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<東京怪談ノベル(シングル)>


●遁走
 足音が確かに聞こえる、自分の歩く速度と同じペースで『何か』が尾行している。
 空は血の様に紅く染まり、艶のない羽根をした烏がギャァギャァと喧しく喚いている。
 ドン、と大きな物音がしてビクリ、三下・忠雄(NPCA006)は身体を震わせた。
 大の男が身体を丸め、ビクビクと周囲に視線を彷徨わせる滑稽さと惨めさに子供達が嘲笑う。
 無邪気な嗤い声と、自分を指差す視線――銃を向けられている。
 太陽の紅さに黒光りする銃口が、ギラリと凶悪な光を放った。
「――ひぃ、や、やめて」
 ひゅぅ、と喉を鳴らしながら三下は身体を硬直させ、その銃口を見つめる――否、目が離せない。
 と思えば銃口は淡く消え、少し離れた場所でドスの利いた声がした。
「んだァ?」
 クラクションを鳴らして、トラックが突っ込んでくる――紅い、車体は紅い。
 眼鏡の奥の瞳を見開いて、迫って来る車体を見ている、動けない。
 撥ねられた烏を突きに、新たな烏が増えて屍肉を喰らう。
 人影が迫る――それは標識として擬態し、此方を狙っている。
 木陰から無数の眼が見えた……無慈悲な瞳に瞳孔などなく、ただただ、昏い。
「ひぃっ!」
 バサバサバサ、と一斉に烏が羽ばたいた――もう無理だ、逃げなければ。
 後ろから追って来るのだ、もしかしたら巷を騒がせている連続殺人鬼かもしれない。
 定期購読勧誘なんて言うものに、かまけている場合じゃない、逃げなければ。
 歩を進める、ひたひたと足音は近づいてくる……やがて、三下は振り返ることなく駆けだした。
 ヒィヒィと肺が酸素を求め、心臓は死の恐怖に直面し悲鳴を上げている――白王社、逃げ帰った先に、いた。
「本当に役に立たないのね、狙われてる?そう、でもさんしたくんが殺されても雑誌の記事にはならないわね」
 冷たく言い放った鬼上司、碇 麗香に一睨みされて、彼は身体を縮めた。
 銀色に冷たく光――それは、己を殺す光、鋭い刃。
 だが、その銀色の凶器は三下を貫く事は無く、その代わりにふわりと優しい香りが彼を包んだ。
 綺麗な黒髪が目端で揺れる、新しい編集員だろうか?
 思わず目で追った三下の視線に気が付いたかのように、彼女、藤田・あやこ(7061)は振り返った。
 瞳が優しげに細められる、そうして優しい声音であやこは紡ぐ。

「貴方を護るわ」

 白い指先が伸ばされ、ずり落ちた三下の眼鏡をそっと持ちあげる。
「ところでさんしたくん、定期購読の勧誘は?」
「編集員の仕事じゃないわね」
「役に立たないから、さんしたくんは」
「上司が悪いのかも?」
 優雅に微笑みながら、あやこは繊細な手つきで紅茶を入れると三下の目の前に置いた。
 どうぞ、と言われてヘコヘコ頭を下げながら三下は紅茶を受け取った。
「熱っ!」
「あら、大丈夫?」
 思わずカップを落とした三下にドジ!と碇の怒声が飛ぶ。
「大丈夫よ、ごめんなさいね」
 カップを拾いあげ、濡れてしまったスーツにハンカチを押し当て水分を拭き取った後、あやこは三下の手を自分の手で包みこんだ。
「怪我は無い?」
「ひ、あ、あ、はい」
 やれば出来る子だもの、とあやこは碇に微笑み返す。
 ひたすら恐縮しながら定時に切り上げた三下は、誰だ?と首を傾げ帰路につく。
 尾行する背後の異変も、気にならない――あれ程、恐怖を感じたと言うのに。
 護る、その言葉を聞いたからだろうか。

 が、三下の空回りする日々はやはり、上手くかみ合う事は無く空回ったままだった。

「え、定期購読の……ですか?」
「文句言わずに、さっさと行って」
 犬を追い払うかのようにシッシッ、と手を振った鬼編集長から逃げ出すように手もとのメモを見ながら団地を探す。
 ぐるぐると同じ場所を回っていた彼だが、ようやく、目的の団地に辿りつき息を吐いた。
 シワだらけのハンカチを取り出し、額の脂汗を拭く。
「貴方は昨日の!」
「あ、きゃ〜♪エルフの団地妻よろめく渾沌あやこさんよ☆」
 チャイムを鳴らすと同時に、妖艶な主婦、あやこはドアを開けると、さあさあ、と三下の手を引っ張った。
「ちょ、あの、あの――」
 何が言いたいのかわからず、どもりながら連れ込まれる三下。
 くるくるとあやこはキッチンを回り、緑茶と紅茶、どちらが好き?だの。
「このお茶菓子、美味しいでしょう?娘も好きで――」
「は、はぁ……」
「もっと、しゃきっとしなきゃ。このお煎餅も美味しいでしょう、お茶と一緒に食べると美味しくて――」
「いや、そうですけれど……」
 そろそろ、戻らないと――と言えない、言わせないあやこ。
 寂しい人妻は訪問客の言葉を完封する事が可能である、無限接待地獄に三下はくらくらと眩暈がするのを感じた。
 急速に詰め込まれたお菓子と料理とお茶に、胃が悲鳴を上げている。
 ――何だ、この人は。
「あ、の、お手洗いをお借りしても……」
 苦し紛れに口にした三下は、立ち上がったついでにそろそろお暇を――そんな展開を想定していたのだが。

 ガチャリ……

「はい、タオル。ちゃんと手を拭かなきゃ、駄目よ」

 嗚呼、微笑みすら恐ろしい。
 ジィ―と、トイレの前で佇むあやこを思えば、まるで常に監視されているようでうすら寒い。
 だが、嫌とは言えない三下、此方もどうぞ、美味しいのよと差し出された茶菓子に嫌と言えず、またリビングに座る破目になるのだった。
 既に定時を過ぎ、流石にそろそろ帰らないと――と立ち上がろうとした三下。
 だが……。
「ただいまー、あやこ。何だ誰だ?あやこの同僚さんか呑もう」
 自宅に一人っきりの筈の妻、そこに帰って来た夫……。
「ひぃぃ」
 元来ならばそれは、修羅場。
 編集員、痴情の縺れの果てに――などとゴシップ誌を飾る自分が脳裏に浮かんだ三下であったが。
 現れた夫だと言う人物はどう見ても、女性にしか見えない。
「ビールがいいかね。焼酎、ワインもあるよ」
「じゃ、じゃあ、ビールでお願いします」
「うふふ、おつまみ作るわね」
 あやこの作る酒の肴をつまみながら、仕事の愚痴や鬼上司の事。
「あはは、三下君も大変だねぇ!」
「いえいえ、そんな」
 ははははは、笑いながらふけて行く夜……そして。
 ガンガンと痛む頭、酒の臭いの染み付いたスーツ、ボサボサの頭。
「全く、自己管理がなって無いなんて社会人としてどうかと思うわ」
 鬼編集長は怒りを通り越し、蔑みの視線を送る――すみません、とペコペコ頭を下げた三下。
 その後ろから。

「私が貴方を守るわ」

 黒髪の妖艶な主婦が、そう言って嗤い――。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7061 / 藤田・あやこ / 女性 / 24 / ブティックモスカジ創業者会長、女性投資家】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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藤田・あやこ様。
発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。

不条理の恐怖がテーマとの事で、無限に続く悪夢を演出してみました。
最後のあやこ様の微笑みから、また永遠に――。
伏線はわざと回収しておりませんが、伝わる雰囲気を楽しんで頂ければ幸いです。

では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。