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<東京怪談ノベル(シングル)>


姿のない追跡者





視線を感じるのである。
ひしひしと、背後に迫る視線を。

セレシュ・ウィーラーは振り返った。
艶やかな金の髪がしゃなりと揺れ、頬に僅かな影を落とす。
彼女は碧い瞳をさっと巡らせた。
自分の後ろに誰かがつけてきているのであれば、今日こそはその顔をひと目拝んでやろうと思ったのだ。

だが振り向いてみても、そこに人影らしき姿など有りはしなかった。

「……っ、もう! 何なん!?」

ぞっと走る悪寒に、セレシュは思わず虚空へ向かって声を荒げた。

「うちに言いたいことがあるんなら、直接ばしっと言いに来たらええやろ!」

自らの身体をぎゅっと腕で抱き締めたのだった。



「妙な視線、だって?」

煙草をぷかぷかとふかしながら、草間武彦はセレシュの言葉をオウム返しにした。

「そうなんですわ」

答えた彼女の顔は鬱屈としている。
ここ数日の状況に、だいぶ疲弊している様子だ。

「夜道とか歩いてると、何て言えばええんやろ。
 誰かにずっと見られてる気がするんです。
 そんで、ついてきとるなーって思って振り返るのに、そんときにはもういなくて」
「ストーカーか。最近多いからな」

同情してうんうんと頷きながら、同時に彼はこんなことを思った。

久々に探偵事務所に相応しい案件が転がり込んできたもんだ。
最近は、輪をかけてオカルト関連の依頼ばっかり舞い込んできてたからな。
ここは俺が一肌脱いで、そのロリコンストーカーの尻尾を引っ捕まえてやろうじゃないか。
このキモオタロリコンアニメTシャツ男め、潔くお縄につくがいい!

……盛り上がる草間の脳内では既に、まだ見ぬストーカーの姿形までがはっきり妄想として浮かんできているようだった。

「それで、そのロリコン男は――」

草間が言いかけた言葉に、セレシュが怪訝そうな顔で首を傾げる。

「ロリコン?」
「あ……いや、おまえさんみたいな中高生の子を付け狙ってるんだから、そのストーカーはさぞかし立派なロリコン野郎だろうと思ってな」

ぽろりとこぼした失言に、慌てて草間はフォローを入れる。
だがそのフォローは、セレシュの眉間の皺をますます深く刻んだだけだった。

「……草間さん。うち、もう21になるんですけど」

草間ははっと息を飲んだ。

「ちゃんと依頼書、読んでくれたんですよなぁ?」

どこから見ても15歳程度にしか見えぬ幼さを湛えた彼女は、その後もしばらくの間、若々しい怒りをふつふつと煮え滾らせていたのだった。




さて、紆余曲折を経はしたが、遂に草間の調査が始まった。

彼は手始めに、まずセレシュの行き帰りに付き添うこととした。
付き添うと言っても、普通に彼女の隣を歩いていたのでは、おそらくストーカーには現れてもらえないだろう。
そこで彼は、常に彼女の10メートル後ろをついて回ることにしたのだった。
無論、草間が尾行をしていることをストーカーに知られるわけにはいかない。
彼は身を隠す必要があったのだ。

例えば、そう。電信柱の影や、通りの角、標識の裏などに。

こうして草間武彦は数日に渡って、依頼人セレシュ・ウィーラーの尾行を続けた。



その結果、どうなったか?



「だから、さっきから違うって言ってんだろうが!」

自分を取り囲む警官たちに向かって、草間は怒号の声を張り上げた。

「俺は彼女に依頼を受けて、彼女につきまとってるストーカーの調査を……」
「どう見ても、ストーカーは君の方じゃないか!」
「う!」

痛いところを突かれたものだ。
確かに、傍から見た場合の自分の行動に、怪しいところがなかったといえば嘘になる。
常にぴったり彼女の後ろをつけ、周囲の目をかいくぐるため、物陰に身を潜め……。

「『女の子に怪しい男がストーカーを』とご近所から通報が来ているんだよ!」
「違う、俺は――」
「その歳にもなって中高生をストーキングするとは、まったく恥ずかしくないのかね!」
「だから話を聞いてくれ! あと、セレシュは中高生じゃ――」
「このロリコン偽探偵め! 潔くお縄につくがいい!」
「くっそおおお! セレシュ! この人達に弁解を……って……!」

草間は立ちはだかる警官たちの頭越しに、彼女の方へ救援を求めた。

しかしその頃、セレシュは既に遥か彼方、50メートルほど先を振り返りもせず歩いていたのだった。
そんな彼女が、草間の巻き込まれている騒動に気がつくはずもない。

「セレシュー!」

これ以上ここにいれば、間違いなく留置所行きは免れない。
草間は依頼人の名前を大声で叫びながら、一目散に警官たちの輪から駆け出した。

「逃げたぞ!」
「追え、追えーっ!」




……結局、草間の尾行は何の成果ももたらさなかった。
これだけ彼が見張りを固めているというのに、感じる視線は一向に消える様子がない。

探偵事務所に戻ってくると、草間はどっとソファに身を投げた。
解決の糸口が掴めずにいるせいか、彼は無性にイライラしていた。

「しつこい奴だ」
「すみません、草間さん」

苛立った草間の様子に困り果てて、セレシュはついぺこりと頭を下げてしまう。

「でも、妙なもんですね。視線はこんなに強く感じるのに、当の本人がいないなんて」
「知らない間に、監視カメラでもくっつけられてたりしてな」

冗談めかした調子で、草間はふとそんなことを口にした。

「もっとも、そんなもんがついてたらすぐに分かるか」

その存在を本心から信じているわけではない。
ただ、可能性の一つとして挙げただけのことだった。

しかし『監視カメラ』という言葉を聞いた途端、セレシュの表情がさっと変わる。
何かを閃いたかのような、そんな表情。
突然、彼女は大慌てで自らのカバンの中を漁り始めた。
唐突なセレシュの行動に、さすがの草間も物言いたげな様子でこちらを見ている。

「どうした、セレシュ?」

そして遂に、彼女は何かを取り出した。
可愛らしいストラップのついた、一見何の変哲もない携帯電話である。



セレシュはその携帯を振りかぶると――おもむろにストラップの部分を、テーブルの端に打ち付けた。



パリンッ!
盛大な音がして、小瓶型のストラップが弾け飛んだ。

「うわっ!」

何の前触れもなかった彼女の行動に、草間は度肝を抜かれて腰を抜かした。

「おい、いきなり何してくれてんだ!」

「――これ、呪具ですわ」
「…‥呪具?」

嫌な響きの単語に、思わず草間は片眉を吊り上げた。
彼の表情などつゆ知らず、セレシュは割れた小瓶の中身をじろじろと眺めている。
ほのかに赤く色づいた、甘い香りのする液体だ。

「こんなに近くにあったのに、何で今まで気付かなかったんやろ」
「おい、呪具って一体」
「林檎と柘榴を用いた、古代バビロニアの呪法です。
 エンキ神の力を利用した愛の呪術が、この瓶の中に込められとったんですよ。
 ……ああ、不覚。お客さんから渡された、あの時点で分かっとったら!」
「ちょ、ちょっと待て」

混乱する頭を抱えながら、息も絶え絶えに尋ねる。

「ってことは、あれか? 要するにこれは、ストーカーでも何でもなくて、」
「愛の呪具ですから、ストーカーはストーカーですわ」

分からず屋を見るような目で、セレシュが冷ややかに水をさした。
草間はガシガシと頭を掻いた。

「……普通の依頼かと思ったのに、結局、またオカルト関連だったってことか……」

そして、がっくりと肩を落とした。
一方セレシュは晴れ晴れとした面持ちとなって、ぽんと軽く草間の肩を叩いた。
さすが怪奇探偵の名は伊達じゃないですね、などと、草間にとっては不名誉な賞賛を口にしながら。