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<Dream Wedding・祝福のドリームノベル>


Kiss and Vow


 名前を呼ばれたような気がして足を止めた。初夏の熱気を含んだ風の中に、微かに甘い薔薇の匂いを感じ、振り返る。
 ザワリ……。異界へと導かれる気配がした。特に抵抗することなく、異界に導かれるままに任せる。周囲の風景は一変し、深い森の中で一人佇んでいた。
 千影にとって、散歩の途中で異界に紛れ込む事は日常茶飯事だった。そのため、特別動揺する事はなく、強く吹いた風に目を瞑ると大きく靡いた髪を手で押さえた。
「ん〜いい風」
 大きく伸びをし、足取り軽やかに森を進めば、おそらくこの世界に連れ込んだと思しき元凶の少年と少女が立っていた。
 どちらも年の頃は十四程度、金色の髪と青い瞳をしており、背には透明な羽が生えている。双子なのか、顔の作りは全く同じだった。
「助けて欲しいの」
 少女が透き通るような青い瞳を潤ませながら、懇願するように胸の前で両手を合わせた。
「今日結婚するはずのお姫様と王子様が魔物に連れて行かれちゃったんだ」
 少年が困ったように目を伏せながら言う。
「式までに連れ戻さないと、大変なことになっちゃうの」
「魔物は夢魔で、お姫様と王子様を魅了してるみたいなんだ」
「お姫様と王子様の目を覚まして、夢魔を倒して」
 どうやら、夢魔とやらを倒して二人を連れ戻さない限りは、元の世界に戻れないようだ……。
 千影はにっこりと微笑むと、二つ返事で引き受けた。お姫様を助ける王子様の役なんて、なかなか出来るものではない。
 くるんとその場で回れば、胸元のリボンがフワリと広がった。今日の千影の格好は、王子様風だった。頭の上には十字架の王冠が乗っており、足元は厚底のブーツだった。
「それじゃあ、れっつごー♪」
 リルを連れて、彼女の案内にしたがって異界を移動する。
 熱い風がヒンヤリとしたものに変わり、草木の匂いは砂埃の臭いに変わる。千影は鼻をすんと鳴らして口元をすぼめると、古いお城を見上げた。
 壁は所々剥がれ落ちており、いくつかの塔は風雨に耐え切れずに朽ちて崩れてしまっていた。古城とは言え、威厳や歴史と言った重厚な雰囲気はなく、人に忘れ去られた侘しさと時の流れの残酷さばかりが強調されていた。
「お姫様は一番上にいるんだよね?」
 リルがコクンと頷き、階段がちゃんと最上階まで続いているのかをしきりに気にするが、千影には別の考えがあった。
 トンと地面を蹴り、高く空に浮かび上がる。背中で羽がパタパタと音を立て、足元のリルが目を丸くしながら慌てたように千影の後を追う。
 これって奇襲だよね。と、リルがサファイアのような綺麗な瞳を千影に向けながら首を傾げるが、逆に首を傾げ返されてしまう。
 千影には、奇襲をかけようなどという考えはなかった。これだけボロボロのお城の中を歩くのは危険だから、階段がちゃんと上まで続いているか分からないから、そしてなにより、千影にもリルにも羽があるんだから、飛んで行ったほうが早くて安全でしょう? そんな考えから飛行ルートを選んだ。
 埃と蜘蛛の巣で汚れたステンドグラスを爪で砕き、中に入る。
「今晩わ……あれ? 何でここにいるの?」
 スルリと開いた空間から中へと降り立った千影は、目の前に立つ人物に大きな瞳を丸くした。
 艶やかな黒髪に、神秘的な碧眼、優しい笑顔で千影を見つめる少年に、思わず背中の羽をパタパタと嬉しそうに羽ばたかせると足早に近づいた。
 細い腕が伸びてきて、千影の身体を優しく抱きとめる。彼の胸に頭を埋め、主とは違う匂いに違和感を覚えながらも、神秘的な碧眼に魅了される。
「チカ達は、貴方の物だよ」
 不安そうな顔に、飛び切りの笑顔でそう返す。リルが必死に何かを言っているが、千影の耳には届かなかった。
 埃にまみれ、容赦ない時間の速度に蝕まれていたお城が、一瞬にして煌びやかに輝く。赤茶色に変色していた絨毯は、真紅の絨毯に、千影が壊したはずのステンドグラスも元に戻り、無邪気な笑顔を浮かべた天使がこちらを見下ろしている。大半が崩れていたベンチは真新しくなり、色とりどりの花で飾られている。廃墟の臭いが甘い花の匂いに変わり、鳥達の楽しそうな囀りすらも聞こえてくる。
 頭を撫ぜられ、目を閉じる。夢のように綺麗なお城、大好きな人と一緒にいる幸せ、千影の体の中を温かい感情が満たし、ぎゅぅっと主に抱きつく。ゴロゴロと甘えるように顔を近づけ、唇の端にちぅっと口をつける。まるで猫が好きな人に口を近づけるような光景だった。
 ペロリ。
 口付けをしたときに、相手の心を一口だけ舐めた。
 その瞬間、千影は飛びあがった。
「うにゃっ!?」
 毛が逆立つほどの衝撃に目を丸くし、ぺっぺと必死に不味さを口から追い出そうとするが、実際に口の中に入ったわけではないため、あまり意味はなかった。
「美味しくない!」
 本来の主の心であれば、濃厚で濃密で、ほんの一欠片で至福を感じるはずなのだが、目の前に立つ人物の心はドロドロとしていた。
 分かりやすく例えると、国産ししゃもを食べた筈が、樹脂製の模造品だったような、驚愕な味だった。勿論、“分かりやすい”の基準は千影にある。彼女の中では、ソレが最も分かりやすい例えだった。
 うえ〜。っと、あまりの不味さに七転八倒する千影をリルが必死に介抱する。
 それまで千影の頭の上で大人しくしていた黒兎の静夜が、魂を一部食べられた事によりフラフラになった男目掛けてフライングヒップアタックで会心の一撃を決める。
「ウサギさん強ぉい!」
 リルが手を叩いて喜び、やっと口の中の不味さが納まった千影が目じりに浮かんだ涙を指先で拭いながら、床に倒れた男性を見下ろす。
 鮮やかな赤い髪に、水銀のような瞳は主とは似ても似つかない人物で、千影はきょとんとした顔で首を傾げた。
「あなただぁれ?」


 リルは彼のことを、夢魔のユエだと紹介した。
 知り合いなのかと問えば、リルは心底嫌そうな顔で首を振った。ただのトラブルメーカーで、名前だけ有名なのだと言うのだが……。
「つまり、オトモダチってことだね♪」
「違う!」
 それまで穏やかだったリルの顔が、般若の如く怖くなり、千影はビクリと肩を上下させた。
 つまり、知っているけれど知り合いじゃなくて、オトモダチだけどオトモダチではない。それなら、何なのだろう? 千影は少しだけ考えた後で、よく分からない難しい関係なのだと、結論付けた。
「どうしてお姫様を攫ったの?」
「どうせフィオナ姫様が綺麗だから、自分の物にしたくなったとかでしょ」
「そうなの?」
「……だってほら、綺麗だし……」
 部屋の中央で眠るフィオナ姫の顔を見て、千影は「確かにキラキラで綺麗だけど……」と、言った後で腰に手を当て、小さな子供を怒る時のように人差し指を前後に振った。
「恋路を邪魔する人はお馬さんに蹴られちゃうんだよ」
 パーンと馬に蹴られたユエを思い描き、千影は少しだけ同情的な目で彼を見た。
 馬に蹴られたら、とても痛そうだ……。
「もしかして、ユエちゃん寂しかったの?」
「……まあ、基本的に俺もユンも嫌われてるからな」
「ユンちゃん?」
「ユエの双子の妹だよ。……もしかして、カイル王子様を攫った夢魔の魔物って……!」
「ユンだ」
 リルの全身を怒りのオーラが包み込み、千影は「落ち着いて〜!」と何とか宥めると、ユエに手を差し伸べた。
「寂しいなら、チカがお友達になってあげるよ♪」
「千影さん! この男を甘やかしたらダメだよ! どうせユエの頭の中は常にピンクなんだから、食べられちゃうよ」
「 ? ユエちゃんの心はピンクじゃなかったよ」
 もっとドロドロとして美味しくなかったと、千影は告げた。
「それにチカ、ちょっと強いから負けないよ」
 “食べられる”を、文字通り食物を食べる意味だと解した千影は、自慢げにリルにそう言った。意味が違う事に気づいたリルが反論しようとするが、無邪気すぎる千影の顔に諦めるとユエに「もし何かしたら千年地下深くの牢に閉じ込めてやる」と物騒な釘を刺した。
「さあ、これで気が済んだでしょ? フィオナ姫様の目を覚ましてよ。早くしないと、式に間に合わなくなっちゃうわ」
 リルの言葉に、ユエが複雑な呪文を唱える。
 部屋の中央に置かれた綺麗なベッドに横たわっていたフィオナ姫がゆっくりと目を開き、千影はお姫様のあまりの美しさに目を細めた。


 鳥達の祝福の歌を聞きながら、千影は粛々と行われる式を一番後ろの席から見守っていた。
 純白のドレスには数え切れないほどの宝石が散りばめられ、フィオナ姫が動くたびにキラキラと七色の光を発していた。細かい刺繍が施されたベールに、胸元には大きなダイヤをあしらったネックレス、腕には大粒のルビーが光るブレスレット。
 最高級の宝石に飾られているにもかかわらず、フィオナ姫は宝石の輝きに負けないくらい美しかった。
「キレイ」
 千影の小さな声に賛同するかのように、静夜が耳をピクリと動かす。
 誓いの言葉が終わり、フィオナ姫とカイル王子の間にあった薄いベールが取り払われる。誓いの口付けが終わり、祝福の鐘が鳴り響く。
 千影は立ち上がると、大きく手を叩いた。盛大な拍手の中を幸せそうな笑顔を浮かべた二人が歩いて来て、千影の前で立ち止まる。
「チカちゃん、ありがとう」
 凛とよく響く透き通った声が千影の耳に届いた瞬間、ザワリと世界が揺れた。
 フィオナ姫とカイル王子が手を振り、リルとリンがお礼を言いながら両手で大きく手を振る。
「またこっちに来た時は一緒に遊ぼうな」
 ユエの低い声が耳元で聞こえ――
 千影は、元の世界に戻ってきた。
 空には真ん丸なお月様が輝き、無数の星が瞬いている。
 耳を澄ませば車の音と、夜に生きる人々の明るい声が聞こえてくる。
 千影は複雑な感情を抱いた夜の東京の空気を胸いっぱい吸い込むと、先ほど体験した不思議な出来事を思い出し、目を閉じた。
 御伽噺のような結婚式の光景に、思わず口元が緩む。
 帰ったら、一番に主に話そう。
 千影はそう心に決めると、夜の街へと駆け出して行った――。



END


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☆登場人物一覧

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 3689 / 千影 / 女 / 14歳 / Zodiac Beast