|
妬み嫉みも使いよう
音楽科塔には音楽が溢れている。
一見当たり前とも思える光景だが、そもそも音楽科塔にある教室はほぼ全て防音加工が施されている。
しかし、先の聖祭はオーケストラがフル活躍。彼ら全員がまとめて練習できるスペースは限られている訳で、当然彼らから優先的に防音室は使われていく。
そんな訳だから、歌唱専攻の者達は必然と一般教室で練習せざるを得なくなると言う訳だ。
難儀なものだな……。
すれ違い際に女子生徒達が眉間に皺を寄せあいながらそんな愚痴をこぼしているのを拾いつつ、夜神潤は階段を昇る。普段なら彼に見惚れる女子生徒も多いのだが、本番前のせいか、空気がピリピリとして、彼に構う者はいなかった。
階段をくるくると昇って行くと、聴き覚えのある歌声が聴こえてきた。
彼女も防音室からあぶれたんだろうかと、潤はぼんやりと思う。
CDコンポから流れてくるピアノに合わせて、一心不乱に歌う。
本来なら乾杯の歌の明るい歌のはずなのだが、彼女の歌に乗って溢れる思念は、お世辞にもいいものとは思えなかった。
『憎い』
『憎い』
『どうして私だけ』
『どうして』
『羨ましい』
『妬ましい』
『いなくなればいいのに』
その思念は、果たして秘宝のものなのか、歌い手自身のものなのかは、潤にも判別がつかなかった。
最後に大きく曲が伸びた瞬間、潤は黙って拍手をした。
そこでようやく歌い手――茜三波が振り返った。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは。もうすぐ本番だから練習か?」
「はい……次は通し稽古ですから、一人で練習できる機会は今日までですから」
「そうか」
「……」
三波は少し下を向いた後、真っ直ぐに潤を見た。
「あの、私の歌、どうでしたか?」
「よかった」
「あの……他には?」
「……」
彼女は、どうにも自信がない。
他と比べられる環境にいるせいか、比べられると言う事が怖い癖に、比べずにはいられないようだ。
俺は心理療法士でもなければ宗教指導者でもないんだが……。
潤はそっと溜息を吐くと口を開いた。
「声が澄んでいて綺麗だった」
「そうですか……」
「ただ、怒りに身を任せて歌うのはよくない。あまり変な発声を続けていたら、声帯に傷がつく」
「……!」
三波は少しだけ目を大きく見開いた。
やはり、自分でも分かっていたのか。怒りに身を任せている事に。思念に当てられている自覚はなくても、それが分かっていれば十分か。
「やはりバレエ科と時間が被っている事にプレッシャーが?」
「……」
潤が尋ねると、三波はこくり、と首を落とした。
「バレエとオペラは趣向が違うものだから、そこまでプレッシャーを感じなくてもいい。観客を呼ぶために歌う訳ではないんだろう?」
「……」
「少なくとも、俺は観に行くつもりだが、「椿姫」を」
「……!」
力のなくなっていた三波の目に、少しだけ力が戻ったように見えた。
三波は少し肩を震わせると、そのままポロポロと涙を零し始めた。
一体どれだけプレッシャーを背負っていたんだろう。
今まで三波に対しての感想を思えば、これだけ地味で平凡な女生徒が背負うには、重過ぎるものを抱え込んでいたようにも思えた。
潤は南に悟られないよう、再度音もなく溜息を吐くと、黙ってハンカチを出した。
「そこまで泣かなくても」
「……すみません、最近ずっと情緒不安定だったので」
「たくさんプレッシャーを背負っていたらそうなるだろう。そこまで思い詰めなくてもいい」
「すみません」
「別に悪くないから謝らなくてもいい」
「はい……」
三波は潤の差し出したハンカチを使う事なく、ただそれにすがりつくように、固く握りしめるだけだった。
……これじゃあ、怪盗の事を聞くのは難しいか。余計に泣いて収拾がつかなくなるか、激情するかのどちらかしかない。
『…………』
『…………』
『…………』
何故かあれだけ耳障りな位撒き散らしていた思念は、いつの間にやら沈黙していた。
形を変える思念は、今も三波が持っているはずなのだが、今の三波は制服姿で、ダンスフロアで見つけたダンスフロアで着ていた自警団服ではない。
三波が全く気付く事なく違和感なく入れ替われるものに姿を変えているとしたら、この2つの共通点は一体……?
泣く三波をなだめつつ、潤は彼女を観察し続けていた――。
<了>
|
|
|