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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Debug And Calling

 休日の雨というのは多くの人を残念がらせるものだが海原(うなばら)みなもにとっては――そして今日に限って言えば梅雨らしい土砂降りの雨は彼女にとって実に都合が良かった。その理由はいたって単純で、「水」に困らないからである。
 彼女は人気のない公園で、傘もささずに一人ぽつんとたたずんでいた。誰かが偶然通りかかってその姿を見たなら、あんなにぬれて風邪を引きやしないだろうかとさぞかし心配したことだろう。
 しかし、実際のところは彼女の青く長い髪の一筋にさえ雨粒が触れることはなく、地面にむなしく落ちては絶え間ない波紋を水たまりの上に描くばかりだった。
 人魚の末裔であり、水を操る術に長けたみなもは粒子単位でそれを自在に制御できるほどの腕の持ち主である。そんな彼女に雨は何ら脅威ではなく、体の周囲に薄い膜状の水の壁を張っただけでいともたやすく水滴をしのげてしまうのだった。
 もっとも、ただ雨にぬれたくないだけなら力を使うよりも傘をさす方が断然楽である――にもかかわらず彼女がそれをしないのは傘を忘れたからではなく、「能力を使うこと」自体が目的だったからだ。
 「こんなものかしら?」
 心の中で呟き、みなもはようやく持って来た傘を広げて術を解いた。
 「いいデータは取れましたか?」
 再度胸の内に向けて彼女がそう尋ねると、もう一人の”彼女”がややうんざりしたような声音で応じる。
 『データは取れたけど、これからの仕事量に目が回るわ。』
 そんな人間的な比喩を”彼女”の口から聞くのがどこか愉快で、みなもは声をたてずに小さく笑った。

 みなもの中にはかつては携帯電話に宿っていた付喪神(つくもがみ)が同化している。さる事件以来、彼女たちは水を操る能力や携帯電話のプログラムレベルでの操作能力などを個別に保持しつつ「海原みなも」という少女の意識と肉体を共有しており、今では限定的ながらも、人間であるみなもが水を操る要領で電脳世界におけるデータの処理や操作を行うといったことも不可能ではなくなっていた。機械がまさに機械的に処理を行うことに対し、人間であるみなもが感覚的に膨大な量のデータを扱うのには限界があり心身に負荷がかかるため、緊急時の代理OSといった感じではあるが。
 しかし、人間のみなもに機械の分野の処理が可能ならば元は機械の付喪神であるもう一人の”みなも”にも逆のこと――つまり、みなもが普段は無意識や感覚で行っている「水の操作」を機械的な演算処理によって行うことも可能なのではないか?
 それが最近の彼女たちの共通の関心事であった。そしてそれを実現すべく、みなもは模範となるデータ作りのために雨の中で能力を使っていたのである。
 『プログラムの命はやっぱりソースよね。』
 自宅に帰り、湿った服を着替えて人心地ついたみなもが温かいお茶をすすっていると、意識の中でもう一人の”みなも”がそんなことを呟いた。”彼女”は今、取ったデータを元に「水を操る」能力を機械的に発動するプログラムを組み立てようと四苦八苦中である。”彼女”が直接操作できる、みなも愛用の携帯電話も充電器をくわえたまま稼動しっぱなしだ。
 「ソースって、何だか料理みたいですね。」
 『そのソースじゃないわよ。』
 そう言いながらも”みなも”は、プログラミングはちょっとだけ料理に似ているかも、と思った。”彼女”は以前、みなもの夢を介して学校での調理実習を経験している。”彼女”は同級生たちと作業を分担しながら、教師が黒板に書いたレシピ通りにケーキを焼いたのだ。
 プログラムにおけるソースというのもレシピのようなものである。書かれたソースコードに従って機械が正確にその動作を実行するので、レシピが正しければおいしいケーキ――優れたプログラムによる結果が得られるが、元のレシピがまずいと残念な結果になるという寸法だ。どの順番でどの動作をどのようにどれだけやればいいのか、それが肝心である。
 ”みなも”は携帯電話と連携しながら黙々とプログラムを組み立てる作業を続けた。
 起動コマンドの入力をトリガーに、解析しデータ化した能力発動時の意識・無意識・思考のパターンをトレース、みなもの意識の有無に関係なく携帯電話の集積回路を使ってプログラムでそれをシミュレート、みなもの肉体に干渉しシミュレーション結果を主体に能力を発動、そこまでがひとまずの目標である。”みなも”は体内の微弱な電流を操作することで幻覚を作ることにも以前成功しているため、機械によるシミュレーションの結果を意識に直接叩き込むことも可能だと確信していた。人間の思考よりも速い機械の演算能力がこなしたシミュレーション結果を流し込み、あたかも「能力を発動させるのに必要な一連の無意識な感覚操作を行った」と錯覚させるのだ。実際にそのシミュレートは機械が代行しているため、問題なく能力は発動するはずである。
 とはいえ、構造は単純でも形にするとなると手間がかかるのがプログラムというものだ。
 『この処理にどれだけメモリを食われるか見積もっておかないと。高性能な携帯電話だから余剰分をフルに使えば充分いけると思うけど、アプリの処理を優先して本体がダウンなんて笑えないもの。データが多すぎるから圧縮して整理して……これ、もっと簡単に書けないかしら……ああ、これだけやってもあとはひたすらデバッグの嵐……。』
 「あの、あまり根をつめない方がいいですよ。そうだ、雨達(うだつ)さんに言えば手伝ってもらえるかも……。」
 独り言にため息が混じり始めたのを心配してみなもがそう口をはさむと、「冗談じゃないわ。」と”みなも”が叫んだ。
 『パソコンはそこそこ使えるみたいだけど、あのオカルト探偵にできることと言ったら自分の手にあまる面倒な依頼を女子中学生に投げてよこして、嬢ちゃんは頼りになるなあとか呆けるくらいよ。』
 ”彼女”のにべもない返事にはっきりと反論できないまま、みなもはあいまいに笑って静かにお茶を飲み干した。

 どれほど計算の速い悪魔にもはじき出せないと言われる未来の出来事を付喪神や人間であるみなもたちが知るすべはなく、よって、わずか数日後に”みなも”の言葉が現実になろうなどと、神や悪魔ならぬ身の誰に知りえただろう。もしみなもがそれを知っていたら、彼女は未来を書き換える方法を模索したかもしれない。
 「電脳空間を住処にしていたらしい『何か』が現実世界に顕現したみたいなんだが、助けてくれないか。つかまえようとしたものの実体はないらしくて、手を焼いているんだ。ポルターガイスト現象みたいなものを起しながら移動してる。」
 みなもの下に雨達からそんな「助けてコール」が来たのは十数分前のことである。ちょうどバイトからの帰り道、長く続いた雨は昼過ぎにようやく止んで、水たまりだらけの地面は点いたばかりの街灯の光と黄昏の中で奇妙な色を放っていた。
 「お化けの時間である夜を待てないなんて、せっかちですね。」
 「新米なんだろう。昨今、インターネットの普及でいろんな怪談が生まれているみたいだからな。そのうちのいくつかは新しく生まれた本物なんじゃないか――おっと、嬢ちゃんのいる方へ行ったみたいだぞ。」
 電話口の向こうで雨達がそう言った直後、みなもが駆けている道の先方で街灯が一つはじけた。割れたガラスの破片に混じって、何やら黒いものが飛んでくる。その姿は――
 「太郎ちゃん……!」
 普通名詞を口にするのも恐ろしい、と言わんばかりの勢いでそう叫んだみなもは、小型犬ほどあるゴキブリを目にした途端その場に凍り付いてしまった。そのみなも目がけて太郎ちゃんが突っ込んでくるが、半ばパニック状態のみなもに周囲の水で壁を作るなどという余裕はない。
 しかし両者が触れる直前に、黒い虫は解像度の悪いホログラムのようにゆがんだかと思うと0と1の数字に変わり、その場で崩れ消えてしまった。
 『まだ実験段階なのに!』
 そう不満をこぼしたのは、形になったばかりのプログラムで瞬時に水を制御し、壁を作った”みなも”である。その”彼女”の声で我に返ったみなもは、青い顔で息をつきながらも何とか礼の言葉を口にした。
 だがそれが終わるか終わらないかのうちに、後方で窓ガラスが壊れるような音がする。
 『あら、一匹じゃないみたい。』
 「えええ!」
 「あ、そいつはゴキブリみたいな奴だから、もしかしたら一匹見かけたら十匹くらいはいるかもしれない。」
 まだつながったままだった携帯電話が雨達の声でそんな不吉なことを言う。それに続けて”みなも”がみなもにこう言った。
 『水に弱いみたいだから、このままプログラムを使いましょう。発動はあたしがするわ。その方が速いし負担も軽いはず。でも身の回りに発動するだけしかまだできないから、遠隔攻撃はお願いね。』
 「えええ!」

 かくして雨上がりの水たまりを主な武器に、みなもの太郎ちゃん退治は周囲がすっかり暗くなるまで続いたのだが、助けを求めてきた雨達はというと、自分ではろくにできることがないため「嬢ちゃんは頼りになるなあ。」と感心した様子で応援しているだけであった。
 ”みなも”は今回の動作結果を元に改良を加えた「水の装(よそおい)(仮)」というプログラムをアプリケーションソフトとして携帯電話に実装したが、みなもの操作なしに応用的に使うことは現状のプログラムでは処理が難しく、いろいろと試みては次々と現れるバグに悩まされている。だが、少なくとも能力の瞬時の発動を可能にし、発動中のみなも自身への負担は大幅に軽減できることとなった。
 『このプログラムの開発中に出たバグ(虫)が顕現化したら、この前の太郎ちゃんの数なんてはるかに超えるわ。』
 「怖いこと言わないで下さい!」
 みなもは悲鳴をあげて、先日のお礼だと雨達がくれたケーキを恐ろしい記憶と共に呑み込んだ。いかに良いレシピのケーキだろうと、もはやその味は判らない。
 プログラムにバグは付き物である。もしかしたらデバッグしきれていないバグがまだその辺りに潜んでいるかもしれないが、みなもはそれについてあえて考えないことにし、雨がもう少し降り続くことをひそかに願った。



     了