コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


【HS】カリブのクニウミ


 綺麗な島国に響いた轟音に、豪華客船に乗っていた人々は閉口した。
 エメラルドグリーンの海を抱いた埠頭に並ぶ華やかな客船のうちの一つに乗っていた紳士風の格好をした初老の男性が「……あの音だ」と低い声で呟いた。
 その言葉に、忌々しい記憶の紐が解かれる。最初に叫びだしたのが誰なのかはわからない。けれど、一人の甲高い叫び声を切欠に、船内は混乱した。
 轟音が船を揺らし、人々が船から下りようと押し合う。悲鳴と怒声に彩られた船の上を、一羽のカモメが優雅に飛んでいた。


 しっとりとした雨が墓石を濡らし、瀬名・雫は頬に張り付いた髪を剥がすと、バッグに入れていたCDを墓前に備えた。
 彼女がここまでさしてきたピンク色の傘は、亡くなった友人が濡れないように彼女にあげた。頬を一筋の涙が零れ落ち、若すぎる友人の死と、彼女の命を奪った理不尽な理由を思い出し、悲しみと憤りに唇を噛む。
 空を見上げればどす黒い雲が広がり、大粒の雨が止め処もなく降ってきている。
 雫は可愛いストラップのついた携帯電話を取り出すと、アドレスを呼び出した。


 陽気なカリブの音楽も、ホームシックに沈む彼女にとってみればただの騒音にしか聞こえない。
 鮮やかな色をした甘い飲み物をストローで吸い込み、テーブルの上に置かれた南国の花を指先でつつく。
 隣のイスに置いたバッグの中から、微かな音色が聞こえたのは、そろそろカフェを出ようかと考えていた時だった。陽気なメロディーは個別登録がされており、曲を聴いただけで誰からかかってきているのか分かる。
 一瞬だけ頬を緩めた三島・玲奈だったが、すぐに口元を引き締めると携帯を取り出した。液晶に浮かんだ名前を指でなぞり、通話ボタンを押し込む。
 相変わらず可愛らしい細い声は、鼻声だった。泣いているのかもしれない。
 電話の向こうからはザーザーと雨の音が響いており、思わず窓の外に目を向ける。こちらは太陽に恨み言を言いたくなるくらいの快晴で、外に出ればたちまち紫外線が肌を焼くだろう。
 友人の頼みに、玲奈は目を伏せると首を振った。
「私は戻れないよ」
 相手が何かを言う前に、終話ボタンを押す。これ以上彼女と話していると、郷愁が募って今すぐにでもあの場所に帰りたくなってしまう。
 暫くボンヤリとしながら、氷が溶けて温くなってしまった飲み物を飲んでいると、再び携帯が鳴った。今度は先ほどのような明るいメロディーではなく、何の変哲もない呼び出し音だった。普通の人が聞いたなら、何も思わないような電話の音だったが、玲奈は顔を引き締めた。この音も、きちんと個別登録してあるもので、かかってきた瞬間に相手が誰なのか分かる。
 玲奈は通話ボタンを押し、携帯を耳に押し当てると電話の向こうから流れてくる感情の伴わない機械的な声に耳を傾け、一言も発さないまま携帯を切った。
 履歴を呼び出し、今しがたかかってきたばかりの相手のメモリーを消す。
「必ず仇を討つから」
 玲奈は一番上に表示された雫の番号を愛しそうに指先で撫ぜると、伝票を掴んで席を立った。


 木が鬱蒼と生い茂った密林の中、一際高い巨木の枝に座った巨人が地上を見下ろしている。
 巨木の根元では巨大な鳥籠が砲撃を続ける軍に向かって火焔で威嚇をしている。硬い金属に当たって跳ね返される音を前に、機械的な声が警告を発する。
 玲奈は以前にも聞いた事のある警告文に、小さく溜息を吐いた。世界の飽和と再起動の為に情報を狩っている。その言葉に、目を細める。
 邪魔をするなと言われても、止めなければならない。
「世界全部を再起動したら私も滅ぶからね。音響ブラックホールで一部を隔離してその中に天地創造するのさ」
 巨木に座る巨人を見上げる。大きく引き伸ばされた形になってはいるが、その顔には見覚えがあった。
「宇宙の音色も無効だ。宙は既に我が一部なのだ」
 玲奈の愛刀、烈火の天狼が火を噴くが、全ては音響ブラックホールに吸収されてしまう。こちらからの攻撃が一切効かない状態であり、玲奈は一旦撤退を決めると素早く後ろに飛び退き、音の塊に捕らわれ意識を手放した。


 白い病室の中は涼しく、外からは蝉の鳴き声が小さく聞こえてきている。
 窓の外には夏の空に欠かせない入道雲がモクモクと厚さを増しており、薄いガラス越しに差し込んでくる日差しは強い。
 微かな鼓動に目を覚ました玲奈が最初に見たのは、平和な外の光景だった。ベッドサイドには目を赤くした養母がおり、思わず「お母さん…」と呼びかけると涙が溢れ出した。
「泣かないで。今はゆっくりお休み」
 心地良い声に、覚醒していた意識がまどろむ。規則的な心音は玲奈の意識を緩やかに眠りへと引きずり込んで行く。
 自身の心音と母の心音が重なり合った時、あの低い轟音が遠くから聞こえてきた―――。