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<東京怪談ノベル(シングル)>


【HS】模造の島

 カリブ海のイナグア島の港は、さほど騒がしくもなくさほど静けさもなく、ゆっくりと時間を刻んでいた。
 眼前には紅鶴がひしめき合うことで有名なロサ湖があり、湖面が夕陽をきらきらと反射しオレンジ色に染まっている。
 長い黒髪――もとい鬘が緩やかなカリブの風にたなびく。
 三島・玲奈は草木を模した装飾の手すりに両手を置き、上に顎を乗せてぼんやりと物思いに耽っていた。
 着ているドレスは紅鶴のような赤を基調とした薄手の生地で、肩は背中から大きく露出し、胸元も魅せつけるかのように開いている。
 華美な装飾の上半身とは異なり、腰から下は緩く布を巻きつけたようになっているが、折り重なるようにひらひらとしたスカートがなんとも優雅な雰囲気を醸していた。
 ここ最近の玲奈はオランダ領のキュラソー島に拠点を構えている。
 キュラソー島の山のほうへいくと、少し緑の濃くなった土地に瀟洒な佇まいがある。
 貴族か富豪が持っていそうなその建物は、元は無人の幽霊屋敷として放置されていたものを玲奈が発見して勝手に借りていた。
 どうして玲奈が日本ではなく、ここカリブ海にいるかというと、某政権交代の煽りをうけて玲奈号が事業仕分けの対象となったためだった。
 もちろん民衆のために活動してきた功績を持ちだして反発したが、時の政府は聴く耳持たず。ほとんど身一つで逃げ延びるようにこの島まできたのだった。

「制服は残り一枚を前の戦いで破いちゃったし…帰りたいなぁ…」

 今はもう市民の資源となっているであろう玲奈号を思い浮かべながら、郷愁を募らせた。胸のうちに疼くこの感覚には、16年も生きてきたというのに決して慣れることはできなかった。
 ふと思いついたように携帯を取り出す。

「そうだ、雫を呼んじゃえっ」



 夜の港。
 満点の星々が煌めく夜空を天然の照明に、テラスにお菓子とジュースを広げて少女二人の談笑が聞こえる。
 玲奈はグラスを持って話した。

「ねぇ、紅鶴って元は白……」
「知ってるよ。赤いのは餌のせいだって。動物園じゃ着色料を与えてるんだってね」

 瀬名・雫はそう言い、お菓子を一つ口に頬張った。
 口いっぱいに砂糖菓子の甘さが広がる。
 さすがは関東随一の伝奇・オカルト好きホームページ管理人、と玲奈も妙な対抗心を燃やす。
 それからも二人は都市伝説のような話に花を咲かせた。

「ハブとマングースはもともと自然界ではお互い空気のような存在なんだって」
「新宿駅にはタヌキが生息しているらしいよ」

 などと、二人の知識を披露しあう熱弁大会は、知らずのうちに周囲の都市伝説力を高めていく……。
 空気は温度を変え、ほのり、ゆらりと煙が空を昇るようにゆっくりと覆っていった。



 夜が深く帳を下ろした頃、ロサ湖の遥か上空は騒がしさを増していた。
 満月を背後に、怪鳥ケツァルコアトルの群れが舞う。
 かつては古代マヤ・アステカ文明の神だった。その名は『羽毛のある蛇』という意味を持ち、翼の生えた極彩色の蛇である。
 だが、今集いし怪鳥は怪鳥たる所以を持っている。
 体はもれなく灰色で、空を覆うかのような広く巨大な翼は至る所が醜く破れている。
 くえーっ!と負の情念を打ち付けるかのように騒がしく喚き立てるも、遥か上空からは地上の楽園に届きはしなかった。
 一団は西を目指し、進軍する。

 一方で中国太古のロケット発明家王富の名を冠したクレーターが鈍く輝いている。
 クレーターはそのまま墓となり、近頃では名物名所ともなっていたが、王富自体、都市伝説の人物なので架空を弔う事自体がこの界隈の妖力を高め、集めていた。
 ひときわ大きな怪鳥が空虚な空に向かって何やら話し込んでいた。

「そうだ、陰月、鏡月の落下で今度こそマヤ暦を完遂するのだ!悪い取引ではあるまい」

 怪鳥の思念は遥か西へと発せられる。
 虚無支配するキューバにある、虚無の神殿と呼ばれる廃墟。
 そこの盟主がロサ湖上空のケツァルコアトルの怪鳥達と結託して地球の周囲を巡るミニムーンを、キュラソー島に落下させようとしていた。
 もう生者ではない盟主の深く闇のような顔の奥に、爛々と輝く血よりも濃く赤い光が灯っていた。
 虚無の神殿には、大小様々な都市伝説の霊や、神物だったものが集っている。
 その中にはかつて地質学者の娘として非業の死を遂げた娘の霊も――。



 かつ、かつ、と音を立てながら湿っぽい石畳をブーツが叩く。
 玲奈と雫は都市伝説でヒートアップしていたところに嫌な気配を感じた。
 その嫌な感じを探し当てた先は、キューバの虚無の神殿と云われのある場所だった。
 二人は大きな広間のような場所へとたどり着く。巨大な祭壇のようだった。
 嫌な感じを発する気配は部屋のそこかしこに広がり、いくつもの霊魂や魔性の類を確認できる。
 いくつもウー、ウー、と奇妙な唸り声が聞こえる中、ぼんやりと光る淡い影が目に写った。
 玲奈は目を凝らし、見たことのあるような――

「!…貴女は」

 かつて玲奈の前で、自らに陰月の名を冠する隕石を落下させ、自殺した少女だった。
 彼女は悲しい視線で玲奈を射る。
 ふいに少女の右手が高々と上げられ、玲奈に向かって振り下ろされた。

「!?」

 室内だというの、広い部屋の頭上から玲奈めがけて隕石が落下してきた。
 咄嗟に回避行動を取るが、もともと牽制のつもりだったのか玲奈の立っていた場所からは大きく逸れていた。
 祭壇の最奥の方、虚無色のローブの中で何やら奇妙な言葉で祈り続けている人物が、おそらく黒幕だろうと玲奈は予測していた。
 視線をローブから少女へと戻す。
 彼女の薄幸な私生活を目の当たりにしていた玲奈は、胸をきゅうっと締め付ける思いに耐えて叫んだ。

「貴女とは戦いたくない!」

 玲奈が視線を鋭くすると、左目から細い光の線が一直線に伸びて隕石を貫いた。
 その頼りない光の筋が直撃すると、巨大な岩の塊は破裂音をまき散らしながら砕け散った。
 いつのまにか少女は雫の真横に立っていた。少女に触れられた瞬間、まるで人形のようにカクン、と雫の体が落ちる。
 落下しそうになった雫の手をとり、少女と雫はふわりと空中に浮いた。

「この人を連れていくわ。都市伝説力を借りて私も王富のように伝説の中に生き続けるの」

 そう言った少女の声は懐かしく、そして儚く切なく悲しいものだった。
 玲奈はドレスを裂くと、水着姿となって衣服に隠れていた羽が背中から剥き出しになった。
 羽ばたき、玲奈も空を昇る。
 少女の目の前まで来ると、少女を玲奈の両腕が優しく包みこむ。
 体は透けており、奥の壁の亀裂がはっきり見て取れた。
 少女は遠い記憶のなかから一冊の本の物語が思い出していた。
 親や周りからも辛く当たられた幸の薄い少女。それでも懸命に生き、生きて、生きて、最後に教会の入り口で息を引き取る。その少女の魂は羽の生えた微笑みの天使に連れて天国へ昇るのだった。

「……貴女は、天使?」

 少女の頬をつうっと光るものが伝う。
 質量のない体は徐々に薄れていく。
 少女は玲奈の腕に抱かれ、穏やかな顔で成仏した。
 都市伝説力は急激に薄れていき、周囲の怪物や霊、祭壇の再奥にいた虚無のローブすらも、幻を見るかのようにすぅっと消え去った。