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<東京怪談・PCゲームノベル>


名前の読めないテーラー


〜デリク・オーロフ(でりく・おーろふ)〜

 雨の気配。湿った空気と熱気。
 空は練り合わせの厚い雲で覆われ、今にも大粒の雨を零しそうな色だ。その所為か路上へ人影はなく、いや、ひとつの例外を除いては。
 靴音さえ密やかな者は、煉瓦で組まれた外壁のすぐ近くで立ち止まった。まるで嗅ぎつけた猟犬を思わせる。

 案外と楽に辿り着けるものだな。

 看板を確認すれば、噂どおり途中から文字が読めない。細長い建物は幾重もの結界が張られているので、ここで間違いないだろう。
 真鍮製のドアノブに『罠』はない。
 訪問者を受け入れる準備はありそうだ。ゆっくりと片手を伸ばせば……。
 触れる直前、ドアノブが回り、隙間から女が一人滑り出してくる。
 ブリオーと似た裾の長いサテンのワンピースの上、白い日除けの外套をはおり、フードを深く被っていた。
 対照的に、季節外れとも言えるカソックのような黒いロングコートを着る“客人”へ会釈した後、鼓膜まで刻む声を放つ。
「……随分と大きな獣を飼っているようだな」
「おや。動物はお嫌いデスか?」
「私は猫を飼っている。犬はここにいない」
 女の瞳は夜気を凝固させた色で、デリクの両目に収まる深い青を射抜いた後、尖った編み上げブーツの先を通りへ向けて立ち去った。

 同業者かと思ったが、違う気もする。

 気を削がれたが、改めてドアを開く。
 ドアベルの音はない。幽かに軋む蝶番の調べが耳朶(じだ)をかすめただけだ。
「ようこそ。本日はお仕立てですか? 繕いですか?」
 艶のある銀糸のような声が、フロアで散じて解ける。埃の落ちていない床板から視線を上げれば、明るい金髪の青年がカウンターで微笑していた。白いシャツを着て、臙脂(えんじ)色のネクタイを締めている。タイピンは金の葡萄だ。
「良いテーラーがアルと聞きまシたのデ」
 ちょっと冷やかしに……。
 穏やかな笑みで包みながら挨拶をすれば、迎える青年は、装飾写本でよく用いられる、ファンエイクグリーンと似せた瞳を視線に変えた。
「お客様が着ておられるのは、魔術教団の儀式用装束ですね。魔術師は身分を隠したがるものですが……」
「ココは特別な場所だと聞いてイタのデ。正装で参じたのですが、いけませんでしたカ?」
「そこまでしていただけるのならば、職人として誇りを持って対応できます」
 彼はカウンターからフロアへ出てきた。
 長身であり、線が細いだけでなく、俊敏な鞭の動きを想像させる。やや波打つ白金に近いブロンドの下、掘り出された結晶と同じく無機な眼球を持っていた。乗るのは冷え込んだ光りだ。
「ボクはこのテーラーの職人で、サテンシルクと申します。本来、二名のいずれかをご指名いただくのですが、あいにく、姉は外出しております」
 聞いて思い当たった。黒い瞳の白い魔女。
「入口で会った白い服のヒトですネ……」

 まあ、いい。姉の方は冗談も通じなさそうだし、煉瓦の城は彼らの領域だ。こちらは満足に魔術も行えないだろう。

「このたびは何をお望みでしょうか?」
「……この服装に合う黒の手袋をひとつ仕立てて下サイ。素材は問いまセン」
 デリクはロングコートの前開きを摘んでから、掌の内側の痣、魔法陣を見せる。
「客は装いに価値を見出しテ手に入れヨウとし、仕立て屋は装いヲ通じ客に新たな価値を与えル。サテンシルクさん、私が手にはめたいと望むヨウな手袋を仕立てらレマスか?」
「足を運んでいただいたお客様です。協力は惜しみませんよ」
 サテンシルクは右足を引いて、右手を胸に当て辞儀をした。
 向かい合う表情は崩れない。完璧なコーティングで、互いの腹の内などおくびに出す気配もなかった。
「では、お名前を頂戴いたしましょう」
「デリク・オーロフと申しまス」
 名乗りを上げた瞬間、職人の瞳孔だけが深紅に染まる。鼻先すれすれで血の葡萄が蔦をうねらせてシミのごとく広がり、漂うものを掴み取り収束していった。一秒にも満たなかっただろう。
 デリクが一瞬身構えたのを、サテンシルクは眺めていただけだ。
「見たことがナイ術式ですガ?」
「そうですか……。どうでしょうね?」
 職人は白手(はくしゅ)を両手へ装着し、よく磨かれ手入れされた黒い革張りのカウチをすすめた。飴色の縁へ木蔦(きづた)の絵が描かれている。
「どうぞ。掛けて楽になさってください。あなたの過去と現在をなぞりますよ」

 型紙を二枚並べ、両の手を上へ置くよう指示した。

 ……まるで、魔性と契約しているかのようだ。
 彼が人間であるのか疑わしくなってくる。

「ボクの能力は姉と異なり、詰まるところ有形無形の破壊ですので……。多くの術式を知り、実行できる“手練”の魔術師にとって、あまり心地良いものではないでしょう。白手は蝕みを防ぎますが、本能的な不快感はあるかと思います」

 では、自分が持つ“素養”をどうにかされるワケではない。
 職人の説明で、少しほっとしている自分がいる。

「失礼いたします」
 広げて置かれた両手の輪郭を、芯ホルダーで写し取る。頑丈そうな作りからして日本製ではないようだ。
 型取りが終了し、何処へ置かれていたのか銀のベルが鳴らされる。重なりながら車輪の音がフロアへ滲み、給仕らしき者がワゴンを押して現れた。
「一度、形にします。補正は試着の時いたしましょう」
 型紙を手に作業場へ足を運ぶ職人を見送って横へ目をやれば、両目の黒と胸元の青いリボン以外、ショートカットの髪から爪先まで白色で統一された、十四、五歳の……。少年か少女か、判断しかねる。
「随分かわいらしい給仕ダネ」
 表は深い群青、中は眩いばかりの白いカップに、陶器のポットから注がれたものは金色がかった深紅だ。何種もの花を組み合わせたかの香りは高く、どこかしら東の秘境を連想させる。
“東南アジアの貴重な茶葉です。芳しく潤いのある香りは二番茶でなければ現れず、苦味や渋味は控えめで青臭さもございません。『Utopia』理想的進歩の名に恥じぬものです”
 声さえも中間で、この存在が“He・She”かは考えるだけ無駄だろう。
 『理想的進歩』など、甚(はなは)だむずがゆく嗤ってしまいそうだが……。
 茶の味は悪くはなかった。
「手袋は、羊一頭分の革を使用します。シープスキンは他の革に比べ、薄くて柔らかく、手に馴染みやすい上、とても丈夫ですから」
「おまかせします。腕前は確かでアルと聞いていますデ」
 彼がメジャーをひと振りすれば、床で収納されている黒き一頭が、自らその身を作業台へ横たえた。
 専用の鋏みとナイフが、十指の従僕を呼び出す作業は流転であり、太く鋭利な針が苦もなく拘束を続けた。
 糸を引くと同時、吐息で蠢く影の手が出現する。
「この黒い羊は、ベラドンナとジギタリスを餌に育ったと言われています。魔術に精通されておられるようなので、ご存じかと思いますが、猛毒です。しかし、薬としての効能もございます。多少の傷や打ち身ならば、ご自身の魔力を使わずとも蓄積した毒を供給源に治してしまうでしょう」
 ……毒の羊……。
 魔具の素材としてはやや珍しい程度だが、職人の手で特化されている。
「羊の最期は、毒か病デ……?」
「いいえ。至って健康であり、天命を全うした。そう、聞いておりますが」
 差し出された黒い手袋は、指先から腕の三分の一を被うデザインだ。
 手を滑り込ませれば、触りはなめらかでひやりとしている。きつくも緩くもない装着感で、手袋をしていても物に触れた時、しっかり形を認識でき、また、取り落とすこともない。儀式用装束を損なわせることもなく従順だ。
「良い出来です。服以外のモノでも、作るのが上手なのですネ」
「このまま、仕上げてもよろしいですか?」
「いいですヨ。進めてくださイ」
 職人がメジャーで作業台を一打ちすると、下から琥珀色のミシンが起き上がってきた。赤い蔦模様が銀の縁取りで描かれている。
「革を縫う専用のミシンです。じゃじゃ馬ですが出来映えは保証しますよ」
 サテンシルクが“舞踏”を命じ、琥珀のミシンは呻りを上げて黒羊の上で“jig(ジグ)”を躍る。
 気が付けば、白い給仕は猫の子よう、音もなく消えていた。
◇◇◇
 明かり取りの小窓は意味を無くし、ドアの向こうから雨音がしている。
 テーラーは傘と、赤いリボンが掛かった白い箱を手渡した。
「この手袋、性根がとても貪欲でございます。持ち主の欲をくすぐり増長させるようなことを、囁くかもしれません。……まあ、所詮は手袋ですので、お気になさらず」
 客人のデリクは片眉を上げたのみで、何も言わない。
「さて、魔術師たちは時の呪縛から逃れることができず、混沌の果ての先、己の目で真理を見出すこと未だ叶いません。お客様が辿り着けるよう、ボクたちはいつでもサポートの用意がございます」

 この緑の目、すでに“果ての先”を見定めているのではないか……。
 いや、程度を過ごしている、と思い直す。

「またのお越しをお待ちしております」



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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
3432 デリク・オーロフ(でりく・おーろふ) 男性 31 魔術師

☆NPC
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)
NPC5402 白い服の女(ベルベット) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5408 白い給仕(シュガー・ニードル) 無性 14 サーヴィター


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■ライター通信■
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大変お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

デリク・オーロフ 様。

初めまして。【名前の読めないテーラー】へのご来店誠にありがとうございます。
サテンシルクへのご依頼。とのことで『黒の手袋』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、この度は弟サテンシルクの一勝となりました。
魔術師でおられる限り、また、何処かの海でお会いできるかもしれませんね。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。