味しいわ。ねえ、あなた」
中年女性が言うと、
「ああ。お前、こんなに料理上手な奥さんをもらえるなんて、幸せ者だな」
中年男性が若い男に向かって言った。
「うん」
若い男が頷くと、若い女性は控えめに首を横に振った。
「そんな…お粗末なお料理ばかりで恥ずかしいです。結婚するまでにもっと勉強しておきますから」
「そんな、謙遜する事ないよ。本当に美味しいよ。玲奈」
若い男に微笑みかけられ、三島・玲奈 (みしま・れいな)は照れたように微笑んだ。ストレートの黒髪がさらりと揺れる。玲奈は美しい少女だ。さらに彼女には、神秘的ともいえる不思議な魅力があった。その美しさと、謙虚な態度、美味しい手料理に、婚約者はすっかりめろめろだった。両親の心象も悪くない。
玲奈は口元をナプキンで拭いながら、その下でにやりと微笑んでいた。
資産家の婚約者、その両親はすっかり彼女を気に入ったようだ。その感触に、すべてが順調に行く予感に、玲奈は満足していた。
―このまま、順調に進んでくれたなら。
その時、玲奈の尖った耳がぴくっと動いた。
―何か来る。
レストランのドアをぶち壊す勢いで、1人の男が飛び込んで来た。4人の客は面喰って一斉に男を見た。
「あれ…兄さん!」
婚約者の父親が立ち上がる。
「え…あ、お義兄様」
母親は戸惑った様子で口元に手を当てる。
「あなたの叔父様にあたる方なのね」
玲奈が婚約者を見ると、婚約者はうんと頷いた。
「叔父さんは美食家なんだ。でも、しばらく会わないうちに太ったなあ」
「助けてくれえ!」
美食家は弟の肩にしがみつく。しかし次の瞬間、テーブルの上の料理をむさぼり始めた。
「兄さん!止めないか!」
「止まらないんだあ〜」
美食家はテーブルの上の料理をぺろりとたいらげて、
「食欲がおさまらないんだ。もっと食べさせてくれ」
厨房に向かおうとする美食家を、レストランのスタッフが取り押さえようとしていた。
「とびきり美味しいものを召し上がれば満足してきっと過食が止まるはずです」
玲奈は立ち上がり、さっとエプロンを身に付けた。
「叔父様の胃袋を満足させるお料理をご用意いたしますわ!」
―ここで点数を稼いでおけば、ご両親の心証さらにアップ間違い無し!
玲奈は究極の美食で満腹にさせると意気込んでいた。
テーブルの上にずらりと並べられた料理。その光景は凄まじいものだった。
尿臭のする飴サルミアッキ、パンに塗って食べる激辛のベジマイト、持つと生地がボロボロ崩れる太陽餅、腐った豆腐の様な臭豆腐、孵化寸前の家鴨を煮た竜眼、セミの唐揚、強烈な酒臭の奈良漬、失敗したチーズみたいな蘇、鮭の頭と野菜くずを煮たしもつかれ、そして田作り。
「…さっきとは雰囲気が違うお料理ね」
母親は頬を引きつらせながら、恐る恐る田作りに箸を伸ばした。そして口に入れる。
「うっ!なんで抹茶味!?」
母親は口を押さえる。
「キモ…俺パス」
婚約者すらも箸を置く始末。
「うっぷ」
父親は嗚咽をこらえ、
「アヒルが不憫で」
母親は泣きだした。
「あれ?おかしいなあ」
玲奈は首を傾げた。
何故こんなに不気味で不味いものばかり作ってしまったのだろう。厨房では残像が見えるほど素早く手際よく動けたし、順調に調理が進んでいたのに。それはまるで、何かにとりつかれたかのように。
これは報いだった。食べ物を粗末にした美食家に、わざと不味い料理を食べさせようとする怨霊の仕業だったのだ。
「美味いぃ!」
阿鼻叫喚の中、唯一料理を食べ続けているのは美食家だ。人々が呆気にとられる中、美食家は料理を食べ続け、そして完食した。
「君!」
美食家は玲奈の両手を握りしめた。
「結婚してくれ!甥の婚約者だろうがそんなことは関係ない!僕には君が必要なんだ!」
「駄目です!私は彼と結婚するって決めているんです」
玲奈は婚約者を見た。それから、両親を見た。
「お義父様、お義母様。ふつつかな娘ですが、よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げる。
「ふつつか過ぎるわ!」
母親はテーブルを叩きつけた。
「こんな嫁は不要だ!帰るぞ!」
席を立つ父親の腕に玲奈がすがりついた。
「まあまあ、そんな事言わないで。結婚式の日取りはどういたします?」
「ええい手をはなせ!婚約は破談だ!」
「そんな…」
がっくりと床に倒れ込んだ玲奈に、手が差し伸べられた。
見上げた玲奈の瞳に映ったのは婚約者。玲奈はその手を取り立ち上がる。やっぱり、あなたは私の事を…。玲奈は歓喜のあまり瞳を潤ませた。しかし。
「ごめん。君とやっていける自信が無いんだ…さようなら」
婚約者は玲奈に背を向けて、去って行ってしまった。
「そんな〜」
「…というわけなんだけど、いったい私の何が悪かったのかなあ」
玲奈は瀬名・雫(せな・しずく)の膝に顔を伏せて泣きじゃくっていた。
雫は玲奈の頭を撫でながら、よしよしとなだめている。
「ようするに、その男は玲奈ちゃんを受け止める器が無かったんだよ」
「私を受け止められる器を持ってる人間っていると思う?」
いるよ!絶対!
そんな言葉を期待しつつ玲奈が顔を上げると、
「人間以外で考えた方がいいんじゃないかな!」
雫が明るい笑顔で言い放った。
玲奈はがくっと肩を落とす。さようなら。私の恋…。
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