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The Mermaid Who Calls At A Port
学生の夏休みはおおむね忙しいとしたもので、山のように出される宿題や海のごとく広がる遊びの計画、そこにアルバイトも加えて多忙に過ごす者は少なくない。海原(うなばら)みなももそんな学生の一人だが、彼女にはもう一つ特別な夏休みの課題があった。
それは「人魚から人間になること」である。
とはいえ、いかにみなもが人魚の末裔で水を自在に操る能力や人魚の姿に変わる術を持っていても、元から人間として生まれたことはまぎれもない事実だ。よって、人魚の姿からただ単に元の人間の姿に「戻る」だけならば造作もない。
しかし、人魚に姿を変える要領で防護服とでも言うべきものを妖力で編み、それを人間の姿の状態で身にまとう、ということをするとなると決して簡単ではなかった。
「妖力」というのはみなもの父親が仮に名付けた、水を操ったり姿を変えたりすることを可能とする「見えざる力」のことである。彼はその力で起こせる現象のことを「妖術」とも呼んだ。そして、無意識で行っているそれらを意識的に練習することで妖術を使う際の負荷を軽減し、効力を強化することができるとみなもに説いたのである。
その助言を受け、みなもは人魚に姿を変えることの延長として妖力を具現化し、衣服として身にまとうことを考えたのだった。水を操って鎧化する方が一見手っ取り早いように思えるが、その場合身を包めるほどの「大量の水」が必要になる。それがいつも都合良く妖術を使う時にあるとは限らない以上現実的ではないということで、自身の妖力を具現化する方が良いと彼女は父親に勧められていた。
かくして、みなもは一度人魚の姿になり、そこから妖力を具現化させて人間としての体にまとうという手順で練習を始めたのである。普段は無意識に行っているその変身過程を意識的に行うことで効力を強化することも兼ねており、最終的にはわざわざ人魚の姿にならなくても、人間の姿のままで妖力を鎧化できるようになる予定だ。
しかし、童話の人魚姫が声という大きな代償を払って痛む二本の足を手に入れたように、持って生まれた範囲を超えて姿を変えるということには困難がつきものらしい、というのがみなもの今の感想だった。
「何だかこれ、おかしくありませんか?」
『あたしもそう思う。』
困惑気味に呟いたみなもにそう答えたのは彼女と同化している、元は携帯電話の付喪神(つくもがみ)であるもう一人の”みなも”だ。「海原みなも」という少女の意識の中で溶け合っている彼女たちは、自分たちの体を見下ろしてかすかに顔をしかめた。その視界の中ではタコのような複数の足が不気味にうごめいている。
「確かに足を意識しているけど、増えすぎだわ……。」
『妖術を組んでいるこっちのプログラムに根本的な問題はないから、原因は他にあるはずよ。』
ため息をついたみなもに、やはりため息まじりの”みなも”がそう応じる。
”みなも”は携帯電話の付喪神であった時から持っている、携帯電話を支配下に置き自在に操る能力を生かして、みなもの高性能な携帯電話に「妖力を物質化させる回路」を形成するプログラムを作り、それを起動してみなもを補佐していた。”彼女”は以前、みなもの水を操る能力を解析し、そこから携帯電話の演算能力で「水の防護壁を作る妖術」を機械的に代行する「水の装」というプログラムを組んだことがある。それを応用し、水の代わりに今回新たに解析したみなもの妖力を読み込んでそれを具現化するための術式プログラム「妖装(ようそう)」を構築したのだ。
”みなも”はそれをみなもの練習過程と結果に合わせて改良し続けている。妖力で防御用の衣服を具現化する術は、妖力を持つみなもとそれを機械的に処理し具現化を補佐するプログラムを扱う”みなも”二人のそれぞれの力があって初めてできることなのだ。
しかし基本的な妖力具現化の仕組みに問題はなく、正常に作動しているはずだった。衣服になるはずのものがタコの足になるなど想定外である。
「すごくやわいし、これじゃまだ実用できませんね。」
”みなも”に向けてそう呟き、みなもは異形の姿から人魚に、そして人の姿に戻った。
夕暮れ時の人気のない港で、桟橋に腰かけているみなもの細く長い二本の足が宙で揺れている。潮風がなでていく髪は海と同じように斜陽の赤にいくらか染まり、音もなく波打っていた。
ここなら姿が変わっている時に人に見られても、海に飛び込んで逃げてしまえば誰何(すいか)されることはない。人魚や異形の姿をした少女がいた、という噂がたったところで、怪奇現象のあふれるこの東京ではまた事例が増えたと思われるだけだろう。
みなもはまた意識を集中し、”みなも”と共に初めから練習をやり直した。
まずは足が魚の尾ひれに変化する過程を、魚から取って付けたのではなく自分の足が進化したかのように「まぎれもない自分の一部の変化」として自認する。そこからさらに意識を広げ、人魚の姿に変わることに回している妖力を全身にめぐらせて一気に具現化させた。みなも自身にはその一連の流れが手に取るように自覚できるが、意識的に練習してきた成果もあって、はたから見れば一瞬で姿が変わったように思えるだろう。
しかし問題は、その「姿」が不安定でもろいことだった。
今度はきちんと妖力が体を覆ったが、服というよりはぼんやりと服の形状をしたもやのようなもので、みなもが今普通に着ている私服がうっすらと透けて見えている。
彼女はそのあともしばらく挑戦を続けたが結果は思わしくなく、夜の気配が近づいてきたところであきらめ、遅くならないうちに引き揚げようと立ち上がった。怪奇現象が日常茶飯事ということは、それだけ危険でもあるということだから。
しかし、みなもが歩き出す前に携帯電話がメールの着信を告げ、薄闇の中に鮮やかな色のランプが点った。送信者は自称オカルト専門の探偵、雨達圭司(うだつけいじ)で、その内容は「まだ港にいるなら近くに来たから送る」というものだ。そう言いながら彼が連絡して来る時はみなもの何らかの助けが欲しくてという場合が多いのだが、みなもはそのことは気にせず、素直に申し出を受けることにした。
それから間もなく、レンタカーを転がしてきた雨達は助手席のみなもに、
「あんまりうまくいってないのか?」
と尋ねた。怪奇事件解決の参考にしたいのか、それとも単に好奇心が強いだけなのか、しばしば現状を訊いてくる彼はみなもが今港で新たな挑戦をしていることを知っているが、彼女の疲れきった様子から成果がかんばしくないことを察したようである。
「全然、ということはないんですけど思ったようには。」
みなもはそう答えて小さく肩をすくめた。
「妖力の具現化自体はできているんですけど、そもそも、どんな風に妖力を服として身にまとえばいいのかがあまりつかめていないのかもしれません。」
「イメージが大事ってことか?」
雨達のその言葉を聞いて、みなもは確かにそうかもしれないと思った。人魚の姿になる時は人魚の末裔として本能的になるべき形を取れるが、それと同時に「人魚」という言葉から受ける一定のイメージも脳裏にある。それが姿を変える時の速度、明確さ、安定感に影響していると考えられないこともなかった。
イメージがまとまっている方がとりとめのないファッションよりも決まるものだし、制服は固定化されたイメージがあるため「どんな役であるか」が判りやすい。みなもがバイトを半ば制服で選んだり人々が制服とそれの象徴する職業に憧れたりするのも、なりたい自分や自分とは違う自分になれることに惹かれるから、というのもだろう。そう考えるとファッションも一つの変身の魔法かもしれない。
「もう少しイメージについて考えてみることにします。」
そう答えたみなもは、今雨達が抱えている事件に関する意見と、送ってもらった礼を述べて帰宅した。
そんな彼女が雨達に目標達成の知らせを送ったのは数日後のことである。それを受けて成果を見にやって来た自称探偵は、私服姿の目の前の少女がまたたく間に制服姿に変わったことに驚嘆の声を上げた。
制服と言っても、みなもがいつも着ている中学校の制服とはまた違う。彼女の海の色をした長い髪によく合う青と白が基調なのは同じだが、品の良いクラシカルなメイド服を混ぜ合わせたような派手すぎない華やかさがあった。
「嬢ちゃん、魔法でも使えそうだな。」
素直にかわいいとほめるのが照れくさかったのか、架空の世界で魔法使いに変身する少女をまさに現実で見たように感じた雨達はそんな感想を口にした。
結局のところ、一番みなもにとって「服としての妖力」のイメージを固めてくれるのは制服であったと言える。
”みなも”も、元は機械の付喪神であることからみなもよりも感情の切り替えが早かったり冷静であったりするが、基本的に「同じ存在」であるため嗜好も同じで、「妖装」のできには満足していた。『我ながらすごくかわいいと思うわ!』と力説していたほどである。
「練習すればもう少し強度も上がると思います――ところで雨達さんのお仕事の方は順調なんですか?」
変身を解いたみなもはそう言って雨達を見上げた。これに雨達は「それが……」と口ごもって目を泳がせる。
「付喪神が関わっているのかと思ったら、どうも獣憑きらしいんだよ。でも変身もできる嬢ちゃんなら何か判るかもしれない。」
「獣憑きって、狼男みたいなのですか? 付喪神とかなり違うと思いますけど……。」
「そう言わずに助けてくれないか?」
『またこのパターンなのね。』
みなもの意識の中で”みなも”が呆れたように呟く。
『自分が望んで姿を変えるのと、憑かれて変わるのは全然違うわ。』
「でも、望んでいないのに変わるのは嫌ですよね。」
”みなも”に心の中でそう応じたみなもは、『お人好しなんだから。』と言いつつも強くは反対しない”みなも”を心強く思いながら、「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」と頼りない探偵に笑いかけた。
了
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