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<東京怪談ノベル(シングル)>


カミオロシ――忘れられていく物語
 森の中は暗く、もはや一切太陽の光は差さない。今がまだ夕暮れ時なのか、それとも夜なのか。どちらとも解らない程に周囲は真っ暗だ。
 物部・真言(ものべ・まこと)は目前に張られた結界へと挑んでいた。
「ぐ……うッ……!」
 指先が触れる度に紫電がはじけ、全身に衝撃が走る。
 この結界の先には、神籬がある。
 あの荒れ果てた中に放置された神籬が。
 そして、今そこには「神を堕ろそうとする者」が向かっている。
『神である彼女を汚し、人にする事が出来れば僕の望みは成就される! その為の贄で、その為の結界、そして儀式だ!』
 その人物は真言に先ほどそう告げた。
(「私情で神を降ろすのは、理不尽さは感じるが……」)
 俺もそんな風に思う日が来るかもしれない、と全ては否定は出来ないと真言も思う。
 例えば、どうしても救いたいモノがあったなら。
 神を降ろす事でそれを叶える事が出来るなら。
 尤も、それも「神を降ろす」場合に限った話だ。
 男は『神を人に堕ろす』と言った。
 その為に、一体どれだけの贄を捧げたのか?
 身勝手な思いの為に、神を汚すならば、そして人に落とすというのなら。
「歪んだ望みを叶える手助けなんて出来る筈もないし、何よりその彼女を悪心のようなものに取り込ませる訳にはいかない……!」
 真言の手には神籬の近くで拾った懐中時計がある。
 考えられるのは、神隠しに遭った人達の持ち物か、あるいは、あの男のものだろう。
 寧ろ、あの時男は真言の目の前で懐に手を入れ何かを探るような動作をした。そして、目当てのものは見つからなかったのか舌打ちをし、真言に背を向けた。つまり……。
(「これはやはりあいつのもの……か?」)
 そして、男は語った。
 縁の深いモノでも持っていない限りは、この夕闇の結界を祓うことも出来ない、と。逆を言えば、何かあればこの結界を打ち破ることも可能。
「……ならば試してみるしか無いか!」
 懐中時計を手に解呪を試みる。真言が術を唱えはじめると同時に紫色の結界が薄く輝きその姿を露わにした。闇に紛れて見えていなかった結界の縁がはっきりと肉眼で確認でき、更に縁に沿うように点々と紅い何かが落ちている事が解る。
(「……血か……?」)
 真言は直感的に理解する。
 神域を汚す為に何ものかの、いや、自身の血を流したと予測できる。
 何故か? 男は自分に縁深い者しか入れないよう結界を張った。その為に必要なものが「自分自身の肉体の一部」だったのだろう。
 そして呪を唱え終えると同時に何かが爆ぜるバチンという大きな音が響き、薄紫の光が消滅する。
 先ほどまで真言の進行を妨げていた結界はあっさりと姿を消した。
「やはりこれはあいつの……」
 改めて懐中時計を見つめ、そして大切にポケットへと仕舞い込むと、闇の奥を見据える。
 どろどろと渦巻く悪意の先を。
 そのまま真言は暗闇の中を駆け抜ける。
 あの苔むした巨岩、神籬のもとへと。

 息を切らせ、ひたすらに真言は駆ける。周囲の空気は日中にここに訪れた時とは段違いの澱みが発生していた。
 ただでさえ暗い場所にも関わらず、例えるならば悪意の塊とでもいった感じのモノが渦巻き、そして透明なハズの空気すら黒く染めている。瘴気はかなりの濃度となり真言の体力も奪っていく。
(「しかし……これほどの悪意を、ただの人間に発することが出来るものなのか……?」)
 あまりの濃度に真言は僅かに疑問を抱く。だが今はそれどころではない。
 暗闇に紛れるように男の背中が見えた。
「待て!」
 真言が叫ぶ声が聞えたのだろう、ゆっくりとスクエア型の眼鏡がこちらを向いた。
「貴様……どうやってあの結界を抜けた! しつこいヤツだな!」
「あんたの落としたモノがあったおかげさ」
「……懐中時計を拾ったのは貴様だったか!」
 鋭く舌打ちをする男に対し、真言は冷静に問いかける。
「何の為に彼女を汚す!?」
「何の為に……だって?」
 男はさもおかしいとばかりに笑い出す。
「彼女が欲しいから。ただそれだけだよ」
「何……?」
 真言には理解不能な言葉。
「幼い頃、はじめて僕はこの神社に訪れた……」
 男は高らかにそう告げる。そして掌を真言に向ける。
「そして僕は彼女に逢った。あの美しい神に!」
 一条の闇が真言を狙う。避けようとした真言の服を僅かに切り裂き、闇は近くの樹を抉る。
「一目見たその瞬間から、僕の心は恋に落ちた。しかし彼女は人ならざる身……」
 二撃目が更に続く。それは地を抉り土塊を跳ねる。
「ならば、彼女を人にしてしまえばいいと僕は気づいたのさ!」
「そんなのは……ッ!」
 彼の言葉に反しようとした真言を闇が襲う。凄まじい勢いのソレが見事に胴へと命中し、巨岩に叩きつけられる。目が霞み、肺がきしみ、鼻腔には鉄の臭いが満ちる。
「彼女を手にする為に僕は術を身につけた。長い事神について様々な文献を読みあさり、そして研究を重ねた……この焦がれる思いを叶える為だけにね!」
 倒れた真言を男は蹴り飛ばす。ごろごろと転げながら真言は神籬の前へと投げ出された。
(「俺は……このまま……」)
 ――このまま、死ぬのか?
 そんな考えが一瞬だが脳裏を過ぎる。
 彼女を救うことも出来ず、神隠しの真実にも至れず、こんな所で果てるのだろうか?
 真言は苔むした巨岩に指を伸ばす。救えなかった事を負い目に思いつつ。
 触れても指先に返ってくるものはただの苔の感触だろう。それでも、少しでも彼女に思いが伝わればいい。せめて心だけでも少しでも癒せれば良い。
 そんな諦めの思いと共に、真言は心の中言霊を唱え指先で神籬へと触れた。

 ――だが、神籬に触れた瞬間、信じられないことが起った。

 夜闇と悪意で真っ黒に染められた神社に光が差しこむ。
「……何故あなたが……!」
 男が驚いたような声をあげる。真言もゆるゆる顔を上げると神籬の上には見覚えのある女性が坐していた。
 長い黒髪。そして緩いラインをした服。
『あなたの言霊で少しですが力を得る事が出来ました。ありがとうございます』
 女性は真言へとそう言い、辛そうに表情を顰めた。
『ですが、もうすこしだけあなたには耐えて頂かなければなりません。私にはこれ以上力を振るう事が出来ませんので……』
「何を……言っている……?」
『……の剣を貸与します。どうか、お願いします』
 そう言い残し女性は再び姿を消す。
 同時になんとか痛みを堪えて身を立て直した真言の手に一振りの直刀が飛び込んできた。
 しかしただの剣ではない事はあきらか。何故ならその柄の部分はあまりに特徴的な形状をしていたからだ。
「まさか、これは……」
 そして、真言にはその剣の形状に覚えがあった。
 刀身は光を帯び神々しさを放っている。何せこの剣があるだけで先ほどからの身を食むような悪意が退いていく程だ。
「これは、神世の時代から伝わる――」
「馬鹿な! これがこんな所にあるはずが……!!」
 真言がそれの正体を呟こうとした瞬間、男が悲鳴のような声をあげた。彼が絶望的な声をあげた事により、真言の中では「この剣が何であるか」正体が固まった。
 ――間違い無い。これは――。
「……あんたも解っているんだろうが、この剣は邪悪を断つつるぎだ。いくらあんたが強力な術を使ってこようと俺には通用しない」
 切っ先を男に向け、真言は淡々と告げる。
「く……」
 苦々しげな表情で男は周囲の悪心を掌に集める。凝縮されたソレは剣の形状を模り、あまつさえ更なる悪意を纏う。例えるならば、悪意の剣とでもいうようなモノだろうか。
 男はそれを振るい、破れかぶれのように斬撃を繰り出す。真言はそれを避ける事なく手にした剣で防ごうとした。
 ――だが、剣は攻撃を防ぐだけではなく、相手の手にした悪意の剣を、触れた所から消滅させていったのだ。
「な……ッ!?」
 掌のなかでパラパラと崩れ落ちる剣を、男は呆然と見つめる。
 彼の視線は、いまや全身が神々しく輝く真言へと向けられた。
 真言が剣を構えたままに一歩距離を詰める。
 男はそのままじり、と一歩下がり喚いた。
「斬るのか? 僕を! 人殺しと呼ばれさげすまれる事になるのが解っているのか!?」
「剣は、ただ肉を切り骨を砕く為のものじゃない!」
 即座に真言は言い返す。
「なら僕を止める事も出来ないな! 僕はこれから彼女を堕ろす。大人しくそこで指をくわえて見ているがいい!」
「そうじゃない! あんたを止めて、そして彼女も救ってみせる……!」
 真言は剣を振るう。軌跡が光の円弧を描き、そして周囲の瘴気を浄化する。だが剣は切り裂く為にあるわけではない。
 舞い、言霊を紡ぎ、そして剣を振るう。その度に充満した悪意は薄れ、押しつぶされそうな程の圧力が消えていく。
「神楽……だと? 貴様、やらせはしないぞ!」
 男は慌てたように闇をかき集めひたすらに連続で放った。狙いこそろくにつけられていないものの、物量で勝る嵐のようなその弾幕は、通常ならば決して避ける事は出来ないだろう。仮に避ける事が出来たとしても、舞いを阻害される事には違い無い。
 だが、全ての攻撃は真言に届く前に光に呑まれ消えていく。
 そして最後の言葉が紡がれ、最後の一歩が踏まれる。放たれていた光は全てを呑み込み、男も、その身に纏った悪意も消滅させていく。
「馬鹿な! 馬鹿な!! この生をかけた呪がこんな若造に……ッ!」
 最後に男も飲み込み、光は更に広まっていく――。

 暫しして、うち捨てられた神社には何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。
 真言は疲れ果てたように座り込み、荒い息をついている。
 目前には倒れて意識を失った例の男が居る。命に別状は無いのは既に確認した。
 先ほど真言を救った剣は姿を消し、あの浄化の光も消えた。更に神籬の向こう側――懐中時計の落ちていたあたり――には神隠しにあった人々の姿もあった。
「……なあ、あんた。いるんだろ?」
 真言の問いに答えるように神籬の上へと一人の女性が現れる。
『彼の悪心を滅ぼしてくださって、ありがとうございます』
「それで、こいつはどうなるんだ?」
 倒れたままの男を指すと彼女は答えた。
『人として、今までの罪を償う事となるでしょう』
「人として……か」
 真言は彼女とは目をあわせず空を見上げる。木々の隙間から夜空に浮かぶ星が見えた。
「なあ、あんたに一つ聞きたい。この男はあんたが好きで仕方が無かったらしい……あんたもそれに気づいていたのか?」
 僅かに躊躇うような雰囲気を感じつつも真言は言葉を続ける。
「この男の話を信じるならば……三十年ほどあんたを思い続けていたらしい。あんたとしても流石に困る部分もあっただろうが……」
『……ええ、知っていました』
 ようやく彼女が唇を開いた。
『幼い少年だった彼は、このうち捨てられた神社に夕暮れ時にやってきました』
 夕暮れ時の、それもうち捨てられた神社。魍魎が跋扈しかねない時間帯だ。
 恐らく知識のないままに少年はこの場所へと入り込んだのだろう。
『彼は雑霊の類に憑かれました。それにより彼は自身の想いをねじ曲げられてしまったのです……』
 ねじ曲げられた想いを胸に、彼は長い事彼女を思い続けた。
 そして雑霊の持つ悪意に唆されるままに、彼女を堕とそうと計画をはじめた……というわけだ。彼女が言う所によれば、贄として9人の人を捧げようとしていたという。だが彼は8人まで集めた所で、意図しない出来事――真言との遭遇により計画を砕かれたのだ。
「しかし、ただの人間なら逆に雑霊の影響は受けづらい気がするが……」
 真言の問いは尤もだった。何らかの形でそういった能力を持つ人間ほど、霊の類も干渉しやすい。能力を持たない人間ならば、大概はそもそもが霊の類とチャンネル自体が合わず、見る事も触れる事も全く出来ないものだ。
 努力の結果そういった能力を身につける事は出来る。だが、男が技術を身につけようとしたのは雑霊の類に遭遇した後だ。先天的な能力があったとしか思えないが、そうであるなら大概は社寺や、その他の能力者と関わりがある事も多い。故に幼かったからといってただ一人危険な時間帯に危険な場所に訪れるとは思いづらい。
『……彼は、この神社を昔管理していた人物の子孫なのですよ。今はもうその一族は只人となっていますが……』
「そうだったのか……」
 ある意味で男は彼の一族が神を捨てた事によりこの悲劇を起こした。因果応報とでも言うべきか。
 とはいえ、昨今では最早神を信じない者も多い。文明の進歩に溺れ、神の存在そのものを忘れている者も多いのだ。
 それを再認し、少し寂しく思いつつも真言はようやく立ち上がる。正直な所、少々居心地が悪かった。
「じゃあ、俺はもう退散させてもらう」
 服についた泥を払い、節々の痛みを感じつつもこの場を去ろうとしたその時。
『待って頂けますか?』
 彼女が、真言を引き留めた。
『出来れば少しですがあなたにお礼がしたいのです。あなたは私の子孫の罪を止めて下さった』
「…………」
 足は止めたものの、真言はただ黙しその場に佇む。
 ポケットへと無造作に突っ込んだ手が、金属質な何かへと触れた。
 ――懐中時計、だった。
「じゃあ、一つ頼みがある」
 真言はそれを取り出すと彼女へと差し出す。
「これは、あの男の持ち物なんだが……これに魔を払う力を与えてやって欲しい。今後、あいつが悪意に誑かされないように」
 彼女はぽかんとした顔で真言を見つめる。
『それで良いのですか? あなた自身の願いは……』
「それは、これから自分で見つけて、自分で叶えてみせるさ」
 彼女の掌に懐中時計を乗せると、真言は背を向け神社から歩み出す。
 自分が何を望み、何を求めているのか。一番今必要なのは『答え』だ。
 自分の持つ『能力』それこそが最大の疑問であり、欲する答え。
 だがそれだけは誰かに与えられるものではない。自分の力で手にするしかない。
 寧ろ誰かから答えを与えられてもおいそれと納得出来るものではないだろう。
 彼女と真っ向から向き合う事が出来なかったのも、男の境遇に少しだが共感できる部分もあり、それを見透かされるのが怖かったからかもしれない。

 それから数日。
 テレビは神隠しのあった人々の無事を競い合って放送し、一人の男がそれを行ったと自首をした。
 だが人々が神隠しにあっていた間の記憶は曖昧で、男の供述も今ひとつ噛み合わない部分があったという。
 男がこれからどのような処遇を受けるのかは未だ決められていないようだが、マスコミの盛り上がりもじきに冷め、人々の記憶からは事件があった事自体消え去っていくだろう。
 彼らは決して知る事は無い。
 事件の背景には全ての人々から忘れ去られた神の存在があった事を。
 そして、事件の解決には一人の青年が関わっていたという事を。