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<東京怪談ノベル(シングル)>


●驕りを断つ(2)

 少し、時は遡り――彼女は見ていた。

 太腿に食い込むニーハイソックスは、眩しい白。
 編みあげのロングブーツも、眩しい白。
 一転の曇りもない、白を纏う武装神官、ほう、とその女悪魔は感嘆のため息を吐く。
「悪くないわねェ」
 穢れの無いものこそを、穢したくなる。
 その高貴な表情が苦痛に歪む様を想像し、赤い唇を弧に描いた。
 鋭い爪を研ぎ澄ませ、狙いを定める。
「白鳥・瑞科(8402)……あんた、悪くないわよ。寧ろ、とぉっても、良いわ」
 スツールにした人間だったものに足を置き、女悪魔は嗤い声をあげる。
 喜悦に満ちた笑いは、やがて冷たい響きとなって配下へと命じた。
「十分に、もてなしてあげなさい」



「丁重に持て成してあげようって配慮を。随分とまあ、ぶっ壊してくれたねェ」
 黒いボンテージを身につけた妖艶な女悪魔は、くく、と喉の奥で嗤い声をあげた。
 咄嗟に理解する――この悪魔にとって、部下などは代用品でしか無いのだ。
 瑞科にだって、同僚や友人がいる。
 それは決して、代用の利くものではないし、そうであってはならない。
 ――人間と悪魔の、観念の違い、と言えばそれだけかもしれない。
 だが、瑞科にとってその『観念』は到底、受け入れられないものだった。

「練度が低いのではなくて? 随分と、弱い様子でしたけれど」
「まあ、アタシ以外はあんなもんさ。で、あんたは楽しませてくれるのかい?」
 鋭い爪を武器に、疾風の速さで踏み込んでくる女悪魔――常人では視認不可能な速さを、瑞科は剣を盾にする事で見切った。

 キーン!

 響き渡る金属音。
 折れる事のない爪は、流石悪魔、と言うべきか。
 一旦距離を置き、剣の装飾に傷が付いていない事を確かめる。
 女悪魔は愉悦に浸っているようだった、口元はだらしなく開かれ、空を仰ぎ恍惚としている。
「あんた……」
 ぽつり、と零れた言葉に、瑞科は不快感に眉を顰めた。
 柳眉が細められ、青い瞳に茶色い睫毛の翳が落ち、アンニュイな魅力を漂わせる。

「いいよぉ、あんた」
「とても不愉快ですわ」

 何度目かの溜息を吐き、剣を構える。
 そして、瑞科は飛んだ――まるで飛翔する白鳥のように。
 ふわり、重力から解放されたかのような軽やかな跳躍、鈍い光が白い肌を照らす。
 舌なめずりする女悪魔は、爪を掲げて振り下ろした。
 宙で体を捻り、衝撃刃をかわすと両手で構えた剣を片手に持ち替え、半円を描くように滑らせる。
 踊るかのような白い美脚が地面に付くと同時に、女悪魔は爪を振るう。
 剣でいなす、そして踏み込んだ剣先は女悪魔の頬を切り裂いた。
 怒りに震える女悪魔の瞳が見開かれ、痺れるような感覚が瑞科に走る――が、歴戦の戦士だ。
 気力で奮い立たせ、その術を破ると縦の剣撃から横へ。
 皮の剥がれた女悪魔は、無造作に顔の皮を捨てると爪に瘴気を纏わせて襲いかかって来る。

「あんたの顔、貰うよ!」
「ご冗談を」

 初手の速度より速く、まるでそれは弾丸のようではあるが――それを滑らかな動きで弾く。
 怒りに襲い来る女悪魔は最早、瑞科を殺す事しか考えていない。

(「愚かな――」)

 だが、この怒りは使えるかもしれない。
 恐らく後先考えずに、襲いかかっているのだろう――弾かれるたびに、石造りの内壁を削る爪。
 それを冷静に観察しながら、瑞科は体を滑らせると同時に、女悪魔の後背へと回るとその体を蹴り飛ばした。

「ギャッ!」

 ごぽり、と黒い液体を吐き散らしながら、内壁に突き刺さった爪。
 髪の毛をかきあげ、余裕たっぷりに近づいた瑞科は容赦なく女悪魔の腕を斬り落とす。

 パキン

 まるで、木の枝を折るような軽すぎる音だ。
 同時に吹きあがる瘴気、両腕を失くした女悪魔の顔が、どろり、と溶け始める。
「終わりに致しましょう。残念ながら、あなたではわたくしの相手には不足の様ですから」
 聖母にすら匹敵するであろう、優しげな頬笑みをたたえ。
 白魚の様な手が、銀色の剣を撫でる。
 瘴気の中でもその清らかさを失わない剣はまるで、瑞科と言う人物そのものを表すかのようだ。
 白いベールがふわり、ふわりと揺れる。
 バージンロードを歩くかのような、静かな歩みであるがその先に向かっているのは敵の破壊。
 深いスリットの入ったシスター服から覗く、たおやかな肢体。

「それを、ちょうだぁい……!」

「拒否致します」

 ずるずると床を這う女悪魔、いや、だったものを見据えながら瑞科は微笑んだ。

「主よ。この憐れなものを、お救い下さい」

 銀色の剣が閃く、シスター服が翻り、そして、何も残らず石造りの塔が、沈黙する。
 完全なる勝利、それは神の与え給う祝福。
 そして、白鳥・瑞科と言う女が振るう剣である。

「何故、驕るのかしら……?」

 呆れながら、瑞科は呟く――哀れな者へ。



『教会』の本部、司令室――神父の部屋。
 カツカツ、とヒールを鳴らし、神子の苦悩が描かれた部屋の前へと立つ。

「白鳥・瑞科。帰還しました」
「入りたまえ」

 失礼します、と断り入った司令官の部屋。
 どうやら、司令官である神父は先程まで祈りをささげていたようだ。
 手にかけられたロザリオが、静謐とした輝きを放つ。
 雄々しい髭に覆われた、険しいと言う言葉が尤も似合うであろうこの司令官は、瑞科の理解者でもあった。

「報告致しますわ。リストの通り、悪魔の召喚に失敗。どうやらその際、悪魔が此方の世界へと入り込んだようです」
「数はどれ程だった」
「上級悪魔が1体、中級悪魔1体、そして下級悪魔が無数……全て、殲滅を終えました」
 その言葉に、司令官は少しばかり笑みを浮かべた。
 もしかしたら、先程までの祈りも瑞科の帰還を願っての事かもしれない。
「よくやった。本当に失敗がなくて助かる」
「楽な任務でしたわ、驕る者ばかり」
「……そうだな、本当の強さは心に表われる。それは、何を以っても壊す事が出来ない。次も頼むぞ」
 ゆっくりと頷いた司令官は、まなじりを優しくゆるめる。
 まるで我が子の成長を喜ぶかのような、優しく温かいものだ。
「ええ、勿論ですわ。失礼いたします」
 瑞科は己の強さ、そして驕りの弱さを感じながら司令室を後にするのだった。



<驕りを断つ(2) 了>