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君に水着を着せたなら
1.
くそ暑い草間興信所。冷たいアイスコーヒーの氷がカラリと音を立てる。
「…何読んでるんだ?」
黒冥月(ヘイ・ミンユェ)のひざを枕にソファに寝転がっていた草間武彦(くさま・たけひこ)は冥月の読んでいた雑誌を取り上げた。
「あ、こら!」
怒った風に口を開いた冥月だったが、特に怒ってはいない。
情報誌はちょうど海の特集ページをだった。
『この夏行きたい海ベスト10! 今年流行の水着はこれだ!』
草間はガバッと起き上がり、真面目な視線で冥月の全身を見て…それからにへら〜っと笑った。
「またなんか想像してるでしょ。…温泉に行った時も妙な想像してたわね」
軽い頭痛がしてきて、冥月はジト目で草間を睨むと溜息を1つついた。
「それは話が早いな。なら次に俺が言う言葉もわかるだろ?」
草間は意地悪っぽく冥月にそう言うと、冥月の肩を抱いて囁いた。
「海に行こう? 水着の冥月が見たい。水着買いに行こうぜ?」
突然抱きつかれてそんなことを囁かれたら、心拍数が跳ね上がる。
顔を真っ赤にして冥月は慌てた。
「う、海はいいけど…行きたいけど…。水着ならもう持ってるから買う必要ないわよ?」
がばっと草間が真剣に冥月を見据える。
「どんなの?」
「え?」
「だから、持ってる水着だよ。どんなのだ?」
冥月はごそごそと影の中を探して、恥ずかしそうに見せた。
シンプルな黒のハイレグワンピースだった。
「…ハイレグ…はいいが、ワンピースってのがなぁ…折角の綺麗な肌が見えないってのは減点ものだ。さらに言えばシンプルすぎる! シンプルが悪いとは言わん。だが、人にはそれぞれ最上の一着というものがあるんだよ」
なんだかんだと遠まわしに水着の批判をしてますが、要はもっと冥月に似合い魅力引出す水着買うべきだと草間は言っているようです。
「ってことで、買いにいこう」
「………っ」
熱っぽく語られて、冥月は言葉に詰まった。
また流されている。でも…武彦の言葉は媚薬みたいでとても気持ちがいいから…。
「じ、じゃあ、どんなのがいいの? 武彦の好きなの着てあげるから選んでよ」
2.
どーん!
とそびえ建つ1軒のビル。
この1件のビル丸ごとが女性専門のアパレルメーカーが入った店舗である。
したがって中に入っていくのは全て女…女…女!
「ま、待て…ここへ俺に入れっていうのか?」
自分の発言が原因とはいえ、まさかこんな事態は予測していなかった草間は入り口で尻込みした。
「私に似合う水着、選んでくれるんでしょ? さ、行きましょ」
慌てふためく草間の腕に強引に冥月の腕を絡ませて、冥月派にっこりと笑うとビルへと草間を引きずり込んだ。
「そうだな…これと…これと…あとこれと…お、これもいいな。じゃ、これだけ試着してくれ。その間に俺はもう少し探しておく」
入店してしまえば何のことはない、ただの店だ。
…たとえ店員が女性だけで、店内が女性だらけだろうと店の客なんだ、俺は。
開き直った草間は水着売り場に着くなり、物色を始めた。
色とりどりの水着の中でも特に目に付いたものを惜しげもなく抽出し、冥月の手に渡していく。
たちまち、冥月の腕の中は水着でいっぱいになった。
「試着してくるから、あんまり遠くに行かないでね? 大声で呼ぶの恥ずかしいし…」
冥月はそういい残して試着室の扉を閉めた。
…さて、気まずいのはここからである。
ポツンと取り残された草間に突き刺さる好奇の目。
本気で女だらけだ。アマゾネスの園だ。完全なるアウェイ。
訳もなく滲み出る冷や汗。居心地の悪さを隠すようにさらに水着を物色すると、かえって好奇の視線が強くなった。
冥月! 冥月様!
早く出てきてくれ! いや、出てきてください!!
その頃冥月は、草間の選んだ水着を1着1着眺めていた。
どれもこれもビキニタイプである。…中に1着全く違うのが入っていたが。
どうして男って…ため息をついてみたが、とりあえず着ることにする。
それで草間の気が治まるのなら…。
3.
「武彦、これどう…どうかしたの?」
「ちょっと泣きそうに…いや、なんでもない。着たのか?」
「えぇ。見て…くれる?」
恥ずかしげに顔だけ出した冥月の頬が少しだけ赤く染まる。
草間はバッと試着室の扉を開けた。
「ちょ! い、いきなりは…!」
思わず体を隠してしまった冥月の手首を優しく包み込み、草間は冥月に「見せてみな」と優しく囁いた。
その溶けてしまいそうな低い声に、冥月派からだの力を抜いて腕を後ろに組んだ。
ヒョウ柄のチューブトップビキニが呼吸で上下する大きな胸を包んでいる。
「…うーん。形はいいんだけどなぁ…やっぱ柄がマズイか…」
草間は冷静にそう言うと、先ほどかき集めた水着の山の中からアニマル柄の水着を手に持った。
「これ返してくるから、次の着てくれよ」
「え…」
ぱたんと閉まった扉に、冥月は呆然とした。
も…、もうちょっと褒めてくれたっていいんじゃないの!?
ちょっとムッとした気分になったが、それだけ草間が真剣に選んでいてくれるのだと思い直した。
2つ目の水着は…ピンクのビキニだ。
しかし、普通のビキニと少し風合いが違う。
「た、武彦…どうかな?」
草間を呼ぶと、嬉々としてやってきた。
「………」
草間は無言で顔を抑えた。
「武彦?」
不安になる。もしかして似合ってないのかも…。
折角、武彦が選んでくれたのに…。
…なんて冥月が不安に感じている横で、草間はこんなことを考えていた。
(これは…このロリっぽいアンバランスな雰囲気は…他の男には見せられん! むしろ俺1人で楽しみたい!)
顔を抑えたのは鼻血を押さえるためである。
けして苦い顔を見せないためとかそんな殊勝なことではない。
草間は「つぎ、それ」と短く言った後、試着室を後にした。
機嫌を損ねてしまったと思った冥月は、次の水着を見て固まった。
これは…出来れば着たくない。でも、これ以上武彦の機嫌は損ねたくない。
愛は恥じらいをも凌いだ。
「た、武彦…」
小さな声で呼ぶと、草間はそーっと試着室に顔を出し「をぉ!」と目を輝かせた。
ハイレグどころではない。VバックにVフロント。
体を隠す面積の小ささは世界最小クラスと言わざるを得ないその水着に、草間は鼻の下が伸びている。
「こ、これはダメよ? これは泳ぐには適してないもの!」
草間の機嫌が直ったのを確認して、冥月は試着室から草間を追い出した。
そして、最後に残った水着に着替え始めた。
4.
試着の済んだ水着を返す草間に、店内の女性からは冷たい視線が降り注ぐ。
痛い。これほど痛い視線が突き刺さるという経験はそうそうないだろう。
…にしても、さっきの水着は2人のときになら着て欲しいが、ビーチで見せびらかすにはあまりにももったいない。
ちくしょう。
見せびらかしつつも、エロくない水着が欲しい!
そんなことを思っていたら、また冥月が顔を出した。
「とりあえず、これで最後なんだけど…」
そーっと覗くと、もじもじと恥ずかしげな冥月が不安げに草間を見つめていた。
白地に淡い花柄のビキニ。
普通のビキニのようだが、胸部分の布が首にかけられた紐にかかっており胸の谷間が強調されている。
パンツのサイドは紐で微エロ要素が多分にある。
じろじろと上から下まで無言で舐めるように見つめる草間に、冥月は思わず胸を隠した。
「な、何よ、そんなに見て……今更そんな有り難がる物でもないでしょ?!」
「いや、今日のおまえはいつもより綺麗に見える…別にいつもが綺麗じゃないわけじゃないぞ? ただ…いい女だなって思ったんだ」
微笑む草間に、冥月はドキドキした。
いつも私ばっかりドキドキしてる。武彦は…ずるい。
「もう。私のどこを見るのも触るのも武彦の自由で……唯一その権利を持ってる男なのに」
草間の顔をしっかりと胸に抱きしめて、冥月は草間の耳元で囁いた。
「…がっつかないの…私は武彦のものなんだから」
「冥月…」
草間の腕が冥月の腰を抱く。温かな腕。
私だけの温もり…。
「ねぇ、隣なんかヤバくない?」
試着室の隣からそんな声がした。
「なんかえっちぃ会話してない?」
「そういや男いたよね? 連れ込んで…」
「きゃー!!」
怪しい雰囲気になってきたので、草間と冥月はハッと我に返り「こ、これにしてさっさと出ましょ」と合意した。
着替えて外に出ると、草間は居心地悪そうに冥月を見た。
「試着室で会話聞いてたヤツラがあそこにいるんだ」
草間が見えないように指差した方向には女の子が3人。
「気にしないでいきましょう」
そう促した冥月だったが、女の子たちは冥月を見るや否やまたもおしゃべりを開始した。
「見た!? 彼女のほうチョー美人じゃない!?」
「ていうか、絶対釣り合い取れてないよね? あれ、絶対男捨てられるね。彼女絶対浮気するって!」
「もしかして昔懐かしのミツグ君ってヤツ!?」
爆笑がここまで聞こえてきて、草間は目の端が痙攣を起こしている。
「…き、気にしないのよ? 人の言うことなんて」
草間はおもむろに冥月が持っていた水着を取り上げた。
「気にしてないさ。俺とお前が釣り合ってないなんて…おまえが浮気するなんてこれっぽっちも思ってないさ」
気にしてる気にしてる。思いっきり気にしてる。
「これは俺が買ってくるから、お前先に外出てていいぞ? 俺はミツグ君らしいからな」
あわあわとする冥月に、草間は会計にいく振りをしてパレオとパーカーを密かに買い足した。
冥月が浮気するとは思ってなかったが、やっぱりあんなことを言われたら気になる。
…男の嫉妬はみっともないが、なにごとも先手必勝だからな…。
その頃、冥月は後で密かに草間が一番食いついたあの露出が高い水着を後でこっそり買いに来るかどうか悩んでいた…。
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