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<東京怪談ノベル(シングル)>


君に伝える言葉

1.
 黒冥月(ヘイ・ミンユェ)は、その日草間興信所の所長、草間武彦(くさま・たけひこ)によって呼び出された。
 先日の調査依頼についての報告が欲しいとのことだった。
 冥月は時間を作り、わざわざ興信所へと出向いた。
 少しだけ…少しだけ自分が浮き足立っているのを感じながら。
「草間、いるか?」
 興信所のドアをノックする。
 返事はない。
 冥月はドアに鍵がかかっていないことを確かめると、中に入った。
 …もぬけの殻だった。
 テーブルの上に1枚の紙が置いてある。
 冥月はそれを見た。

『黒冥月へ 急ぎの用ができた。1時間後には戻る 草間武彦』

 これは、すなわちここで待てということか。
 冥月は少しため息をついて、それでも待つことにした。
 ソファに座ったり、新聞を眺めたり…すぐに飽きる。間が持たない。
 立ち上がり窓の外を見てみる。街はぼんやりと薄闇に包まれ始めている。
 …草間が帰ってくる気配はない。
 ふと振り返ると、草間の机があった。
 乱雑に置かれた物が今にも崩れそうで見ていられない。
 それでも、冥月にそれを直す義理はない…と思った。この置き方にもきっとなにか考えがあるのだろう。
 …と、ひとつの黒いノートに目がいった。
 真っ黒なノートにはなんの表題もついていない。
 冥月は何気なくそれをめくった…。


2.
 ○月×日
 あいつに調査を依頼する。快諾してくれる。
 あいつは基本的に真面目だ。感情を出さず淡々と仕事をするし時間にも正確だ。
 この調査も早急に解決に向かうだろう。
 …ただ、出会って間もない頃は、生真面目な彼女が何度か時間に遅れたり怪我して現れた。
 俺がその理由は聞いても無視された。
 信用されていなかった証拠だと俺は考える。
 それから少し経ってから、少しだけ気さくに話せる様になって初めて打ち明けてくれた。
「私を倒して名をあげようという馬鹿がいるんだ」
 身を隠してる彼女を辿れるだけあって、結構な実力者揃いのようだ。
 殺さず倒すのは大変らしい。
 殺さない理由は教えてくれず。まぁ、察しはつくがあえて聞くような野暮なことはしないさ。
 …しまった。調査の記録に俺は何書いてんだ…

 ○月×日
 浮気調査の依頼が入る。
 くだらない仕事だが金の為だ。しょうがない。
 あいつに同行を頼み、カップルの振りをして尾行する。
 日常的に笑顔が見られる様になり始めたから、多少信頼はし始めてくれたのだと思う。
 嫌がらずに依頼を受けてくれたから腕を組もうといったら、速攻で断られた。ちょっと傷ついた。
 そんな依頼のさなか、彼女のいる世界を垣間見た。
 不意に彼女の手が俺の顔に伸びた。
 何事かと思った俺の心中を察するように彼女は握った手を開いた。
 指の間には極細の針が数本握られていた。
 何故こんなものが…?
 彼女はそれを小さな影の中に捨てた。
 あれは…彼女を狙ったのか? いや、でも今のは…。
 彼女が掴まなければ、俺は…。
「ごめん、時々プライドなく周囲を狙う馬鹿もいてね…」
 この時だけ…とてもすまなそうに、そしてしおらしい女口調だったから余計に実感した。
 彼女の生きてきた世界は、彼女すら殺していたことを。


3.
「調査依頼の記録? でも…この『あいつ』だの『彼女』って…」
 冥月は頬が熱くなるのを感じた。
 これは、私のこと。
 なんでこんなところに…こんなことを…?
 冥月は再びぱらぱらとノートをめくった。
 ふと、書きなぐったような文章に目を留めた。


 確かに俺は彼女より弱い。プロには敵わない。
 いや、俺も探偵としてのプロであることは自負する。
 だが、彼女のそれとは全く異なっている。
 分野の違い。力量の差。それを恐ろしく感じている。
 だが俺には俺なりの『彼女』の守り方があるといつか分からせたい。
 あいつのいた世界が全てではない。
 俺は、あいつをその世界から救い出せる人間だと思う。
 …まぁ、彼女がそれを望むのなら…という前提はあるのだが。
 それでも、俺はあいつのいる世界があいつにふさわしいとは思わない。
 だから嫌でもこっちに連れてこようと思ってる。
 彼女に存在意義と居場所を与えてやれるのは俺だけなんだからな。


 どう…反応していいのだろう?
 草間はどういう意図でこれを書いたのだろう?
 草間は…いったい私をどう思っているっていうの?
 動揺した。胸がドキドキして、思わずロケットペンダントをぎゅっと握り締めた。
 私…私は…。
 ぱたんとノートを閉じた。
 見なかったことにしよう。そう、なかったことにするのだ。
 幸い今ここには誰もいない。
 何の証拠も残ってないのだ。
 冥月はノートを戻し…
「おう。来てたか、冥月」


4.
 ばさばさばさっ
 手が滑って机の上の書類の山が雪崩のように崩れ落ちた。
「あぁ!?」
 草間が慌てて落ちた書類へと駆け寄った。
「く、草間。わわわ悪い…」
 動揺が隠し切れない冥月は、慌てて書類を拾う為に屈みこんだ。
 そっと黒いノートを紛れ込ませながら、書類を拾い集める。
「いや、そろそろ崩れる予感はしてたんだ。気にしなくていい」
 草間はそういいながらさっさと書類をかき集めて、机へと載せた。
「悪かったな。呼び出したのに待たせて」
「あ、いや。別に…」
 拾った書類を草間に渡し、冥月は次に取るべき行動を必死で考えた。
「で、この間の調査依頼の報告なんだが…」
「え? 調査依頼??」
 動揺しすぎで当初の目的をすっかり忘れていた。
 冥月は「あ、ああ。大丈夫。依頼は達成した。依頼品は依頼主の手元に返した」と答えた。
「…そうか。ところで、おまえ、何でそんなに動揺してるんだ?」
 怪訝な顔で草間が冥月の顔を覗き込む。顔が…顔が近い…!!
「顔が赤いな…熱でもあるのか?」
 草間は心配して冥月の額に手を当てようとした。

 が、冥月はそれを振り払った。

「さ、触らないで!」
「…『触らないで』?」
 おもわず冥月から出た女言葉に草間は首を捻る。
 さらに顔を真っ赤にして冥月はもうその場を去るしか方法が思いつかなかった。

 それほど昔の話でもないのに…なのに…。


5.
 割れたガラスの破片は、いまだ片付けられてはいない。
 真っ暗な草間興信所に1人佇む人影。
 その前に1冊の黒いノートがある。
 それをパラパラとめくると、汚い字で彼女についての決意が書かれている。
 あの時の思いは今も…いや、あの時以上に強い思いになっている。
 気持ちだけじゃ…言葉にしなければ何も伝わらない。
 俺はおまえに伝えなければならない。
 そのために、なんとしてもおまえに会いに行く。
 おまえが嫌でも、俺はおまえに…冥月に会いたい。
 草間はペンを取り出すとノートに書き加えた。
 それは、冥月にどうしても伝えなければならない言葉。

 俺は、お前を犠牲にして生きるつもりはない。
 だけど、俺はお前と共に生きる覚悟ならある。