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脇役にしかなれない
透き通る声は、ただ楽しげな歌声を紡いでいた。
晩餐会でその日の出会いを祝う乾杯の歌。彼女自身、舞踏会には生徒会の仕事で何度か顔を出した事はあっても、未だに酒も飲めない年だし、舞台の上で想像する事以外、酒の味なんて想像できない。
歌を歌う時、自然と歌詞に合わせて、表情が生まれる。
生まれた表情は笑顔。
その晩の出会いを祝福し、共に喜ぶための笑顔。
しかし、その歌に滲む感情は、楽しげなものとは裏腹のものだった。
『取らないで』
『そこをどけ』
『彼を取らないで』
『私の気持ちなんか知らない癖に』
『私の居場所を取らないで』
『どうせ私は』
『私は所詮脇役だから』
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夜神潤が音楽科塔を昇ると、いつもどこかで練習する風景が個人練習用の部屋から見えるのに、あまり誰も利用していない事に気付く。
聖祭に出すものとなったら、ほとんどは合同練習になるから、個人練習は学園内だとやっている暇がないんだろうかとぼんやり思う。くるくると階段を昇っていて、聞き覚えのある歌声が聴こえてくる事に気が付いた。
いつか練習していた時も、確か『椿姫』の中の曲を歌っていたなと思いながら、その歌の流れてくる個室へと向かう。
ドアをコンコンと三回鳴らしてから、「失礼する」と声をかけてドアを開けた。
やはり、茜三波はいつか見せたような、少し驚いた顔でこちらを見つめていた。もっとも、前よりもどことなく深刻そうで、表情には暗いものがちらついて見えた。
「あら、先輩。こんにちは」
「こんにちは、この間のお茶会で見なかったから、心配してたんだ。……具合でも悪いのか?」
「……!」
三波は少しだけ驚いたように顔を上げるのに、潤は意外なものを見る目で彼女の表情を眺めた。
「いい歌だったな」
「あら、ここ防音室だったのに……」
「窓から聴いた」
窓が薄く開いていたので、適当な嘘をつくと、三波は首を傾げつつも納得はしたようだった。
「聖祭の練習か?」
「はい……声楽専攻ですから、オペラを少々」
「オペラなんて大したものじゃないか」
「いえ……」
いつになく暗い顔に、やはり心配になる。
「……本当に具合、悪くないんだな?」
「大丈夫です。少しプレッシャーを感じているだけで」
「プレッシャー?」
「……」
三波は少し暗い顔のまま、窓の外を見た。潤も同じ方向を向くと、窓から見えたのは職員塔だった。確かそこの最上階に生徒会室はあったはずだ。
「……今回、どんなに頑張っても、オペラに人は入らないと思いますから」
「まだ始まってもいないが?」
「仕方ないんですよ」
三波は暗い顔で微笑む。無理に微笑むと顔がひきつけを起こしたようで、くしゃくしゃの笑顔になってしまう。
潤は少しだけ眉間に力を込めた。
「あまりそう言う顔はよくない」
「すみません……」
「謝る事でもないが……でもどうして仕方がないんだ?」
「今回のプログラム……」
三波はガサガサとスカートのポケットから何かを取り出した。
取り出したのはまだ草案なのか、手書きで箇条書きに書かれたものが印刷された紙だ。
「これは?」
「今回の聖祭のプログラムです。草案ですから汚いですけど」
「……俺が見て大丈夫なのか?」
「ほぼこれで決定ですから、問題ないかと」
三波が広げたプログラムを眺めると、使用するホールの位置は違うが、音楽科とバレエ科の時間がほぼ被っているのが分かる。
「これは……」
「……今回、バレエ科と声楽専攻、時間がまる被りしてるんですよね。いつもはもっとずらすんですけれど、今回は何故かそうなってて……」
「……」
「……理事長は元々バレエをなさってましたから、バレエ科を贔屓する気持ちは分からなくもないんです。でも、これだけ被ってしまったら……」
三波は笑いながらも、目尻が少し濡れていた。
「……すまない、余計な事を聞いて」
「いえ……こんな事、会長には言えませんし」
『取らないで』
『そこをどけ』
『彼を取らないで』
『私の気持ちなんか知らない癖に』
『私の居場所を取らないで』
『どうせ私は』
『私は所詮脇役だから』
「んっ?」
潤はピクリと眉を動かす。
三波が泣き笑いする中、声が響いた。
この声は肉声ではない。思念の声だ。ここには潤と三波しかいないはずなのに、一体どこから……?
「先輩?」
「……何でもない。でも、あまり一人で悩まない方がいい」
「そうですね……すみません」
「ああ、練習の邪魔をした」
「いえ……」
三波に少しだけ会釈してから、個室を後にした。
どういう事だ? 茜三波は、何かを隠している? いや、彼女は本気で何も知らなそうだった。
「……理事長は、この事を知っているのか?」
もうすぐ始まる怪盗捕獲の計画も、彼女が関わると言っていたが……。
潤は何かに躍らされているような気分になりながら、階段を降りて行った。
<了>
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