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<東京怪談ノベル(シングル)>


『掃き溜めで紫陽花はラブソングを歌う』


 雨上がりの都会の夜は好き。
 大嫌いな煙草の匂いやお酒の匂いが雨で洗い流されていて、くしゃみが出ないから。
 あるのは都会の片隅にちょこっと残された土と植物の匂い。雨の香り。
 雨上がりの街は普段香らない匂いで満ち満ちていて、空気の異質な密度がお気に入り。
 あたしが雨が上がったばかりの外の世界をお散歩する理由。
 お空も普段よりも高い場所まで見えて、お星様もたくさんキラキラ。
 あたしは夜空を見上げてお星様と綺麗なお花を見つけて幸せ。
 でも、不思議。
 見つけたお花さんの名前は紫陽花。とても綺麗なお色。でもね、公園に植えられた紫陽花のお色はまるで絨毯を敷いたみたいに同じお色のお花たちが綺麗に咲いているのに、ある一箇所だけ、違うお色の紫陽花が咲いているの。
 そこだけ仲間外れ。
 同じお色のお花たちに囲まれながら、だけどそれだけ、ぼっち。
 可哀想?
 寂しそう?
 泣いているみたい?
 ううん。違うの。その紫陽花、お歌を歌っているの。
 とても甘い甘いラブソング。
 聴いているとその甘さに蕩けてしまうぐらいに甘いラブソング。
 誰かのことが大好きで、大好きで、しょうがなくて、しょうがなくて。心がぽかぽか。あたしの小さなお胸の下で心臓はその甘い歌詞にきゅんとなるの。
「誰が好きなの?」
 ―――もしも、その歌声が聞こえない居場所にその人が居るのなら、代わりにあたしが届けてあげる。
 風はどこ吹く風で、ちょっと意地悪だし、お家の中にその恋しい誰かが居るのなら、聞こえないもの。
 それに引き換え、猫は有能よ。猫はとてもとても好奇心が旺盛なの。神様がその好奇心に苦笑して、好奇心を満たせるようにって便利なしなやかな身体をくれたぐらいに。
 しかもあたしには翼があるんだから。
 すごいでしょう?
「ねえ、だから、聞かせて。あなたのそのラブソング、誰にお届けすればいいの?」
 あたしはスキップを踏んで紫陽花の前に行って、そう訊いたのだけど、紫陽花は、歌うことに夢中で、あたしのお声をまるで聞いていないの。
 どうしたら、いいのかしら?
 きょとんと小首を傾げて困っていると、あたしの後ろで誰かがくすくすと笑っているの。
 スカートの裾をふわりと舞わせて後ろを振り返ったら、そこでひとりのとても綺麗な子が笑っていた。どこか、意地悪そうな顔をして。
「こんばんは」
「こんばんは。はじめまして。あたしはチカ。あなたは?」
「その子に語りかけても無駄よ。恋は盲目。恋する人はその胸を焦がす微熱に浮かれて、ただ自分に都合の良い夢を見るばかりだから。今もその子は自分に都合の良い夢を見て、恋する自分に酔いしれている。とても甘い夢の恋物語をね」
 その子は同じく自分も恋する乙女のように憂鬱そうだけど、どこかそんな自分に酔いしれているかのようにため息を吐いた。そしてそれは同時にただただその紫陽花を意地悪そうにせせら笑っているようにも聞こえた。
 ……おかしな子。
 あたしがきょとんと小首を傾げると、その子はひょいっと肩を竦める。
 その子はあたしの横に立って、甘い甘いラブソングを歌っているその紫陽花をつぅーっと右手の指の先で触った。
 ぴたり、と紫陽花が歌うのをやめる。
 それと同時に、
 色が、紫陽花の色が、変わっていく。
 周りの紫陽花たちと同じ色になっていく。
 花たちが、さわさわとざわめきだす。
 夜の公園で、さわさわと、動き出す。
 あれ? と、あたしはまたたく。
 そういえば、そう、このおかしな子が現れた途端、公園の周りからしていた音がやんだ。風がやんだ。ぽつりぽつりとあった人の気配が消えた。
 風はやんでいる。
 けれども、紫陽花たちはさわさわと揺れている。
 その子があたしを振り返って、氷みたいな冷たい笑みを浮かべながら、つぅーと細めた双眸であたしを見た。
「あたしは十六夜。紫陽花の君。この甘い甘い独りよがりの恋に酔いしれた紫陽花が背負った花物語を、あなたに見せてあげる」



 ―――『掃き溜めで紫陽花はラブソングを歌う』―――


 十六夜ちゃんの口が謡うように囁いた。
 その十六夜ちゃんの後ろ、お色が完全に周りの紫陽花と一緒になったあの紫陽花の下から、人間の骸骨が現れて、それが、どろりと粘ついた液体を流した。
 それを見たと思った次の瞬間に、あたしはまるで合わせ鏡を見ているみたいに何人ものあたしや、十六夜ちゃん、紫陽花の花たち、そして、骸骨を見て、延々と続くその同じ光景の中に、だけど、一つだけ違う光景を見たの。
 そして、あたしは気づくと独りで、変わらずあの公園に居たの。
 でもね、何か……変。
 ここはさっきまで居た公園であって、その公園じゃないみたい。
 匂いがね、無いの。
 変なの。
 十六夜ちゃんも居なくなっているし。
 ふぅー。思わず、ため息が零れちゃう。あたし、ため息ってぜーんぜん似合わないのに。もう。
「どうしようかなー。帰っちゃおうかなー」
 お散歩の途中だけど。
 うん、帰ろう。
 決めた。
 帰って、お気に入りの櫛で自慢の毛を梳いてもらうんだ♪ だって、ため息のせいでご自慢の毛並みが乱れちゃったんですもの。気持ち悪―い。
 あたしは公園の出入り口に向かって歩いていく。横目でちらり、と紫陽花の花を見ながら。
 そしたら、公園の出入り口からひとりの男の人が歩いてきたの。鼻歌なんか歌ってとても楽しそうに。
 あれ、この歌、さっきの紫陽花が歌っていたラブソング?
 あたしは、きょとんと小首を傾げた。
 まばたきする度にその男の人があたしに近づいてくる。
 その人の鼻歌が、あたしの耳に届く音が、大きくなる。
 きゅーんとなる。あたしの小さなお胸が。
 あたしはさっき紫陽花が歌っていたラブソングを歌う。
 そしたら、その男の人も嬉しそうに笑って、鼻歌を今までよりもよりいっそう楽しそうに奏でるの。
「こんにちは、あたしはチカ。あなた、何ちゃん?」
 その男の人はにこりと笑って自己紹介してくれる。
 あたしはその人の抱いている紫陽花を指差した。
「綺麗な紫陽花ね。でも、あそこに咲いている紫陽花もとても綺麗よ」
「うん。知っている。あの人もあそこで咲いている紫陽花は大好きだと言っていたよ」
「あの人?」
「うん。この紫陽花をプレゼントしたい人」
 そう言ってその男の人は公園の砂場を指差した。
「あれ?」あたしはまたたいた。だって、さっきまでこの公園にはあたししかいなかったはずなのに、いつのまにか砂場に綺麗な女の人と幼い男の子が居たんですもの。不思議。
 男の子はとても楽しそうに砂場でトンネルを作って遊んでいて、女の人は綺麗な顔にとても幸せそうな笑みを浮かべてそれを眺めているの。母子かな?
「うん。彼女たちは親子だよ」
「仲良しさんみたいね」
「うん。仲良しだね。その仲良しの中にね、僕も入れてもらうんだ。家族になるんだよ」
「まあ。それは素敵ね。三人仲良しさん家族になれるといいわね」
「うん。この紫陽花を三人で暮らす部屋に飾るんだ。この紫陽花はね、今日から三人で暮らすために借りたマンションの一階でやっている花屋さんで買った、とても大切な記念のお花なんだよ。あそこに咲いている紫陽花とは比べ物にならないとても高価な品種の紫陽花なんだ」
「ふーん」
 男の人がどこかうっとりとしたお顔で言うけれど、あたしにはわからないよ。それに、男の人が持っている紫陽花も綺麗だけれど、あそこで咲いている紫陽花の方がもっと綺麗よ? あたしだったら、あそこの紫陽花の方が良いな。
 だから、男の人にそう言ったら、
 そしたら、
「子どもにはわからないよ」
 ですって。
 ふーんだ。あたしは、わからなくていいもん。
 あたしはぷぅーと頬を膨らませる。
 その人は砂場に歩いていって、真っ赤なお顔をして、耳まで赤くして、女の人に紫陽花を渡す。
「これ、プレゼントです」
「え? プレゼントって、この紫陽花を」
「うん。花屋で売ってもらった高級な紫陽花だよ。この紫陽花を生けるための高級な硝子の花瓶もあるし、君とこの子と一緒に暮らす高級なマンションも借りたよ。幸せになるためのパズルのピースは僕のこの手の中にあるよ。だから、これから三人でそのパズルのピースを組み合わせて、幸せになろう。家族として」
「え? え? 幸せになるって、どうして? どうやって? 何で? どうして、私とあなたが、この子と、一緒に暮らすっていうの? 家族? だって、……」
 女の人は本当に戸惑ったように、不思議そうにしている。
 男の人はそんな事にはかまわずに、大丈夫だよ。僕が幸せにしてあげるよ。なーんて、女の人の言葉をまるで聞いていない。
 あれ? ひょっとして、ストーカーさん?
 女の人は若干、怯えたみたいに後退るけれど、男の子は男の人にじゃれついて、一緒に遊びだす。
 女の人はそれを戸惑ったように見ている。
 でも、男の人と遊んでいた男の子が、突然、駆け出す。そして、新にやってきた男の人に抱きついた。お父さーん、って嬉しそうに言いながら。
 そして、足に抱きついていたその子は蹴られた。
 男の子は一瞬、呆然とした顔で父親を見ていたけれど、やがてしゃくりをあげだして、泣き出した。
 静かだった公園に男の子の泣き叫ぶ声が響き渡る。
 父親は子どもを無視して、男の人の前に立って、紫陽花を睨んだ。
「何だ、それ?」
「紫陽花よ。この男の人が、この女の人にプレゼントするために買ってきたの。この紫陽花を生ける高級な花瓶も、三人で家族になって一緒に暮らす高級なマンションも用意して」
 どやっ! って顔であたしは言ったわ。
 そしたら、その父親は息子に負けず劣らずの大声で笑い出したの。けたけたと。男の人を馬鹿にして。
「なんだ、おまえ、この女が、俺の女房が気に入ったのかよ? 気に入ったのなら、また、抱かせてやってもいいぜ。もちろん、前の料金よりも高い料金になるけれどなー? なー、おい。また、こいつがおまえの事を買いたいってよ」
 父親は女の人に笑いかけるけれど、女の人は泣きそうな顔で俯いた。
「それとも、俺だけに抱かれていたいか? おまえの、これまでどれだけ売りをさせても、俺以外の男の形になった事、ねーもんな」男は下卑た笑みを浮かべ、女の人は嬉しそうに微笑みながら旦那に駆け寄って、抱きついた。
 それを男の人は悔しそうに見ている。ぎゅっと拳を握って。
「この女は俺に惚れているんだ。この女のは、俺の形になっているし、俺のガキだって産んでるんだぜ。おまえにはお金のためにしょうがなく抱かれてたんだよ。勘違いするな、このストーカーが」
 男は男の人の胸倉を掴んで、顔を寄せて、息を吹きかけながら言った。
「まあ、でも、今さっき、これまでおまえが俺のために払ってくれていた金全部、賭け事でスッてきたばかりだから、また金さえ払えば、俺の女房、抱かせてやってもいいぜ? おまえの貧相なモノの形にはならないけれど、俺が仕込んでやったテクニックでおまえは気持ちいいだろう? え、おま」と、そこまで言った男の口が塞がれた。
 男は鉄の塊を口にくわえていた。
 男は、何かを言っているけれど、口に鉄の塊をくわえているから何を言っているのかわからない。
 男の人は、指を動かす。
 ばーん、ととてもうるさい音がした。
 あたしは思わず耳を押さえちゃう。
 男の子は泣き止んでいて、
 でも、代わりに女の人が悲鳴を上げて、血の水溜りの中に沈んでいる男に抱きついた。
 男の人は女の人に何とか泣き止んでもらおうと身振り手振りをそえてとても優しい声で何かを言うけれど、でも、女の人は全然泣くのをやめないで、男にすがりついていた。
 男の子も最初のうちは何が起こっているのかわからないという風に呆然と泣いているお母さんを見ていたけれど、やがてまたお母さんと何度も何度も何度も口にしながら女の人に抱きつくけれど、でも、
 女の人はただただ男の死体に抱きついて泣くばかり。泣いても、蘇るわけじゃないし、お腹が空くだけなのにね。
 でも、それは本当に悲しそう。
 男の子はやがて、母親にどれだけ泣いても相手にしてもらえないことを悟ると、今度は男の人に殴りかかっていった。男の人は、自分の足を叩くその子の頭を、奇声をあげながら拳銃のグリップで叩きつける。
 その子がその場に倒れた。
 女の人は、それを見開いた目で目撃して、悲鳴を上げた。
 女の人は声にならない声をあげて男の人に掴みかかるけれど、男の人は女の人の頬を拳で殴って、倒れた女の人を一瞬、悲しげな顔で見た後に、何だか獣が啼き叫んでいるような声を上げながら、彼女の身体を丸め両腕で守るようにして抱えているお腹を蹴りつけた。
 女の人の股から零れ出た血が、あの紫陽花の根元まで流れていく。
 あたしはそれを見ていた。
 そうして、また、拳銃の音がして、それと同時に鏡が割れるように、あたしの居た世界が割れて、壊れた。
 気づくとあたしは、一箇所だけ花の色が違う紫陽花の前に立っていたわ。
 あれからどれぐらい時間が経ったのかなー?
 わかんないよ。
 とても長い時間が経ったようにも感じるし、全然、時間が経ったようにも感じない。
 不思議。
 あたしが紫陽花の前で首を傾げていると、紫陽花が騒ぎ出した。
 紫陽花が甘い甘いラブソングを歌いだす。まるで恋に恋する可憐な生娘のような声で。
「お嬢さん、こんな時間に、こんな掃き溜めで何をしているんだい?」
 眩しいライトの光があたしの顔に当てられたの。
 あたしはそちらを向いたわ。そわそわとしながら、紫陽花の下からゆっくりと這い出てきた裸の少女の幽霊を横目に見ながら。
 そこに居たのは、お巡りさんだったの。
「こんばんは」
 はじめましては言わないわ。
「こんばんは。まだ、僕の質問に答えてもらっていないよ。ここは十数年前に未解決の発砲事件が、通り魔事件があった場所でね。そう。ちょうど、こんな風にとても紫陽花が綺麗に咲いていた夜だった。だから、早く帰りなさい。それともお嬢さんも、純粋な男の心を弄ぶ売りをする女かい?」
 がしゃりとそのお巡りさんは拳銃をあたしに向ける。
 さっきみたいに。
 あたしはきょとんと小首を傾げる。
 でも、そわそわと騒ぐ紫陽花が気になって、あたしはそのお巡りさんを無視して紫陽花を見る。
 紫陽花の下から這い出てくる女の子があの甘い甘いラブソングを歌いながら、お巡りさんをうっとりと見ている。
 うっとりと。
 あの女の人が、あの男を見ていたような目で。
 その次の日も。
 その次の日も。
 その次の日も。
 お巡りさんの幽霊は、まるで掃き溜めを見るような目で、この公園に現れては、泣きながら自分のこめかみに拳銃を当てて、引き金を引いて、
 そして、紫陽花の下から這い出てくる少女の幽霊は、そんなお巡りさんを見ながら甘い甘いラブソングを歌っていたわ。


 もう、あたしはお散歩コースを変えちゃったからわからないけれど、それでもきっと、枯れてしまった紫陽花の中でただそこだけ狂い咲く紫陽花の下で、あの少女の幽霊は、出会う順番さえ違っていれば幸せになれていたお巡りさんを眺めながら甘い甘いラブソングを歌っているんだと思うの。
 甘い甘いラブソングを。



 END
 


 ++ライターより++

 こんにちは、千影PL様。
 お久しぶりです。
 この度はご発注真にありがとうございます。
 今回の花物語は紫陽花を書かせていただきました。
 紫陽花は、『移り気』を花言葉に持つのですが、同時に『辛抱強い愛情』も花言葉として持っています。
 このお話は、その『辛抱強い愛情』をテーマに書きました。
 辛抱強い愛情。それは一見、とても尊い献身的な愛のように感じるけれども、どうなのでしょうか?
 ここら辺はその人それぞれの価値観によって違ってきちゃいますけれど、それでも、やっぱり自分が幸せになれる愛がいいですよね。……と、私は思います。^^;

 紫陽花の下の少女についてですが、彼女が誰であったのかは、PL様がお決めください。^^

 それでは、ご発注、本当にありがとうございました。
 失礼します。