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<東京怪談ノベル(シングル)>


【HS】イナグアの娘

 それはまるでお伽話。
 少し歪んだ、けれど切ない、現代のものがたり。

 オランダ領キュラソー島。
 カリブ海に浮かぶこの島は、温暖な気候に恵まれた心地の良い場所だ。
 そんな現代の楽園とも言えそうなこの場所の片隅、街はずれのガレージに彼女はいた。十人並みの容姿と服装だが、その髪につけている飾りは紅鶴の羽であり、それがいやに目を引いた。
 少女は何をしているかというと、このガレージで歌を歌っている。歌声もごく凡庸、むしろ通りを歩く観光客たちからは白い目で見られているのが現実だった。
「……このあたりね」
 そこにやってきたのは三島・玲奈。オランダ王立戦略創造軍に所属している、若いがれっきとした准将である。今回は恋愛を妨害する紅鶴が出現したとの報を受け、それの確認及び対策にやってきたのだが……
(どう見ても、紅鶴よね……)
 少女の姿を確認して、すぐに思ったのはその言葉。そう、近くにいた仲間に囁くと、
「自分には人にしか見えませんが、准将殿」
「そこは霊感の差ね」
 そう微笑んで、玲奈は少女に近づこうとする。と、少女の視線に気がついた。誘うような、切なくも熱い眼差し。自分の意に反してなぜか女性にもててしまうことの多い玲奈にとって、自身に好意を寄せられるような視線はやや苦手だ。しかしやがて少女は視線を動かしてふっと微笑み、気がつくと立ち去っていた。尾行しようとしてももう行き先はわからない。
「……くっ、してやられた……!」
 玲奈は悔し声を思わず漏らす。それにしても視線の中に含まれていた真摯な眼差し。あれはいったい――?

 その夜、ビーチにほど近い、いわゆるナンパの名所にて。若い男女が明るい笑い声を上げながら、仲良く語り合っている。時には口づけを交わしたり、肩を組んだり。なるほど、いかにもナンパの名所である。
 と、そこに突如スポットライトの光が舞った。光源となり得るものはないはずの場所で突如現れた光に、若者たちは面食らう。しかもその直後、その場にいた者たちが小さな悲鳴をあげた。
「キャッ……冷たい!」
 平均気温二十五度の地での突然の冷感。しかしそれを受けた側は急に不快感も与えられたようで、僅かに苛立ったような冷めたような声で、
「私、帰る」
 そう言い放つと別れて家路へと向かおうとする。
「お、おい、ちょっと待てよ!」
 連れだった者たちが驚くのも無理は無い。
 そして――それをそっと見つめている人物がいた。紅鶴の少女だ。彼女は囁く。
「ねえお願い、私の肩を抱いて……私だけが孤独だなんて、辛すぎるわ」
 その声には、哀愁の吐息が混じっていた。
 もっともこの小さな事件は、直ちに玲奈の耳に入ることはなかったが。

 その頃玲奈はどこにいたかというと、やはり若者が多くひしめいているディスコであった。アップテンポなナンバーも終わり、いまはゆったりとした音楽にあわせて恋人たちが仲良く踊っている。
 そんな中でなぜか十分美少女の範疇にあるのに一人ぼっちな玲奈。いや厳密には仲間とともに行動しているのでぼっちではないのだけど、恋人とともにいるわけではないのでこういう場面ではどうしても肩身が狭くなってしまう。周囲の一般客からも普通に哀れみの視線を向けられているような……少し、切ない。ひたむきな性格ゆえ一夜限りのアバンチュールというわけにも行かず、ただ与えられた仕事を全うしていくだけだ。
 ここにいるのもその一環。
(あの紅鶴……! とんだ喪女製造機だわ!)
 色恋沙汰ならそういう空気を醸し出す場所が良いであろうと選んだのがここ。確かに若者たちの集う空間である。男女の出会いも多かろう。
 とは言え玲奈自身は前述のとおり一人ぼっちなわけで。いわゆる壁の花というやつだ。浮かれた様子で踊っている男女の中に問題の少女がいないかどうかを眺めつつ、彼女はイライラした気分をなだめるためにジンジャーエールを一杯煽った。
 と、その瞬間。
「ここが恋の楽園だなんて嘘。悲恋で満ちた氷の楽園よ……!」
 昼間にガレージで聞いたのと同じ声が、耳に届く。いや、聞こえたのは玲奈だけかもしれない。その声にはっと顔を向けると、
「抱きしめて……抱きしめて。胸が張り裂けて、壊れそう……」
 少女が男の背を睨み、そして何やら手を動かした。
「やめなさいっ!」
 玲奈が怒りを込めた一言を吐くが、少女には伝わっていないのだろうか。それとほぼ同時に照明が眩しく輝き、――やがて踊っていた女性たちの顔は一転、ひどく冷めたものへと変わっていた。
「ごめん。気が乗らないの、帰る」
 先ほどのナンパスポットと同じ現象。男たちは理由もわからぬままにそれをただ唖然と見つめるだけだ。そうしている間にも女たちは足早に店をあとにしようとしている。玲奈はそんな女たちの首元に、チカリと光るものを見つけた。
 スパンコールほどの大きさの、氷だった。

 それから数日後のキューバ沖、イナグア島。紅鶴の楽園とも言えるロサ湖に、玲奈は少女を伴って訪れていた。そこにいるのはなぜか雌ばかりらしい。中には、人に化けるものも。
「昔々、人に恋した紅鶴がいたの。どうしても思いを遂げたくて、魔女と契約を交わしたのよ……人になる代償として、産む子は紅鶴の娘という、呪われた契約をね」
 少女の髪飾りと同じ色をした羽を持つ、数多の紅鶴たち。
「そしてきっとその子孫も、同じ能力を受け継いだのだと思う……そのひとりが、あなたよ」
 玲奈はそっと少女に向き直り、そして言った。鳥がその途端、いくらか空へと羽ばたいていく。
「そうか、だから私って……たまに紅鶴に見えるんだ」
 少女はほとんど自覚がなかったらしく、その事実に驚いている。しかし言われてみれば納得できる部分も少なからずあったようで、素直に頷いてみせた。
「日本の昔話に、人に助けてもらった鶴の娘が人間の若者と結婚するというのがあってね。それをなんだか思い出すわ」
 麗菜はそう言うと、懐かしそうに故郷の物語を語った。
「あなたは、そういう現実を驚かないのね」
 少女は不思議そうに尋ねる。玲奈は微笑んだ。
「だって――私だって、鳥なんだから」
 その瞬間、身に着けていた制服の背中がビリリと裂ける。背中に現れたのは、大きな翼。水着のみをまとった姿で、翼が一度、大きく動く。
「お揃いだね!」
 少女は嬉しそうに笑う。やがて、何かを玲奈に差し出した。
「……これは?」
「紅鶴の羽で追った服。もらってほしい」
 少女が手渡したそれは、ふわりと軽くまさに羽衣という感じだ。
「いいの?」
 玲奈がもう一度確認するように問うと、少女は頷いた。
「友だちの印よ」
「なんだか、さっきの昔話みたいね。あれとは逆のパターンだけど」
 玲奈が思わず苦笑すると、紅鶴の少女も笑顔を浮かべた。

 ――イナグア島からさほど離れていない場所、キューバ。
 そこにひとりの女がいた。
 巫浄・霧絵。玲奈をかつて拉致した心霊テロ組織「虚無の境界」の盟主であり、同時に虚無の境界そのものとも言える存在である。現在キューバは彼らの手中にあり、霧絵がいることに不自然な点はないのだが……
 彼女は笑っていた。手の中で薬品を何か弄びつつ、微笑んでいた。
「――これも一興だわ」
 その薬品はかつて、かの紅鶴が契約を交わした時に手に入れたものと同じもの。
 しかしそれを知るものはなく、ただ彼女の横で紅鶴がひっそりと舞い踊るのみ……

   −了−