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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


I want to go home!

「……まぁ、とにかく話を聞こう」
 思いもよらない来客に、武彦は眉間にしわを寄せながら、それでも椅子を勧めた。
「悪いね。あんまり頼る場所も少なくてさ」
 来客とはトライエッジだった。
 先日発覚した事実として、トライエッジは異世界の小太郎だと言う事は、武彦の耳にも届いている。
 そして、妙な魔具を持ち出していると言う事も。
「何が目的だ?」
「ここは何でもありの興信所なんだろ? オイラも依頼に来たってわけさ」
 飄々とそんな風に言うトライエッジに、武彦は心中を探りきれなかった。
 今まで何度か相対した事もあったが、彼はいつもそんな感じだ。小太郎と同一人物とは思えない。
 武彦はタバコに火をつけ、一度落ち着いてから顔を上げる。
「内容を聞こう」
「オイラは元の世界に帰りたい。だからその手助けをして欲しい」
「どういうことだ?」
 訝る武彦に、トライエッジは笑って答える。
「そりゃそーだろーよ。オイラだって生まれた土地で往生したいんだよ。こんな似たようで全く違う世界なんかで一生を終えたくないわけ」
「その気になればすぐに帰れるんじゃないのか? お前、どうやってこっちに来たんだよ?」
「それが、コイツのせいでね」
 そう言って、トライエッジは歯車を机の上に取り出した。
 彼が言うには『デウス・エクス・マキナ』の部品。
 その名の通り、どんなどんでん返しも可能な、めっぽう強力な魔具である。
「オイラの世界に急に現れたコイツのせいで、オイラはこっちの世界に飛ばされた。でも、飛ばされたこっちでは、この歯車がどうやっても動かねぇ」
「先日、動いたって報告を受けたんだが?」
「どうやら眠ってただけらしくてね。最近は動くようにはなったんだが、出力が安定しないんだ。ある程度の力は使えても、世界を渡るほどの魔力が発揮されない」
「どうやったらその魔力が出る?」
「そのために、オイラが正体バラしをしたんだよ」
「……要領を得ないな」
「歯車の出力が安定しない。でもある程度の力はある。それは普通なら考えられない、常識外れな事だって出来る力だ」
 確かに、先日の報告ではありえない事だって起きていたらしい。
 信じられない事だが、あの歯車にはそれだけの力が宿っている。
「それだけ力があっても飛び越えられない壁なら、いっそ壁の方を低くしてしまえば良い」
「簡単に言うが、それってかなり無理難題じゃないか?」
「おいおい探偵さん。探偵が諦めたら事件は迷宮入りだぜ?」
 飄々と笑うトライエッジに頭痛を覚えた武彦は、口を挟まずに先を促す事にした。
「この世界でオイラが三嶋小太郎だと名乗りを上げた事で、世界は揺れ動いている。同じ世界に同じ人間が二人もいると、都合が悪いからだ」
 それはドッペルゲンガーの原理であるそうな。
 同じ人間が二人居合わせると、どちらかがすぐに死ぬ。それは世界の意思である、とかなんとか。
「でもオイラはこの歯車のお陰である程度世界意思に抗える。そうなると世界意思の白血球的な輩が現実世界に現れ、強引にオイラたちを殺しにかかるだろう。実際、何体か見かけたしな」
「白血球って……お前ら病原菌かよ」
「今の世界にとっちゃ、同じようなもんなんだろうな。で、その白血球が湧き出てくる場所が狙い目なんだ。向こうも無理をして白血球を召喚してるわけだし、そこだけ世界の境界があやふやになる。そこで歯車を使えば世界を飛び越えられるはずなんだ」
「……まとめると、依頼内容はお前が世界を飛び越えるまで護衛し、世界の境界があやふやになるところを見つけて、そこに案内しろ、と?」
「ザッツライ」
 今度の敵は世界意志と来たものだ。
 これでは寂れた興信所の主人のはずが、どこぞのRPGの主人公にでもなったようではないか。
「まぁ高望みはしねぇよ。オイラだけじゃ白血球の対応が難しい。そこを手伝ってくれるだけでも良い」
「因みに、世界を渡る成功率ってのはどれぐらいなんだ?」
「かなり低いだろうね。世界を渡るのに成功したとしても、オイラの元の世界に辿り着けるとも限らない。でも、やらないよりマシだろ?」
「……報酬は当然、先払いだろうな?」
「お望みとあればキャッシュで」

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「つまり、お前を殺してしまえば何の問題も無いわけだ」
 トライエッジの首筋に、冷たいモノが当たる。
 後ろに立っていたのは冥月。その手には一振りの刀が。
「おいおいおねぇさん、そんな危ないもの仕舞ってくれよ。オイラは依頼人だぜ?」
「残念だが、私はこの興信所の用心棒であって従業員ではない。危険なモノなら排除するのが当然だろう?」
「オイラのどこに危険があるっての? 善良な市民だぜ?」
 ふらりと両手を挙げるトライエッジ。
 歯車は既に手から離れているし、何か妙な動きをしているわけでもない。
 本当に降参しているのか、それとも何か策があるのか、悩ましいところだ。
 が、トライエッジをどうこうするだけの時間が無い事を、冥月の能力が告げている。
「……草間、とりあえず、今のところはコイツをお前に任せる」
「何かあったのか?」
「面倒事誘引体質の小僧とユリが絡んで余計に面倒になりそうだ……いや既になっている。私はそっちをどうにかしてくるから、トライエッジはしばらく任せる」
「また小太郎か……。まぁ、そっちはお前に任せるよ。こっちには零も居るし、少しの間なら白血球とやらからも守れるだろう」
「ああ、頼んだぞ。……それからトライエッジ」
「あい?」
「おかしな真似をしたらその瞬間に殺す。それを忘れるな」
 一応釘を刺し、冥月は影の中に沈んだ。

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 ところ変わって、興信所から近所にある裏通り。
 小太郎がお使いを終えて、近道しながら興信所に戻っているところであった。
 なんてことはないいつもの帰り道。
 しかし、そこにとてつもなく大きな差異が現れる。
「……三嶋小太郎さん」
「何の冗談だよ」
 小太郎の前に立ちふさがったのは、銃を構えたユリ。
「……IO2は世界意思を尊重する事を決めました。現状、戦力的に不利である貴方の方が、トライエッジを倒すより楽だと判断しました」
「お、おい、なに言ってんだよ、ユリ?」
「……世界のために死んでもらいます」
 引き金に引っ掛けている指に、ユリは力を入れる。
 しかし、何故だか銃を握る手が震えてしまうのだ。
「……くっ、何故……!?」
「お、おい、ユリ?」
「……黙ってください!」
 自覚できるほど、ユリは動揺していた。
 これほどまでに動揺する理由がわからなかったが、しかし、事実として息は上がっているし、汗も尋常じゃない。
「……私は……どうして、こんな……」
 その時、震えるユリの手に、優しく手が下ろされる。
 銃を押さえたのは影から現れた冥月だった。
「ユリ、もうよせ。自分が嫌がる事をするべきではない」
「……冥月さん……? どういう事ですか?」
「失った記憶を、身体が、心が覚えていると言う事だろう。そんな御伽噺のような事があるとは、少し信じ難いがな」
「……でも、私は仕事を、任務をこなさなきゃならないんです。そのためには、この人を……」
「殺せるのか? 今のお前に?」
 冥月に尋ねられ、ユリは喉を詰まらせた。
 すぐに『出来る』と答えたかったのだが、言葉が出てこなかったのだ。
 ユリには『出来ない』理由なんて見当たらない。ならば出来るはずなのだ。そういう風に訓練してきたのだから。
 しかし溢れてくるのは弱気な言葉ばかり。
「……私には……出来ません……」
「だったらそれで良い。何もお前ばかりが苦しまなければならないわけではない。無難な解決策だって見つかったんだ」
「……無難な……どういう事です?」
「詳しい事は落ち着いて話そう。……小僧」
 事件の中心に居ながら全く蚊帳の外だった小太郎は、冥月に呼ばれて肩を跳ねさせる。
「な、なんだよ?」
「お前にも詳しい事は、後日話してやる。だから今はとりあえず、米を五十キロほど買って来い」
「ご、ごじゅっきろ!? そんなに何に使うんだよ!?」
「至急必要なんだ。早く買って来い」
「くそ……絶対、後で話してもらうからな!」
 冥月から金を受け取った小太郎は、踵を返してその場を後にした。
「さて、ユリ。まずは場所を変えよう。事情は追って説明する」
「……は、はい。でも、大丈夫でしょうか? 町には他のIO2エージェントもいます。三嶋さんが他の誰かに……なんて事も」
「ほぅ、小僧が心配か?」
「……そ、そういうわけでは……」
「なに、知り合いに当たってそれとなく見張ってもらうさ。いざとなれば私が能力を使って避難させる事も出来る」
「……わかりました。では、今は冥月さんに従います」
 頷いたユリを見て、冥月はユリと一緒に影に入った。

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 ユリに大体の事情も説明し終わり、興信所に合流する。
 今のところ、ユリも落ち着いており、部屋の隅っこにある椅子……奇しくも小太郎の定位置に座っていた。
 その視線はトライエッジに向けられている。
 恐らく、トライエッジを殺しても任務完了か、などと考えているのだろうが、すぐに行動を起こしたりはしないだろうし、今は放っておこう。
「さて、事件の中心が一人足りんようだが、とりあえず話を進めよう」
 タバコをふかしていた武彦が、身を乗り出す。
「目標はトライエッジをこの世界から放り出す事。その手段も知っての通りだ。あとはそこに至る道筋だけだな」
「……世界の境目、でしたか? それの正確な位置はわかるんですか?」
 零に出されたお茶をすすりながら、ユリが質問する。
「オイラにはちょっとわからないんで、ここに援軍を頼みに来たんだが……」
「その境目ってのは、何か物理的に歪んでいたりしないのか?」
「オイラの知ってる限り、空間は歪んで見えたけど、アレは物理的にどうこう……って感じではなかったな」
 トライエッジがこちらの世界へ来る時に見た境目、それは歪みがぼんやり浮かんでいるだけで、そこに物理的な干渉はなかったそうな。
「じゃあ冥月の能力で探るってのもなしか」
「……おい、いつ私が協力すると言った?」
 武彦の言葉に、冥月は片眉を上げて問い返す。
「ここまで来て一抜けたは無いだろ?」
「タダ働きはゴメンだと言ってるんだ。そこの男には腹に抱えるものもあるしな」
 冥月とトライエッジも何度か対峙し、その度に追いかけたり、戦ったり、勝ったり負けたりしている。
 そんな相手の依頼に、冥月がホイホイ乗っかれるわけもないのだ。
「じゃあ、おねぇさんは手伝ってくれないって事か?」
「……条件がある。それが飲めないなら、私は抜けさせてもらう」
「伺いましょう」
 言葉の慇懃さに似合わず、冷や汗をたらしているトライエッジ。
 嫌な予感がしているのだろうが、それは大当たりだ。
「まず第一に、その歯車で綺麗さっぱりなくした記憶を取り戻せないか?」
「おや、おねぇさん健忘症?」
「次、ふざけた事を抜かしたら全力で殴る」
「怖い怖い……まぁ、コイツの能力は常軌を逸してるからな。大概の事は出来るはずだぜ。なんなら記憶の捏造だって出来る」
「では第二に、その歯車は使う時まで草間に預けろ。お前が持っている間は何一つ信用できない」
 そう言われて、トライエッジはテーブルの上にあった歯車を手に取る。
「って言われても、オイラにはコイツが無きゃ、世界を渡ることなんか出来ないぜ?」
「だから、最後の最後に返してやる。私としてもお前にこの世界にいられて得なんか無いからな」
「また辛辣なお言葉……まぁ、構わんよ」
 トライエッジは歯車を武彦に投げて渡し、武彦はそれをしげしげ眺めた後、懐にしまった。
「そして、最後だ」
 冥月はトライエッジを見据え、真顔で言う。
「一発、思い切り殴らせろ」
「それは勘弁願いたいね……」
 一度、冥月の本気パンチを食らっているトライエッジにとっては簡単に頷きにくいだろう。
「まぁでも背に腹は変えられんわな」
「……では交渉成立だ。策ならあるさ。その世界の境界とやらが感知できなくとも、な」
 意味深に笑うところを見ると、信じても良さそうだ。

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 一行は興信所の外に出る。
「……他のIO2エージェントへの連絡は終わりました」
 ユリが携帯電話を持って、最後にビルから出てきた。
 IO2の方に事情を話していたのだ。小太郎やトライエッジを殺すよりは良い案だと思わせて、協力させるのが目的だったが……。
「どうだった? 援軍は見込めそうか?」
「……こちらはこちらでやる、私は私でやれ、と言われました。助力は期待しない方が良いかと」
 方法を一つに絞る理由は無い。
 それに確実性を見込むのならば小太郎を殺すのが一番手っ取り早いのだ。
 たった一人の少年相手にIO2が全力を上げて殺しにかかる、と言う事態は体面を危うくするだろうが、それでも確率が高い方を選ぶだろう。
 武彦はため息をつき、IO2については諦める事にした。
「まぁ、そうなるだろうな。冥月の方はどうだ、わかるか?」
「……ああ、大体はな。しかし、この何とも言えない影……これが白血球か」
 冥月の影が捉えているのは白血球と呼ばれる、世界のバランスを保つ者。
 今のところは自動でトライエッジと小太郎を殺しにかかるキラーマシンだ。
「影が捉まえられるなら第一ステップはクリアだ。後はそいつらが湧き出る場所を探し当てれば……」
 冥月の策とは世界の境界そのものではなく、そこから現れる白血球を感知すると言うもの。
 空間の歪みに影は落ちないが、そこから現れるモノには影が出来ると言うわけだ。
 だが、妙な事が一つ。
「……境界というヤツは、一つではないのか?」
 冥月が捉えている白血球の出現場所は少なくとも六つ。
 興信所を取り囲むように点在している。
「そりゃ向こうだってオイラを取り逃がすつもりはないだろうし、人海戦術に何の障害も無いならそういうのもアリじゃないかい?」
「じゃあその六つのうちのどれかにお前を連れて行けば良いって事か?」
「出来れば裂け目がでかいヤツを選びたいけど、こればっかりは見てみないとわからんし、オイラはどこでも構わないぜ」
 となれば一番近い境界に向かって影で転送すればいいのだが、そこはどうやら小太郎のいる位置と近い。
 下手をすればトライエッジと小太郎が鉢合わせする可能性もある。
 ドッペルゲンガーの関係にあるこの二人を対面させるわけにもいかないので、とりあえずは次に近い場所を目指すとして……。
「ユリ、お前には別の仕事を頼みたい」
「……え? なんですか?」
「小太郎の護衛だ」
 冥月の言葉を聞いて、ユリは嫌そうな顔……と言うよりは困惑の表情を浮かべる。
 さっき、小太郎とユリが対峙した時、彼女自身の気持ちに変化が起きたのだろう。
 その気持ちに整理がつかないまま、小太郎と再び相見えても良いのか、戸惑っているのである。
「……どうして、私が?」
「現状、トライエッジの護衛は私で十分だろう。となると心配点は小僧の安否だ」
 無事にトライエッジを境界に連れて行けたとしても、小太郎が殺されてしまうと意味がなくなる。
 小太郎が死んだ時点で、トライエッジはこの世界の三嶋小太郎として認識され、白血球の反応も無くなる。
 となれば境界も消え、トライエッジはこの世界に居座る事になる。
 小太郎の護衛はこの仕事の重要な任務でもあるのだ。
「草間では戦力にならんし、ここはお前に頼むのが適任かと思ってな」
「……冥月さん、さっき知り合いに頼むって……」
「念には念を。知り合いには見張りを頼んでいるが、人数が多い方が良いに決まっている」
「……でも」
「それと、どうやらお前の記憶も戻してやれるそうだ」
 先ほど、トライエッジに出した条件の一つ、記憶を戻すという案件。
 あれはユリについての事だ。
 生首事件の時に失った彼女の小太郎に関しての記憶。
 それを取り戻せば現状にも変化が起きるはずだ。
「これは私の独断だ。だからお前にも尋ねておこう。……お前は記憶を取り戻したいとは思わないか?」
「……ひ、必要ないと思います。私は今でもちゃんと生活できています」
「お前が今感じている動揺の原因について、知りたくはないか?」
 ユリが口ごもる。
 普段は割りと冷静なユリ。
 だが、小太郎を殺す段になって、自分でも驚くほど動揺しているのだ。
 その原因について気にならない事はない。
 とは言え、それを知ってしまった後の事について心配が無い事もない。
 冥月や武彦から聞かされている、ユリと小太郎の関係はただならぬものではなかった。
 それを知らない今と、それを思い出した後。
 自分を取り巻く環境が大きく変わってしまうのではないか、と思ってしまうのだ。
 悩むユリの言葉を、冥月は黙って待った。
「……わ、私は」
 そして、ユリが口を開く。
「……思い出したい。三嶋さんの事を、私がどうしてこんなに心を乱しているのかを」
「わかった。草間、出来るか?」
「あ? 俺には無理だろ?」
 武彦が歯車を取り出すが、なんの反応も示さない。
 どうやら武彦に歯車を使う事は無理のようだ。
「じゃあ、トライエッジ」
「はいはい、っと」
 トライエッジは武彦から歯車を受け取り、その力を行使する。
 ユリの身体が淡く光り、彼女の失った記憶が復活する……はずだったのだが。
「……あ、あれ?」
「どうした、ユリ?」
「……上手く言えませんけど……特に三嶋さんの事について思い出した感じがしません」
 ユリの言葉を聞いて、冥月はトライエッジを思い切り睨みつけた。
「い、いやいや、オイラはちゃんとやったぜ? どうしたのかな、歯車の調子が悪いのかな……」
「ちっ、使えんヤツめ。やはり元が小太郎ならお前も一緒って事か」
「ヒドイ言われようだな。まぁでも、効果は発揮されたはずだ。記憶もジワジワ戻ってくるんじゃないかね」
 適当なトライエッジの言動だが、ここは信じるしかあるまい。
「とりあえず、ユリは小太郎の方を頼む」
「……はい」
 神妙な表情のユリは、一度会釈した後に小太郎のいる方向へと走っていった。
「さて、こちらはこちらでやる事をやらねばな」
「おねぇさん。頼りにしてるぜぇ」

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 冥月の能力で転送された場所は、大胆にも境界の目の前、そこは大通りの車道だった。
 奇妙な白い人形――白血球が辺りを埋め尽くすほどにウジャウジャいる、敵陣のど真ん中である。
 道のど真ん中にこんな奇妙なモノが大挙しているというのに、町の中は静かなものだ。
「……他の人間は気付いていないのか?」
 地面に落ちた影から現れたのは冥月一人。
 トライエッジや武彦は影の中で待機中だ。
 冥月が辺りを窺うと、車道の真ん中に立っているのに、車の通りはなく、歩道を歩く人間に特に変わった様子も見られない。
 白血球などには気付かないようだった。
「私たちがちゃんと白血球や境界を認識できているのは、歯車のお陰、という事か」
 原因を考えるとそれぐらいしか思いつかなかった。
 しかし、だとすれば僥倖だ。これで冥月も白血球に対抗出来るのだから。
 白血球と言う存在に気付かなければ敵対も出来ない。
「それはさておき、こいつらはこれからどうするんだろうな?」
 グルリと見回しただけでも、相当な量の白血球がいる。
 ヤツらの目標はトライエッジと小太郎。その内の片方が手を出せない異空間にいるとするなら、
「小太郎の方へ向かうか、それとも能力で匿っている私を狙うか?」
 しばらく様子を窺っていると、白血球は冥月を無視してゾロゾロと移動を始める。
 どうやら小太郎に狙いを定めたらしい。
「やはりな。……こうなってはユリの方の負担が増えるか。仕方ない」
 冥月は影に手を突っ込み、トライエッジを引き上げる。
「うおぉ!? 何するんだよ、おねぇさん!?」
「囮になれ。というか、境界まで連れてきたんだ。後はお前の仕事だろう」
「にしても、もう少し敵を引き剥がすとかさぁ、何かあるだろぉ?」
「安心しろ、ちゃんと護衛ぐらいしてやる」
 言いながら、冥月は影を操り、踵を返してきた白血球たちを影で包み込もうと試みる。
 ……が、しかし。
 白血球は影を掴み、引き裂き、更に前進してくる。
 本来質量を持たない影を掴む事などまず無理。
「向こうも規格外という事か……面白い」
 仕留める事は出来なかったが対抗は出来る。
 ならば、やりようはある。
「世界を渡るのに、どれだけ時間がかかる?」
「歯車の機嫌が悪くなってきてるからなぁ。贔屓目に見て三十分って感じ?」
「五分でやれ」
「無茶言うにも無茶すぎやしねぇか、おねぇさん!?」

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 街中に銃声が一つ。
 サプレッサーによってかなり抑えられたものだが、周りにいた人間にはそれも聞こえただろう。
 当然、米五十キロを台車に載せ、ゴロゴロと運んでいた小太郎にも。
「な、なんだ、いきなりどうしたんだ、ユリ?」
 キョトンとした顔で『何か』に向けて銃弾を放ったユリに尋ねていた。
「……貴方には、見えていないんですか、これが」
 ユリが銃口で指す先、そこには銃で撃たれた白血球が横たわっていた。
 この程度で倒せるとは思っていないが、今のところ無力化は出来ている。
 ユリは周りを窺いながら、小太郎の手を取る。
「……とにかく、こちらへ」
「ど、どこに行くんだよ!?」
「……ここよりも安全な場所へ。境界は興信所を取り囲むように存在しているらしいですから、とりあえずは興信所」
「いやいや、そうじゃなくて!」
 手を引くユリに対して、小太郎はその場で踏ん張る。
 そして、真っ直ぐユリを見て言うのだ。
「俺はここでじっと待っていないといけない気がする」
「……何故?」
「何故かはちょっとわからないけど……そうしないといけない気がするんだ」
 ユリは、ふと気付く。
 これが境界や白血球の力なのだ、と。
 むしろ異常なのは自分の方だ、と。
 普通の人間は白血球や境界に気付きもしない。
 今この場で、小太郎が白血球に殺されたとしても、それは自然の道理として処理されるだろう。
 もしかしたら冥月の頼んだ知り合いだってそうかもしれない。
 だったら、小太郎を助けられるのは今のところユリだけである。
 彼を見捨てれば、任務は完了できる。
 何もしなければ良い。自分の手を汚す事はない。
 これほど楽に終われる仕事は無い。
 だが、しかし。
「……ふざけないでください」
「……は?」
「……貴方は、そんなに易々と諦めてしまうんですか? そんなに簡単に死ぬ事を選んでしまうんですか!?」
「死ぬ? 俺が? なんで?」
「……貴方にはわからないかもしれませんが、このままだと貴方は必ず死にます!」
「ははは、まさかそんな、こんな往来で……いや、一度死に掛けた事もあったけど」
「……だったら、ついて来て下さい。私の知っている貴方は……」
 その時、ユリに頭痛が走る。
 しかしここで言葉を切るつもりは無い。
 喉の奥から言葉があふれてくるのだ。これを吐き出さないわけにはいかない。
「……私の知っている、私の王子様は、こんなところで諦める人じゃない」
「ゆ、ユリ……!?」
「……いいから、走って!」
 ユリに手を引かれ、小太郎も今度はそれに従って走り出した。

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「おぉ、なんか調子上がってきたぞ」
 境界の前で歯車を掲げるトライエッジが呟く。
 その手に持っている歯車が強く輝き、境界の歪みがいっそう強くなったような気がした。
「いけそうなのか?」
「ああ、この調子ならすぐにでも!」
 白血球と戦っている冥月は、あの大勢をして余裕がありそうだった。
 多対一にも有効な影の能力は白血球相手にもたいそうな効果を見せている。
 しかし、どうやら『死』の概念については無視されているようで、バラバラにしても活動している白い人形を見ると、多少寒気を覚える。
「細かく刻めば、あまり抵抗もされずに影に取り込めるな。戦線の維持は簡単そうだ」
「恩に着るぜぇ、おねぇさん! これで仕上げだ!」
 歯車がいっそう輝き、空間の歪みの中に穴が開く。
 その中は一見すると宇宙の様な、星の瞬きがある不思議な空間だった。
「開いた! これで、別の世界へ行ける!」
 トライエッジが歓喜の声を上げていた。どうやらこの仕事もそろそろ終わりそうである。
 そこで、ふと思い出す。
「ちょっと待て、トライエッジ」
「なんだよ、おねぇさん」
「私はまだ、お前を殴ってないな?」
「忘れていてくれても、俺は全然構わんぜ?」
「そうはいくか!」
 冥月が提示した条件の三つ目。それはトライエッジを全力で殴る事。
 それが達成されなければ契約に齟齬が発生してしまう。
 ここは殴らないわけには行かないだろう。
 幸い、白血球の相手は片手間でも出来る。
「歯を食いしばれよ。今なら私史上最高のパンチが放てる気がする」
「そんなん食らいたくねぇって! じゃあな、おねぇさん! あの探偵さんにもよろしく言っておいてくれ!」
 脱兎の如く、境界の穴へと逃げだすトライエッジ。
 少し距離も空いていた為、冥月を持ってしても追いつけず、先に逃げられてしまった。
「ちっ、一足遅かったか」
 トライエッジが穴に飲み込まれると、境界の歪みは急速に収まり、周りにいた白血球も煙のように消えていった。
 町もいつも通りの光景を取り戻し、冥月の立っている車道の真ん中にも車の姿が見え初めた。
「もうここにいる理由も無いか……。これで一件落着だな」
 冥月も影の中に沈み、この事件も静かに幕を閉じた。

 余談ではあるが。
「なぁ、冥月」
 影の中でずっと待機していた武彦が、冥月に話しかけた。
「俺って、ついて来た意味あるのか?」
「……ほら、緊急用の肉壁」

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 後日、興信所のあるビルの屋上にて。
 そこにいたのはユリ。
「どうだ、ユリ。何か思い出したか?」
「……冥月さん」
 屋上に現れた冥月に気付いて振り返る。
「歯車の効果はあったか?」
「……ええ、それはもう」
 ユリの頭の中には消えていた小太郎との記憶が全て蘇っていた。
 出会った時の事から、つい最近の事まで、全て。
 しかし、同時に記憶を失っていた頃の記憶も当然持っている。
 それ故に混乱しているのだ。
「……私、どうしていいのか、ちょっとわからなくなりました」
「お前の好きな様にするが良いさ。お前はどうしたい?」
「……三嶋さんと……小太郎くんと、もう一度話をしてみます」
 屋上から駆け足で去っていく少女の後姿を、冥月は見送った。
 これからどうなるかはユリと小太郎次第。
「となると、小僧の方がヘマをしないか、多少心配だな」
 青空を見上げ、不肖の弟子を嘆くように呟いた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】


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■         ライター通信          ■
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 黒・冥月様、シナリオに参加してくださり、ありがとうございます! 『草間さんの待機時は体育座り』ピコかめです。
 影の中でずっと体育座りをしている草間さんを想像すると、クスリと出来るかもしれませんね!

 ようやっとトライエッジが退場しました。長い事ヒールなり狂言回しなりしてもらって便利なキャラでした。
 殴って倒す感じではなく、ちゃんと和解して退場ってのを考えていたのですが、半分くらいは成功ですかね。
 また新しく、使いやすい悪役を用意せねばね。
 ではでは、また気が向きましたらどうぞ〜。