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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『偽りの町角に君たちの微笑を』

 鉄と油、それに硝煙の匂いが静かな夜気をくゆらせて暗い部屋に広がる。
 ツンと鼻腔をつくその匂いは人間で言えばすえた臭いに変換できるのかもしれない。
 金糸のように細く美しい髪を指先で弄いながら鵺は男の背中を見つめている。
 細く引き締まった背中の筋肉はその男が決してこれまで日の当たる世界を渡り歩いてきたわけではない事を物語っていた。よく訓練された男の背中。
 その背を細めた眼で見据え、彼女は濃艶な笑みを浮かべる。
 よく見れば彼女のべビードールだけに包まれた美しい肢体はうっすらと紅潮し、鳥肌が立っていた。髪を弄っていた指先でそっと唇をなぞる姿はぞくっとするほど美しく淫靡だった。
 彼女は男の背に色気を感じていた。
 うっとりと漏らした吐息は艶やかに男が奏でる金属の音色に混じる。
 手馴れた手つきで分解した銃の部品を並べていく男の細い指先。本当に器用なものだ。聞けばその銃は男の自作だという。白と黒の二挺拳銃ベオウルフ。女の肢体は男の指に弄われるそれに嫉妬を感じているのかもしれない。そう。その指先ひとつだけでも彼女はベッドの上で天国にいける。
 かまってもらいたい……。この肌に触れてもらいたい。キスをしたい。
 彼女は濡れた眼で男の背を見つめるが、男は銃の整備に余念がない。
 努力はどれほど重ねても人を裏切るが、怠惰は決して人を裏切らない。怠惰は努力とは違いたった一回でも犯せば簡単に人を貶める。それは男がたまに口にする言葉。―――魔人の力の暴走に苦悩する男の言葉だ。
 鵺はそんな彼を見るたびに興奮する。もっと怯えればいい。恐怖すればいい。悲しめばいい。自分の人生を呪うがいい。その心が闇の底のさらに底、どん底に堕ちた時に、暗闇に泣く子どもを親が甘やかすように自分が男を包み込み、その豊かな双丘に顔を埋めさせ、頭を撫でて、嗚咽を漏らす口を優しく自分の口で覆い、嘆きを舌で絡め取り、男の苦悩を自分の肢体の中に吐き出させることで、その心を水に溶ける砂糖菓子のように蕩けさせて、
 そう、男がもう、自分無しでは再起不能になるまでにそんな風に甘く甘く甘やかして、ダメにしてしまいたい。
 それはかつて中国の史実にあった同じ九尾がその色香で皇帝を虜にし、国ひとつを滅ぼさせた、そんな九尾という存在の因縁なのだろうか、
 それとも雌ならば誰もが持つ母性故なのか。
 いいや、違う。それは、そう、もっとシンプルだ……。
 鵺はワイングラスを傾けてその中にあった琥珀色の液体を嚥下すると、グラスについたルージュをそっと指先でふき取り、
 ベビードール一枚だけを身に着けたままでそっと、ベランダに出て、そこから夜の街に飛び降りる。
 アスファルトの上に静かにそっと着地すると、彼女は舌で唇を舐め、再び、今し方まで自分が居たマンションの向かいのマンションの屋上に飛び上がる。
 そこには鬼が居た。おそらくは海で事故死した人間の成れの果て。とても苦しんで苦しんで苦しんで死んで、自分がどうして死んだのかわからず、死んでからも苦しみ続け、そうして、笑って生きている人間がうらやましくてうらやましくてしょうがなくて、そうしてそんな心を……魂を誰かに利用され、呪いの一欠けらとして利用されている哀れな、輩。
 ―――鵺はくすりと嫣然に笑う。哀れ? いいえ、哀れなものですか。あれは、
「風間総一郎は私の大切な玩具。その身体も、魂も、心も、触れていいのは私だけ。おまえは、誰? そして、おまえの主は誰? 覚悟はできているのかしら? とてもイケないお悪戯をして私に切諌される覚悟は?」
 それまで雲に隠れていた満月が顔を出し、青白い光が彼女を照らす。屋上のコンクリートに生まれた鵺のシルエットに、彼女が酷薄に微笑んだ瞬間、七つの尾が生えた。
「悪い子は、誰かしらね?」
 下界の街を走る緊急車両の不吉なサイレンに混じって、けらけらと笑う女の声と、何者かの断末魔の悲鳴があがった……。



 ―――偽りの町角への招待状―――


 洗い立ての真っ白いシーツには洗剤の匂いと日の匂い、それから自分が吸っている紫煙の匂い、あとはいつもそのよく訓練された腕で抱いている女の香りを香らせている。
 いつ眠ったのか覚えてはいない。
 銃の整備を終えた頃、色づいた鵺の嫣然とした笑みに迎えられて、そのまま鉄と油、硝煙の匂いが移った指で鵺の肌を触った。
 自分の上で果てる間際に魅せた鵺の女の貌を最後に総一郎の記憶も途切れている。つまりは一緒に果てた、そういう事か。
 上半身をベッドの上で起こすと、背中に軽い痛みを覚えた。おそらくは昨日の最中に引っかき傷を付けられたのだろう。昨夜は、そういう感じのものだった。よく見れば体の数箇所に彼女の歯形もある。
 それで、人に傷をつけた張本人はどこへ消えたのだろう? 時計を見ればあと少しで昼だ。さすがに寝すぎだ。
「くそぅ」
 寝癖のついた髪をくしゃっと掻き撫でて総一郎は熱いシャワーを浴びることにした。
 どうせそこら辺をまたうろついているのだろう。腹が減れば帰ってくる。それまでにシャワーを浴びて、それから自分と彼女の分の簡単な炒飯でも作ればいい。
 総一郎は浴室に向かうためにベッドから立ち上がり、そこでスマートフォンにPCメールが着信しているのに気づいた。
 無視しようかとも思ったが、それの光は彼の姉の番号とメアドに設定しておいたものだ。まあ、緊急ならば直接電話をかけてくるだろうから、そのメールの緊急性は低い物なのだろうが、どちらにしろ彼女のご機嫌が斜めになったら色々とうるさい。
 ため息を吐き、彼はメールを開いた。


 こんにちは、総一郎。
 久しぶりね。元気にしていた? 今度また、近いうちに皆で会いましょう。
 とても美味しいイタリアンのお店を見つけたから。もちろん、男の子なのだからあなたの奢りでね。
 それで、今日、あなたにメールを送ったのはね、あなたに依頼したい仕事があるからなの。
 私の事務所に来た仕事なのだけれど、生憎と今、私の方も手一杯なのよ。だから、あなたの方でこの仕事を請けてくれないかしら? 
 ああ、今、面倒くさいとか、どうせなんだか裏がありそうだから俺に回すんだろう? とかってまた捻くれた事でも考えたんでしょう? お姉ちゃん、悲しいなー。せっかく、可愛い弟のためにと思ってこんな美味しい仕事を回してあげるのに。
 本当よ? 依頼主は**県**市なんだから! そう。温泉と海で有名なあの観光地ね。昼間は海で遊んで、朝昼夜と美味しい海の幸を食べて、夜はお肌すべすべの効能のある温泉、しかも混浴! 
 十月十日後には私にも甥っ子か姪っ子がいるのかしら? 
 と、まあ、冗談抜きでこの依頼にはそんな美味しい得点もついてくるんでよろしく♪
 詳しい話は、まあ、依頼主さんから聞いてね。
 そうそう。それから、この依頼には風間総一郎としてではなく、女性化して行ってね♪
かしこ


 ……はげしく、面倒くさい。
 というか、嫌だ。やりたくない。絶対にこれは何かがある。そうでなければこんなにも美味しい依頼をあの姉が回してくるわけがない。
 しかも自分に女性化して行け、などと……面倒ごとに巻き込まれるフラグが立ちまくりじゃないか。
 先ほど、彼女は拗ねさせると面倒くさいと言ったが、この依頼に行けばそれ以上にさらに面倒なことに巻き込まれる、総一郎の勘がそう言っている。そして、こういう時の自分の勘は正しいと総一郎は信じている。命を懸けた実戦で育ててきた勘なのだから。
 このメールを速やかに破棄して、そして、姉にお断りのメールをして、熱いシャワーを浴びて、全てを忘れよう。
 ゴミ箱のボタンを親指で押して、メッセージを削除、そのアナウンスがディスプレイに表示されて、それを押そうとした瞬間、
 ふわり、と彼の鼻腔をつく身近な香りがしたと思った瞬間、まるで白昼夢のように彼女が掻き現れた。
 まるで金糸のようなさらさらの美しい髪に縁取られた美貌が艶やかに笑う。その腕に抱かれているのは彼女がいつも買っている服のブランドの買い物袋だ。そして、手に持っているのはタブレットだった。
 嫌な感じがした。
 そのタブレットは総一郎のメールも受信される。そして、それを彼女が持っているのだとしたら、それはつまり……。
「あ、おそよう。総一郎。それよりもねえ、これを見て。お姉さんからのメール。なんだかお得な依頼がきているわよ。だからほら、旅行用の新しい服と水着、買っちゃった♪」
 ――どうして、俺はこいつよりも早く起きなかった?
 総一郎は片手で顔を覆って、天を振り仰いだ。しかし、そこに居ると言われている存在に愚痴を言っても、もう過ぎ去った時は戻らない……。



 ―――偽りの町角の偽者―――


 その町は異様だった。
 夏の日差しはとてもまぶしいぐらいにさんさんと照り輝いていたのに、町に一歩足を踏み入れた瞬間に、とても陰気な場所に迷い込んだような気がした。
 肌に絡み付いてくる夏の暑さに焼けた空気は、この町に足を一歩踏み入れた瞬間に、肌が粟立つぐらいに湿った肌寒いものに変わっている。
 町に絶えず流れる白波の打ち寄せる音はなんだか誰かのすすり泣きに似ていた。
 町を走るがら空きのバスの中から誰もいない浜辺を細めた眼で眺め、鵺はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
 夏真っ盛りなのに、なんだか町全体がお葬式でもしているよう。この町はそれなりに名を知られた観光地なのに。
 彼女はスカートがめくれあがるのも気にせずに、ずるずるとバスの座席から落ちていく。
「こら、鵺。かっこ悪いよ」
 隣の席の総一郎、ああ、違った。今、彼は女性化しているので、名前も男性の風間総一郎から女性化用の風間夕姫に代わっている。だから、夕姫がたしなめてくるけれど、そんなもの知ったことか。
 だって、このバスには乗客は自分と夕姫だけなのだから。だから、めくれたスカートからのぞく鵺の脚線美に嫉妬を抱く女も居なければ鼻の下を伸ばす男も居ない。
 せっかく、きわどいビキニの水着だって買ってきたのに。こんな陰気なビーチでは泳ぐ気にもならない。
 だからだろう。この夏本番の観光地に人気が無いのは。
 そして、鵺は知っていた。この町が何とそっくりなのかを。
 それを夕姫もわかっているのだろう。隣で長々とため息を吐いた。
「だから、嫌だったのよ。何、この町は。これは墓場の空気よ」
 鵺はふんと鼻を鳴らす。
 そう。この町の空気は、墓場そのものだった。
 きっと、よく眼を凝らせば町のいたるところに存在する影から餓鬼が覗き見しているはずだ。
 本当に、とんだ、災難だ。わざわざ露出の多いこの服を買ったのは総一郎へのサービスだったのに。
 これは早急にこの依頼を片して、総一郎とのバカンスと洒落込まないとね。
 ふぅ。とため息をひとつついて、鵺はまぶたをそっと閉じた。
 しかし、バカンスを楽しむというのは総一郎にもその気が無ければならないというのが前提条件だ。
 その肝心の総一郎、今は女性化しているので夕姫の方であるが、この依頼、完全に彼女のお気に召さなくなったようだ。
 何故なら……
「ぷっ」思わずその人物を目にして鵺は吹き出してしまった。
 眉根を寄せたその男を無視して、鵺はどこか意地の悪そうな細めた目で隣の夕姫を見る。
 彼女は大胆に左足を魅せるスリットの入った白のチャイナ服に包んだ身体をふるふると震わせていた。
 それを見て鵺はたまらなくなって声を出して笑ってしまう。
「「おい」」前と右横、両方から突っ込まれて、鵺は目じりに浮かんだ涙を右手の人差し指の先で拭って、懸命に笑いをこらえようとするが、
 ……ああ、だめだ。本当にツボにはまった。
「だって、この短足、寸胴、ちんちんくりの樽みたいな男が、」隣の夕姫を見ながら目の前の男を指差して、そこまで言って、そこでまた鵺は笑ってしまう。
 そう。長身でよく鍛えられた肢体を持ち、長い銀髪に縁取られた美貌に常に人を食ったような表情を浮かべながらその実、赤色の瞳には理知的な輝きを宿す、どこか他者をそわそわとさせる魅力に溢れた青年が風間総一郎であるが、今、この仕事の依頼主である**市観光協会の人間たちから紹介されたのは、そんな風間総一郎には似ても似つかない偽者であったのだから。
 まだケラケラと笑っている鵺はもう放っておいて、夕姫の方は面白くない、そんな感情をその美貌に隠さずにその、男性化したときの自分の偽者の目の前に一歩進み出た。
「命を捨てる覚悟はできているのよね?」
 銀糸に縁取られたその美貌は怜悧と評しても良いものであるが、その麗しい可憐な口が囁いたのは、なんともまあ、物騒なものであった。
 思わず目の前の樽男は目を見開いて、呆れたような表情をした後に、舞台上のピエロのように大仰に両腕を開いて大きく肩を竦めた。まさしく今の自分がピエロであることなど思いもせずに。
「命を捨てる覚悟? はん。俺は、あの退魔組織【白神】に身を寄せる凄腕の退魔師で数多くの心霊事件を解決してきた男だぜ。そう。俺は既に命を捨てる覚悟なんてできている。心霊事件に苦しめられる人々を救うためならな。それで、お美しいあなたこそ、何をしにこの、俺の戦場へ?」
 夕姫の肌が粟立ったのは、俺はそんなトンチンカンな事は言わない、という怒りと、男の舌なめずりが聴こえてきそうな性的に不快な視線が夕姫の美貌、唇、豊かな胸、美しくくびれた腰、優雅に曲線を描く腰下、白い太もも、そうしてまた豊かな胸の谷間へと行ったり来たりしているからだ。
 本当にこの男、気持ち悪い。
 じろじろと胸の谷間を見てくる男の視線から隠すように扇を開き、それで胸を隠しながら、夕姫は鋭く細めた眼で、男を蔑むように睨んだ。
 けれども男は今にも夕姫の太ももに手を伸ばしそうなそんな下卑た笑みを浮かべてふんと鼻を鳴らすだけだった。
 ケラケラと笑いながら鵺は夕姫の肩に腕を回して抱き寄せると、そっと囁く。「そんな生娘みたいな初心な反応見せてると余計にこの手の男は興奮するわよ」
 そして、夕姫は呆れ果てたような眼で偽者を眺めている依頼主たちを見た。
「それで、この方が居るのに、なぜ、私たちにも依頼を?」
 そう鵺が聞くと、観光協会の面々は顔を見合わせて、偽者を眺めやった。
 鵺は肩を竦め、夕姫はさらに身体を震わせていた。



 ―――偽りの町角の復讐者―――


 案内された部屋はその部屋専用の温泉を庭に持つ豪華な離れの客室であった。
 部屋がとても広い。
 そして、真夏だというのに、冷房も入れていないのにとても寒い部屋だった。
「この部屋、自殺者でも出ているんじゃないの?」
 物騒なことを口にする鵺だが、しかしこの部屋自体、もっといえばこの旅館自体で自殺者が出ていないのはちゃんと見えている。
 総一郎はため息を吐き、畳は新品なのだろうがしかし、腐った臭いのする畳の上に寝転がった。
「ねえ、総一郎。温泉にでも入ったら? そうしたら気分も優れるかもよ」
「優れるか。あの偽者を簀巻きにして海に沈めでもしない限りにはよ」
「あれは、酷かったわね。いろんな意味で」
 思い出したのかまた、けらけらと鵺が笑い出す。
 しゅるしゅると自分の身を包む服を脱ぎ捨て、下着を脱いで、美しい裸体をさらすと、彼女は誘うように微笑むが、
 しかし、総一郎はふんと鼻を鳴らしただけで畳の上から起きようとはしなかった。
 鵺は肩を竦め、ひとり、庭に出る。石畳を渡り、温泉に足の指先をつけるが、それの粘性はまるで、そう、まるで血のようなどろりとした粘性を持っていた。
 なるほど、観光客が居なくなるわけだ。
 観光協会の面々が言うには、ある日突然、海が荒れ、漁に出ても何も採れなくなり、温泉も源泉が濁り、真夏だというのに肌寒くなって、町全体がとても陰惨とした陰気な町へと変貌してしまったと語った。
 しかし、彼らが言うには異形の影はまだ見てはいないという。
 そう。まだ。
 でもそれは、センスの無い者に見えていないだけだ。
 それを見るのにも資格が要る。
 どろりとした粘性を持つ温泉に顎までつかり、鵺は肩を竦める。
 だが、それも時間の問題だ。やがてこの町を徘徊する異形たちはセンスの無い人間たちにも見えるようになるだろう。
 そうなる前にプロに救いの手を求めた観光協会の人間は、いい判断をしたと思う。
 もっとも、頼る相手を間違えたが。
 彼らは最初、退魔組織【白神】にこの件を依頼しようとしたらしい。しかし、観光協会を運営する現役世代の親世代の人間たちがそれを頑なに良しとせず、彼らの誰かが、あの偽者にコンタクトを取り、彼を呼んだらしい。
 つまりは、この現状の理由に彼ら隠居組は心当たりがあるということだ。しかも人に言えないような。だから、彼らは依頼するに当たって明確な理由を提示し、場合によっては彼ら隠居組が隠しておきたい事が世に露見するかもしれないそれはできなかったのだ。故に、あんな三下の詐欺師に足元をすくわれることになる。
 彼は観光協会の人間に言ったそうだ。今回の件は神社を移築したために起こったことであると。
 そう。彼はもっともらしく語ったそうだ。
 ―――日本の神は自分を祭る者を救いもするが、逆に祟りもすると。
「ええ、そうね。日本の神は祟りもする。だって、神は異形の物の怪を奉りあげたものなんだから。人間って勝手よね。自分に都合の良いモノは神だなんだと神輿にあげて、それでいて時代が近代化すれば、神への畏敬の念を忘れ、自分たちに都合が悪ければ平気で神社の移設などをする。本当に実に恐ろしきは人間よ。あなたもそう思うでしょう?」
 鵺は双眸を細め、自分たちの泊まる旅館の離れの部屋の屋根に乗る男、偽者の彼を見据えた。
「俺もご一緒していいかな?」
「冗談。今すぐにでもその眼を抉り出してやりたいぐらいなのよ」
 よく手入れされた爪にふぅーと息を吹きかけて、鵺は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「それに私、醜いモノって嫌いなの。何よ、その風間総一郎は? とても無様だわ」
「おや、知りませんか? 化け狐が。風間総一郎は我らが闇に生きるモノの間では割と名の知れた人間なのですがね。まあ、人間など俺……私や貴女とは違いせいぜい数十年足らずの寿命しか持たぬか弱き者。いちいち気には留めませぬか。まあ、それも良いでしょう。そう。人間など」
「そう言いながらあなたはその人間と戯れて何をしているの?」
「ええ、戯れですよ。なに、私は昔からこの町に住んでいましてね。と、言っても、つい最近までは神社を移設した土地に奴に封印されていたのですが。そのね、腹いせですよ。これでほんの少しだけまだ残っている奴の信者もすべて奪うことができる。そして、信者を失った神は力を失い、この世から消滅する。それがね、楽しみなのですよ」
「なるほどね。で、あなた、本当は誰なの?」
 ふっと彼は哂い、そうして彼の姿が掻き消えたと思った転瞬、離れの屋根の上には人間の生皮を脱いだ一匹の古狸が居た。それはニヤリと口だけで哂い、眼を嗜虐的に細める。
「これが私の正体です。で、今から人間を引き連れて、社へ行くのですが。どうです? 貴女もあんな人間の女など捨て置いて、私とこれから参りませんか、社へ? めったに見られぬ余興が見れますよ」



 ―――偽りの町角の迷子―――


 気づくと鵺が居なくなっていた。
 どうせぶらぶらとこの町のどこかに散歩にでも行ったのだろうと思っていたが、例の偽者とこの町の人間たちが件の神社に行くという事を聞いて総一郎は考え直して鵺を探しに行くことにした。
 彼らは偽者の言葉に踊らされて移設された神社を壊し、神下ろしをしてその神席を抜く儀式を行いに行ったと聞くが、それは見当はずれもはなはだしい行為だ。
 確かに日本の神は祟る。しかし、今、この町を襲っている怪現象はそれのせいではない。
 むしろ、その神は移設までされたのに、おそらくはこの町の人間を守っている。ぎりぎりのところでこの町がまだ保たれているのはおそらくはその神のおかげだ。それを下ろしに行くなどとは……。
 おそらく、ただでさえ移設やこの町の怪異を押さえるので力が衰えているだろうに信仰がほとんど途絶えているこの状態でそんなことをされればその神社の神は消滅する。
 そしてその神が行っている結界は消えて、この町は終わる。
 そうなる前に総一郎は鵺を連れてこの町を離れるつもりだった。
 そう。神社の神を下ろしに行く、そんな馬鹿げた行為をこの町の観光協会が行うと聞くまでは彼もこの町を救おうと思っていた。しかし、彼らは自分たちの行った後ろ暗い行為を隠し、結果、滅びの道を辿る。
 それは確かに親世代のしでかしたことかもしれない。しかし、この町の怪異は町の人間の血に根源をなしている。怪異は七代祟る。その血がちょうど薄れてまったくの別の血となるまでにそれほどの時がかかるのだ。その時までは、それはその血族の罪で、そしてそれはいたし方の無いことだ。罪は、償わなければならない。
 ―――そう。それは自分も一緒。自分のこの身体に流れる血も、自分だけではなく姉と妹の身体に流れる血も重い運命を背負っている。
 総一郎はその血に怯え、故にそれに向かい合い、生きている。
 それは凄惨な生であるのだと思う。けれども自分たち風間の血族は、それに怯えはしても逃げはしない。それと真正面から向き合い、血の背負うの呪いと共に生きていこうとしている。
 だからこそ、自分たちの仕出かした罪を見て見ぬふりをし、それから逃げ、自分たちの耳に心地良い物しか聞こうとはしない、自分の血の因縁も知ろうとしない人間たちに総一郎は嫌気がさし、見捨てた。そう。間違えてもらっては困る。自分は断じてボランティアで全てを救おうとする正義の味方なんかではないのだ。
 もしもこれが、姉であったのならビジネスはビジネスとしてきっちりとこなしたであろうし、妹ならば自分が信じる神とは異なれど神の汚名を晴らし、この町に巣くう悲しみを救おうとしただろう。
 姉は今回、誤った。おそらくは【白神】からの情報で自分の偽者がこの町に現れた事を知らされ、それでからかうつもりで自分をこの町に来させたのだろうが、生憎とそこまで自分は子どもじゃなかった。
 確かにあれを目の当たりにした時には面白くは無かったが、現役世代から隠居組が【白神】への依頼を嫌がり、何かを隠したがり、その結果、あんな三下に騙されたのだと聞かされて、完全に萎えた。
 そう。それはつまり現役組も自分たちが何をすれば良いのか、それをわかっていながらそれから眼を反らしているという事ではないか。それが総一郎には気にくわなかったのだ。甘えるな、と言いたい。
 海岸を歩いていると、ひとりの小さな老婆が海に向かって子守唄を詠っていた。
 それはとても弱弱しい途切れ途切れの声だったけれど、しかし、耳に心地よく、心に心地よかった。
 そして、荒れていた海も、その声が流れている間は、静まり、墓場のようだった空気も安らいだものへと変化していった。
 それは鎮魂の歌であった。神だけが口ずさむことのできる。
 めったにお目にかかれないそれは神が起こす奇跡の場面である。
 総一郎が眺めやっていると、老婆がおもむろにこちらを向き、そしてその首がちょこんと傾げられる。それはどこか無垢な少女を思わせるような仕草だったが、しかし、そのままその首が90度曲がり、曲がった瞬間に眼がくわっと開け広げられた。
 見られた瞬間、総一郎の全身の毛穴が開き、産毛にいたるすべての毛が逆立った。
 まさしく蛇に睨まれた蛙だ。
 首を半分だけ回した老婆は目から血の涙を流し、口を開けた。そうしてそれは錆付いた蝶番のような耳障りな声を上げた。
 大気が震え、夕日が血の色に染まった。ざわざわと闇に隠れ潜んでいたモノがざわめき始めた。
 けれども総一郎はふっと笑い、両手を挙げて、顔を左右に振った。
「俺はおまえの敵じゃない」
 そう言った瞬間、老婆の首がぐるぐると回りだし、その身体がはちゃめちゃに動き出して、それを総一郎が見たと思った次の瞬間には、
 老婆は総一郎の目の前に居て、総一郎の顔を血の涙を流した眼で覗き込んでいて、
 そして、総一郎は夢を見た。



 ここは寒い。
 寒いですね、***様。
 ―――それは可憐な少女の言葉だった。声だった。


 とても温かな気が自分を包み込む。
 ―――それはきっと、この老婆が見せているモノ。かつて感じていたモノ。


 近頃は人間もこの神社に、***様の所に来なくなりましたね。
 ***様、寂しくはありませんか?
 大丈夫ですよ。***様の下には私がおりますよ。
 いつまでも。いつまでも。いつまでも。


 ***様。来ましたよ。今日も町の孤児院の子達が来ましたよ。
 嬉しいですね。賑やかですね。騒がしいですね。可愛いですね。

 
 ***様。子達は明日から旅行というものに行くそうですよ。
 晴れますかね? 晴れると良いですね。あの子達の喜ぶ顔は可愛いですから。
 ***様。天気を晴らすことはできますか?
 

 ***様。ありがとうございます。
 雨雲を散らし、空をお天気にしてくれて。
 お日様がぽかぽかで本当に気持ちよいですね。
 これであの子達は晴れた空の下で旅行に行けますね。
 でも、しばらくは、また、ここは寒くなりますね。あの子達が来てくれなくなりますから。


 ***様。どうしてなのでしょうね? なぜ、人間は、あのようなあのようなあのような酷いことができるのでしょう?
 かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。あの子達がかわいそう。あの子達は親にも見捨てられ、そうして今また、この町の人間全てから見捨てられてしまった。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。
 あの子達の乗ったバスは、運転手が居眠りをして崖から海に転落してしまった。バスは、そのままにされるそうです。
 あの子達はずーっとずーっとずーっと海の底なのだそうです。
 海の底は暗かこうて。海の底は寒かろうて。海の底は怖かろうて。
 ああ、どうしてでしょう? どうしてでしょう? どうしてでしょう? 
 人間たちは、この町が観光という物を売っているので、その売り物の観光に傷つけるような真似はできないと、孤児院の子達の事故を、もみ消してしまったそうです。
 ああ、……。


 どうしてでしょう? どうしてでしょう? どうしてでしょう? 
 ***様 ***様 ***様 ***様 ***様
 この町はとても寒い。寒いです。寒いのです。***様。***様。***様。


 寂しくはないですか? 悲しくはないですか? 寒くはないですか?


 私はとても寒いです。私はとても口惜しいです。私は会いたくて会いたくて会いたくてしょうがないです。あの子らに……。あの可愛いあの子らに……。


 ***様。***様。***様。あの子達は、泣いてはいないでしょうか?




 ―――ネエ、アナタ、アノコタチハ、トテモトテモトテモカワイソウナノ。ダカラ、チカラノナイ、ワタシト***サマのカワリニ、アノコタチヲ、ホノグライミズノソコカラ、アレカラ、スクッテアゲテ。


 ああ、***様。今もあなたは寒くはないですか? 寂しくはないですか?



 目から、鼻孔から、口から、耳から、全身の毛穴から、どろりとした緑色の液体を流してその老婆は力尽きて消滅した。
 信仰云々の問題ではない。もう、神は力尽きようとしているのだ。だから、その神の眷属がまずは消えた。
 最後の最後まで哀れな子どもたちと、己が主の事だけを想いながら。



 総一郎は拳を握り締め、雄叫びをあげた。



 ドンーーー
 大気が震えた。
 世界全体が怯えて、まるで暗闇を怖がる子どものようにそっと何かが過ぎ去るのを息を潜めて待つように、世界が息を押し殺したそんな気配が伝染していく中心に、そう、それは立っている。
 翼を持ち、禍々しき強大な魔力を惜しみもなく放出する魔人が。
 その姿に相反する優しき魔人が。
 その姿になった総一郎ならば、やれる。
 海で死んだ他のモノたちに魂を縛られて、餓鬼となった哀れな子らの棺桶となったそのバスを、海の底から引き上げることなど、造作もない。
 右腕を伸ばし、そして伸ばした右手の人差し指と中指でバスを指し、掌を上にしてくぃっと手首をスナップさせて弧を描き指の先を自分に向けさせる。転瞬、それは起きた。
 海の底に沈んでいたバスが砂浜に引っ張られるようにして上がった。
 その瞬間、町全体から子どもの悲鳴のような泣き声があがった。



 ―――偽りの町角に君たちの微笑を―――


 海岸の方から感じた強大な魔力に鵺はくすりと笑って、隣の偽者を横目で見据える。
 そして、ふっと口元に嗜虐的な笑みを浮かべて言った。
「私は別に人間なんてどうでもいい。私はね、私が楽しければいいのよ。楽しいのなら何にでも手を出すの。今回はあなたの書いた三文芝居に興じてみるのもまた一興かと思ったのだけれど、でもまあ、やっぱりやめておくわ。だって、やっぱりあれよりも面白いものはないものねー。見て、私のこの上気して紅潮している肌を。感じすぎて肌が粟立っているわ」
 そう言って彼女が見上げた先には禍々しき翼で飛ぶ魔人が居た。
 ―――風間総一郎が。
「ああ、なるほど。あれが、あの人間の小娘が風間総一郎でしたか。これは、私はとんだピエロだ」
 偽者は大仰に肩を竦めた。
 隠居組は魔人の姿を見、悲鳴を上げてその場から逃げようとするが、しかし、樹木の陰から現れた、あの海で死んでいったモノたちに襲われて、ひとり残らず殺された。
 鵺はそれに微動だにせずむしろ恍惚とした目で見、
 総一郎はぎりっと歯を噛締めた。
「しかし、貴女はやはりこちら側だ。その恍惚とした瞳が雄弁に語っている。だから、もう一度だけチャンスをあげましょう。風間総一郎を殺しなさい。そうしたら、貴女を私の眷属として差し上げましょう。そう。奴があの人をそうしたように。もう直にあそこの神社の神は死ぬ。奴は自分から愛するモノを奪い自分を裏切った人間たちを呪ううちに祟り神となった。けれどもこの数十年人間を傷つけられずにいたものだから、その身は矛盾によって崩壊の一途を辿り、そして今日にも消滅しようとしていたのです。そうなる前にほんの少しそれでもこの町に残る信仰を人間たちの手で壊させることで奴をこの私が私の策略で消滅させようとしていたのですが、これは本当に残念。でもまあ、それはいい。奴が消滅したあかつきには、この私が次の神となるのです」
「そう。それがあなたの目論見なの」
「そうなのです」
 意気揚々と頷いたそいつを、しかし鵺は鼻で笑った。
「つまんない奴」
 そして、目の前に降り立った総一郎へと歩み寄り、ヒールを履いた足で背伸びをし、総一郎の右頬に手を添えて、そっと唇を自分から重ね合わせた。
 くすりと、そいつを振り返り、鵺はまだ総一郎の唇の感触が残る自分の唇を艶かしく舌で舐めて、そうして言った。
「私の総一郎はとても魅力的な、イイ男よ」
 そいつは嫉妬に狂った声で叫ぶ。「ヤレェーーーー」
 海で死んだ亡者どもがいっせいに総一郎と鵺に襲い掛かった。
 鵺はくすりと笑い、自分の背を総一郎に任せる。
 自分の背中に力強い男の背を感じて、鵺は上気した。
「やっぱ私の背中は総一郎しかいないわねー♪」
 海で死んだ亡者たちは、すべて一瞬で背中合わせに戦う鵺と総一郎によって消し飛んだ。
 が、そいつはニヤリと哂う。
 転瞬、亡者たちが、しかも海で死んだ子どもたちも入れて、一瞬で再生され、それらがまた、ふたりに歩み寄る。襲い掛かる。
 鼻が曲がりそうな腐った磯の匂いを放ちながらそれらはふたりに、
 ―――しかし、神社の社の方から神々しい光が立ち昇った。それはとても温かく、そして、優しい。
 亡者たちはまるで夕暮れ時の街中で迷子になった幼い子どもがようやっと母親を見つけて駆け寄るようなそんな表情をその腐り落ちかけた顔に浮かべて、その光に向かい社に向かい駆け出し、そうしてその光に触れた瞬間に、次々に成仏していった。
 そして、その全てが成仏した時、神の気配も消えた。
 総一郎はその瞬間、「ここはとても温かいですね、***様」という少女の優しい声を聞き、それに頷く誰かの温かな気配を感じ、口元に笑みを浮かべた。



「うぉあー。ちくしょうがーーーーー」



 そいつは地団太を踏み、両腕をめちゃくちゃに振り回した。尾を回し、何度も何度も何度も奇声を上げる。
「なんでだー。なんであいつはあんな穏やかな魂で天に昇れた。この俺様がこんなにも呪いに満ちた禍々しくもくそ寒い闇の中に、このどろりとした粘性の今に縛られて溺れているというのに」
 はっと総一郎が鼻を鳴らす。
「今? 違うだろう。それは今じゃねえだろう? おまえが縛られていたものはよ」
 そいつはぎらつく双眸で総一郎を睨む。
「だまれぇー」
 そいつは紅蓮の炎に包まれて総一郎に突進する。鋭い爪の横殴りの一撃を放つ。
 だがそれを総一郎は紙一重で交わし、ルドラの一撃によってそいつの腕を斬りおとす。
「――――――」声にならない凄絶な声をそいつがあげた。
 そいつは呪いに満ちた目で総一郎を睨み、聞くに堪えない呪詛を口からほとばしらせる。そいつの傷口からは蛆が涌き、ぼとぼとと落ちた蛆はそいつの斬りおとされた腕に集まってそれを食べて、食べ終えた瞬間に蝿となり、周りの森をさらに呪詛で枯らしていく。腐らせていく。
 そいつの身体は周りが腐っていくに連れてひとまわりもふたまわりも大きくなっていき、そして零れ落ちる血の量もそれに比例して増えて、その零れ落ちた血の中でびちゃびちゃと跳ねる蛆の量も増えていった。
 鵺は肩を竦める。
「ちょっと、総一郎。このハイヒール、高かったのよ。穢れたら、もったいない」
 本当になんてことのない、明日の天気の話でもするように鵺は言う。
 そいつは雄叫びを上げて、鵺に突進する。
 鵺の目の前にまるで白昼夢かのように総一郎が掻き現れ、そして勝負は一瞬だった。
「魔眼ステンノ」
 総一郎がそう囁くように言った次の瞬間には、そいつの四肢は石へと変化しており、それでもう勝敗はついていた。
 徐々に石化していくその中でそいつは思いつく限りの呪詛を罵倒を迸らせていたが、やがてそれも喉まで石化するとできなくなり、そして、最後、脳のその最後の一欠けらが石化するまでそれは、あの神社の神の座をたまたま手にした、この神社の森で一緒に生活していた弟と自分とでは何が違っていたのかを考えていたが、結局、その応えは最後までわからなかった。
 そして、事は終わった。



 ―――姉からのメールを読むに、やはり彼女は確信犯であったようだ。
 しかも今回の一件は、実はあの神を救うべく【白神】から総一郎に下された依頼であったというおまけつき。
 そしてよく聞けば鵺は、それを知っていたという。
 それを知らされた瞬間、総一郎は脱力したが、自分の周りの女たちにいつも彼が振り回されるのは日常茶飯事だったので、怒る気にはならなかった。
 それに、そう、それに、あの二匹の雄と雌の狸は子どもたちに抱かれて、幸せそうな笑顔を浮かべて、空に昇っていったのだから。


 END


 ***ライターより***

 こんにちは風間PL様
 お久しぶりです。^^
 この度はご依頼ありがとうございます。^^
 プレイングにあったご指定をご希望通りに描けていたら幸いです。^^
 それでは、失礼します。^^